14.決闘
それからも姫様は、戦場に立ち続けた。
時に、自らの王道を自己欺瞞に過ぎないと仰られながらも……そんな私に、涙を流す資格はないと仰られながらも……戦い続けた。
ブリュンヒルデの勇猛果敢な将に一騎打ちを求められれば、アルベルト様の制止を振り切り、扱い慣れた剣でそれに応じたと聞く。
そして相手を打倒し、止めを刺す段になっては――。
§ § § § § § § § § § §
しとしとと、絹糸のように細い雨が降り続ける。
その雨を総身に受けながら、エスメラルダは肩を上下させ、荒い息を吐いた。吐き出された熱は、空中で白く溶けていく。二つ、三つ、四つ。
空に光は見えず、薄暗い不吉な雲に覆われている。彼女の表情は濡れた前髪に隠れ、手にした剣からは、雨が雫となって滴り落ちる。
「お前が私の死か……エルトリアの、戦……姫」
「――っ!?」
言葉を発した主に、射るような鋭い視線を向けるエスメラルダ。
彼女の直ぐ傍では、巨躯のブリュンヒルデの将が仰向けとなって倒れていた。
「若いの……だな、まだ、少女と呼ばれるほどに」
峻厳にして知性を感じさせる面持ち。気配だけで、手練れと察することの出来る、顎髭を蓄えた壮年の男。
つい先程まで、男とエスメラルダは互いの間合いに心臓を差し出し、決闘を行っていた。結果――ブリュンヒルデの将は雨ざらしとなって倒れ、死を待っている。
男が侮った訳ではない。ましてや、侵略作戦の失敗を認めない、自国の第一皇子の腹立ちまぎれの要請を厭い、力を出しきれなかった訳でも……。
常に戦場は、現実のみを世界に提出する。
純然たる力量差が、二人の間には存在した。剣の技術や戦闘の巧拙は、この世界では単純な数字で表すことも、比較することも出来ない。
ならばそれは、本の僅かの差であったのかもしれない。しかし、生と死を分かつという点に関しては、純然たる差であった。
――見事だ、感慨もない。
圧力ある連撃は、エスメラルダによって巧みに捌かれる。剣技を放った後の、呼吸を行う僅かの隙さえも、見抜かれ、肉薄され、俊敏な動きの戦姫に制された。鎧の間を突いた一撃を、男は幾度となく総身に受けることとなる。
また重い鎧を纏った彼の動きは、流血によって自然と鈍る。すると装甲の薄い両手の甲が、左手から順に刺し貫かれた。もはや、剣を手に取ることは叶わない。
――冷徹で、正しい判断だ。
雨に打たれて体温を奪われた男は、手の平が黒い塊となったような感を抱く。打倒されるに到った腹部への強烈な一撃も、今は明滅するように、鈍く痛む程度。
ただ血を流し過ぎ、起き上がることは不可能であった。
男がそんな自分を眺めながら、不敵に笑う。それなりの自負心もあり、数々の戦で功績を挙げてもきた。何人もの猛者と渡りあってきた、確かな実力もある。
第一皇子のお守り役として、皇帝より第一軍へと編隊され、向こう見ずな皇子を、蔭ながら支えてきたつもりでもあった。
「ちっ、期待させやがって、あの役立たずが! おい、今すぐ弓を放て! あぁん? 馬鹿言うな、戦争で卑怯なことなど一つとしてない!」
その皇子は戦姫の噂を耳にし、激怒しながら前線へ視察に来ていた。そして男に戦いを挑ませ、今は彼を悪辣に批判するばかりか、横槍を入れようとしている。
ブリュンヒルデ皇帝の息子――イグルス。
発達した筋肉を持つ長身の男。浅黒い肌に、皇帝ゆかりの青い髪。眼光は鋭く、帝国の第一皇子らしい風貌をしていた。だが精神は、肉体程に鍛えていなかった。
「恐れ多くも申し上げます。ここからでは敵将を射抜くことは出来ません。それに、決闘に水を射すなど……」
対峙した両軍の中央にいるエスメラルダの姿が、其々の陣営からは、麦の種ほどの大きさに見える。男の部隊は規律が守られ、よく訓練されていた。
「クソがっ! どいつもこいつも!」
イグルスが歯噛みする間にも、剣を手にしたエスメラルダは歩を進める。倒れた男から、顔が正反対に見える位置に立った。死の影が、彼の顔に覆いかぶさる。
「何か、言い残すことはありますか?」
男はその陰に、全ての音が呑み込まれたような錯覚を覚える。
「何も……」
自らの終局を前に、男は笑った。ありのままの現実を受け止め、死することもまた、満足であった。近くで雷鳴が轟き、暫し、二人に沈黙の時間が生まれる。
「そうですか」
潔くも見事な死に様を目に焼き付けんと、数度瞬きをした後、剣を逆手に持ち替えるエスメラルダ。ガチャリと、物悲しい金属の音が響く。
男もまた、一つの儀式のように死を迎え――。
「さぁ死よ、私に食らいつけ! 私は既に命を繋いだ。ならば何を恐れることがあろうか!? ブリュンヒルデに栄光あれ!!」
そして彼女は、緋色の瞳に紅蓮の炎を宿し、奥歯を噛みしめると、
「うあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
剣を男の喉元に、勢いよく突き立てた。
過去から現在へと渡された、命の光は掻き消される。肉を切り裂き、たっぷりとした血が弾ける生命の叫びが、雨音の中で静かに鳴った。
§ § § § § § § § § § §
その場にいる人間は、詩人の語る凄惨な話に意識を集中し、息を呑んだ。
詩人はそんな反応に満足したのか、一呼吸を置き、再び話し始めた。
姫様はその後、ブリュンヒルデ帝国の第一皇子であるイグルスと対峙なされたというのだ。思わぬ展開に、風に吹かれた梢のようにざわめく宮廷。
「なんと!?」
「エスメラルダ様が、直々に?」
視線が私に集まる。心臓が跳ね上がり、私はエスメラルダ・リ・エルトリアという立場を忘れそうになった。動揺を悟られぬように、瞳を閉じる。
――エルダ様が、ブリュンヒルデの第一皇子と?
聞き及ばぬ話でありながらも、冷静に促せたと思う……。
「続きを」
じっとりと粘り付く重い汗を、背中に滲ませながら。
すると人々の目は、自ずから宮廷詩人へと移ったようだった。
「畏まりました」
小降りになった雨が力なく大地を叩く中、ブリュンヒルデの伝令が、生者を一人残した決闘の場へと向かう。直後、騎乗したアルベルト様が自陣から飛び出した。
イグルスから面会要請を受けた二人は、それに応じた。敵将の亡骸を回収するのを黙って見届けながら、イグルスがその場にやって来るのを待つ。
詩人の舌は再び、滑らかに動き始めた。