22.戦争の終結(下)
朝日は居並んだエルトリア軍を照らす。まるで洗われた鉱石のように、あらゆる戦争の悲惨を流し去るかの如き輝きを、そこに与え。
全軍を背景にし、私はヒュンケルに跨った。目に遠く、霞んで見える地上の果て。恐らくこちらへ向かって動いているであろう、小さな点を見据えながら。
気を静めるために、息を吐く。長く、長く。続いて、口を、喉を、肺を通じて、私の心にまで新鮮な空気が届くよう、息をたっぷりと吸う。
過度な緊張は覚えていなかった。人は疲労している時、良い意味で世界に対して大胆になれる。鈍感になれる。朝方まで乗馬の訓練を行った私は、心地よい疲労感に包まれていた。それが皮肉なことにも、私を助けた。
空を仰ぐ。燃え続ける白い太陽が眩しく、目の奥をツンと痛ませた。それは涙をこらえている時に感じる痛みによく似ていた。瞳を閉じると……世界は消える。
世界に、孤独に私はそうして甘えた後、目を開いた。
「行こう、ユリシア。エルダ様の舞台に……。エルトリアの戦姫として」
ヒュンケルの脇腹を、遠慮がちに足の側面で叩く。切ない思いを共有する友は、見えない何かに追悼を表すように空を仰いだ後、指示通り歩き始めた。
背筋を伸ばす。手綱は優しく掴む。しかし、そこに緊張感を与えないよう自然体を演じろと自分に命ずる。その自然体であろうとする意識すら、置き去るように。
それだけ聞くと牧歌的な、並ぶ馬の足音。視界の右端に存在の影を感じると、アルベルト様が決意に満ちた面持ちで愛馬に騎乗し、随伴している姿が確認出来た。
私はアルベルト様と視線を交わすと、軽く顎を引いて頷き合った。言葉にならない物を引き連れ、こちらが指定した面会場所へと向かう。
しばらく進むと、目印となる地面に立てられた両軍の旗が目に入った。礼儀的な意味合いもあり、両軍の大将が同時にその場所に着くよう、速度を調整する。
視線の先に” 彼 ”を認めても、奇妙に冷静でいられる自分がいた。交錯した視線を逸らさず、馬足を止める。話の中でしか知ることの無い、敵国の総大将――
「よぉ、エスメラルダ。元気にしていたか?」
――ブリュンヒルデ帝国第一皇子。イグルス。
彼は昨日会った友を見るような目つきで、気軽に声をかけてきた。暗殺を命じたとは思えない、ふてぶてしくも晴れやかな顔だった。
私は少し高慢な姫様を演じようと、それに応えるように口の端を不敵に曲げる。暗殺を退けた、戦場における” 強い ”戦姫として。
その表情を認めたイグルス皇子が、「ハッ」と楽しそうに息をこぼした。「相変わらずだな」とも。その言葉に、私も笑みを深める。
存在を前にしただけで、強い重圧を感じずにはいられないブリュンヒルデ帝国の第一皇子。彼は威容を誇る、巨大な漆黒馬に跨っていた。
見慣れたような涼しい顔で、皇子を観察する。青い髪に浅黒い肌。噂に違わない逞しい体。鋭くも、どこか純粋な、或いは内面の弱さを感じさせるその目つき。
そう感じるのは、宮廷詩人と姫様による、彼の内面の話を聞いているからだろうか。平然とした顔で対面している自分に驚く。怯えも怒りもない。精神の湖面は波打ちすらせず静かで、臆すことなく、視線を真っすぐイグルス皇子に注ぎ続ける。
すると彼は、何かを惜しむような角度に口角を上げ、観念したように言った。
「もう、察してるだろうが……第一軍は、エルトリア国から撤退することにした」
生まれる静かな時間。沈黙の海に、そっと素足を晒す。
私は毅然とした眼つきでイグルス皇子を見ながら、そうですか、とだけ言った。
出来るだけ何でもないように、淡々と。風が吹くように自然に。そこに喜びも、安堵も……何も乗せないように気をつけながら。
イグルス皇子は鼻から息を漏らすと、苦笑しながら応じる。
「あぁ、そうだ」
それから彼は饒舌に、様々なことを語った。その場の性格に出来るだけ陽気な性格を与えようと、快活な調子で。
上手くやれる自信があったんだがなぁ、とか。お前みたいのがいると知っていれば、勇み足で攻めたりしなかった、とか。過去の自分を嘲笑うようなことを。
私はそのどれに対しても、決定的な言葉を返さなかった。宮廷におけるエルトリア国の第一王女のように微笑を、戦場では不敵な笑みを浮かべるだけで。
彼の身勝手な侵略と戦争行為、卑劣な暗殺の件に思いを寄せると、激しい憎悪を抱きそうにもなる。だが手綱と共に、自身を律する心を強く握りしめた。
「それで最後に、お前に聞きたいことがある」
そんな中、イグルス皇子は思いもよらぬ言葉を私に投げかけた。
――聞きたいこと?
