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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■一章 運命に浚われた少女
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03.出立

 

 徐々に明け始めた空の下。桶からはみ出た水が、白刃のように朝日に輝く頃。家族や村の皆との別れの挨拶もそこそこに、私は王都へ向かうことになった。


 伝令官に王都に来るように告げられた後、集められた村娘は私を除いて家に帰され、代わりに私の両親が村長の家に呼ばれた。

 

 そこで二人は、ただ了解することだけを伝令官から求められた。質問をしても、伝令官は自分には答える権限がないと言う。更には、このことは領主様も承知済みだとも。


 その言葉を受けて、私たち一家は村長に揃って振り向いた。彼は躊躇うように寂しげに笑うと、伝令官の言葉に嘘偽りがないことを認める発言をした。


 私たちは不安という獣の(かいな)に抱きすくめられたが、従う他に術がないことを悟り、了解の旨を揃って告げると無言で我が家へと戻った。


 そして夕食の席では、父が伝令官から伝えられた言葉を、彼なりの言葉に翻訳して家族に話した。陽気であろうと努めた父に話題を向けられると、一寸遅れて、生気を抜かれたような虚ろな表情で応える母の姿が印象的だった。


 年の近い二人の姉は私に労わりの声をかけたが、四歳の妹と三歳の弟はあまり意味が分かっていない様子だった。


 ただいつもと違う沈んだ空気の中での夕飯が終わり、それから暫くしてようやく私がいなくなることを理解すると、声を上げて泣いた。


 私はそんな二人をあやしてやると、三人で寝床に入って寝かしつけた。


 母はこんな時まで悪いね、と今にも折れそうな顔をして言ったが、私は無言で頭を左右に振った。日常が持つ力というものを信じていた私は、普段と違うことをしたくなかった。出来るだけ平静でいるために、それが必要だとも……。


 ――アレックスはどうしているだろうか。


 荷物も必要ないと言われたので特別な支度をせずともよく、ただそんなことを考えながら、いつものように夜は終わっていった。


 翌朝――。


 早朝の村の入り口には幼馴染や村長を始め、噂を聞きつけた親しい幾人かの村人が、仕事の時間を遅らせてわざわざ見送りに来てくれた。


 また、昨日の伝令官の言葉に嘘偽りがない証拠に、その付近では領主様の家紋がついた二頭立ての馬車が、御者と共に控えていた。


 伝令官はその馬車の傍らに立ち、私が皆に挨拶をするのを急かすでもなく、ただ無言で待っている。彼の顔は一度村長の家で見たことのある行政文書のように、何とも読み解き難いものだった。


 そんな伝令官の姿を視界の端に捉えながら、私は次いで肉親に挨拶をした。

 

 姉たちとの抱擁を済ませると、妹と弟が私の足にしがみついてきた。頭をポンポンと叩いてやると、四つの潤んだ幼い瞳が私に向けられる。二人の姉は父親と同じ青い瞳だが、私と妹と弟は、母の血を受け継いだのか緋色の瞳をしていた。


 手を離すように二人に言った後、屈んで目線を合わせ、にっこりとほほ笑む。

 二人は子供ながらに必死に涙を堪えているようだった。


「家族みんなの言うことを、ちゃ~んと聞くのよ? 分かった?」


 お姉ちゃんである妹が頷くと、弟もそれに倣ってコクコクと頷いた。

 その様子を、母はまるで私を身売りに出すような沈鬱な表情で見守っていた。


 私がその視線に気づいて顔を向けると、戸惑ったように母は笑った。父はその横で、愛しさからくる切なさに顔を歪めながらも、笑おうと努めているようだった。


 私は両親に近づき、それぞれと抱擁を交わす。


「行ってきます」

「ユリシア……体には、くれぐれも気を付けるのよ」


 二人との別れの挨拶を済ませると、伝令官が影のように私の近くに佇んでいた。


「それでは、参りましょう」


 私は彼に向き直ると、心残りを感じながらも黙って首肯した。

 

 最後に、見送りに来てくれた村人の中から彼の姿を探そうと、視線を走らせる。

 でも……やっぱりいない。

 


 アレックスはとうとう、この場には姿を現さなかった。



 お互いの想いは分かっている筈なのに――まだ恋人でもない私たちは、昨晩、別れを惜しむ挨拶を交わすことが出来なかった。


 だからこそと、この朝に期待を持っていたのだけれど……彼の不在に、大事なものを抜き取られたかのような寂しさを覚えずにはいられなかった。


 馬車へと歩を進め、最後に村長と挨拶を交わす。その際にアレックスのことを尋ねたが、彼は昨夜から自分の部屋にこもっているようで、朝になっても出てこないと言われた。


「そうですか……」


 思わず、胸に下がっている鉱石を握りしめる。


 彼がくれた胸飾りは、あの日以来、肌身離さず私の胸に飾られている。

 それほど華美でも豪奢でもないため、それは何気ない日常の中でよく映えた。


 彼の不在に私が胸を痛めている様子に、村人たちは痛ましい物を見る目で視線を交わし合う。幼馴染の一人が、急いで呼んでくると言ってくれたが、私はそれを押し留めた。


 ひょとして、いじけてふて寝でもしているのだろうか。

 それもまた…………彼らしいと言えば、彼らしい。


 微笑を口元に湛え、でも心には寂寥を抱えまま馬車に近づく。皆が口々に、再開を待ちわびる旨を伝えてくる。私は白紙のような笑顔でそれに応えた。

 

