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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■三章 偽の戦姫
20/33

20.ユリシアの戦場


 やがて私は、姫様の代わりに戦場に立つこととなる。


 訓練を通じて、何とか大剣を頭上に掲げることは出来るようになっていた。鎧の重さにも少しずづだが慣れ始め、動き回ることに問題はなくなる。 


 顔も、恐らく生みの親でも見分けが着かない程に瓜二つ。戦装束に隠れ、体格の僅かな違いを見破られることもない。戦場での発声の仕方も練習させられた。

 

 ――私はそうやって、偽物の戦姫へと自分を整えていった。


 姫様が亡くなられてから、十日余り。初陣を迎えた私はアルベルト様ら数人の騎士と王都から出陣し、死が踊る戦場へと向かった。


 その途中、どうしても耐えられずに馬を休めてもらい、胃の中の物を吐いてしまう。得体の知れない恐怖が、獰猛な蛇のように、私の臓腑をうぞうぞと這い回る。


 いつの間に私は、そんな物を体内に飼ってしまったのだ……。

 吐瀉物の異臭の中には、私の苦悶がそっくり漂っているようだった。


「も……申し訳ありません。さぁ、参りましょうか」


 口元を拭い、出来るだけ晴れやかな笑みを随伴の騎士たちに向ける。

 

 彼等はその光景を前に、異様と思うどころか、胸を熱くしている様子だった。その目に映っているのは、恐らく、傷を負い、体調を崩しても戦場に赴く戦姫の姿。


 信じたいものしか信じない、人間の(さが)を思う。

 ただアルベルト様だけが、自分の無力に肩を強張らせ、拳を握り込んでいた。


 また行軍というのは、私が想像していた以上に苦痛を伴うものだった。


 自ら手綱を取ることをせず、アルベルト様の愛馬に乗せてもらっているだけだ。だが、自分の呼吸を馬に合わせる必要があり、馬上にいるだけで体力を消耗した。


「大丈夫ですか……姫様」

「おや、アルベルト。一体、誰に向かって言っているのですか?」


「これは、失礼いたしました。どうも年を取ると心配性になるもので」

「ふふ、新しい奥様を貰っておいて、自分が年だなどと」


 日が落ちた野営の最中。随伴の騎士たちに示す二人の演技に、周りから笑い声が漏れる。私を偽物とは、誰もが疑っていない様子だった。


 それに比して、当事者である私とアルベルト様は、弱々しい笑みを交換する他になかった。人生に対するどうしようもなさを、目で語りあうように。


 本当なら演技するだけでも辛かった。気を抜けば、無気力という名の底の見えない井戸に、どこまでも落ちていきそうになる……。


 でも、ここで姫様の努力を水泡に帰すわけにはいかない。

 その思いが私を支え、鼓舞した。


 数日後。前線に到着し、現地の指揮官や諸侯貴族と挨拶を交わした。その際、姫様がどのように彼らに見られていたのかを、私はまざまざと知る。


 ――皆が、姫様の子供のようだった。


 私を見つけると、皆が顔を輝かせた。敬愛と心酔が入り混じった無邪気な目。戦姫と共にあることが嬉しくてたまらないといった表情で、私を迎える。


「エスメラルダ様、気付きませんで……足を負傷なされておいでだったのですね。お怪我の具合は如何ですか? また、ご体調が優れないとも耳にしましたが」


 その言葉に、先ずは安堵を覚えた。

 彼らの目にも、私はエスメラルダ・リ・エルトリアとして映るのだ。


 ただ、姫様が戦の話になった際に覗かせる鋭い眼光や、張りつめた口調ばかりは完全に真似ることは出来ない。油断すれば、それが……。


「姫様は怪我を押して、体調が優れぬにも関わらず戦場に参られたのだ。あまり、無用なことで口を開かせるのではない」


 不安な気持ちが染みとなって胸中に広がろうとする間際、アルベルト様が口を開いた。私はそこで私を取り戻そうと、必死に口の端を曲げる。


「いえ、馬を駆って戦闘に参加することは叶いませんが、それ程に深刻な怪我でもありません。体調に関しても……ふふ、戦場の方が良いくらいです。なにせ、宮廷貴族の近くにいると毒気に当てられてしまいますから」


