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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■四章 エルトリアの戦姫
27/33

27.小さきものたち


 戦姫の秘密を打ち明けた日から、私は静かに私を取り戻し始めた。


 コーリアはその秘密と二人の命が直結していることを理解し、誰にも話さないと約束してくれた。アリア様に対してもだ。アリア様のお心がどうであれ、女官長という立場もある。秘密を漏らしたことは、必ずしも望ましいことではない。


 そんな事情故、塔では表だってユリシアの顔を出す訳にはいかなかった。ただその代り、コーリアはアリア様が不在の時には、私のことを本名で呼んだ。


「ユリシア様」と。


 頼んでも敬語が改まることはなかったが、心はそれで和らいだ。病魔のように付き纏った無気力や倦怠感は徐々に姿を消し、顔色も幾分か良くなったように思う。


 一方で私は命じられるがままに、粛々と公務を果たした。演説で人々を励まし、労い、エルトリアの戦姫は民と共にあることを知らしめる。演説の締めくくりには戦場で掲げていた大剣の模造品を持ち上げ、民衆の狂喜乱舞を誘った。


「ご苦労様でした」


 原稿を用意した、官職を得た宮廷貴族の一人。彼にそう言われる度、心は曇る。


「明日は……きっと晴れる。だからそんな曇った顔するな」


 忸怩たる面持ちに顔を歪め、拳を握り込み、呟く。

 その様子を男は、壊れた玩具を見るような、つまらなそうな顔で眺めていた。


 気付けば塔で幽閉状態に置かれ、半年以上が経過していた。相変わらず、塔から自由に出ることは叶わない。私は道具で、国という大きなものの操り人形だ。


 それでも白紙の如く褪めた以前の心に比べ、感情は色彩を取り戻していた。私という存在に寄り添ってくれる、常に傍にいてくれる女の子。コーリアによって。


 そんな私を運命はある日、彼女を通じて別な局面へと誘う。


「ユリシア様、アレックス様に会いたくないですか?」

「え? アレックスに……?」


「ユリシア様がそれを望むなら、私は……」


 口元を引き締め、決意を秘めた眼差しで、私を見据えるコーリア。


 重苦しくも不快ではない沈黙が、水滴のように滴り落ちる。一粒、二粒、三粒。軽い衝撃に見舞われる中、そんな彼女を視界に収めながら、ふと考えた。


 ――彼女の手を借りれば、塔から脱出することが可能かもしれない、と。


 私の管理は全て、女官長であるアリア様の手に委ねられていた。従順な奴隷が逃げるとは国王様も考えていないのか、監視を置く訳でもない。


 本気で逃げようと思えば、逃げる手段なら幾らでもある。ただ……。


『私の意志に反したことを言ったら始末する。演技出来なくなっても始末する。自殺したら村を焼く。逃亡を図っても村を焼く。お前の代わりがいることは承知しているな? ならば自分が生き残る為、何をなす必要があるか分かるだろう?』


「ありがとう……でも、それは出来ないの」

「え? それは……」


 本当なら、笑いたかった。自分のことはいいんだと、もう諦めていると、そう告げるように。でも上手く出来ず、視線を床に落とし、結果、苦しそうに私は言う。


「逃げたら、アリア様と貴女が罰せられることになるわ。それだけじゃない……逃げたことが発覚したら、村が焼かれてしまう。皆が……殺されてしまうの」


 余りにも凄絶な、信じがたい話なので、コーリアに国王様の所業は話せずにいた。姫様の生き様は語ったが、死に様は語ることが出来ていない。利用された挙句、実の父親に殺されたこと。そして、その国王様に私が脅されていることも。


「あのね、コーリア。信じられないかもしれないけど」


 その時になって、その一端を私は伝えた。


 思いもよらぬことだったのだろう。コーリアはその話を耳にすると、息を抜かれたように絶句した。私も知らず、俯いてしまう。だけど……。


「ユリシア様」


 自分を取り戻す為の呪文。真の名を彼女に呼ばれ、恐れるように目を向ける。


「あっ……」


 コーリアは臆していなかった。可憐な生き物のような双眸に決心を溜めている。翡翠色の輝き。その光に、恐怖もし歓喜もするという、複雑な心境を覚えた。


 健康的に赤く色付いた唇を、コーリアがゆっくりと開く。


「逃げることは……確かに難しいかもしれません。でも、会うことなら出来ます」


 私は目を見開いて、その言葉を迎える。


「え……? でも、それは……」


 言い淀んだ私に向け、確信するように頷く。


「ユリシア様。お任せ下さい、私に」


 その日以降、国王様や元老院の言いなりに過ぎず、それを永遠の鎖にように感じていた私に、濃霧の中で暮らしていた私に、一つの希望が生まれた。


 ――アレックスに、会える?


