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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■一章 運命に浚われた少女
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05.エスメラルダ


 エルトリア城の奥に位置する、王族居住地の一角。

 国王様が自国の第一王女に与えた、四階からなる塔の三階。


「お、お初にお目にかかります。クリスト領のラスフル村から参りました――」


 私は今、一国の王女に相応しい、絢爛に飾られた謁見の間の中心に立っていた。壁際の壇に置かれた椅子に腰かける姫様に向け、挨拶を行おうとしている。


 塔の入り口付近で初老の女官長(おんなかんちょう)であるマリス様に引き渡された私は、伝令官に深々と頭を下げて別れた。説明を受ける間もなく、今度は塔の最上階まで登らされた。


 そこで、以前は姫様の衣裳部屋として使用されていた一室を、住居として与えられることになる。


『私が……ここに住むのですか?』

『えぇ、あなたはこれから――』


 その時になってようやく、私が連れてこられた理由が伝えられた。その場には、後から王国騎士団の団長様も加わった。


 説明は淡々と短時間の内になされたが、私に次々と重苦しい驚きもたらした。それが終わり、折よく姫様が侍従と共に塔へ戻って来られると、私はマリス様に謁見の間に連れられ……。


 結果として――村娘が一国の姫様に挨拶を行うという、稀有な状況の当事者と私はなっていたのだった。

 

 典雅な芳しい花の香りが鼻孔を満たす謁見の間には、城内とは違って大きな窓が設えられており、太陽がそこから部屋へと黄昏色を滴らせていた。

 

「まったく……いくらお父様の命とはいえ、こうも急いで連れてくるなんて。可哀そうなことを」


 緋色の彩りが鮮やかな敷物の上。豪奢な椅子に腰かけた姫様は、私の挨拶を呆れた調子の声音(こわね)で遮ると、非難するような視線を壇下の左手に投げかけた。


「え?」


 私はその言葉に虚をつかれ、息を抜かれたように黙ってしまう。


 すると姫様の視線の先に控えていたマリス様が、私に仰られても困ります、と慌てる風でもなく粛々と答えた。


 姫様は承服しかねてか嘆息を一つ吐くと、視線を私に戻した。


「まぁ、連れて来てしまったのなら仕方ありません。挨拶を遮ってしまってごめんなさいね。それで、アナタの名前は……」


「ユ、ユリシア。ユリシア・リリーズと申します」


 そこで我に返った私は、中断された挨拶を続けた。

 言い終えた後、早口になってしまったことを僅かに恥じる。


「ユリシア……」


 だが姫様は私の緊張を気にするでもなく、思案顔でそう呟いた後、


「いい名前ね」


 と、温かくお笑いになった。

 

 一国の姫様にそのようなお声掛けを頂いた私は恐縮し、「あ、ありがとうございます」と、慌てて頭を下げる。


 姫様は私のそんな子供じみた仕草がおかしかったのか、親愛の情を灯すようにクスリとお笑いになった。


 私は思わず恥じらいを咲かせ、赤面してしまう。

 その様子に姫様は笑みを深めると、椅子から立ち上がり、


「では、今度はこちらが自己紹介する番ですね。私の名前はエスメラルダ。エスメラルダ・リ・エルトリアと言います。一応、エルトリア国の第一王女です」


 そう私に向けて挨拶をなされた。


 私はどんな自分で姫様に対面すればよいか分からず、背筋を伸ばして迎えた。

 そして、その後に姫様は――。


「でも堅苦しいのは苦手なので、これからお互いを、ユリ、エルダと呼び交わしましょう。よろしいですか?」


 まるで私を友達として遇してくれるかのように、気さくな提案を持ち掛けた。


 二つの瞳は何かを期待するように輝き、あどけなさとでも言うべきものが、眩い光となってその面から放たれている。


 ――え? 姫様を?