微かに眉が動く。久しぶりにやってきた緊張が、喉に張り付くのを感じた。注意深くイグルス皇子を見守ると、彼は静けさを感じさせる眼差しで尋ねた。
「民とは……なんだ? お前が命を、お前の存在そのものを賭してまで守ろうとした民とは、一体なんだ?」
私とイグルス皇子の視線が重なり合う。ともすれば動揺によって不安定になりがちな焦点を、目の前の彼にしっかりと結び直す。そして考えた。
――民……エルトリアの戦姫としての民とは……?
逡巡の中、視界に映るあらゆる物の輪郭がぼやけ、不定形な生き物として踊っているような錯覚に陥りそうになる。それでも私は大胆に言葉を紡いだ。
気負わず、通り雨の如く、余韻を残さないように。
「民とは……単なる、王族の持ち物ではありません」
イグルス皇子の微細な表情の変化を恐れない。印象を姫様と共有しろと、自分自身に言い聞かせる。私は誰よりも、姫様のことを知っているはずだ、と。
人間そのもののような寂寞を抱きながらも、不意に、何所かで誰かが微笑みかけているような気がした。自分の存在に任せるままに、口を動かす。
「民あってこその王族です。王族あっての民ではありません。だからこそ王族に、国を司る地位に生まれついた者は、その存在に誇りを持ち、民を守る必要があります。少なくとも、私はそう考えています」
傍らのアルベルト様からの視線を、熱い程に感じる。イグルス皇子は眉根を寄せて、射るような目つきで質問を重ねる。
「それは……王族に課せられた、呪いか?」
「いいえ」
その問いに、私は瞬時に応じた。一時でも躊躇は許されない。
「ではなんだ? 義務か? 単なる責務か? なぜ、お前はそうまでして国民を守ろうと……」
「それが」
「ん?」
私は言葉を遮ってでさえ、“ 戦姫 “の意志を伝える。
あらゆる記憶の中、あの夜に伺った姫様の言葉が燐光のような光を伴い、燃え続けていた。途切れることのない篝火のように。
『与えられた器を活かすためにも、私は魂の存在に気付くことが、よりよく自分を生きる為に必要ではないか……と、そう思うの。生まれや境遇は、残念ながら選べない。でも、環境を含めたその器でしか出来ないことが……必ずある』
あたかも一つの、荘厳な思想のように。
「それが、私の器を活かし、私が私をよりよく生きることに繋がるからです」と。
そうして言葉は、私から零れ落ちた。涙のように。本当に私のものであったのかと疑いたくなる程に、気負いも衒いもなく。戦姫の言葉として。
その直後に生まれる、沈黙と沈黙。皇子は彫像と化したかのように険しい顔を崩さず、その口元もまた、石で刻まれたものであるかのように動かさなかった。
「……わからん」
やがて、彼の口から失笑するような調子で言葉が生まれる。
「俺には、全くわからん」
何か晴れ晴れとしたものを感じさせる顔で。弱り切ったように微笑みながら。
「だが、その分からなさを眺めていたくなる。そんな分からなさでもある」と。
胸の中を吹き抜けるような、風の音を聞く。目を閉じると、私を包むものは、存在に対する微かな重圧と、土埃に漂う馬の匂い。鎧がこすれる音と息遣い、心の内と肌を撫でて行く、風の感触だけになった。
イグルス皇子は親和の情を、間違いなくエスメラルダ姫に向けていた。それだけが引っ掛かりを覚えるものの、そうして全ては順調に行く筈だった。
何かを惜しむような空気感の中、彼が話を締めくくるように、こう言うまでは。
「俺は……今回の戦争を通じて失敗を経験した。大きな失敗だ。だがな、この失敗を通じて、俺は新しく生き直すことが出来る気がする」
私はその時、場違いにも聞こえるその言葉の意味を、瞬時に理解することが出来なかった。意味が私の中でゆっくり開かれると、愕然とした感覚に襲われる。
――失敗……?