 その希望は水の中から眺めた太陽のように、不定形に揺れている。あるいは水溜りに映る青空のように、実感のない、作り物めいた美しさを感じさせた。


「アレックスに、会えるかもしれない」


 それでも不確かな可能性の感触を味わいたくて、一人になった時、思わずそう口に出した。私の声に乗せられたそれは精神を何処か、広く清々しい平原へと運ぶ。


 自然が春の訪れと共に、天から授けられた力を発揮するように。そのことで大地の花が咲くように。私の心の蕾は空に向かって開き、希望を彩った。


 だが自分が意識しない心の片隅で、果たしてそんなことが本当に出来るのだろうかという疑問が、声を上げもした。にも関わらず、私は……。


「エスメラルダ様、公務の時間で御座います」


 公務を控えた朝の時間。謁見の間の窓から外を眺め、物思いにふけっていた私は、アリア様の声に促されて現実に足を着ける。振り向いて応えた。


「……えぇ、わかりました」


 コーリアからアリア様の話を聞かされてからも、彼女との関係性に表立った変化はない。だが私の見る目は変わり、無表情のアリア様を恐れなくもなった。


 二人を除き、他に人のいない空間。入口に体を向けながら、彼女が口を開く。


「以前と比べ」

「え?」


「顔色がよくなったようですね。何よりです」

「あっ……あの」


 その背中に声をかけると、アリア様は肩越しに顔を向けた。


「はい、いかがされましたか」


 そう、静かに応じる。

 微かな躊躇いの後、私は照れたように感謝の意を述べた。


「おはじき……有難う御座いました。お礼が遅れて、申し訳ありません」


 アリア様は数秒の沈黙を挟んだ後、ピクリとも体を動かさずに答えた。


「いえ」と。


 その後に目を瞑り、再び前を向くと仰られる。


「では、参りましょうか」

「はい、今日も宜しくお願いします」


 そのような日々の中で、コーリアは行動を起しているようだった。塔からいなくなる時間が増える。そのことに寂しさを感じている自分を発見し、苦笑した。


 幽閉生活の初期、私は自分の殻に閉じこもってばかりいた。コーリアも心を痛めていたようだが、立場を越えて話しかけてくることはなかった。


 それがあの日、涙を流した姿を目撃されて以来、アリア様に促され、懸命に私に話しかけてくるようになった。それ以降、私はずっとコーリアに甘えていたのだ。


 愛しさに胸を締め付けられそうになりながらも、その事実を認めた。同時に、早く彼女とお喋りがしたいと思った。おはじきやお手玉を、仲の良い姉妹のように、彼女と共にしたいと。赤い果実のように、可愛いらしい彼女と。


「ただいま……戻りました」


 だというのに、その日の夕刻前、彼女は顔を真っ青にして塔に戻ってきた。


「コーリア?」


 声をかけても反応が鈍く、眼差しは虚ろだ。瞳の水面は静まり返り、コーリアは呼吸を忘れたかのように茫然と立ち竦んでいる。私は一瞬の緊張の後、人間をそういう顔色にするのに長けた人種がいることを思い出し、表情を鋭くした。


「宮廷人に……何かされたの?」


 しかし、それは考え過ぎだったらしい。コーリアは「え?」と声を漏らして私を見ると、「いえ、そうではありません」と、今にも折れそうな顔と声で言った。


 直後、顔を合わせるのが気まずいとでも言うように、「直ぐに夕飯の支度をいたしますので」と謁見の間から去る。


「……コーリア……」


 そうして一人、途方に暮れてしまった私だけが残される。

 しばらくして、静かな夕食が始まった。


「ねぇ、よかったら一緒に食べない?」


 食事を運んできたコーリアを誘うと、彼女は泣きそうな顔になった。


「申し訳ございません。それだけは、やはり……」

「そう……残念ね」


 以前もした遣り取りを、今日もなぞる。前回の時などは、あわあわと顔を赤くし、本当に申し訳なさそうに断ったものだ。それが今日は、沈み込んでいる。


 いつかの日、宮廷二階の通路でもそもそと食事を口に運んだ時のように、一人で食事を取る。豪勢ではないが口に合う、温かみのあるコーリアの手料理。アリア様が席を同じくすることもなく、姫様を亡くして以来、ずっと変わらない光景だ。


