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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■二章 戦争
12/33

12.前線



 § § § § § § § § § § §



 寄せては返す波のような、執着と絶望。

 静かに行き来する、自らの命に対する執着と絶望。


 他の部隊との連携が途切れ、不安の中での小休止。刻一刻とブリュンヒルデ軍の脅威が近づきつつある前線部隊を、その二つが支配していた。


「あれは……王国騎士団の旗? きゅ、救援だ!! 助かる、助かるぞ!」


 その時、前線部隊の伝令が、後方よりやって来る味方部隊の姿を確認する。思わず歓喜の声を上げる伝令。


 だがふと気になり、その部隊を率いる人物に視点を定め、目を瞬かせた。


「あの中央の……何だ、女……? まさか!?」


 視界の内に、噂でしか耳にしたことのない存在を見出した伝令は、言葉を失った。物見の位置から昂ぶる心のままに駆け出し、部隊へと報告を届ける。


「伝令! 王国騎士団! 王国騎馬隊の救援! 王国騎馬隊の救援!」


 伝令がその場に急ぎ現れると、兵士たちは深刻な表情で、一斉に伝令へと顔を向けた。そして「救援」の二文字を耳にすると、死の恐怖に張り詰めた精神が、柔らかな安堵を吐き出した。


 だが伝令が伝えたのは、そればかりではなかった。



「中には――エルトリアの戦姫の姿も見えます!」



 伝令の興奮に打たれた面持ちに比して、その場の兵士たちは表情を持て余した。瞬時にその言葉の意味を理解できず、隣と顔を見合わせる兵士の姿も。


「エルトリアの、戦姫?」

「本当に、姫様が前線にやってくるのか? あれは単なる英雄譚じゃ……」


 しかし遠くから徐々に鳴り響いてくる蹄の音が、その疑念を中断させた。まどろみから瞬時に目覚めるように、ハッと神経を硬直させ、目を見開く兵士たち。


 騎馬隊の希望の足音が次第に大きくなり、やがて――。


「皆の者! よくぞ持ち堪えてくれた!」


 兵士たちはその光景に、唖然と口を開き、言葉を無くす。


 目の前には、王国騎士たちを引き連れた、エスメラルダの姿が。馬に跨り、姫衣装の上に戦装束を纏った、自国の第一王女。


 身の内に太陽を宿すが如き、鮮烈な光を放つ、エルトリアの戦姫の姿が。

 

「ほ、本当だったのか……あの話は……」


 実際に目にするまで信じられなかった。仰ぎ見るべき筈の王族。それも一国の姫が、戦場に、しかも最前線に現れるなど。


 伝説を目の当たりにし、現実をしばし忘れる兵士たち。


「ぜ、前方にブリュンヒルデ槍兵!」


 やがてその場に、前方を偵察していた伝令兵から緊迫した声が届けられた。自らの置かれている状況を思い出したエルトリア兵は、指揮官に揃って顔を向ける。


「この位置で迎え撃つ。全隊戦闘準備。槍列構え! 第一槍列膝立ち!」


 だが命令の言葉は、思わぬ所から発せられた。恐れるような、だがどこか縋り付くような目で、兵士たちはエスメラルダに視線を集める。


「どうした、早く太鼓を鳴らせ!」


 エスメラルダは遠くの敵兵を見据え、凛とした声で太鼓の音を所望する。


 太鼓役の兵士は一瞬迷ったが、言われた通りに太鼓を打ち鳴らした。何かを確認するように、目くばせを行う兵士たち。陣形が合図に応じ、即座に整い始める。


 兵士たちの顔からは、御前試合に臨むような、緊張感と心地好い昂ぶりが見て取れた。彼等とは、無縁の世界の王族。その王族である姫が救援に駆けつけ、同じ戦場に立っている。


 その事実だけで、何か自身の底から、汲み尽くせぬ力を感じた。


「ひ、姫様! 大変有難いのですが、ここは最前線です。姫様のお姿を拝し、兵士の士気も高まりました。ど、どうぞ後は、お下がりになってください」


 指揮官は額に汗をかきながら、自国の第一王女に苦言を呈す。彼はこの場を任せられていたものの、その役目を十分に果せる自信がなく、自然卑屈になっていた。


「第二槍列控え! 第一弓列構え! 十分引きつけろ! 太鼓鳴らせ!」


 それを瞬時に見抜いたエスメラルダ。彼女は指揮官に一瞥をくれた後、現場の指揮を自ら取らんと、次なる命令を太鼓役の兵士に伝える。


 太鼓の音が響き渡り、戦場の陣形が再び変化する。


「ひ、姫様!? ご自重を!」

「くどい! 身に纏う鋼は伊達ではないぞ!? この隊の騎馬隊は偵察を怠るな! ブリュンヒルデの騎馬は何処から来るか分からんぞ。心してかかれ! 長槍隊は必ず密集しろ! 突き崩されるなよ!」


 エスメラルダは指揮官の言葉など歯牙にもかけず、命令を矢継ぎ早に放つ。


 兵士たちは、彼女の重く冷静さを湛えた口調に、実戦を潜り抜けてきた気迫のようなものを感じ取った。知らず背筋を正されたようになる。


 自分たちの役割を認識し、お互いの顔を見て頷く騎馬隊の兵士たち。長槍隊も思いは同じらしく、手に持った槍に力が籠る。


「ひ、姫様!」


 三度、指揮官はエスメラルダに呼びかけた。

 だが結局、彼の言葉が彼女に届くことはなく――。


「我ら遊撃部隊は弓の一斉掃射の後、敵部隊の側面を衝く! エルトリアの勇者たち! エルトリアの名のもとに続け! 後れを取るなよ!?」


 エスメラルダが呼び掛けると、騎士たちの忠義の声が、戦場(いくさば)に轟いた。



「「「おぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉ!」」」




 § § § § § § § § § § §




 宮廷詩人の声は今夜も、現実を忘れさせる美しい調べとなって英雄譚を紡ぐ。


 例えそこが混戦を極めた場であっても、姫様の存在で兵士の士気は高まり、相手を圧倒し、やがて追いやった。


 姫様は体力が続く限りに、転戦を続けられた。また城に戦況報告にお戻りになった際には、宮廷で催される祝宴にも参加したことになっていた。


 ブリュンヒルデは内乱誘発が失敗したにも拘らず、頑迷な程、引き際を心得ていなかった。泥沼の戦いがエルトリアの国土を疲弊させる。


 勿論、姫様が出陣なされた戦が全て勝利を収めた訳ではない。ブリュンヒルデの手中に落ちた城、地域もあった。


 姫様も無傷とはいかず、敵兵が放つ弓矢を脇腹に受け、馬上から転落しかけた時もあるという。その傷を姫様から見せられた時、痛ましさに私は思わず絶句した。


 だが姫様は夜に日を継いで、野宿さえ厭わずに戦場を駆けた。

 姫様が向かわれた場所には恐らく、死の影が存在しなかったところはない。


 戦争によって、両国のかけがえのない命は弄ばれた。


 姫様はなによりも、その命こそを尊い宝物のように考えられていた。敵味方を問わず。時に自らが奪うことになる、その命を。


 そう、私は覚えている。



 姫様が初陣で人を殺し、涙した夜のことを……。




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