 するとその場に居合わせた人間は、楽しそうに腹を揺らした。


 私はつられて笑った風を装いながらも、冷静な目で周囲の反応を伺った。観察していることが悟られぬよう慎重に、肝を冷やしながら。


 それから軍議に入ったが、アルベルト様に任せ、彼の呼吸に合わせて頷いたり、同意の言葉を口にすればよかった。叩きあう軽口も含め、全てが打ち合わせ通り。


 戦場でも、宮廷と同じように上手く立ち振る舞うことが出来るかに思えた。


 だが――翌日、戦の陣頭に立ち、敵を遠く視界に収めた時には、足の震えが止まらなかった。身も世もあらぬ恐怖に襲われ、顔は蒼白となり、昏倒しそうになる。


 空に懸った夜の幕が、徐々に捲られていく早朝。

 

 戦の実質的な大将として軍勢を背後に控えさせ、台に一人で登壇する。私はそこで、エルトリアの戦姫として号令をかけることを求められていた。


 王家の大剣は私の手にあり、台の上に突き刺すような格好で支えられている。左右には、王国騎士団の主だった面々が。背後には、何百という兵士が控えている。


 ――これが戦争の風景……。


 物々しい装いの屈強な兵士たち。隊列は乱れることなく、蛇の腹のように背後に伸びていた。手にした生命を奪うための武器が、朝靄の中で鈍く光る。


 景色にも重さを感じるのだということを、私は初めて知った。


 戦場の気迫に呑まれた私は、間断なくやってくる怖気に肌を舐められ、竦み上がった。私が敵兵と殺し合いをする訳ではない。ただ号令を掛けるだけだ。


 ――なのに……なのに、この恐ろしさといったらどうだ?


 唾を飲み、怯えた息を吐く。情けない話、私は失禁しそうになっていた。

 その事実に気づくと、震えは更に強くなる。


 姫様が話してくれたものが、吟遊詩人の歌が、抽象化された英雄譚の一つに過ぎないのだと知った。これが、実際の戦場。表情は凍りつき、目は色を失う。


 駄目だ……持てない。

 こんな状態で、大剣を頭上に掲げることなんて出来ない。


 歯がカチカチと鳴る。体が重たい。他の誰かの視点で自分の体を眺めているように、外界の事象のあらゆるものが遠く……。



 いやだ、こわい、いやだ、いやだ。


 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。


 私はただの農家の娘。帰りたい。

 ねぇアレックス。いやだ、いやだよぉ。


 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。


 なんで、なんで私ばっかり、こんな……。


 不甲斐無さよりも恐怖が勝り、涙で視界が歪んだ。

 だが背後の兵士たちはそんなことには気付かず、私の号令を待っている。


 ――そうだ、今日は体調が悪いということにして……台から降りよう。


 その考えが私を捕えると、私はそれに取り憑かれた。やがてそれこそが絶対的な、私が採るべき唯一の道だと信じるようになる。


 ――そうだ、そうしよう。


 汚い自己肯定は、私の全てとなる。私が台の下に控えたアルベルト様に、そのことを伝えようとした……正にその時。


 大剣が朝日を浴びて、自己の存在を明らかにするように光った。そこで私は、抜き身の刀身に映る、下卑た笑みを浮かべる少女を認めることになる。


 全身に汗が流れるような不気味さを味わい、思わずぞっとした。


 剣に映る戦装束を身に纏った少女。それは姫様と殆ど異なる所がない。

 だがそれは……間違いなく姫様ではないのだ。


 その表情は、何者かに媚びるように嫌らしく歪んでいた。およそ人間の醜悪さが、そこに全て集約されたかのように。


「わ、私は……」


 その瞬間、姫様との思い出が奔流となって私の中に押し寄せてきた。


『ユリ、私……私。初めて人を……殺したわ』


 気高く、優しく、誰よりも国民想いな……。


『私、絶対にあなたの元に帰って来るから』


 でも本当は私と同じで弱い……。

 

