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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■三章 偽の戦姫
24/33

24.嘲弄



 村娘と呼ばれた際、私は暫く自分を見失っていた。


 瞬きを繰り返しながら、目の前の宮廷貴族を見据える。宮廷人のことは意図的に記憶に留めないようにしていた。認識の中で、彼らを個別に立ち上がらせてはいけない。それでも印象を残す、何度か見た覚えのある美しい青年だった。


 年の頃なら二十七、八であろうか。上品に髪を後ろに撫でつけ、聡明そうな額が露わになり、口元も理知的に引き締まっている。だが目には自分の容姿が与える印象を知り抜いている自負心が、高慢な色となって映っていた。


 意匠の凝らされた装束に身を包みながらも、肌着のように宮廷人としての性格を纏い、決して“ ありのままの自分 “という素肌を見せない宮廷人たち。


 私は宮廷人たちの戦い方というものが分かっていた。その筈だった。


 同じような格好で、同じような笑顔を浮かべ、同じようなお追従を打つ彼ら。彼らは彼らであることを欲していないかのように、ただ宮廷人であろうとしていた。


 洗練された物腰は、相手にも同等の礼節を要求する。宮廷という異空間、枠組み。そういった彼らの遊びの中では、その遊びの規則に従うしかない。


 そんな中、目の前の男は宮廷人としての性格を忘れ、醜悪に笑んでいる。


「聞き間違いでなければ、村娘と呼びましたか? どういった意味でしょう?」


 立食会が催される中、首座の位置に立っていた私は遠慮のない口調で尋ねた。


 焦燥は平野を撫でる一瞬の風のように過ぎ去り、後にはじっとりと重い緊張が私に覆いかぶさる。困難を前にした時の悪癖で、眉間に皺が寄っていた。


 対して目の前の宮廷貴族は、くつくつと楽しそうに笑っていた。宮廷では見せたことのないであろう、他人を侮る為の微苦笑。


 ――どうして今、アレックスのお守りが首から下がっていないのだろう。


 激しい動揺を呑み込みながら、そのことが私を不安にさせた。戦場では鎧に隠すことが出来るものの、宮廷ではそうもいかない。胸の辺りの服を握りしめる。


 同時に考える。この場で私は、どうあるべきか。


 ――誤魔化し続けるか? いや、男は確信を抱いている口ぶりだ。そもそも、宮廷人たちを騙し続けることに、意味があるのだろうか?


「どういった意味か? そのままの意味ですよ、村娘さん」


 私が思案を深めていると、男が口を開く。

 ははは、と弾みをつけるように笑い。やがてべらべらと喋り出す。


「しかし楽しいですねぇ。まるで演劇だ。舞台だ。これだから人生は生きるに値する。緊張しておいでですか? おや、額に汗が? あはははは! な~んて、冗談ですよ。驚きましたか、驚かれましたね、その顔は? おぉ怖い、なんて鋭い目つきだ。一国の王女とあろうものが、それではいけませんよ。もっと上手に演じなければ。ところで皆さん、お手元に飲み物はありますか? さぁ、彼女の緊張をもっと楽しく、もっと美味しく頂こうではありませんか」


