25.うたかた
囚われの日々は、うたかたのように過ぎていった。
朝起きる度、私は憂鬱に取りつかれる。式典や慰問以外の日は塔から出ることも許されず、重く澱み、傷んで饐えた精神を引きずり、一日を塔の中で送る。
今の私はどこにも繋がっていなかった。鳥が翼をもぎ取られ、籠に閉じ込められたのならば、こんな気分を味わうのだろうか。
従順である限り生命の危機はない。だが、何一つ自分の思う通りにはならない。本来享受するはずだった生を奪われ、あるはずの絆を失った虚無感。
幽閉にも似た状況が続く中で、私は私の意志を放擲し始めていた。自意識を発揮しない。それしか私が生きる術は、残されていなかった。
ただ過去を思い出すことを楽しみとし、一日を無感動にやり過ごす。
そうやって私は、高熱の後の熱が取りきれない人のような、動作の鈍い無口な人間となった。憂愁に締め付けられ、涙を流すことさえ出来ない。
孤独と自由は本来、抱き合わせの物だ。なのに私には、孤独だけしか付与されていない。自由など……望むべくもなく。それも仕方がないことだと、諦めていた。
あの日、あの夜、私は姫様の死を含めた多くの真相を国王様から知らされた。
――どうして宮廷人は、偽物に騙された振りをしていたのか。
『エスメラルダに、気持ち良く戦争に参加してもらうためだ』
ゆったりとした足取りで階段を降りて来た国王様は、私の質問にそう答えた。
『可愛いだろ? あの娘は清廉潔白を信条とし、宮廷人を毛嫌いしていたからね。自分の思う通りに宮廷貴族が騙され、諸侯貴族の為に基金を集められていると感じるのは、気持ちの良いことだろう。そういった自己肯定感が与える影響は馬鹿にならない。状況に支配されるのではなく、状況を自分が支配する。結果として、エスメラルダは初陣を生き抜いた。更に戦争中、彼らが汝に宮廷で騙されている振りをしている間、娘は十分な休息を得ることが出来た。まぁ、そして何よりも――』
得体の知れない怪物のように、国王様の口が蠢く。
『エスメラルダを暗殺後、汝にエスメラルダの代わりを務めてもらう練習も必要だった。それも内実を知っている人間にすれば、よい娯楽になる。だから皆に、騙されてくれるよう頼んだのだ』
思い出すだけでも怖気に震える、そんな一間だった。だがそれだけに留まらなかった。国王様は場違いな程に柔らかく微笑みながら、言葉を続ける。
『そうそう、いつか尋ねていたな。エスメラルダを殺したのは……誰なのかと? ついでに答えておこう。あれはブリュンヒルデに通じていた侍従などではない』
『え? そ、それでは……?』
直後、国王様の口元が魔性に歪む。そして国を司る方はお答えになった。
『あれは、私だ』と。
その言葉は手の代わりに、私の頬を強く打った。父から打たれた娘のように、一瞬で顔面が蒼白となり、瞳は焦点を失う。思考に空白が穿たれた。
『な、何を……何を仰っておいでなのですか?』
喉に張り付く恐怖を唾と一緒に呑み込み、震えた唇で言葉を紡いだ。
『本当は料理に毒を仕込みたかったのだが、マリスの管理は厳しい』
一方、国王様は私のことなど一顧だにせず、話すのを止めようとしない。
『その他の方法を用いても、あの娘の周辺には隙がない。そして、エスメラルダ自身暗殺に気を配っている上に、剣の達人でもあった。殺すとなると随分と厄介な存在だったんだ、私の娘はね。だから私が直接手を下すことにしたんだ』
それから国王様は、事の輪郭を語った。
塔が寝静まった深夜、蝋燭の灯りを頼りに姫様の塔を一人で登ったこと。部屋に入ると、姫様が直ぐに目を覚ましたこと。だが寝室に現れたのが国王様だと気付くと、困惑した顔になったこと。寝ているように言われると、それに従ったこと。
『翌日、あの娘は出陣の予定だった。人目がある場所だと、親子として話すことも儘ならないから……と、そんな理由をつけて娘と話したのだ。イグルス皇子の話を聞いて以来、感じるところがあったと嘘をついたり、寂しい思いをさせて悪かったと謝罪してやったりした。そうやって労りの言葉を掛けてやると、あの娘は嬉しそうにしていた。ふふ、あぁいうところは、まだまだ子供だな』