 ただ一つ違うこと……。最近、変わったこと……。


『今日も美味しいわ、有難うね。コーリア』

『そんな、とんでもないことです。こちらこそ、有難う御座います』


『ふふ、コーリアったら』


 傍らで控えているコーリアは俯いていた。何かがあったことは明白だった。


 就寝前の寝室。水を含んだ布で優しくコーリアが体を拭いてくれる。自分で出来る箇所は自分で行うようにしていたが、『私にお任せ下さい』と、ある時からコーリアはそれを許さず、結果、任せるが儘にしていた。


 今、二人の間には常にない、緊張を孕んだ無言が横たわっていた。かつて、二人の間の無言はコーリアによって乗り越えられた。


「ねぇ、コーリア」


 私の声に、背中を拭いていたコーリアの手が止まる。


「はい、ユリシア様」


 だがその日の晩、その無言は私によって乗り越えられた。自分から彼女に働きかける必要があると、そう思ったからだ。一度決めてしまうと、行動は早かった。


「よかったら今日、一緒に寝ない?」

「え?」


「もう、明日の準備は済んでいるのでしょう?」


 コーリアの籠るような息遣いを感じながら、「ね? お願い」と顔を振り向かせて頼んだ。彼女は口を開けて何か言葉を紡ごうとしたが、それを途中で諦めた様子だった。目を伏せて口元を引き絞ると、数瞬の間を置き、こくりと頷く。


 私は内心、ほっと息を吐いた心地だった。表情を和らげ、感謝を告げる。


「有難う。嬉しいわ」

「いえ、そんな……」


 それから明日の準備の確認と身支度をする為、コーリアは下へと降りた。それが済むとアリア様の部屋に訪れ、何か連絡事項でもあるのか話し込んでいたようだ。


 手慰みに髪に触れていると、扉の閉まる音と共に、「おやすみなさいませ」というコーリアの声が聞こえてきた。やがて寝室の扉が控え目に叩かれる。


「ちょっと待ってね」


 扉を開くと、そこには顔に恥じらいを咲かせる、寝間着姿のコーリアがいた。重い闇が立ち込める中、彼女の持つ燭台から放たれる橙色の光が二人を照らす。


「し、失礼します」

「いらっしゃい」


 おずおずと入室するコーリアを微笑んで迎え、寝台まで導いた。落ち着けないでいる彼女に燭台を近くの机に置くよう頼み、二人の寝床に腰かけさせる。


 続いてコーリアの視線を感じながら、室内の火を消して回った。「あっ」と、自分の役割を失してしまった彼女の気付きと戸惑いに、お姉さん顔で応える。


「それじゃ、寝ましょうか」


 コーリアの持ってきた燭台を最後に、二つの影絵は火と共に掻き消えた。


「はい、ユリシア様……」


 一つの寝台で二人、仲の良い姉妹か友達のように横になる。寝床の中で他人の温もりを感じ、深く息を吐く。それか何処か、安堵を零した時の息遣いに似ていた。


 天井に顔を向けて目を閉じ、そのまま眠りに落ちようとする。

 と、私を見つめる視線に気付いた。


「……どうしたの?」


 横向きに寝ているコーリアが、弱々しい目つきで、縋るように私を見ていた。


 蝋燭の火が吹き消された室内。散逸な光が瞳から漏れるのを、見た気がする。今にも涙しそうな、曇天が雨を溜め込んだような、そんな目をコーリアはしていた。


 薄く微笑みかけると、彼女の目は怯えにも悲しみにも似た気配を滲ませる。

 やがて、水の膜が張られた大きな瞳から涙が零れ落ちると、


「ご、めんな、さい」


 コーリアは絞り出すように、そう声を発した。

 突然のことに胸を突かれる思いだったが、無理に微笑んで彼女の頭に手を置く。


「誰かに……秘密を話してしまったの?」

「いえ、違います……」


「では、何か失敗をしてしまったの?」

「そうでは……ないのです」


 鼻を啜り、熱い涙をぽとぽとと流しながら答えるコーリア。彼女の頭を、あやすように撫でながら考える。これはきっと、私のせいだ、と。優しい愛らしい、強い彼女を苛んでいる物の正体は分からない、それでも、それは、間違いなく……。


「有難う、コーリア。とにかく今日は、おやすみなさい」


 コーリアを胸に抱きしめながら、そう告げる。

 緊張で強張っていた体から力が抜けると、彼女はさめざめと涙に暮れた。


「うっ、私……私……」

「大丈夫、大丈夫よ。有難うね、コーリア」


「違うのです、私は、私は……」

「私の為に、何か頑張ってくれていたのでしょ? ね? もうお休み」


 そうやって彼女を甘やかしながら、私も眠りに就いた。

 小さきものたちが慰め合うのを、窓の外、中天に懸かる月だけが見ていた。


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