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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■一章 運命に浚われた少女
2/33

02.ラスフル村の二人

 

 私の名前は、ユリシア・リリーズという。

 四人姉妹の農家の三女として、エルトリア国のラスフル村で生まれ育った。


 エルトリア国は大陸の南東部に位置し、東と南を海に、西を砂漠に、北を大山脈に囲まれた、温暖な地帯に存在している。柄のない斧のような形をした国土の規模は、西のレイシル王国や北のブリュンヒルデ帝国には及ばないと聞く。


 だが統一国家となった間際にブリュンヒルデ帝国から侵攻を受けた以外は戦争の経験もなく、長く平和な時代が続いてきたと村長から教わった。

  

 そのエルトリア国は現在、数十個に領地分けされていた。中心地にある王都から東に馬を走らせ、替え馬を乗り継いだ急使なら半日程で辿り着くと云われる距離にクリスト領はあった。私の出生地のラスフル村も、その領内に存在している。 


 交易こそ盛んではないが、作物がよく育つ地域にあるその村。そこで暮らす村人たちは気性が穏やかでいじけたところがなく、一様に朗らかな性格をしていた。


 村で取れた作物の幾らかは、税として領主様に納める決まりとなっている。これはどの領地内でも変わることがない決まりだ。ただ違う点があるとすれば、代々クリスト領の領主様は、国から定められた額以上には税を取り立てなかった。


 そのため、決して商業的に豊かという訳ではないが、自給自足で暮らしていく分に問題はなく、村人は村の守り神を大切にしながらのんびりと生活していた。


 そんな環境で牧歌的に育った私には、何人かの幼馴染がいた。


「へへ、よぉユリシア」


 その内の一人が彼――アレックス・エルスマンだ。


 村長の孫にあたる、二人兄弟の長男。私と同じ金色の髪を、寝ぐせで常にボサボサにしている青い瞳の男の子。運動が得意で悪戯っ子で、勉強が嫌いな村の子供。


 でも澄んだ瞳をして、人懐っこそうな顔で無邪気に笑う彼。ぶっきらぼうだけど本当は優しくて、一緒にいる人の心を和やかにさせる、不思議な力を持った彼。


 私とアレックスは小さな頃から他の幼馴染たちと一緒になって遊び、村長の家で読み書きや計算を習い、村のお祭りに参加したりしながら健やかに育った。


 そんな私とアレックスには、ある”おまじない”があった。私たちの生涯を通じて大切にした、おまじない。お互いの心を近くに感じさせる、二人の呪文。


 あれは、読み書きもある程度不自由なく出来るようになった年の頃。村長の家での勉強から幼馴染の皆で卒業し、それぞれの家の仕事を手伝い始めた頃のことだ。


 その日、私は村の近くにある小川の傍で腰を下していた。夕刻独特の切ない陽の光に照らされながら、瞳に涙を溜め、鼻を鳴らして一人、膝を抱えていた。


 少し前から自分が女性になりつつあることを自覚させられ、それが訳もなく悲しかったのだ。母や姉たちは笑いながら「大丈夫よ」と言ってくれた。私もその場では「そうよね」と笑って見せたけど、本当は……納得出来ていなかった。


 そんな時だ――


「あれ? ユリシアじゃねぇか。こんな所でどうしたんだよ?」


 アレックスが能天気な顔を張り付けて、河原に遣って来たのは。


「え……? アレックス?」


 急に声を掛けられた私は驚き、思わず彼と目を合わる。

 そこで彼は、珍しい物を見たとでも言うように目を(しばたた)かせると言った。


「ん? なんだお前、ひょっとして泣いてるのか? どうしたんだ?」


 そうやって、私の目の端にうっすらと滲み出た、涙の存在に気付いた。

 

