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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■四章 エルトリアの戦姫
28/33

28.アリア


 翌朝、目覚めると寝台にコーリアの姿はなかった。


 胸に抱いた彼女の感触と潤んだ瞳を大切な宝物のように思い起こしながら、寝床から背を離す。勤勉なコーリアのことだ、きっと朝の準備を始めているのだろう。


「おはようございます。エスメラルダ様」


 直後、耳にすれば自然と背筋が伸びる、聞き慣れた声が私に投げかけられた。

 視線を向ける。寝台の傍の窓際には、凛とした、一人の女性の輪郭が……。


「アリア……様?」


 そこには女官長の服を一糸乱れずに着こなした、アリア様がいらっしゃった。


「おはようございます。あの、今日はどうされたのですか?」


 思わずそんな疑問が口から衝いて出る。


 朝の挨拶は欠かさず行われてきたが、今朝のように寝起きを迎えて頂くことは、初めてのことだった。公務の予定も、ここ数日は入っていなかった筈だ。


 覚醒したばかりの縺れる思考をゆっくりと解していくと、昨夜のコーリアの涙に行き着いた。それと何か関係しているのだろうかと、心を研ぎ澄ませる。


「謁見の間で、お待ちしております」


 緊張に肩を強張らせた私に、アリア様は常と変わらぬ口調で告げると、そのまま部屋を退出なさった。入れ替わるように、桶を持ったコーリアが現れる。


「おはよう、コーリア」

「お、おはようございます。エスメラルダ様」


 その健やかさでいつも私の心を癒してくれる、愛らしいコーリアの顔。そこには今日、沈鬱と戸惑いが、私がなすりつけてしまった汚れのように張り付いていた。


 桶の水で顔を洗い、用意された布で顔を拭く。それからコーリアに手伝ってもらい、姫衣装に着替えた。エスメラルダ・リ・エルトリアの装いとなり対面する。


「コーリア」

「ユリシア……様」


 心配そうにしている彼女を抱きしめると、コーリアはまた少し、泣いた。


 人の人生には、喜びと悲しみが色彩豊かに溢れている。願わずにいられない。これから私に起きることが、どうかこれ以上、彼女の悲哀に繋がりませんようにと。


 謁見の間に降りて行くと、アリア様は窓から外の景色を眺めていらっしゃった。


「アナタが幼馴染の少年に会いたいと望んでいること。そして、その手助けをコーリアが自発的に行っていたこと。ここ最近、城内でのコーリアの挙動に不審な点がありましたもので、申し訳ありませんが全て聞き出させて頂きました」


 私が入室した気配を認めると、こちらを一瞥した後にアリア様が言う。


「そう……ですか」


 こんな時、どんな自分で対すればよいか分からず、叱られる子供のような調子で俯いた。同時にコーリアの気落ちした顔が思い出され、そうか、と思った。


『誰かに……秘密を話してしまったの?』

『いえ、違います……』


『では、何か失敗をしてしまったの?』

『そうでは……ないのです』


 コーリアはそのことで、アリア様に叱責されたのかもしれない。


 それだけで彼女の様子の全ては納得できなかったが、疑問を一端棚上げした。コーリアがアリア様の意図を超えた事をした結果、責任を追及されるような事態になっているなら、心から弁明しよう。全ては、自分の我儘から始まったことだ。


 そう思って、いたのだけれど……。


「ユリシア様。私は……」


 伏した目の端で、アリア様が振り向くのを察した。


 ユリシアと呼ばれたことに驚きながら、手から肩、首へと視線を上らせ、そこで深い悲しみを湛えたアリア様の瞳に出会う。


「あ……」


 その瞳に映された知らない色に、意表を突かれる思いだった。

 アリア様は珍しく躊躇うように、語りかけようとした口を閉じ、また開いた。


「今まで、ユリシア様とは話らしい話をしたこともありませんでした。少し、私の話をさせて頂いても宜しいですか?」


 唐突な提案に、時を呑むような間を空けた後、頷く。するとアリア様は私を見据えながらも、何処か別の、遠くにある物事を見極めようとするかのような目で、


「私はエスメラルダ姫のことを、一目お会いした時から敬愛し続けていました」


 そう、常にない饒舌さで語り始めた。


「エルトリア国第一王女、エスメラルダ・リ・エルトリア。彼女こそ、自分の生涯を賭して仕えるに足る人物であると、そのように考えていたのです。だからこそ女官長の道を志した。そして今、その役職に辿りつき……私は夢を叶えた」