 男が早口でそう述べている間、私は恐怖に息が詰まる思いだった。


 このように人に嫌悪を催させる口ぶりで、言葉を次から次へ吐き出す人間には、ついぞ会ったことがなかった。本当によく喋る。笑う、見下す。


 あまつさえ、私の緊張を楽しもうと、美味しく頂こうと呼びかけている。


 男の試みは、人間が人間を食らうという行為に等しい。到底、理解出来ることではなかった。だが……もっと理解が及ばないことがあった。


 その男の呼びかけに、宮廷人たちが応じていることだ。


 視線を周りに転じると、人々の口元は侮りの形に結ばれていた。嘲笑の森に立たされ、木々が風に揺れてざわめくように、私はその耳に人々の悪意を聞いていた。


「これは……何かの見世物でしょうか? 残念ながら、貴方たちのお遊びに付き合う気はありません。私は自分の塔に戻らせて頂きます。アリア、行きますよ」


 背中から汗が染み出るのが分かった。それが玉となって流れるのを感じながらも、気丈に振る舞う。この悪夢のような忌まわしい現状から、私は去ろうとした。


 しかし――


「おやおや」


 その試みは、男に阻まれることになる。底意地の悪さが伺える男の嘆息に足を止めてしまい、睨みつけるような鋭い眼差しを向けた。


 男は臆した様子もなく、口の端を片方だけ持ち上げて微笑んだ。自分が作る顔がどんな印象を相手に与えるか、やはり、よく理解しているような調子で。


「ふっ……ははっ、あはははは!」


 そして視線を交錯させた数秒後、男は可笑しさを堪え切れないと、笑い出す。


「いや、素晴らしいですね。村娘さん、貴女は遊びに絶対に負けない方法をご存じだ。それはですね、遊びに参加しないことですよ。あっはっは! それはそうでしょう。遊びに参加しなければ勝つこともなければ負けることもない。皆さん、彼女は村娘でありながら、こんなにも賢い。哀れな賢さだ。それでこそ、我らが演劇の主役と言えます」


 身の毛がよだつ狂人めいた口調でもって、言葉は止め処なく男の薄い唇をついて迸った。その言葉を無視し、ツカツカと私は歩きだす。


「そして貴女は遊んでいる人間が、一番恐れることも御存じだ。それはですね、その遊びに加わらず、その遊びの規則を認めず、鼻で笑い、さっさと帰ってしまうことですよ」


 男は傍らを私が通過するのを喋りながら認めると、後をついて来た。上空の高みを旋回する猛禽類のように、言葉は一定の距離を置き、執拗に私を付け回す。


「遊んでいる人間からすると、これ程につまらないことはありません。私たちの遊びを否定されているような気持になりますからね。しかし、しかしですよ。貴女は既にこの遊びに参加しています。逃げることは許されませんよ。もっと、もっと、もっと……私達を楽しませて下さい。頼みますよ? ねぇ、そうでしょ?」


 男はよく通る声で例の如く一人で話し続けると、最後にこう呼びかけた。



「ユリシア、リリーズさん?」



 恐れていた言葉をついに耳にし、自然と目が見開いた。

 足を止めて振り返ると、男が偽悪的な微笑をその顔に浮かべていた。


 途端に、波が引くように手足から力が抜けていく。私の正体が彼らに露見していることは明らかだった。反論を口にしようと、口を開きかける。


「……っ」


 だが、あらゆる抵抗や演技が無意味だと、私の一連のそうした心の動きすらも、彼らを楽しませる要素に過ぎないのだと、私は悟ってしまった。


 傍らに着き従っていたアリア様に打開策を求めようとするも、彼女はこの事態に対し、どんな価値判断も下していない表情をしていた。侍従然と佇んでいる。


 ――どういうこと? 私が偽物だと、認めてもいいということなの?


「何故、私の名を……ア、アリス・キューレットさん。あの方から聞いたのですか?」


 乾いた下唇を湿らせながら、村娘と呼ばれた時から考えていたことを口に出す。口から絞り出すように発声された言葉が、男に届いていた自信はない。


「アリス・キューレット?」


 しかし男は熱心な聴衆のように、私のどんな言葉も聞き逃さなかった。思案顔のまま、他の宮廷貴族に顔を向ける。


「誰か、その名前に心当たりは? え? あぁ、あの娼婦? なるほど、そうか、彼女なら貴女の正体を聞いていたかもしれませんね。それで、あの娼婦が私たちに話したと? はっはっは! 違いますよ。いいですね、また面白くなってきた。我々の大好きな遊びといきましょうか。さぁ、犯人を当てて下さい。誰が貴女の正体を我々に教えたのか……正解することが出来たら、この場から解放してさしあげますよ。はははははは!」