「あ……べ、別になんでもない!」


 指摘された私は彼の呑気な調子に対し、恥ずかしさと共に奇妙な苛立ちを覚えてしまう。手の甲で涙を拭いながら声を荒げ、子供じみた態度でそっぽを向いた。


 アレックスとはずっと親しくしていた。でも、その時まで私が彼に対して持っていた印象は、単なる幼馴染の男の子以上のものはなかったように思える。


 その彼が、私の反応に「へ?」と間の抜けた声を上げた。


「なんでもないって、お前……そんな感じじゃないだろ。なんだよ、俺でよければ話してみろよ? 一人で抱えてちゃ分かんないだろ?」


 そして頭を掻く音と共に、気遣いの言葉を私の耳へと届ける。


「……っ!?」


 訳の分からない苛立ちに突き動かされた私は、アレックスの顔を反射的に睨み付けた。彼は一度眉を上げるもニヘラと微笑み、いつもと変わらぬ調子を崩さない。


 私は下唇をかみ、黙って彼の顔を見つめた。その視線をやがて小川へと転じる。男の子に話せる訳がないと憤慨しながらも、話を聞いてもらいたいという欲求を覚えつつあったのだ。葛藤が覆い被さり、沈黙が幼い二人の間に横たわる。


「アレックスには……わかんないよ」


 戸惑いを溜めこむように体を震わせた後、小さな声で呟いた。


「まぁそうかもしんないけどさ、悩んでる時は話すと楽になるって爺ちゃんが言ってたぞ。母さんもよく父さんに、愚痴ってのをこぼしてるしさ」


 アレックスはやはり変わらず、のんびりとした調子でそれに応じる。

 結局、私は……。


「ねぇ……アレックス」

「ん?」


「どうして、大人になるためには……」


 随分と悩んだ末、それと分からないように婉曲的に私は悩みを打ち明けていた。当時こそ深刻な問題のように思えたが、今思えば些細な悩みに過ぎない。


 そう考えると、全ての悩みに関してそれは当てはまるのかもしれない。生き続けてさえいれば、あらゆる過去は笑い話となる可能性を含んでいる。


 幸いなことに、アレックスは私の言葉の含みには気付いた様子がなかった。ただ私の話が終わると、何かを考え込んだ様子で「う~~ん」と唸り始める。


 上手く伝えられたという印象はなかった。

 そもそもアレックスから、何か決定的な答えを引き出したかった訳でもない。


 その時の私は、胸の内にあるものを婉曲的とはいえ外に吐き出したことで、胸の(つか)えが僅かに解消されたようにも感じていた。


 きっと、それで十分な筈だったのだが……。


「それは、俺にはよく分からん」

「え?」


 その声に視線を向ける。アレックスはいつもより少しだけ真面目な顔をしていた。

 

 だが私と目が合うと、彼は顔全体で笑ってみせた。芽吹いたばかりの(つぼみ)を思わせる無垢な顔で、彼は微笑んだのだ。にっこりと。


 彼の心の光源から発した暖かなものが、その面に輝いたように感じた。そうやって私が纏った深刻な気配は、徐々にアレックスの調子に飲まれ始める。

 

 そして彼は「でもな、ユリシア」と前置くと言った。



「明日はまた太陽が出て、きっと晴れる。それって凄いことだと思うんだよ、俺は、うん。だからそんな曇った顔するな。なっ? へへっ、それにさ、俺はユリシアは、その……笑ってる方が……なんだ、えっと……だから……」



 その時から、私はアレックスを意識し始めたんだと思う。

 彼という存在に、心を打たれたんだと思う。


『明日はまた太陽が出て、きっと晴れる。それって凄いことだと思うんだよ、俺は、うん。だからそんな曇った顔するな』


 何の解決にもなっていない言葉。

 だけど太陽にむかってすくすくと育つ稲穂のように、とても力強くて……。 


『へへっ、それにさ、俺はユリシアは、その……笑ってる方が……なんだ、えっと……だから……』


 眉根を寄せていた私の顔から、知らず険が除かれる。


 ――こんな時に、彼はいきなり何てことを言ってくれるんだ。

 

 悲しみに塞がれていた表情に自然と喜色が溢れ、気付けば笑いが口の間から零れていた。


「ふっ、ふふ」

「え? な、何で笑うんだよ!?」

 