 言葉が区切られると共に、アリア様から自嘲するような気配が滲む。息継ぎすら忘れた私は一人、彼女の夢が言葉通りには叶っていないことを知る。


 ――当たり前だ、私は、姫様じゃないのだから……。


「コーリアから聞いているかもしれませんが、私は諸侯貴族の娘です」


 誰かではなく、今度は私を見つめ、アリア様は続ける。


「ただ男でも長女でもない上に、痛みを感じる痛覚というものが無く生まれました。兄様の真似をして木から飛び降り、着地に失敗して足首の骨が折れても、歩き難いなと思う程度。痛みは人間を一時的に傷つけはしますが、命を守る一つの境界線にもなります。痛みがあるから人は危機を覚える。痛みがあるから、人は泣く」


 突然、アリア様の存在感を見失いそうになった。朝の光を背負っているにも関わらず、彼女が夕陽を背負っているかのように錯覚を起しそうになる。


「私には生まれつき、そういった機能が備わっていなかった。いつも何処かしらに擦り傷があった記憶がありますが、まさか両親も痛覚がないとは思わず、ようやく気付いた時には六歳にもなっていた。以降、二人は私の扱いに困り始めました」


 諸侯貴族様の娘がどういった環境で育つのか、痛みを感じることなく生きるとは、どういうことなのか。そういった知識がない私は、ただ黙って耳を傾けた。それ位しか、アリア様への敬意の表し方を思いつかなかったからだ。


 またそれは、事前にコーリアから聞かされていた話でもあった。だが当人から生の声として、事実の言葉として聞くのでは、重みが異なる。


 息を呑んで傾聴していると、アリア様が遠くを見つめるように目を細める。


「私も私自身、人の間で、どうやって生きれば良いか分からなかった。皆が持っている物を、私は持っていない。痛みで泣くということが理解出来なかった。同じ症状の人間に会ったことがない為、これが一般的な症状なのかは分かりません。ただ私の場合、悲しみの感情の対極にあるであろう喜びも、靄がかかったように実感が薄かった。泣きも笑いもしない、不気味な子供。そんな私ですから、諸侯貴族の娘とはいえ結婚は望めない。姉様たちとは違う生き方を選択しなければならない」


 そこでアリア様が鼻から息を抜き、引き絞られていた口角を少しだけ緩めた。


「ですが人一倍、何かを学ぶということが私は好きだった」


 実際には、表立った表情の変化はないのかもしれない。だけど私には、それは大きな変化に見えた。あのアリア様が、薄く、微笑まれたように感じたのだ。


「そのことに気づいた私は、従来通りの諸侯貴族の娘としての生き方を捨て、勉強に励むことにしました。父は一心不乱に勉強する私に安堵し、勉学の才を認め、十三の年には王都の学校に私を送った。そこで十八の年に、今の貴女の年になった時に、エスメラルダ姫と面会する機会を得たのです」


 朝日が作るアリア様の影に、世界の全ての音が飲み込まれたように感じる。その中で、人の数だけ物語があるという事実が、私の印象に新たに刻まれた。


「そう……だったんですね」


 同時に、懐かしい愛おしい姫様の名前が、人の物語に登場したことに、心臓が静かに波打つのを感じる。


「初めて拝謁の栄誉を賜った際から、エスメラルダ姫はエスメラルダ姫でした」


 麗しい過去を回顧するかのような顔と口調で、アリア様が言う。


「生まれてから十四年とは思えない、存在の重さ。私と四つしか違わないのに、器があると思わされました。瞳の表面には飾らぬ気さくなお人柄を映しながらも、その奥に、芯のある力強い眼差しを潜ませている。不敬に値しかねない私の硬い表情も、“アナタの魂を尊敬する”と、事情を話すとそう仰って下さった」