 だが失礼な話、その時の私は嬉しさよりも恐れ多いという感情が上回った結果、返答に困り、曖昧に笑うことしか出来なかった。


 すると姫様がそのことを察したように、「あ……」と言葉を漏らし……。


「姫様! いくらなんでも、一国の姫君を呼び捨てになど!」


 次の瞬間、マリス様がその場で苦言を呈した。

 私と姫様は揃って眉をあげ、女官長である彼女に視線を向ける。


 そこで姫様は、感情共有の齟齬など幻であったかのように、ふん、と気丈に鼻を鳴らすと、


「マリスは昔から口うるさいですね。それくらい、よいではありませんか」


 そう言ってのけた。


「ひっ、姫様っ!」

「そんな大きな声を出さなくても、聞こえています」


 それから二人は私の知らない過去の話を持ち出して、賑やかに話を始める。


 私は一連のやり取りを眺めながら、緊張し続けていた気持ちが徐々に解れていくのを感じた。私は今、紛れもなくエルトリア国の第一王女様と対面している。だが現実のお姫様は、私が想像していたお姫様像とはかけ離れたものだった。


 快活にして闊達。思ったことをそのまま口に出し、奥ゆかしさよりも実直さを求める性格をしておいでのように、個人的にお見受けした。


 飾り気のある衣装に身を包んだ、飾り気のない性格をした自由なお姫様。

 それがエルトリア国の姫、エスメラルダ・リ・エルトリア様の有りの儘のお姿。


 私は自分が作り出したお姫様像に一人で委縮し、また一人で安堵を覚えている自分に気づくと、急に気持ちが楽になった。


 そんな私に、気心知れたマリス様とのやり取りを終えた姫様が一言。



「しかし……本当にそっくりですね、私たち」



 そう、私がここに連れて来られた理由がそこに存在する。


 立ち振る舞いにおける洗練の度合いや髪型、瞳の意志の強さ、口もとの引き締まり具合などが僅かに違えど、私と姫様は瓜二つと言っていい容姿をしていた。


 事前に説明はされていたが、入室した際に初めて姫様を見た時には思わず絶句した。それは姫様にとっても同じようで、私たちは暫く物も言えず、横を通り過ぎて所定の位置に控えたマリス様に咳払いしてもらうまで、現実から遊離したような状態になっていた。