自分の部下を、敵国の兵士を、民を――そんな、命を弄ぶ戦争の終結に際し、全てを” 失敗 ”の二文字に、彼は自身の結果を帰結させようとしている。
――この人は、何を言っているのだ……?
到底、理解出来ることではなかった。同時に、単なる民草である私と、巨大な帝国の第一皇子の認識にそこまでの差異があるのかと、恐れもした。
失敗。それは消失ではない。人生を失う恐怖でもない。
単なる損害。未来へと延びる道の中にある、一つの経験。
今回の戦争を、ブリュンヒルデ帝国の第一皇子は、そう割り切ろうとしている。
そのことを悟ると、エルトリアの戦姫から表情が失われようとした。
「お前と出会い……お前の強い意志に打たれ……俺は思い出した。腹を割って語った通り、母親との約束を思い出したんだ」
激しい怒りが、梢を鳴らす嵐のように私に襲い掛かる。
――駄目だ、駄目だ、駄目だ。
必死に言い聞かせるものの、多くの人間が死に、姫様にさえ死をもたらした戦争を……そんな、勉強の上での失敗のように扱う彼を、どうしても許すことが出来そうになかった。あまつさえ目の前の男は、呑気に未来のことを考えている。
――皆、死んだ。……死んだんだ。死んだ、死んだ、死んだ。
永遠に未来が訪れない人たち。私はこの目で見た。兵士たちの屍を、体の一部を失い、やがて命果てた騎士の姿を、無残にも首を跳ねられた諸侯貴族の亡骸を。
そして――
『ユリ』
姫様の死を……。
「くっ……あ、く……」
何かが腹の中で凝固し、腐り、喉元からせり上がって来るような、凄絶な吐き気を催した。唇が震え、吐き出す息が断続的な音を奏でる。
目の前の男のことを、どうしても、どうしても、認めることが出来ない。
ついに私は前髪に表情を隠し、それが不穏な空気となって漏れる。
「おい、どうした? 具合でも悪いのか? ん……? お前…………」
イグルス皇子が困惑した声を上げなら、気遣うような眼で私を見ていることを視界の端で察する。それが次第に、不審の念を抱いた物に変わろうとすることも。
最後の最後で、私は私自身をどうすることも出来なかった。
陰惨な気配が澱のように積もろうとする中、姫様の言葉が私の意識に浮上する。
『人間の体と言うのは、魂の器に過ぎないのかもしれない。私は時々、そう考えることがあるの。そしてその体が持つ様々なもの、生まれ、環境、そういった物が作用して、今の私という存在が作られる』
私は決して、イグルス皇子を認めることが出来ない。どうしてもだ。しかし、その彼の在り方ですら、単に環境が作り出したものに過ぎないのだとしたら? それを認め、許すことが強さなのだとしたら?
そう考えている最中、目の前の敵国の大将が恐れていたことを言う。
「お前……エスメラルダではないな?」
激しい憤りに塗りつぶされていた私の心臓は、一瞬で凍りついたようになった。真実という名の鋭い刃物に刺し貫かれ、呼吸を忘れる。
「――っ!?」
咄嗟にアルベルト様に視線を向けそうになるのを、必死で抑える。
そんな私に、声色を冷徹な、感情を押し殺した威圧的なものに変えたイグルス皇子が尋ねる。またしても意味の伴わない言葉で。
「どういうことだ……おい、アイツはどうした? 何故、この場にいない?」
その質問は、鋭い錐のように私の精神の奥深くに刺さった。
――アイツはどうした……だと?
正体が露見しそうなことに恐怖もした。怯えもした。だがその一言から、恐怖は他人事のように通り過ぎ、再び怒りに変貌を遂げた。わなわなと体全体が震える。
――ふ、ふざ……けるな!?
歯をギリと食いしばり、前髪に隠していた憤怒にかられた目で、敵国の大将を睨みつける。イグルス王子は疑念を露わにするように、眉根を寄せた。
「……貴様、泣いているのか?」
瞳は燃えるようだった。鋭く尖らせた緋色の奥から、涙が次々と湧き出る。
――お前が! お前が殺せと命じたんだろ!? 姫様を!