その光景がありありと喚起されると、私は聞いていられず、震えた手で耳を塞いだ。それなのに冷徹な言葉の小刀はどこからともなく侵入し、私を容赦なく刺す。
姫様が不審に思った顔も、国王様の前で嬉しそうにする顔も、全部、全部、容易に思い浮かべることが出来た。
『話を終え、おやすみと言うと、エスメラルダも安心したような顔で応じた。そこで私はその場を離れようとした……が、忘れていたことがあったと、そう言ってな、小刀をそっと取り出した。あとは事前に練習していた通りだ。心臓を守る骨は随分と固いそうだ。だから鳩尾を狙って刀を振り下し、斜め上に突き上げてやった。人の正しい殺し方というのを、この年にして私は初めて教わっていたんだ』
『やめて、やめて……ください』
全身が引き攣るように痙攣した。まるで氷に閉ざされたようだ。がちがちと歯がぶつかり合う音を、他人のもののように聞く。体中の血が動きを止めてしまったかのように身の内が寒く、慣れ親しんだ筈の体が、他人の物のように重たい。
『どんな剣の達人でも、寝台に横たわった状態で、肉親からの――先程までにこやかに話していた相手からの一撃を避けるのは難しい。娘は暴れることなく、直ぐに逝ったよ。死に際に何を思ったのか分からないが、微笑んでもいた』
あまりの寒気に体を両腕で抱きしめながら、私は宮廷の床に崩れ落ちた。両膝の痛みが私と云う輪郭を縁取る。声にならない声で、見上げながら尋ねた。
『な、なぜ……じ、実の娘を! 実の娘を、こ、殺したのですか!? 姫様はこの国を救おうと、必死に……必死になって……戦っていたのに』
それに国王様は、失笑でお応えになった。
『宣戦布告を受け、あの娘が戦に出陣すると言い出した時、これは大変助かると思った。我が国代々の騎士道という洗脳教育が効果を発揮していた上に、それを第一王女が体現してもいた。諸侯貴族は不平も漏らさず、エスメラルダを中心によく纏まっていた。だが同時にこうも考えた。娘が戦死せず、防衛戦が終結したら?』
国王様の瞳の奥から、無機質な鈍い光が漏れる。
『よくない、よくないなぁ。救国の英雄は必ずや国民の支持を得るだろう。しかもエスメラルダや諸侯貴族は、今の国政に対して余り良い印象を持っていない。諸侯貴族が第一王女の名の元に団結し、防衛戦終結の勢いで、娘が国政改革に乗り出したら? 行動を起したら? それこそたまったもんじゃない。敵はブリュンヒルデではなく、我が娘になる。私は怠惰で、多淫で、傲慢な自分を否定しない。特権は一部だけに引き継がれ、美味しく頂かれるものだ。困ったよ、宮廷人ともども本当に困った。だが、ある閃きが私の脳裏を過ったんだ。そのエスメラルダを、傀儡にすることが出来れば……とね。だから――』
そこで一つ区切ると、露悪的に微笑んで殺人者は言った。
『だから、殺すことにしたんだ』
人間の残虐な行為を例える際に、「野獣のような」と口に出す人がいる。それは全くの間違いなのだ。野獣は決して、人間のように残酷にはなれない。
『ブリュンヒルデとの戦争は、あの頃には先が見えていた』
国王様の口が、動く。
『エスメラルダを殺す機会としても、丁度よかった』
ただ動く。
『汝も戦場に立つ、十分な胆力があると判断した』
動く。
『よって駒を取り替えたのだ。私の動かしやすい駒に……ね』
動き続ける。
そうやって国王様は、残虐無比な行いを次々に語った。
『建国以来二度目の危機に、エスメラルダがいたのは僥倖だった。随分と役に立ってくれたよ。だが国民も娘も、全ては国王である私の持ち物だ。単なる道具に過ぎない。だから私の邪魔になれば……始末するのだ。道具に対してどんな遠慮がいる? は、はは、はっはっは!』
頭がぐわんぐわんと音を立てて揺れる中、その笑いは突如として打ち切られた。
『ところで――お前』
『……え?』
