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Part 3

  Part 3


 朝食の時に、ジョン爺さんに、夕べのことを話してみた。だが、爺さんは、夢でも見たのだろうと取り合ってくれない。ここは日本の離島だ。エジプトの古い神様などがいる理由がない、そうも言った。

 あれは美沙子だったのだろうか? それとも猫神? 美沙子を連れ戻しに来たことを知ってるのか? 一人で帰れとは……美沙子は帰れないのか? それにしても、何故あんな夢を見たのだろうか。それともあれは真実で、美沙子が何かを知らせに来たのだろうか。

 夢というものは、意味が無いようで、実はさまざまな意味が含まれていると言う研究者がいる。かつて精神分析学の権威だったフロイト博士は、何でもかでもセックスの象徴のように話したが、今では必ずしもそうではないとされている。だが、いずれにしても起きている間に経験したことや記憶したことが、眠っている間に脳の中で整理される。そのメカニズムの中で時として記憶や体験の一部が夢として現れるそうだ。そして記憶というものは、本人が記憶している内容以外に、目や耳から入ってきた情報が、無意識のうちに、つまり、潜在的に貯蔵される。だから本人の知らないことが脳の中で整理されていることがあるらしい。それが夢として現れた時には、あたかも知らない事を夢で教えられたような気持ちになる。これが予知夢だとされたり、神からのお告げのように感じられたりするというのだ。昨夜の出来事も、もしかしたら、晋平の頭の中に、美沙子と晋平に関する何かしらの情報が無意識のうちに蓄えられていて、今、重要な情報として顕在化したということだとは考えられないだろうか。でなければ、美沙子の想念がテレパシーのように伝わってきたとしか思えない。

 朝食の汁をすすりながら眉間に皺を寄せて考え込んでいる晋平の顔を見て、ジョン爺さんが言った。

「そうか、彼女のことが心配なんやな。よぉし、そしたら今日はわしが付き合ってやるわ。そのお姫様探しになぁ」

 断る理由がない。いやむしろ大いに助かる。昨日は家が見つからなくて途方に暮れていたのだ。たとえ小さな島であろうが、人間一人を探し出すのは、それほど簡単だとは思えなくなっている晋平だった。


「ジョン治郎さん、この道、ほんとに大丈夫なんですかぁ?」

ジョン治郎が本道を外れて山道に入って行ったので、晋平もその後をついて行ったのだが、どう見てもこれは人が歩くような道ではない。背の高い草が生い茂り、ジョン治郎はで草を振り払いながら奥へと入って行く。

「これが近道やからなぁ、黙ってついていや」

ジョン爺さんがそう言うので黙って後ろを追いかけたが、傾斜がきつくなるに従ってに晋平も心細くなってきたのだ。だが、心配するまもなくすぐに目の前が開けた。

「ここらにも人が住んでおったんやが、今はほとんど廃屋になってしもうた。そやけど、ほら、あれ見てみ。廃屋を利用して、廃屋再生なんとかいうチームがこの島の新しい観光スポットにしよったらしいわ。いろんなこと考えよるわ」

 ジョン爺さんが指さす先には、廃屋ではなく、モダンなデザインに改装された美しい建物があった。ちょっと連中に聞いてくるからと言ってジョン爺さんは向こうに行ってしまった。晋平はここで待っていようかとも思ったが、その辺りをうろついてみることにした。ジョン爺さんが向かったのとは逆の方向にも古い家が点在している。だがそのほとんどはもはや主人を失った廃屋であるらしかった。

 廃屋というものは、往々にして床も庭さえも荒れ果てた状態だ。気味が悪く、居心地もよくない。朽ちた柱や壁と同じように、ソファやテーブル等の調度品も放置されて廃屋の中に同化している。床には布や紙類、時には砕けたグラスなんかが散乱していて、どこか人が生活していた頃の名残を残している分、余計に心を乱すものがある。つまり、それらは死を予感させ、この場所を訪れた人間をも死の世界へ引きずり込もうとしているかのように感じるのだ。その証拠に、恐怖映画などでは、お化けが人を襲う場所はたいてい廃墟とか荒れ果てた場所だ。そこは生ある者が足を踏み入れる場所ではなく、死者が棲む所なのだ。それ故に、生きている者の心を震わせ、足を遠のかせる。

 人が元気に暮らしていた活気に満ちた家も、主人を失った途端に生気を失い、廃屋への道をまっすぐに転がり落ち始める。そしてそれほど時間を待たずして死の香り漂う廃屋へと化す。それがどんなに立派な建物であろうともだ。そんなわけで、人が居なくなった家には家守りが必要だし、手入れが欠かせないのだ。

 一軒一軒、どんな人が住んでいたのだろうと想像の翼を広げながら晋平は廃屋の通りを歩いていた。すると、その奥に一軒、生気を感じさせる家があった。寝小屋と同じく、外から見たらどう見ても廃屋なのに、そこここに猫がうずくまっている。玄関の横に二匹、壊れた垣根の上に三匹、庇の上に1匹。扉が半ば開いて屋内から光が漏れている。

「誰か住んでいるのかな?」

そう思って晋平は、半開きになった扉からこっそり中を覗いてみた。昔の家屋らしい三和土の玄関。上がり框の上にカウンターテーブルが設置されて、どうやら受付になっているらしい。丁度お葬式の時に参列者の芳名をもらう受付みたいな感じだ。

