10.初陣
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「ブリュンヒルデ……エルトリアを侮ったな」
戦場から少し離れた丘の上。エルトリア国の第一王女であるエスメラルダは、栗色の毛を持つ愛馬ヒュンケルに跨り、戦の状況を眺めていた。
舞台となる場所は、オスラリア領の南に隣接した、カスティル領の北部。
惜しげもなく豊かな緑を重ねた平野と、光を溶かしこんで美しく流れる川。風光明媚な景色も今はその面影を無くし、無骨な戦場と化していた。
オスラリア領を制圧した、ブリュンヒルデ第一軍の先遣隊。彼等はその勢いを失せぬ内に、カスティル領へ攻めて来た。エルトリア恐れるに足らずと。
「こちらの誘導に、こうも易々と掛るとは……迂闊な」
彼等の印象が間違ったものでない証拠に、名刀が薄紙を切り裂くように、エルトリアの前線は脆くも崩れる。功を上げ、肥る自尊心と油断。結果としての突出。
それがエルトリア側の、単純な策だとも気づかずに。
この戦は帝国としての威信を持つブリュンヒルデ軍の驕り、劣国であるエルトリアに対する侮りが、ある種の象徴として浮き彫りになったものでもあった。
「さて……」
その事実を冷静に捉えながら、エスメラルダは戦場に視線を注ぎ続ける。
戦慣れしたブリュンヒルデ兵を前に、エルトリア兵は果敢に防衛線を死守していた。中には金で雇った傭兵隊の姿も見える。エスメラルダが募った基金は、様々な形で効力を発揮していると言えた。
「問題は、ブリュンヒルデの騎乗突撃。しかし……ふふ、流石はアルベルト」
ブリュンヒルデの馬は体格に優れ、騎兵隊の騎乗突撃は、さながら巨大な岩が押し迫って来るほどの迫力と威力があった。
だがそれを知らぬエルトリア国の騎士団長ではない。騎士団長であるアルベルトは一兵士として、騎兵がどれだけ歩兵にとって脅威に映るかを、よく心得ていた。
――随分と大きく見えるのだな、これなら臆しても仕方ない。
訓練の一環で自ら歩兵となって騎兵と対した際、そのような感想を覚えた。そしてそんな彼だからこそ、騎兵隊の弱点も心得ていた。
オスラリア陥落の報と共に、次の要となる戦場を見極めたアルベルト。彼は早馬を飛ばし、その地一帯に木の柵を張り巡らせるよう命じていた。
それらの柵を盾にし、今、エルトリア歩兵隊はブリュンヒルデ騎兵隊からの攻撃を上手くあしらっている。長槍と長弓で、時に圧倒することも。
エルトリア兵の士気は高い。
「俺たちの生まれ故郷を、お前らの好きにさせるかよぉ!」
対するブリュンヒルデ兵は思わぬ抵抗に合い、その顔から徐々に蹂躙の確信が失われていった。
「くっ、こ、こいつら!? 思った以上にやるぞ!?」
自らの武勇を誇っていた人間が、格下の人間に思わぬ苦戦を強いられる。
その時に働く心理は……粘りつく汗を伴う、焦り。
「どういうことだ!? こんな弱小国相手に、何を手こずっている!」
敵陣内。戦況報告を受けたブリュンヒルデの将の口から、渦巻く煙のような、憤りの声が上がる。一個の猛る獣のように、奥歯を噛みしめ、目を見開いた。
アルベルトが跨る見事な灰色の馬――バルントスがヒュンケルと轡を並べたのは、正にそのような時だった。
「姫様、斥候より報告が上がりました。こちらの思惑通りに進んでいるようです」
「そうか……」
エスメラルダはアルベルトに顔を向けた後、再び視線を戦場に注いだ。
壮年の騎士もそれに倣う。その場からでは聞こえる筈のない、エルトリア兵たちの勇ましい声に耳を傾けるように、二人は口を閉ざした。
「アルベルト」
「はっ! いかがなされました姫様」
やがてエスメラルダが、自国の騎士団長に呼び掛ける。
その落ち着き払った声を聞いた者であれば、どれだけ彼女の心胆が鍛えられたものであるかを、察することが出来たであろう。
「私は……幼い時分より、ことあるごとに式典から逃げ出して、あなた達を困らせてばかりいましたね」
依然として目を戦場に向けたまま、エスメラルダは柔らかい口調で語りかける。