出来ることなら、そう叫びたかった。
ただ、悔しかった。私の大好きな姫様が殺されたことが。いつも笑顔で、でも弱くて、それを隠して必死に戦っていた姫様が死んでしまったことが。悔しくて。
お茶目な、だけど傷つきやすいものを抱え、友達を純粋に求めていた姫様が亡くなってしまったことが……私には……悔しくて、悔しくて……。
敵国の将軍格の男と、私と轡を並べるアルベルト様が息を呑む。向こうにとっては驚きに。こちらにとっては緊張に。
その中、涙する私を認め、狼狽している男がいた。
「何故だ、何故泣く? おい! エスメラルダはどうしたと聞いているのだ!? 答えろ!? おい、ま、まさか……」
イグルス皇子の眼に激しい焦燥というか、何か散漫な、動揺を湛えた光がちかちかと漏れる。彼は目に見えて困惑していた。
困惑。そう、困惑だ。
瞬間、私は涙を瞳に浮かべたまま、息を抜かれたように悄然となる。
――どういう……こと?
言葉を交わす中で、微かな違和感を覚えていた。彼が私に取る態度は、暗殺しようとした対象に対するそれではなかった。尊敬の念さえ、敬意すら感じられた。
そればかりかイグルス皇子は、姫様がこの場にいないことに“ ある予感 ”を覚え、うろたえてさえいる。もつれあった混乱が、私の思考と体を縛る。
――姫様の暗殺は、イグルス皇子が命じたものではないの?
暗殺を命じた人間が、その人物が他の要因で死んだ時、このような反応を見せるものだろうか? ならば姫様の暗殺は、帝国の別の人間が命じたものなのか?
――いや、……そもそも……。
姫様はブリュンヒルデに通じていた侍従によって殺されたと聞く。王様の話によれば、彼女は逃げ出す最中に姫様の塔の付近で捕えられ、後に処刑されたと言う。
暗殺成功の報がブリュンヒルデに届くことはなく、また偽の戦姫たる私が台頭したことから、ブリュンヒルデ側は戦姫の暗殺に失敗したと思っていた筈だ。
その一連の出来事に関して、アリア様にも言われ、思い出すのも嫌で、出来るだけ何も考えないようにしていた。だが、それだと様々な疑問が残る。
何故、侍従はもっと早くに姫様を殺さなかったのか。また姫様の塔の侍従は、マリス様の手によって厳しく審査されていた筈だ。厳重に管理もされている。敵国であるブリュンヒルデと、簡単に通じることが出来るのか?
考え始めると、疑問は尽きない。
「おい! 答えろ!? 貴様は何者だ? エスメラルダは……どこにいる!?」
私が無言を保っている間にも、イグルス皇子は焦りを募らせている様子だった。臆病な光が籠った目と目が合い、そこで私は、私の役割を思い出す。
――そうだ……私は……。
眉を苦しげに歪め、覚悟を研ぎ澄ました。冷たい緊張が渦巻くように膨れ上がる。そうして私は深呼吸をした後、静かに答えた。
冬の朝。霜が溶けて折れるときのような……透明な声で。
「私が……エスメラルダ・リ・エルトリアです」
そう口にした瞬間、様々なものが遠ざかる代わり、悲しみが極まった。
「なっ……!?」
驚愕に目を開くばかりか、口を空けたまま、体を硬直させるイグルス皇子。
私の瞳からは、熱い感慨がまた零れ、頬に一条の線を作る。それでも――イグルス皇子の中で姫様の印象と私の印象が重なるよう、気丈に微笑んでみせた。
当り前のことが、しみじみと悲しかった。もう決して姫様が、私に笑いかけてくれることはない。悩みを聞くことも、慰めてあげることも出来ない。
そんな当たり前のことが、しみじみと、苦しかった。
永遠にも思える沈黙が、その場に蓋をしたように圧し掛かる。イグルス皇子は衝撃に襲われて目を見開き、その瞳を震わせていたが、やがて――
「そうか……」
とだけ、目を伏せ、気落ちしたように呟いた。
全てを諦め切った顔で。それでも時々、苦悶に顔を歪ませ、烈しく襲いかかって来る悲憤に耐えるように。そう言った。
この段階になると、姫様の暗殺を彼が命じていないことは明らかだった。
「……くっ……」