 深く息をし、朝の光を呑むように、アリア様は再び言葉を区切る。


「痛みでも悲しみでもない、それらとは違う理由で、気付くと私は涙を流していました。凝り固まったものが融解していくような、何故泣いているのか、自分でも、分からない。しかし救われたと、この生が報われたと、そう思っている自分がいたのです。エルトリア国第一王女。エスメラルダ・リ・エルトリア。王族としての地位に胡坐をかくことのない高潔な人物。私は一度に惚れこんでしまった」


『王族としての地位に胡坐をかくことのない』


 ともすれば王族を蔑ろにしていると取られかねない大胆な発言に、私は背筋を強張らせた。アリア様が虚飾を取り払い、本音で私に接していることを感じ取る。


『アナタの魂を尊敬する』


 そして彼女が口に出した魂という言葉に、何か深い繋がりを見たような気がする。私が感じ入っている間にも、アリア様は続けて口を開く。


「私はその時から、女官長の地位を志すようになりました。侍従長の地位は宮廷貴族に占められている。しかし女官長は実務面で王族の姫君を支えることになり、何かあれば首が飛びかねない役職です。その地位であれば、諸侯貴族の娘である私も就ける可能性があった。エスメラルダ姫が剣術の研鑽を積み、剣闘会に参加されるなど諸侯貴族からの信を厚くする間、私も城で仕え、女官長の地位を目指し励んでおりました。そうしていつか、私がエスメラルダ姫をお支えするのだと……」


 そこでアリア様が拳を握る。


「ですが、そのエスメラルダ姫は……もう、いらっしゃらない」


 感情がないと思われていたアリア様の瞳。そこに人間なら誰もが持つ、感じ易く傷つき易い物が仄かに現れていることを、私は静かに悟る。


「戦争が始まると、天が与えた使命を全うするかのように、エスメラルダ姫は自らの在り方を体現なされた。私と同じ、女でありながら。初陣に臨まれる際には私も街頭に立ちました。注意深く見守る中で、エスメラルダ姫が侍従と親しげな挨拶を交わしてらっしゃる様子も目に入れました。それがアナタと知ることなく……」


 私はそこまでアリア様が話すと、彼女が次に何を話そうとしているのか、殆ど予感を覚えていた。移り行く空模様を眺めるように表情を見守り、耳を澄ませる。


「それから戦争が徐々に収束の気配を見せる中、突然、私に女官長の役職が回ってきた。身に覚えのない歓喜と共に、困惑を覚えました。どうして私に? マリスが何か重大な失態を演じたのだろうか? そこで私は侍従長からエスメラルダ姫が暗殺されたことを知らされ、アナタに出会ったのです。ユリシア・リリーズ様」


 アリア様と私の物語が交錯すると共に、私と彼女の視線もまた、交錯した。

 それから一呼吸の間を挟むと、姫衣装を纏った私を瞳に映し、アリア様が仰る。



「私は当初、アナタに失望していた」と。



 瞬間、心臓から押し出された血の流れに、たじろきそうになる。瞬間的に激しい動悸を感じるも、それは次第に収まっていった。悔しさは…………なかった。


 私のことを何も分かってくれないという、怒りもない。

 むしろ何故だろう、私は場違いな、泣きたくなる安堵を覚えていた。


 冷たい朝の空気の中、零れた吐息だけが異質なものとして感じられる。口元を何かに耐えるように、微笑みに引き絞ると、眉の下がりがちな顔でアリア様を見る。


「ユリシア様。アナタはエスメラルダ姫が死亡なされたと知った時、酷く取り乱していましたね。現実を受け入れることが出来ず、錯乱し、壊れそうになっていた」


 アリア様は壊れ物を見るような目つきで、話す。


「当時、私はそんなアナタを見て……とても悔しかった。四年間、エスメラルダ姫に仕える為、苦難を乗り越えてきた。あの方がエルトリアの戦姫として吟遊詩人に語られ、国民から更なる尊敬の念を集める中で、敬愛の情は一途に募るばかりだった。そうした折、夢見た役職に就くとエスメラルダ姫はおらず、偽物の戦姫だけがそこにいた。女官長のとしての職務は、偽の戦姫を支えることだった」