突然のことに、アルベルトは意表を突かれる思いだった。だが次の瞬間には何かを悟ったような面持ちとなり、口角を優しく曲げて微笑む。
「今では良き思い出です。王国騎士の仕事には姫様のおもりまで入っているのかと、当時は頭を掻いたものですが」
険が消え、王国騎士団長という要職から離れた、一人の心優しい壮年の男の顔が現れた。
エスメラルダはその返答に、ふふっと声を漏らして相好を崩す。彼女もまた、自らが甲冑を纏って戦場に立っていることを、一時忘れたようになる。
懐かしくも温かい思い出の数々が、風に誘われた木の葉のように、エスメラルダの中で舞い上がった。その感慨のままに、瞳を閉じる。
それは時間にすれば、ほんの数秒のことであった。しかしエスメラルダの中では様々な決意が、過去が、そして未来が嵐のように湧き立っていた。
――私の名前は、エスメラルダ。エスメラルダ・リ・エルトリア。
当然その中には、僅かな迷いもあった。怯えもあった。
だが次に目を開いたときにはもう……戦いに赴く騎士の顔となっていた。
気迫が波紋のように、エスメラルダを中心として周囲に放たれる。風は一人の演出家として、その気迫と寄り添う。
思わぬ強い風を前に、アルベルトは手を掲げて顔に当たるのを防ごうとした。視界の内には、泰然自若として騎乗するエルメラルダが見える。
風は去り、アルベルトは息を飲む。
肌に戦慄に良く似た心地好いものが走り、その感触に思わず微笑した。
「アルベルト、私はこの防衛戦の勝利のために、今から儀式を執り行います」
「……心得ております」
エスメラルダはそこで戦場からアルベルトへと視線を移した。緋色に輝く瞳の奥の水面。アルベルトはそこに、強い決意が波打っているのを察する。
時宜を見計らった戦場の侍従が、大剣を捧げ持つようにその場にやって来た。エスメラルダは王家の大剣を馬上で手にし、感慨深く刀身を眺める。
「この剣に、血を通わせねばなりません。エルトリアを甦らせなければ」
「姫様……」
アルベルトはその様子を見つめながら、喜びの余り言葉を無くした。
――立派に成長なされた。本当に、御立派に……。
エスメラルダを幼少の頃から知る彼だからこそ、感激もまた一入だった。彼女が生まれた時、若き彼もまた、王都の民と同じように、その誕生を心から祝福した。
また直に謁見の栄誉を授かった際、仰ぎ見る幼きエスメラルダの瞳に、清く尊い意志が宿っていることを悟り、人知れず心を震わせた。
『エスメラルダと申します。よろしく』
脈打ち鼓動する自分の心臓は、民と王族、エスメラルダにこそ捧げるものだ。そう強く直感した。直観は幾多の時間を貫き、今ここに現実となる。
そのエスメラルダが剣を習いたいと言い、長じてからは剣闘会に美麗な諸侯の子弟を装って現れ、彼と伍した時もあった。
天賦の才というものの存在を、アルベルトはエスメラルダに剣を教え、また剣を交わす中でまざまざと知った。
覆せない体格差を、エスメラルダは研ぎ澄まされた剣技で埋めにかかって来る。
皮肉な才能だと苦笑した。なぜ女性に、それも一国の王女にそのような才が与えられているのか。自分を超えた存在に向け、問うた夜もあった。
『ライコフ様の再来。ひょっとして、あなた様なのですか。いや……しかし』
意志を持たぬはずのエルトリアの大地は、エスメラルダの身を借りて、一つの予言を成就させる。
ブリュンヒルデから降服勧告がエルトリアに発せられたと知った際、アルベルトは誰かに囁かれたような気がした。
心臓の強い脈動を感じながら、屋外に飛び出して空を仰ぎ見る。自然は一切を答えず、示さない代わりに、アルベルトに一切のものを与えた。
やがて自らの人生における役割を悟った彼は、目を閉じて恍惚に身を委ねた。エスメラルダと共にあること、それが彼の……。
「アルベルト!」
「はっ!」
エスメラルダは確信の籠った眼差しで、アルベルトを見つめる。
身に余る大剣を横に倒し、両手で掲げ持った。
「私の儀式に、お付き合い願えますか?」
「我が主の御所望とあらば……いかなことでも!」