『お前も始末するぞ。私の道具よ』
冷たい声が響くと、宮廷に静寂が線のように走り抜けた。
『私の意志に反したことを言ったら始末する。演技出来なくなっても始末する。自殺したら村を焼く。逃亡を図っても村を焼く。お前の代わりがいることは承知しているな? ならば自分が生き残る為、何をなす必要があるか分かるだろう? だからこれからも宜しく頼むよ。なぁ、エルトリアの戦姫? は、ははっ! ははははは! ははははははははは!』
私の意識はそこで途切れていた。覚えているのは、嵐の予感を含んだ風が梢を掻き回すような、そんな不気味な笑い声が、宮廷で木霊していたこと。
そうやって私はあの日から、完全な傀儡と、操り人形と化した。姫様が戦場に立ち、必死になって築き上げたものが、国王様や元老院の手によって弄ばれる。
『戦にあっては、陣頭に立つ! それこそが私の王道』
『それがせめてもの、私の在り方だと思ったからよ』
酷い冒涜。でも私は、それに逆らうことが出来ない。逆らえば、簡単に命を摘み取られることが分かっていたからだ。食事が上手く喉元を通らず、食が細くなった。やせ衰え、血色が悪くなることすらも、政治的に利用された。
エルトリアの戦姫は自らの疲労を押してでも、精力的に各地に慰問に出向き、国民に労わりの言葉をかけてくれている、と。
城から出て北の領地に慰問に赴く際には、アルベルト様を中心にした、最小限の王国騎士団の警備がついた。盗賊が各地にはびこり、治安が悪くなっているらしい。だが主体は元老院で、移動も馬車だ。アルベルト様と個人的に話す機会は与えられない。どこにも、どこにも私は繋がっていない。
私は今や、ある種の濃霧の中で暮らしていた。そこでは笑い声が次第に鈍くなっていき、ついにはそれが、聞こえなくなった。私の心を大きく占めていた無関心は、何の抵抗も受けなくなる。硬化症が広がる。もう喜怒哀楽の情がなかった。
気分はいつも変わらない、いや、気分がなかったのだ。そうして私は、静かに死んでいった。輝かしい未来は、私の手の内にはなかった。謁見の間の姫様の椅子に力なく腰かけ、物憂げな視線を室内に投げかける。
存在の空白。窓から光が差し込み、陽だまりの底に影がうずくまる。漂う埃が照らされて、ゆらゆらと浮かんでいる様子をじっと眺めた。
私の未来は用済みになって密かに殺されるか、一生を偶像として生きるか、どう見積もってもその二つの何れでしかない。
あの日、運命に見つけられた時から、私はきっとそんな人生を宿命づけられていた。逃げても隠れても無駄。おそらく月と太陽でさえ、運命の味方なのだから。
そんな中、私の意識に時折響く、過去からの懐かしい声。
『明日はまた太陽が出て、きっと晴れる。それって凄いことだと思うんだよ、俺は、うん。だからそんな曇った顔するな。なっ?』
アレックスに、どうしようもなく会いたかった。
ラスフル村で、村娘という形で規定されていた、嘗ての私の生。膝を抱え、淋しさに吹かれていれば、いつも陽気にアレックスが微笑みを投げかけてくれた。
『よぉ、ユリシア。どうしたんだよ?』
能天気で、朗らかで、眩しいような笑顔を持つ彼が。
だけどどんなに願っても、私の人生は、もう、アレックスには……届かない。
胸の奥から切なさが込み上げてくる。喉の奥までやってきたそれを塞き止めようと、歯を食いしばる。唾を呑みこんだ後、久しぶりに口に出した。
「明日は、きっと晴れる……だからそんな曇った顔するな」
――私とアレックス、二人だけのおまじないを。
私の苦悶そのもののような汗を吸い取り、いつしか色合いを深めていたお守りを握りしめながら。すると瞳の奥から涙が浮かび、視界がぼやけた。
それは懐かしい、情の動きだった。滔々と心の奥底から溢れる物に打たれ、身を任せることの快楽を私は思い出す。
そんな時、ふと視界の端の動きに気づき、目を向ける。
「エスメ、ラルダ様?」
「…………」
一人涙を流す私の様を、専属の侍従とアリア様だけが、黙って見ていた。