 一人の、女の子。


「う、……っく、……」


 涙を堪える為に、歯を強く食いしばった。喉に張り付く恐怖で全身は震えていたが、決意に双眸を見開く。次いで大剣を両手で構え直すと、


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!」


 無我夢中で声を張り上げ、体の筋などを痛めることも厭わず、一呼吸で大剣を頭上に掲げた。そして背中に鋭い痛みを感じながらも、それを振り下ろす。


「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉ!」」


 背後からは、戦姫独特の号令に応じる兵士たちの叫び声が。



 ――その日、その場での防衛戦は、エルトリア側の優勢で終わった。



 私は戦を本陣で過ごした。アルベルト様に戦場での指示などは全て任せ、戦況報告などに耳を傾けながら、借り物の威厳に腰を落ち着ける。


 兵士たちは、エルトリアの戦姫が剣を振るわないことは事前に承知しているらしかった。だが、それで士気が低下することはなかった。


 戦姫のこれまでの活躍を知る彼ら。姫が怪我を負っている今こそ、自分たちが奮闘せねばならぬと、熱き血潮を沸き立たせているようだった。


 その闘志は本陣にいても、びりびりと空気を震撼させる程に伝わってきた。興奮した面持ちでやってくる伝令の報告も、それを証明していた。


 だが戦は一日で終わることはなく、それから何日も続いた。汗が張り付き、疲労が(おり)のように積もる。脱力した体で私は懐かしい言葉を思い出す。


『でもなユリシア。明日はまた太陽が出て、きっと晴れる。だからさ、そんな曇った顔すんなよ。なっ?』


 アレックス。私は一体、何所に行こうとしているの?

 この先にはどんな未来が……。私は再び、また貴方に……。


 衣装の下からお守りを取り出した私は、縋りつくようにそれを握りしめた。



 私はそれからも姫様の代わりに戦場に向い、大剣を掲げて兵士達を鼓舞した。軍議にも厳粛な顔で臨み、時に姫様らしい冗談を言って場を和ませるよう努めた。


 本国との連携を欠いているブリュンヒルデ第一軍。苛烈な侵略は止み、イグルス皇子が前線に出てくることもなかった。奪われた領地を奪回し、包囲網を狭める。


 戦争終結を誰もが予感し始めた。その間も詩人たちは休むことなく、エルトリア軍の勇敢さを、戦姫の勇姿を、詩として紡ぎ続ける。


 エルトリアの長槍隊の密集はよく前線を支配し、疲弊したブリュンヒルデの騎馬隊を突き崩した。宮廷貴族から集めた基金もまた、様々な面で戦争を支えた。


 次第に私は、戦場に向かう途中に吐かなくなった。あらゆることに人間は慣れる。悲しいことに、姫様の死にも、自分の立場にも。


 王都に戻ると祝宴にも顔を出した。体力が消耗した中で作り笑顔を作るのが、苦痛を伴うほどに困難で……それだけは慣れることがなかった。


「流石は、エスメラルダ様」

「戦争が終結した際には――」


 戦争を、何処か別の国の出来事のように語る宮廷人。彼らの話を耳にしながら、私は生気を抜き取られたように、ただ茫然と一点を眺めることが多くなる。


「……ラルダ様!? エスメラルダ様!?」


 アリア様の声に促され、夢から目覚めたようにハッと意識を覚醒させる。


 すると宮廷に集まった皆が、椅子に腰を降ろしていた私を心配そうに。しかし、どこか楽しそうに見ていた。ニヤニヤと、嫌らしく口の端を曲げて……。


 ――楽しそうに……? そんな訳が……。


「如何なされました、エスメラルダ様?」


 目の前の宮廷貴族に視線を転じる。先程の感覚が錯覚である証拠に、彼は心配そうに眉を寄せながらも、宮廷内で均一化された微笑みを私に向けていた。


 唾を飲み込み、「いえ」と言葉を濁し、その場から立ち上がる。


「今日は……ここで失礼させて頂きます。アリア、支度を」


 顔面蒼白になりながら、そう言って宮廷から塔に帰った。

 神経が衰弱し、色んなことに過敏になっているということは分かっていた。


 それこそ、何度も、何度も、何度もやめたいと思った。

 でもその度に、姫様との思い出や、アレックスの顔が脳裏を過り――。


「くっ――」


 人は恐らく、暗さの中にじっとしていることは出来ない。必死にその中で、明かりを灯そうとする。そうすることで、希望に寄りかかろうとするのだ。


「明日はきっと晴れる……だから、だから、そんな曇った顔するな」






 そして、姫様の代わりに戦場に立ち、数ヵ月が過ぎると……。




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