アルベルトは大剣を恭しく受け取る。新たに侍従から渡された鞘にそれを収めると、備え付けられた紐を固く結び、背中にくくりつけた。
エスメラルダは口元を引き絞り、剣の師である彼を、己が誇りとして見つめる。
時を同じくして、控えていた王国騎馬隊が二人の周りに集結し始めた。
馬の匂いが濃霧のように辺りを満たす。騎馬隊の間を縫って遣って来た別の侍従が、長槍をエスメラルダとアルベルトに手渡した。
彼女はそれを強く握り込みながら馬を反転させ、王国騎馬隊の面々に告げる。口調に厳粛なものを湛えながら、全幅の信頼を置いている彼らに。
「待たせたな、エルトリアの勇者たち。敵は焦って戦力を更に前線に投下した。今こそ敵本陣に奇襲を仕掛ける好機。うかうかと突出してきた敵将の首を掻く。無論、その任を務めるのは……私だ! この日、この場で王族の務めを果たす!」
その大胆不敵な発言に動揺を覚える騎士は、一人としていなかった。皆、エスメラルダが如何なる意図を持って初陣に望むかは、事前に心得ていた。
それと共に、彼女の力量についても嫌という程に知っていた。仮に作戦が失敗したら、エルトリアはそこまでだ。一種清々しい諦めを覚えている者も少なくない。
エスメラルダは勇士たちの顔を満足そうに眺める。馬頭を戦場に向けた。地を這う人の世の苦しみとは無関係に澄み渡っている、青い空を見上げる。
「私が私であるために、自分で自分を肯定させて、私が私であり続ける」
自我に対する衝動が、激しくエスメラルダの心を捕えた。
同じ言葉を何度も呪文のように口ずさむ。すると閉じ込められて憂愁に悩んでいた暗闇が、一瞬にして、輝かしい光明に照らし出されるのを感じた。
「行こう、エスメラルダ。私が私であるために」
視線を再び戦場に注ぎながら、エスメラルダは独り言のよう呟く。
そして――
「エルトリア、参る!」
高らかに宣言し、「いくぞヒュンケル!」と愛馬に呼びかけた。馬は主の猛る心が通じたかのように、一際高い声でいななき、弦から放たれた弓のように駆け出した。
「姫様に続け! 後れを取るな!?」
その後を王国騎馬隊が、重々しい蹄の音となって続く。
エスメラルダを先頭に据えた騎馬隊は、前線で戦っている味方の影に隠れるように、敵軍の死角を突いて進んだ。
平原を大きく回り込み、前方のエルトリア軍との戦いに集中しているブリュンヒルデ軍の先遣隊、その本陣へと向かう。
エスメラルダの胸中は、不安と恐れが一度に過ぎ去った後に訪れる、奇妙な静けさに支配されていた。心臓の鼓動を、かつてない程に強く感じる。
自分が今、ここで生きている。その確かな手ごたえが、そこに……。
一方、木の柵で簡易的に覆われたブリュンヒルデ軍先遣隊の本陣は、不穏な空気に包まれていた。
エルトリア騎馬隊の動きを一早く察した伝令が、「敵襲!」と叫びながら、緊迫した表情で本陣の奥――将の控える場へと駆け込んで来る。
「で、伝令を申しあげま……っ!?」
「ふんっ、敵襲だと?」
しかし伝令の内容は、即座に伝えられることはなかった。
目の前には、血に濡れた一つの物言わぬ形骸。将の気に食わない報告を前線から届けた伝令が、ついに狂気の餌食となったばかりであった。
その光景を目にし、自分の任を忘れたかのように絶句する伝令。
好戦的で残虐さを備えているからこそ、先遣隊の将に選ばれた禿頭の男。彼は典型的な、戦争でしか生きられないような人種だった。だがブリュンヒルデの第一皇子は、男のそんな所を気に入ってもいた。
そのような状況の中、ブリュンヒルデ先遣隊の本陣奥に、微かな馬蹄の連なりが響いた。鮮血を垂らす剣を片手に、眉間に深い皺を刻む禿頭の将。
「おい貴様……、伝令はどうした?」
顔を真っ青にした伝令から、ようやく報告の声が上げる。
「で、伝令! 本陣左後方の茂みから、エルトリア騎馬隊! こ、こちらに突っ込んできます!」
長槍を手にした、数十騎からなるエルトリア騎馬隊。彼らがブリュンヒルデ軍先遣隊の本陣へと、今まさに、強襲を仕掛けんとしていた。
戦力を前線に投下してしまった為、ブリュンヒルデ軍の対応は遅く、薄い。隊後方には直前になって速度を落とした、エスメラルダとアルベルトが続く。