『まさか、ここまで瓜二つとは……』


 村長の家での伝令官の言葉や反応が、意味を伴って私の中で立ち上がって来る。


 また村に年数回やって来る行商人が、関心を持って私を眺めていた訳も。マリス様に説明を受けるまで、彼が偵察等の任務を帯びた国の人間だとは知らなかった。


「なるほど、横顔はこんな感じに見えるのですね」


 先ほどの一幕を思い出している間に姫様は壇を下りて近づいてくると、やがて色んな角度から私を眺め始めた。


 見られているという意識が、奇妙なむず痒さとなって走り抜ける。

 その際に、横に並んだ姫様が一人言のように呟いた。


「はて……胸は、どちらの方が大きいのでしょうね?」

「えっ!?」


 私が驚きに肩を跳ね上げると、姫様はひょこっと私の視野に顔を覗かせ、悪戯めいてお笑いになった。


 だがマリス様に「姫様っ!」とたしなめられると、フフッと微笑を引きずりながら元の位置に戻り、「さて」と間を置いて本題に入られた。



「ユリ、あなたには申し訳ないけど、私の()()()をしてもらうことになります」



 これから真剣な話し合いがなされることを空気で察した私は、気を引き締め直して頷いた。


「はい、その件に関してはマリス様と騎士団長様より伺いました」

「騎士団長? あぁ、アルベルトのことですか」


 アルベルト・ル・ヘイネス。


 どこか憂いを帯びた顔が特徴的な、顎鬚を(たくわ)えた壮年の男性。諸侯貴族様に特有の文化である「騎士道」をその身で体現するかのような、大柄で筋肉質な王国騎士団長。


 謁見の間に来る前に顔を合わせたアルベルト様は、周囲に見えない刃物を展開させているような、同席するものに息が詰まる緊張感を与えるお方だった。


「ちなみにアルベルトは数年前に年若い奥さんを貰いました。そのことでからかうと面白いですよ。子供はまだなのですか? と聞いてごらんなさい。顔を真っ赤にしますから」


「え? いや、それは……」


 しかしそんなアルベルト様もまた、マリス様と同じように、姫様を深く敬愛しているであろうことは察せられた。


 勤勉実直を思わせる口調でエルトリア国の現状を私に説明した後、姫様のことに話が及んだ際には口調が変わった。まるで我儘な娘のことを話すように苦笑交じりで、優しく目じりを下げて話しているのに私は気づいていた。


「話が反れましたね、まぁアルベルトのことはどうでもいいです」

「ぶえぇぇぇっくっしゅん!」


 外で男性の大きなくしゃみが聞こえたのは、多分、気のせいだろう。

 マリス様がクスリと笑みを零し、姫様も満足そうに微笑まれた。 


「それで替え玉の件ですが、ユリには、宮廷で催される宮廷貴族を招いた祝宴に、私の代わりに出席してもらうことになります」


 その後、姫様はエルトリア国が瀕している危機について私に話した。


 北の大山脈を隔てた隣国――ブリュンヒルデ帝国が、四日ほど前にエルトリア国に対し、第一皇子の名前で降服勧告を行ってきた。同時に、その勧告に従わない場合は侵略を行うとの宣言も。


 つまりエルトリア国は現在、ブリュンヒルデ帝国に事実上の宣戦布告を行われている状態にある。


 私はその事実をアルベルト様から伺った時、鷹の羽音を聞いた小動物のように身を竦ませた。エルトリアに生きる牧歌的な農村の少女として、全く実感が湧かなかったのだ。戦争に。


「御存じかも知れませんが、エルトリアは統一して直ぐにブリュンヒルデに侵略されています。その際は始祖様が迎撃し、以降は北の大山脈が軍事的な障壁となっていることもあり、戦争に至ったことはありませんでした」


 姫様が話し始めると、太陽が今まさに落日の時を迎え、昼が眠ろうとした。マリス様が視線を走らせるよりも早く、室内の侍従たちが蝋燭の火を灯し始める。

 

「にも関わらずの宣戦布告。しかも内情を探らせたところ、軍備が完全に整っていない段階で行ってきたことが判明しました。第一皇子。突発的とも思える宣戦布告。些か解せない部分も多く見当たります」


 私は自分の頭を必死に回転させながら、姫様の言葉を理解には至らずとも、どうにか認識しようと努める。


「ただ防衛戦に当たっては、王国騎士団も戦場に馳せ参じますが、基本的には地域を治める諸侯が身を呈して領民を守ることになります。特に戦場となることが予想される北の地域は、税収が貧しい領地も多い。徴兵を行い武器や食糧を揃えるためには、何よりもお金が必要です。勿論、それを調達するのも諸侯の務めでしょう。しかし、私はそれで諸侯の力を抑え込むことを潔しとはしません。何故ならそのしわ寄せは必ず領民に、いえエルトリアの国民に来るからです。それに防衛戦には何としても勝利せねばならない。ならどうするか?」