 伝令官が先に馬車に乗り込むと、私に向って手を差し伸べてきた。

 諦観を抱きながら、その手を取ろうとした――その時。



「ユ、ユリシアァァ!?」



 瑞々しい閑寂とした朝の空気の中、人が駆ける足音が聞こえて来た。それと共に私を呼ぶ声が。私は驚きに眉を跳ね上げ、声のした方向に視線を向ける。


 過ぎゆく季節の中で、何度も呼んだその名前を口にした。


「アレックス!」


 背後から駆け寄って来るアレックスの存在に気づいた皆は自然と道を開け、彼はその中を転がるようにして駆けてきた。


 私の前に辿り着いた彼は膝に手をつき、烈しい呼吸に肩を上下させる。咄嗟に伝令官に顔を向けると、彼は私に手を差し出した態勢のままアレックスを見ていた。


 だが横顔に注がれた私の視線に気づくと、どうぞ、とでも言うように手を僅かに上げると、上半身を車内に引っ込ませ、座席に腰を落ち着かせた。


 時間が残されていることに安堵し、再度アレックスに目を向ける。

 彼は荒い呼吸を吐きながら、


「はぁ、はぁ。これ、持ってってくれ!」


 面を上げ、苦しげに笑ってそう言うと、右手に持ったものを掲げてみせた。


「これって……」


 私は驚きに言葉を詰まらせる。


「はぁ、はぁ、遅れて悪かった。一晩かけて作ったんだ。ユリシアを、ふぅ、ユリシアを守ってくれるようにって」


 それは村の守り神であるフクロウを模した、木製の平たい胸飾りだった。


 以前アレックスがお祭りの際に村長から頼まれ、器用にも短刀で大きな木からフクロウを削り出し、祭りの首座に据えていたことを思い出す。


 私はそれに心を打たれ、家に飾るからと、小さい物を作ってくれるようせがんだのだが、彼は頑なに首を縦には振らなかった。

 

 手を差し伸べ、胸飾り用に加工された守り神様を受け取ると、その滑らかさに驚いた。表面は丁寧にヤスリが掛けられ、人間の皮膚のように触り心地がよく、ツヤツヤと深い色合いに輝いている。


 そこに要した労力を思うと、自然、胸は締め付けられたようになる。


「アレックス……あなた」

「へへっ、なかなか良い出来だろ?」


 私が感動に震えて声を上げると、彼は膝についていた手を離して上体を起き上がらせると、笑みを深めながら言った。


 その笑顔に応えた私は、さっそくお守りを首にかけ、後ろ手で紐の長さを調節した。すると胸には、アレックスから貰った物が二つとなった。


 湧き上がる喜びに身を任せ、目を閉じてそれ等を両手で包み込む。

 命を分け与えるように、心臓の鼓動を胸飾りに響かせた。


 ――瞬間、私は私の現実を忘れた。


 目を開けるとアレックスが満足そうに頬笑みながら、そんな私を徹夜後の気だるい眼で見ていた。彼の顔から発する温かみが、私の頬に伝わる。


 そんな私たちを、家族を始め、集まってくれた村の皆が温かく見守っていた。

 陽が本格的に昇り始めると、新たな一日が地面から膨らんでいく。


 ふとある考えが脳裏を過り、私は視線を胸元の鉱石に置いた。 


「ねぇアレックス」

「ん? なんだよ?」


 呼びかけると、彼は眠そうな声で応えた。


「これ、預かっててくれる?」

「え……?」


 私の瞳と良く似た色をした――緋色の鉱石。

 それが嵌められた胸飾りを首から外し、アレックスに差し出す。


 彼は暫く呆然としていたが、やがてゆったりとした動作で受け取った。


「何だよ……ひょっとして、気に入ってなかったのか?」


 一抹の寂しさを表情に滲ませると、アレックスは無理に笑いながら言った。

 私の口からは弾んだ微笑がこぼれる。


「ふふ、もう違うわよ。本当にお馬鹿さんね、アレックスは」


 すると彼は目を見開き、


「なっ!? お前、馬鹿って本当のこと言うなよ! 自覚してても傷つくだろ!?」


 と、茶化したような声音で抗議の声を上げた。

 私はクスクスと、歯の間から押し出すように弱く笑う。


「ふふふ、もう、本当に……アレックスったら。絶対に戻ってくるから。それまで預かってて欲しいのよ」


 そして唇を弓の形に引き絞りながら、そう伝えた。

 そこでアレックスは目を何度か(しばたた)かせた後、


「へ? あ、あぁ……ははっ、なんだ、そういうことか」


 得心が着いたように、快い笑みを顔に浮かべた。

 


 それは小さな頃から少しも変わることがない笑顔。

 私が大好きな、彼の無邪気な笑顔だった。



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