伝令の報告を聞いたブリュンヒルデの将は、怒りに形相を歪ませて叫んだ。
「戦争を知らぬ弱小国が、よくも奇襲などと!」
大柄の男から発せられる、野太い声。兜を装着し、己が誇る武を見せつけんと急ぎ馬の元へ向かう。
「き、危険です! お下がりください」
随伴しながら、縋りつくような声を上げる伝令兵。将の男は制止の声を振り切り、迫力の体躯を持つ漆黒の馬へと跨った。
「馬鹿め、危険がどこにある!? 返り討ちにしてくれるわ!」
時を同じくして、エルトリア騎馬隊が本陣へと突入する。
地を揺るがすような蹄の轟き。馬が波のようにうねり、並ぶ。騎士たちは長槍を馬上から振るって敵兵を威嚇し、後続の二人の為に道を作った。
その中心をエスメラルダが人馬一体となって、稲妻のように駆け抜ける。
本陣の奥深くに辿り着く頃には、彼女は隊から突出していた。そこで黒馬に跨り、長槍を構えた敵将と相対する。
「なんだあの戦装束は? ま、まさか……女だとぉ!?」
ブリュンヒルデの将はエスメラルダの姿を認めると、戦場に似つかわしくない間の抜けた声を上げる。そして迫りくる女武将に――。
「はぁぁぁぁぁぁっ!」
「くっ!? ぬ、ぬおぉぉぉぉ!」
音は世界から失われ、張りつめた緊張感がその場の主となる。
「……かはっ!」
一刹那が刻まれた後、馬上から崩れたのは、他ならぬブリュンヒルデの将だった。疾風迅雷。まさに一瞬の出来事だった。
奇襲。女武将。自軍の将の落馬。余りにも突然の事態に、居合わせたブリュンヒルデ兵は、唖然とする他なかった。
戸惑うように震えた息を吐き、不安が焔のように広がる。悪逆非道を体現した男。畏怖ゆえに軽蔑することも出来なかったあの男が、こうも易々と。
しかし衝撃に兵士達が現実を見失ったのは、僅か数秒。彼等は将が体を痙攣させ、生を主張しているのに気付いた。
固い鋼に守られた命は、エスメラルダが放った一撃では奪うことは出来ない。その為には鋼の隙間に剣を突き立て、鎖帷子を破る必要がある。
「くっ、大将を守れぇ!」
一呼吸を挟んで事態を理解すると、陣営内の兵が動き始めた。同時にエルトリア国騎馬隊が、その場に雪崩れ込んでくる。瞠目し動きが止まるブリュンヒルデ兵。
「アルベルトォォ! 剣をよこせぇぇぇ!」
女の甲高い怒号が、一際高く響き渡る。エスメラルダは誰よりも早く次の行動に移っていた。愛馬を素早く転回させ、敵将の近くへと飛び降りる。
「姫様っ!」
後続のアルベルトが、細工を施した鞘から大剣を抜き放ち、放り投げた。
エスメラルダは腰の短剣を用いて、敵将に直ちに止めをささなかった。彼女の近くに落ちた王家の大剣へと、転がるようにして向かう。
――エルトリアよ……蘇れ!
エルトリア王家の、由緒ある大剣を手にしたエスメラルダ。手に確かな質量を感じながら、十歩と満たない距離で倒れ、動けずにいる敵将へと駆け始める。
「はぁぁぁぁぁぁあ!」
熱き血潮が猛り、知らず咆哮となって現れる。或いは彼女の中で息づく生命が叫ぶことを強く欲し、それで何かに耐えようとしたのかもしれない。
「クッ!? あ、あいつを止めろ!」
戦場は片時も止まらず、舞台劇のように廻り続ける。
騎馬隊の登場に一度は恐れ慄いたものの、自軍の将の元へ駆け寄ろうとするブリュンヒルデ兵たち。大剣を手にした奇妙な戦装束の女は、将の目と鼻の先へと迫っている。
「させるかっ!」
その間に颯爽と割って入り、槍を大きく振るって牽制するエルトリア騎馬隊。苦しいほどの張り詰めた注意を持って、エスメラルダを中心に据えた陣形を取る。
しかし戦場には、物事を常に冷静に処理しようとする、胆の据わった人間が存在するものである。
エスメラルダの周りを守護する騎士団の陣形に、僅かな隙を見つけたブリュンヒルデの弓兵。その場に於いては、この男がそれに該当する。
弓に矢をつがえる。息を吐き続けながら、弦を引き絞る。何度も行ってきたことを、忠実にここでも行うだけ。
弓兵から、焦りも昂りも感じさせない、冷徹な一撃が放たれた。