 注意を凝らさなければ見逃してしまいそうな変化が、アリア様の顔に浮かぶ。自嘲を零すような角度で上げられた口角。僅かに寄せられた眉根。


「何よりもアナタは、マリスの報告書を見る限り、エスメラルダ姫に愛されていた。ユリシア様、私はアナタに……嫉妬していたんです。可笑しい話ですよね。エスメラルダ姫はその時にはもう、いらっしゃらなかったというのに。故人となっていらっしゃったのに。私が仕えるべき主は、もう……どこにも……」


 瞑目することで、静かに世界と断絶していけたら。そんな願いを込めるかのように目を閉じ、アリア様が細い顎を引く。長い睫を持つ人だと、その時に気付いた。


「ですが、それは違ったのです」


 次の瞬間、口角を和らげると、アリア様は真っすぐに私を見つめた。


「仕えるべき主がいない。それは間違いだったのです。私が女官長として仕えるべきは、エルトリア国の第一王女。国民からエルトリアの戦姫と呼ばれるお方」


 そして私に言う。どんな誤魔化しもない澄んだ顔で。



「アナタは、エルトリアの戦姫となられた」と。



 それは初めて見た、アリア様の無防備な顔つきだった。


 失った物ばかりが美しく、取り戻せないものばかりが愛おしい。決して過去には追いつけない、失われていくばかりの世界。その中で私に見せた、一つの笑顔。


「その重圧は並大抵のものではなかったと思います。気付いたのは、王家の大剣を手にした時です。あんなにも重たい物をエスメラルダ姫は掲げていらっしゃったのかと、感じ入り、胸が切なく締め付けられました。そしてこれを今度は、アナタが掲げることになるのかと……。その時になって突然、嫉妬を覚えていた自分が、幻滅していた自分が、恥ずかしくなりました。その直後、何故か孤児院の子供たちの顔が思い出されると共に、エスメラルダ姫の姿が脳裏に浮かんだのです。そこでエスメラルダ姫が、私に、私へと、微笑み……かけたのです」


 アリア様の語り口は次第に熱を帯び、私を髄から痺れさせるものとなる。


「何と、自分は、何と小さい人間なのだろうと、その時に思いました。エスメラルダ姫の御心には程遠い。自分そのものを考えさせられる衝撃に見舞われ、私は自分の役目を思い出したのです。しかし、歯を食い縛って大剣を持ち上げようとしていたアナタに言えたのは、“何も考えてはいけない”と、そんな大人の欺瞞ばかり」


 あぁ、と、私は口を挟みたかった。その欺瞞に私は救われていたのだと。その欺瞞に守られていたのだと。そう、涙するように言いたかった。


 苦味走った笑みを引きずりながら、アリア様が続ける。


「そうして私が、自分の無力さに忸怩たる思いを抱いている間にも、ユリシア様は戦姫へと姿を変えていった。前線に赴いて兵士を鼓舞するために王家の大剣を掲げ、諸侯貴族と言葉を交わし合う。彼らと肩を並べて笑う。のみならず、乗れぬ筈の馬に跨り、敵国の大将と、言葉を交わし合うなど……」


 か細くも熱い吐息が、私の乾いた口の中から吹き抜ける。


「そして大任をやり終えたと思えば、今度は傀儡としての生が待ち受けていた。自らの命を、村を、家族を人質に取られ……生気の抜けた躯のようになられた。もう私には、我慢することが出来なかった。だからこそコーリアに、役職を超えて接するように頼んだのです。アナタの秘密を、彼女にと……」