 そこまで言うと、姫様は一端言葉をお切りになった。


 私は現実に委縮し始め、小さく喉を動かして唾を飲み込む。

 そんな私を前に、強い意志を瞳に灯らせながら、姫様は決然と言い放たれた。


「私は防衛戦のため、エスメラルダ・リ・エルトリアの名前で基金を募りたい思います。騎士道を鼻で笑い、宮廷で悠々と暮らす宮廷貴族たちから!」


 瞬間、時間が止まったようになる。

 私は姫様の強い口調に目を見開き、驚きを露わにしてしまう。


 それに気づいた姫様は、「失礼、つい熱くなってしまって」と、一国の姫君には必要ない謝罪の言葉を述べられた。


「と、とんでもございません」


 私は、頭を横に振りながら答える。

 すると姫様は怒りを抜くかのように、「ふぅ」と息を吐いた。


「話を戻します。基金を募るに際しては、祝宴を通じて宮廷貴族からお金を出して貰う必要があります。その役目をあなたに……いえ、ユリに任せたいのです。私の名義で開かれた祝宴なら名目は何でも構いません。とにかく祝宴を頻繁に催します。その際に『祖国の存亡は、宮廷貴族の皆さまの双肩に掛かっております』とか何とか言えば、彼らは私の機嫌を取ろうと必死になって基金に参加してくれる筈です。なにせ見栄とか名誉とか、訳の分からないもので腹を満たす人種なのですからね。彼らは」


 言い終わると姫様は、僅かに溜飲が下がったのか、鼻から息を抜き、私に微笑んでみせた。


 私はそこで要件となる話が終わったことを察し、意識の端に引っ掛かっていた疑問を口にすべく、声帯を震わせる。


「お、恐れ多くも姫様」


 先程の話だ――与えられた自室で私は、『当初の予定では国王様の命により、姫様の()()()として、城に連れて来られる筈だった』と、マリス様から教わった。


 影武者。耳慣れない言葉の意味を尋ね、その意味をアルベルト様の口から知らされた時、思わず言葉を無くした。次いで、冷たい皮膚を持つ蛇のように絡まった混乱がやって来た。


 ――影武者? 姫様にどうしてそんなものが必要なの?


 マリス様は私に構わず言葉を続けた。しかし影武者の件は、姫様が拒まれて立ち消えになったと。その筈だった……と。


 だが国王様は、伝令官に私を連れて来るよう命じてしまった。

 それがほんの数日前のことだ。


 国王様からその旨を伝えられた姫様は驚き、またその際に、影武者でなくともいいから手元に置くよう国王様に強く懇願されたため、私を突き返す訳にもいかず、随分とお悩みになったそうだ。


 結局、少しでも姫様の負担を減らそうと、私を影武者ではなく、宮廷での()()()として使用することに決まったらしい。


 そう教えられても、私には幾つかの疑問が残った。


 なぜ国王様は、私を姫様の元に置くようお望みになったのだろうか。しかしその場で強く印象として残ったのは、なぜ姫様に影武者が必要なのかという疑問だった。


 話が終わった後、私は堪らず、そのことについてマリス様とアルベルト様に尋ねてみた。前者に関しては二人とも揃って首を横に振り、後者については……。


『それは君が、自分で姫様に尋ねてみなさい』


 アルベルト様は、私にそう仰られた。

 自分の耳で、姫様からその答えを聞くようにと。


 思考を現実に引き戻し、気後れを引きずるようにして口を開く。


「私は当初、影武者としての命を受けていたと聞きます。しかし、それを姫様が拒まれたと……」


 その言葉に姫様は、遠くを見るように目を細められる。

 口元は笑んでさえいた。


「えぇ、確かにそうです」


 私はそんな姫様を、縋りつくような眼差しで眺めた。


 エルトリア国の第一王女である彼女を。

 流転する運命が巡り合わせた、同じ顔をした彼女を。


 得体の知れない恐怖が、全身に沁み渡っていくのを感じる。

 沈黙がその場に横たわり、私は一度俯いた後、再度視線を姫様に戻した。


「か、考え違いでしたら、大変申し訳ないのですが……姫様は、まさか……」


 そして私は、「エルトリアの戦姫(いくさひめ)」と後に称されることになる姫様に訊ねた。



「戦場に、立たれるおつもりなのですか?」と。



 すると姫様は、これから大事に挑むとは思えぬような、どんな気負いもない、まるで私を透かして空を見ているような、淡い表情で答えた。




「えぇ」




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