 蒼ざめた顔のまま、私は男を人ならざるモノのように眺めた。男はその視線を気にすることもなく、泰然自若として狂気に笑んでいる。


 夜でも不自然な程に明るい宮廷内。男の作る陰に全ての音が飲み込まれたような錯覚に陥りながら、私は口を開く。


「ひ……姫様の塔にいた、侍従ですか」


 そうすることで、彼らの遊びに巻き込まれることになると知りながらも……。

 ただ緊張や苦痛から逃れたい一心で、そうしていた。


 男は私が誘いに乗ったことを楽しむように、目を爛々と光らせながら応じる。


「いいえ、違います」


 過去に思いを巡らせながら、続ける。


「……私を王都まで連れてきた、伝令官の方」

「違います」


「私を見つけたという、交易商の――」

「ははは。違います、違います」


「なら……」


 口に出すことを躊躇っていた疑惑に促され、アリア様に再び目を向けた。彼女は私の視線に気づくと、どうぞ遠慮なく、とでも言うように瞼をゆっくりと閉じる。


 奇妙な後ろめたさを感じながら、気後れを引きずるように名前を声に出した。


「ア、アリア様ですか?」

「いいえ、それも違います」


 にも拘わらず、それは直ぐに否定された。


「それでは……」


 そこで私は、言葉を詰まらせた。私の正体を知っている人は限られている。他には姫様やアルベルト様、マリス様くらいだが、三人が話したとは到底思えない。


 そしてアルベルト様を除く二人は……もう……。では誰? 誰だというの?


「くっ……」


 悔しさに嗚咽に似た声が漏れた。


 偽の戦姫となってから常にそうだ。私の歩く森は深い霧に覆われ、行き先も分からず、仰ぎ見た山頂は白く煙っている。事実は私から遠ざけられ、隠されている。


「どうしました? 降参なされるおつもりですか?」


 沈黙の中、男はただ嘲弄を放し飼いにしていた。宮廷人も皆、音もなく笑っている。私は彼らによって囲われた、人間という名の見世物だった。そのことに気付くと荒々しい物が疾風のように心を満たした。拳を作り、震わせる。


「趣味の……」

「はい?」


「趣味の悪い!? こんな風に私を見世物にして!? い、いつから! いつから御存じだったのですか?」


 吼えるように言うと、男は眉を上げて軽い驚きを示した。周りの人間と視線を交わし合う。含み笑いで宮廷人たちが応じると、男が苦笑しながら肩を竦める。


「おやおや、もう犯人探しは終わりという訳ですか。それで、いつから? いつから我々が知っていたのかとお尋ねですね? ふっ、ははっ、あははははっ! まったく、貴女は期待通りの道化だ。いいでしょう。もう十分楽しませてもらいましたからね。ねぇ、いいですよねぇ、皆さん? ふふっ。ではお答えしましょう。いつから我々が貴女の正体を知っていたか。そうですねぇ、あえて言うなら――」


 そうして微笑の中、残忍さをちらとひらめかせると、男は答えた。














「最初からです」と。














「え?」


 白い靄が晴れると共に黒い霧が濃くなった。


 途端に、現実との距離を遠く感じる。印象や思考が一度に乱れ、顔から表情が消えた。簡単な言葉の連なりが、まるで私の中で意味を紡がない。


 ――最初から? 最初とはいつだ。最初とは何だ?