 彼は私の反応が予想もつかぬものといった調子で、一人であたふたしていた。

 私はその様子がおかしくて、お腹を揺らす。


「だ、だって、はは、あははは!」


 紫色に覆われていた沈鬱が、晴れやかなものに取って代わる。

 憑き物が落ちたように、それからも私は笑った。


「ちぇ、まぁいっか」


 アレックスもまた、口を曲げてそう言った後、


「へへっ、ははっ、ははは!」


 朗らかに笑った。考えや気持ちや印象を、他の人と分かち合うことが最上の喜びだと語るように。そうやってアレックスは、笑ったんだ。  


「ふふ、あははは!」

「ははっ、はははは!」


 雲が多い為に紫がかって見える夕焼けの中、二人の笑い声が河原に響き渡る。

 

 私たちはそれから二人、仲良く並んで村へと帰った。その途上で、茂った葉をむしって鳴らすアレックスの草笛が、夢とも現実ともなく意識に美しく響いた。 



 ――それ以来、私たちの間に大切なおまじないが生まれた。



 例えば仕事の最中、草いきれに微かな水の臭いを感じ取りながら、私がその小川の近くを一人で通りかかった時のことだ。家の人に叱られるか何かして、仕事場に行かずに落ち込んでいるアレックスの姿を見つけた際には、


「いい? 明日はまた太陽が出てきっと晴れるわ。だからそんな曇った顔しないの」


 人の近づく気配を察して面を上げた彼に、私が得意になって言ったこともある。


 その時のアレックスの反応は今でも覚えている。信じられない言葉を耳にしたとでも言うように、目を驚きに剥いて、口をポカンと開けていた。


 でもその直後「ぶっ!」と相好を崩しながら、弾んだ息を口から押し出すと、


「おいおいユリシア。それって俺が言った言葉だろ?」


 表情に憂いの影を残してはいたものの、目尻を和らげ、彼は笑いながらそう言葉を返した。可笑しくて堪らないと、嬉しくて仕方がないといった調子で。

 

「あら? そうだったかしら?」


 私は悪戯めいた笑みを顔に貼り付けながら、とぼけたように言ってみせる。

 するとアレックスは鼻から息を抜き、安堵したように顔を綻ばせると、


「ったく、ユリシアにはかなわねぇな。って言うか空見てみろよ、多分、明日は雨だぞ、雨」


 苦笑ともとれる顔つきで、空に視線を向けるように促した。

 私は空に視線を一瞬だけ向けた後、笑みを深めて答える。


「実際の天候なんて関係ないの。そうでしょ? それにそもそも、アレックスが最初に言った言葉なんだから――」


「って、おいおい! お前、さっきはすっとぼけたくせに、なにを今更」



 その時以外にも、私たちはそんな小さなやり取りをしてお互いを励まし合った。


 そんな彼は、次第に私の中で特別な存在になっていった。

 幼馴染を超えた……本当に特別な存在。 


 多分、私にとって彼がそうであるように、彼にとっても私はそんな存在だったんだと思う。町娘のように自惚れる訳じゃなく、本心からそう思う。


 その証拠に、私たちが少しずつ大人に近づき、お互いを異性として明確に意識し始めた頃。アレックスは私が一人の時を見計らって声をかけてくると、もじもじと落ち着きない所作をしながら、視線を彷徨わせた後、


「ほら、こ、これやるよ」


 ぶっきらぼうな口調でそう言って、後ろ手に隠していた物を私に差し出した。


 彼の手には丸い胸飾りが収められ、その中心には小ぶりな、私の目と同じ緋色の鉱石が嵌めこまれていた。生まれて初めて貰った、彼からの贈り物。


 驚きに打たれ感嘆の声を上げると、アレックスは慌てたように早口で言葉を紡ぐ。


「べ、別にお前の為に買ったんじゃないけどよ。その、なんだ、あの行商のおっさんが、だから、その……。だぁぁ~~!? とにかく貰っとけよ! なっ!?」


 彼の手からからそっと胸飾りを取り、思わず掲げるようにして眺めた。鉱石の赤い輝きから、彼の真心がそのまま私の心に放射されてくるように感じた。


「綺麗……」


 自然、口から感想がこぼれる。

 するとアレックスが視界の端で、独り言でも呟くような調子で口を動かす。


「ほ、本当は買うつもりなんかなかったんだけど、ユ、ユリシアの目みたいにき、ききき、綺麗だなって思ってさ、それで、そしたら」


「え?」

 