 ははぁ、ここはその廃屋再生プロジェクトの一環になっているのだな。勝手にそう理解した晋平はそぉーっとドアを開けて中に入っていった。ゾクッ。一瞬、背中が寒くなって、エアコンが効きすぎているのではないのか、そう思った。再生プロジェクトの癖に、壁は剥げ落ちているし、天井も今にも崩れ落ちそうだ。再生プロジェクトの建物は半ばアートになっているものだと聞いたが、一体これのどこがアートなんだ? 受付には誰も居ないと思っていたら、暗がりの中にふっと人の顔が浮かんだ。ぎょっとした拍子に後ずさりすると、ギギギと床が嫌な音を出して撓った。

「あら、驚かしてしまったかしら」

青白い顔に猫目少女のような眼差しを持った若い女が低く囁いて言った。

「ここは、廃屋の在りのままの姿をお見せするプロジェクトです。どうそ、奥まで、奥の奥までご覧ください」

女はそう言うと、カウンターの裏にある小部屋に消えた。

「ううっ。行かないでほしいなぁ。なんだかここ、ゾッとしないなぁ」

独り言を言いながら奥へ進んでいく晋平。廃屋のままを見せるっていうのもわかるけれども、やっぱりこういうのって、気味が悪いなぁ。これじゃあ遊園地の化け物屋敷じゃないか。誰でもいいから案内人が居てくれないとチビりそうだよ。ギシギシ。軋む床を踏みしめながら、めくれ上がった壁紙の傍を通り、色が剥げて傷だらけになった木工の食卓が置いてある台所に入った。昔の冷蔵庫がある。角が丸くなったタイプだ。ドアを開けてみたい衝動にかられたが、何が入っているのか想像するだけでも恐ろしくなって止めた。壁際には昭和に流行った立派な木の枠に入ったテレビが据えられていて、その上には桃太郎の五月人形がポーズをとって立っている。食卓には、今から家族の食事が始まるのかと思わせるような、茶碗や汁椀が四人分並べられていた。何かを盛られた気配はなかったので、晋平はいささかほっとした。これでも人が住んでいた時には愉快な団欒があったのだろうな、そう考えて怯える自分自身を鼓舞しながら隣の和室に入った。土足のまま腐った畳の上を歩く感触。これもまたあまり心地のいいものではない。ぐにゃり、ぐにゃりと畳がへこむのが、スニーカーのゴム底の下に感じる。畳の上はやはり素足で歩きたいものだ。この八畳はあろうかと思われる和室は、おそらく客間だったのだろう、床の間があって、法然上人の姿が描かれた水墨画が破れたまま掛けられている。真ん中に鎮座した座卓の上に、茶色く変色した家族写真が無造作に置かれている。隣の部屋でにゃぁと鳴き声がした。なんだ、屋内にまで猫が入り込んでいるのか? 半分閉じられた襖の向こうはいっそう薄暗い六畳くらいの部屋。を燃したような匂いがする。まるで正座をしているかのように数匹の猫が左右に分かれて座っている。これは! 時代劇で殿様に謁見する家老たちが並び座っている場面のようだ。その奥に夕べ浜で見たあのバステトと同じ姿があった。次第に辺りは異質な空気に包まれ、気が付けばあの深夜の暗闇と同じ世界が晋平の周りに広がった。闇の中にぼんやりとパステトの首だけが浮かんでいるように見えた。

「来るなと……言ったはず……」

パステトが唸るような声を発した。

「だ、誰だ?」

「我はこの島の……猫神」

「猫神? ……お前はエジプトの神じゃないのか?」

「我は猫の命を救いたい」

「海に捨てられた猫の命?」

「違う。今ここにある命」

「そ、そんなことを何故俺に言う」

「お前は……敵か?」

「どういうことだ?」

「味方か? 敵か?」

「…………」

「お前は連れ戻しに来た。我の協力者を」

「み、美沙子のことか?」

「我は、人間が憎い。あれほど可愛がっておきながら、邪魔になったら我らを殺す。増えたら殺す。子供を殺す。我は憎い。お前らが……」

「そ、そんなはずない!俺は猫なんか殺さない!」

「でも、連れ戻しに来た」

「あれは……彼女は、大切な人だからだ」

「我らにも大切。あれは昔、我を助けた。命を救ってくれた。我の恩人。此度,我はもう一度救いを乞うた。我らの危機を救うようにと」

「お、お前らが美沙子を呼んだのか? どうやってだか知らないが、彼女はどこだ? どこにいるんだ?」

「帰れ。黙って帰るがいい。それともお前も我らを救うか?」

「嫌だ。訳の分からないことに手は貸せない。それより、美沙子を返せ!」

晋平は暗闇に浮かぶパステトの姿を凝視した。次第に暗闇に目が慣れてきたせいか、パステトの全身が見えるようになっていた。ほっそり小さい身体を回教徒が着るガラビアに似た黒い着衣に身を包み、これもアラブ女性のように布で被った頭部から目だけを覗かせている。猫頭と思ったのは思い込みだった。黒い布の奥に見える瞳。それは、美沙子だった。

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