 だというのに、内心の動揺の為か手が小刻みに震えていた。

 それを他人事のように感じながら口を開く。


「さ、最初……から?」


 すると男は薄ら笑いの中で、挑むような眼で応じた。


「えぇ、最初から。貴女が宮廷に、エスメラルダ姫として現れたその日から」


 それから惜しげもなく、ベラベラと事実を私の前で披露してみせる。


「正確に言えば、貴女が王都に遣って来る少し前から、誰かが姫様の代わりに我々の相手をすることは、この宮廷にいる皆に知らされていたことでした。よもや騙し通せているとでも思っていたのですか? 最初から露見していましたよ。ははっ、まったく、我々宮廷人を舐めないで頂きたいものですね。まぁ、村娘にしてはよく化けていたと思いますよ。あぁ、背筋は特によかったですね。流石は女官長まで上り詰めたマリスの教育と褒めておきましょう。我々も最初は本物と区別がつきませんでしたから。ただ、内側に籠った弱気な光がいけない。動揺すると直ぐに目を瞑ることも、困惑すると眉を寄せることも頂けませんね」


 その得意げな口上も、途中から殆ど私の耳には入ってこない。

 熱病に侵された人間さながらに、上手く思考することが出来ずにいた。


 ――最初、最初から……? では一体、私がしてきたことは何だったんだ? そのことを、姫様もマリス様もご存じなかったというのだろうか?


 懐かしい生活が、一つの模様のように私の中に焼き付いていた。


 マリス様と訓練を行ってきた日々、挫けそうな私を姫様が励ましてくれたこと。ヒュンケルと風となって駆けた一間。姫様の笑顔。マリス様の笑顔。


『さようなら、ユリシア』

『ユリ……私、絶対にあなたの元に帰って来るから』


 現実を前に、回想は遠い木魂のように虚ろに響いては消えていく。


 私はそうやって茫然自失となり、立ち竦むことしか叶わないでいた。いや、それすらも難しい。固まっていた物が溶けるように、立ち据わる力を失いかけていた。


 可能なら、私を一人にして欲しかった。訳も分からず涙が出そうになる。

 もう何一つとして、新しい事実を認識したくない。


「ふっ、あははは! まったく、困ったものですね。全て事実だというのに」


 それなのに時は巡り、片時も止まらない。悄然としている私を男が視界の端で満足そうに眺めると、こう階上に呼びかけた。




「ねぇ、そうですよね? ――――様?」




 俯かせていた面を上げ、瞠目したままに、男を、次いで恐れるような心地で男の視線の先を目で追う。


 そこで私は、自分の正体を知る人間が他にも何名かいたことに、今更ながら気づいた。いや違う、本当はどこかで疑っていた筈だ。しかしそれを認めることで、前提が覆るのを恐れていた。そんな訳ないと思考を停止させていた。


 ――だけど、だけど……。


 混乱した様々な心象が絡み合い、思考の間を駆け巡る。


『貴女が王都に遣って来る少し前から、誰かが姫様の代わりに我々の相手をすることは、この宮廷にいる皆に知らされていたことでした』


 冷たい緊張が渦巻くように膨れ上がると、眦が再び大きく開かれた。静寂が心の中に徐々に満ちていくと同時に、通り過ぎた、幾つかの光景が浮かび上がる。


『いくらお父様の命とはいえ、こうも急いで連れてくるなんて』

『影武者でなくとも構わないから手元に置くよう、お父様に強く懇願されたの』

 

『汝はこれより、エスメラルダ・リ・エルトリアを名乗るがよい』

『ならば調度よく、姫と瓜二つの人間がいるのなら、それを本物の姫に仕立て上げた方が遙かに確実性がある。なぁ、そうは思わんか? わが娘よ?』


 もつれ合った糸が解け、疑惑が氷解する。


 息は喘鳴(ぜんめい)のように弱々しく吐き出され、呼吸をするのが酷く苦しい。そればかりか、身震いが足元から這い上がってくる。重圧に耐えかねた私は下を向いた。


 そこで深く、大きく息を吐く。短くも永遠に思える時間が過ぎ去ると、私の認識は新たになっていた。その認識の元、再度、視線を階上に向ける。


 豪奢な真珠色の静けさの中、底深い光を溜めた目が私に絡みつく。

 その先では……。



 国王様が、何ともいえず、楽しそうに()んでおいでだった。



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