自分と立場が異なる人を認めるのは、依然として困難だ。
だけどその場において、私とイグルス皇子は仲間だった。虚無という、砂のようにざらついて人の口から水分を奪う、飲み下すことが困難な感慨を味わう……。
風の凪いだ中、イグルス皇子が目を細めて言う。
「俺は……俺はどうしてあの時、お前を浚っちまわなかったんだろうな?」
私は流れた涙を拭うこともせず、彼に視線を注いだ。イグルス皇子が空を仰ぐ。
「嫌な思いなんか、させねぇよ。だってさ、惚れた女なんだぜ? お前は俺の横で、馬鹿みたいに気の強い顔で俺をたしなめて……でもよ、馬鹿みたいに楽しそうに笑って。いずれ俺の子供を宿して、戦場になんか出ず、母親ってやつをやって……生きていけば……そういう世界も、どこかにあったのかもしれないな」
彼の言葉は、私ではない誰かに向って吐き出されていた。それらの言葉は空気に触れるたびに白く死んで、灰となって煙になる。空に立ち昇り、消えて行く。
視線を空から私に移す。片頬を窪ませると、イグルス皇子は嬉しそうに悲しそうに笑った。憂いが青い空のように澄み渡る。胸の奥で濃くなり、重くなる感覚。魂……そう、魂すら裸にされたような孤独がそこにはあった。
それは彼にだけではない。私にもだ。鏡合わせの孤独。無限に広くも狭くもある世界で、私たちは共通の大切なものを失った、一人ぼっちの二人だった。
イグルス皇子の苦々しい笑みと、私の涙に濡れた笑みを、その場で交わし合う。何も語るべき言葉を持たない二人。それが面会終了の合図でもあった。
それからイグルス皇子は手綱を握りしめると、馬を進めた。私の横を通り過ぎ、漆黒馬を旋回させようとする。私とすれ違う瞬間、彼は言った。
「じゃあな……エルトリアの戦姫」
こうしてその日、エルトリア国第一王女と、ブリュンヒルデ帝国第一皇子との面会は終わった。程無くして、戦争も終結した。
戦の成果を、国は勝利と謳い、国民は熱狂した。後に第二次エルトリア防衛戦と呼ばれた戦いは、“ ライコフ様の再来 “と称された、「エルトリアの戦姫」の活躍で幕を閉じたことにされる。
だが私は現状を、とても勝利したなどと呑気に考えることは出来なかった。ただ国土が、これ以上他国に蹂躙されることはなかった。戦争で命が失われることも。
数の話をすれば、侵略された北の地域の住民や、徴兵された兵士の命が数多く失われ、諸侯貴族も何名かが命を落とした。王家も一つの命を失う。反面、宮廷貴族の命は、直接的に失われることはなかった。
勝利の宴は、今までにない規模で、首都ティレイヤで盛大に行われた。
宮廷一階の祝宴場で、国王陛下と王妃様は笑っていた。宮廷貴族も笑っていた。特別に招待された諸侯貴族たちと、王国騎士団長であるアルベルト様だけが、終始、苦い顔を張り付けていた。
私はもう笑いたくなかったが、笑わざるを得なかった。胸の奥から込み上げてくる、重く鈍い痛み。吐き気のような虚しさを抱えながら。
「エスメラルダ様?」
「え……?」
しかし、それも限界で――祝宴の最中、視界が突然ぼやけたと思ったら、私は涙を流していた。宮廷貴族たちは驚くものの、その涙を直ぐに何か美しいものに喩え、その場から感嘆の声を引き出していた。明るい笑い声が続いて響く。
私はついに耐えきれず、体調が悪くなったからと、その場を辞去した。
「し、失礼……アリア、後のことを頼みます」
「承知いたしました。エスメラルダ様」
失われたものは多く、悲しみは絶えることがない。戦場に散った、或いは城内で散った愛しい命も、決して戻ってくることはないのだ。行く川の流れのように。
だが戦争は終わった。
まるで何かの抜け殻のように、その生命のない形だけを残して。
それと共に私の役目も終わり、私は晴れて自由の身になれると思っていた。故郷のラスフル村に戻り、一人の村娘として、アレックスに会えると……。
でも……。
――心の片隅では、そんな現実は訪れないと私は知っていた。