弦を離れた矢は空気を切り裂き、ブリュンヒルデの将の上に馬乗りとなっている、正体不明の女へ迫る。
大剣を逆手に持ち、その切っ先を敵将の喉元に突き刺さんとしていたエスメラルダ。彼女は矢の接近を直感で悟り、弾かれたように顔を向けた。
視界に黒と銀が混じりあった、不思議な点が見える。それは刻々と存在感を増し、同時に本能的な恐怖に、エスメラルダの緋色の瞳を見開かせる。
だが彼女はその光景を、瞠目して迎えることしか叶わない。
あわやと思えたその時――。
「ぬぁぁぁぁぁあ!」
金属と金属がぶつかり合う、冷たい音が弾ける。
「ア、アルベルト!?」
エスメラルダは驚愕の声と共に見上げた。
王国騎士団長、アルベルト・ル・ヘイネス。自らの剣の師でもあり、彼女に忠誠を誓った騎士でもある、その男の背中を。
直観の囁き。主を狙う弓兵の存在に気づいたアルベルトは、急ぎ馬上から飛び降りていた。そして唸るような掛け声と共に、矢面に現れ――。
腕の装甲で、エスメラルダへと放たれた矢を防いだ。
「うおぉぉぉぉ!」
次いで、手にした長槍を渾身の力を込めて弓兵へと投擲する。
――姫様の死が、貴様であってなるものか! 平和の地! 寝具の上こそが我が主の! 我が主の!
戦場の張りつめた空気の中、槍は弓兵の喉元へと、吸い込まれるよう進む。
「がはっ!」
絶命の声を聞いたアルベルトは、腰に佩いた剣を抜きながら、冷静な口調で王国騎士団の面々に呼びかける。
「この場を何としてでも守り抜け! 我らが、」
それに呼応するように、エルトリアの騎士達が唱和した。
「「「エスメラルダ様のために!!!」」」
じりじりと、体毛が焼かれるような気迫に晒されたブリュンヒルデ兵。その中から動揺の声が上がる。
「エスメラルダ……ま、まさかエルトリアの第一王女の!?」
エルトリア騎馬隊の大将格が、「姫様」と女に呼び掛け、馬上から大剣を放り投げた時から疑問に感じていたことでもあった。
エスメラルダは先程の態勢のまま、勇ましい騎士達の姿を見て微かに口角を上げた。視線は自然と、アルベルトの大きな背中に注がれる。
――アルベルト……。
信頼の情は厚く、それ以上は言葉にならなかった。気付けば愛馬たるヒュンケルも彼女の近くに控えていた。
――みんな、有難う。
込み上げてくる思いに胸が締め付けられたようになり、一瞬だけ目を閉じる甘えを許してもらう。大きく深呼吸をする。自らの弱気を吐き出すように。
過去から未来へと渡された光。連綿と綴られた命。
一人の少女が、今、一つの命を……奪う……。
エスメラルダが決然と目を開き、馬乗りとなって御している敵将に緋色の瞳を向けた。
「女……女なんぞにぃ」
馬上から勢いよく突き落とされたことで頭を強く打ち、意識が朦朧としているはずの敵将。彼は生命力の発露とばかりに、苦悶めいた表情で怨嗟の声を上げる。
エスメラルダはそこで、喘ぐように呼吸をした。
「王女と言えど、ただ飾られている花とは思うな!? 私が、私が……」
逆手に持った大剣を、ガチャリと重々しい音を立てて持ち直す。「はぁ、はぁ」と自らの口から吐き出される熱く、荒い呼吸。
――私に後退りする一歩などない! ただ王族の務めを果たすまで!
それらを死にゆく人の脈を看取るような気持ちで聞きながら、鎖帷子に覆われた敵将の首元に、剣の切っ先を向け――。
「私が、エルトリアだぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
磨かれた刃が鎖を破り、敵将の皮膚を通し、肉と神経を裂き、骨を削る。噴水のように血が舞い上がり、エルトリアの大剣が敵将の灯火を奪った。
長い間手入れもされず、ただ宝物庫で眠っていた剣に再び、命が宿る。
あたかも、消えていた焔が、急に息をして燃え立ったように……。
エルトリア国第一王女、エスメラルダ・リ・エルトリア。
この瞬間から彼女は、『戦姫』と呼ばれるに相応しい存在となった。
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