 私は反射的に、彼の真っ赤になりつつある顔を眺めた。

 その狼狽を露わにした(さま)に、胸が締め付けられる思いだった。


「アレックス……ありがとう。大切にするね」


 私は優しく笑いながら、大切な宝物を胸に掻き抱く。

 その言葉にアレックスは、何かにうろたえたようになり、


「お、おう! だけど、その、か、勘違いすんなよ。俺は、ただ、その……っぅ~~~!? あぁ~~~っ! も、もう帰る!」


 踵を返し、耳を真っ赤にしながらその場から走り去った。


 私はその光景を眺めながら、アレックスの純朴さに顔を綻ばせる。濁りない、澄んだ透明な水のような純真さに。彼の朴訥な人柄を、体一杯に感じながら。



 そうして私たちは、エルトリア国の片田舎で恋をし、結婚をし、子をなして、やがて何処にでもある、ありふれた家庭を築くものだと信じて疑わなかった。


 村の皆も二人の未来を確信するかのように、穏やかに私たちを見守っていてくれた。他の幼馴染たちも、私の両親も、アレックスの家族も。


 そう、だから私もまた、父や母、祖父や祖父母と同じように。途切れることなく流れる命の川に、アレックスと参加していくのだと……。




 ――しかし運命は、通り魔のようにして私をさらっていった。




「この村に金色の髪で、緋色の瞳をした娘はいるか?」


 ある日の夕刻。斜陽に燃えるラスフル村に、王都から放たれた早馬に乗った伝令官が遣って来た。常ならぬ事態にラスフル村は揺れ、農作業を終えて家族と村に戻った私は、アレックスの弟に村長の家へ来るようにと言われた。


 困惑を覚えながらも、室内着に手早く着替える。


 緊張感とでもいうべきものが村の空気に僅かに滲んでいることを感じ取りながら、村の中央広場に隣接した一際大きい村長の家へと急いだ。入口付近に群がって中を覗きこんでいる男の子たちに帰るように言い、扉を開く。

  

 入ってすぐの開けた空間、机を並べて子供に勉強を教えたりと、多目的に使用されている半公共的な空間の奥には、既に何人かの見知った村娘が集められていた。


 彼女らを前に、華美ではないが王都的とでもいうべき洗練された格好の伝令官が、何かを確認している様子だった。


 遠くからでも、皆が不安を気配として周囲に立ち昇らせていることを察する。


 普段は柔和な村長が困ったように笑いながら、私もそこに加わるように促す。

 村長に頷き、私は気おくれを引きずるように歩み始める。 


 ――その時から、微かに嫌な予感がした。


 事実、気配に気付いた伝令官が私に一瞥をくれると、一度は顔を正面に戻したものの、そこで目を見開き、素早い動作で再び視線を向けてきた。男の瞳は驚愕といって差し支えない程に見開かれ、瞬間、彼が息を飲んだのが伝わってきた。


 その様子に思わず足を止めてしまう。心細さとも不安ともつかない感慨が、胸の中に重石のように沈んだ。そんな状態の私に、男が一言。



「まさか、ここまで瓜二つとは……」



 私はその言葉に眉をひそめてしまった。


 ――瓜二つ? 何を言っているのだろう?


 人生というものに対する明確な恐れを、その時初めて感じたように思える。口の上に髭を蓄えた初老の伝令官が私に近づくと、恭しさを感じさせる口調で尋ねた。


「貴女のお名前は、なんと仰られるのですか?」

「……え?」


 私は恐れにちくちくと胸を刺されながら、気まずげに視線を逸らしてしまう。周囲だけ空気が薄くなってしまったかのような、息詰まりを同時に感じる。


 しかしそんな失礼な態度ではいけないと思い直した私は、男の顔に目を向け直すと、重たい口をゆっくりと開いた。


「ユリシア……ユリシア・リリーズと申します」


 緊張で喉が乾いていた。答えた後、ゆっくりと唾を飲み下す。

 

 やがて時間は不器用に動き始め……。

 

 勤勉実直という言葉に服を着せたかのような伝令官の男は、鼻から息を抜いた後、一呼吸の間を置いた。私にじっと視線を注ぎながら言う。

 


「ユリシア様。明朝、陽が昇り次第、私と共に王都まで来てもらいます」



 ――逃れられない運命が、ついに私を見つけた。



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