 私が見せたくない苦しみを、笑って眺め、喜んでいる人達がいた。

 その名を宮廷貴族という。


 ――でも、それだけでは、なかったのだ。


 分かって、くれていた人がいた。私を、見てくれていた人が。

 こんなにも直ぐ傍で、無表情ながらも、ずっと、私を……。


 堪え切れず、涙を瞳に溜めていた。

 コーリアから貰った、懐かしい涙だった。人の真心に触れた、そんな涙。


「回り道をしてしまい申し訳ありません。本題に入ります。幼馴染の少年に会いたいと、ユリシア様はそう望まれるわけですね?」


 そこまで語ると、アリア様は心の居住まいを正されたようになった。

 熱い感慨を飲み下す。鼻を啜り、こくりと、素直に首肯した。


「そうですか」


 親が子供を見るような目で、数秒間、私を見据えるアリア様。

 それが直後、自分で自分を責め苛むような目の色となり、一度俯くと、


「私はユリシア様に、嘘を吐きました。王家の大剣を掲げる練習を行っていた際、“考えないで職務をこなしていれば戦争は終わる”と、“そうすれば故郷に帰れる”と、宮廷人が楽器を操るように、見せかけの希望で、虚言で、アナタの心を操った。申し訳ありませんでした。故郷に帰れるなどと……嘘を吐いて」


 心苦しさが十分に伝わる口調で述べ、アリア様は深々と頭を下げた。

 即座に首を横に振り、私は応じた。意志を込めて、静かに。


「いいんです」と。

「考えないことで、私は助かりましたから。感謝、しているんです」と。


 それは紛れもない本音だった。よく考えなさいと忠告を与えられることが、人生では多くある。だが考えることで、人間の苦悩が深まることもある。却って思考を停止していたからこそ、現実を乗り切れる局面もある。そう私は学んでいた。


 私の言葉を受け、アリア様が面を上げた。「ありがとうございます」と、彼女は言う。少し気恥ずかしそうに、でも、私を信頼してくれているような表情で。


「ですが……私は、自分の吐いた嘘を、謝罪だけで許されようとは思いません。ユリシア様が一時的にでも村に戻り、幼馴染の少年に会いたいと願っているのなら、力を貸したいと思っています」


 そこで場の空気が変質し始めた。どこか緊張したアリア様の息遣いを感じ取る。

 彼女は平素の口調の儘に、一つの提案を持ち掛けた。


「今日から暫くの間、公務の予定は入っておりません。既に馬車の手配も整えてあります。向かおうと思えば直ぐにでも、生まれ故郷の地へと戻ることが出来ます。私とコーリアであれば、ユリシア様の不在を隠し通すことが出来る。ただ……」


 未来から吹いてくる風に身震いを起こしながら、私は次の言葉を迎える。


「現実は、ユリシア様が思っている以上に過酷なものです。エスメラルダ姫が国王様に殺されたことに、衝撃を受けたかと思います。しかし、それが一つの現実です。悲しいことに、決して、珍しいことでもないのです。そういうことが、人の醜さと欲望、どうしようもない理不尽が溢れているのが、この世界のありの儘の姿です。全て人は時に、人にとっての道具でしかない。それが一つの、この世の姿」


 優しくも厳しい口から紡がれた言葉は、奔流となって私の意識に押し寄せる。


「私も女官長に就任して暫くしてから、国王様に事実を知らされ、鋭い物で心臓を突かれたような心地に襲われました。ですが、ユリシア様がいたからこそ、耐えられた。器は単なる器に過ぎないと思われるかもしれません。しかし燈火は、エルトリアの戦姫という器に受け継がれていた。そう確信することが出来たからです」


 連なった言葉の意味を、私は上手く理解出来ないでいる。

 まるで奇妙な混沌に、存在そのものをかき乱されたかのように……。

 

 ただその中で、アリア様の目だけが静かだった。


 悲しさや辛さ、自分が不自由な人間だということを知り抜いた目。生きているどうしようもなさを正面から受け止めている。そんな、アリア様の目。


「過酷で、醜くも、残酷な世界。そんな世界が、私たちの生きる世界です」


 脆く傷つき易いものを抱えた私は、服の内側に潜ませたお守りを握り締める。

 肌が粟立つのを感じながら、私は、私は……。


「そんな世界でアナタは、どう生きますか?」


 アリア様から発せられた問いに、躊躇いながらも、口を開く。




「私は……それでも……」




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