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人間も動物であるという話

作者: 相浦アキラ
掲載日:2026/09/06

 カエルを瓶の中に入れて蓋をしておくと、最初のうちは逃げ出そうとピョンピョン跳ねるのですが、しばらくしたら諦めてじっと動かなくなってしまい、こっそり蓋を開けてもそれと気づかず衰弱して死んでしまう……という教訓話を聞いたことがあります。蓋が空いているかもしれないのだから、この怠惰なカエルのようにすぐ諦めずに頑張ってジャンプし続けようという事がこの話の含意のようです。


 しかし私にはこのカエルを馬鹿にする気にはなれません。動物というのは途方もない年月の中で命を繋いだ末に存在できているのですから、その行動には何らかの合理性があると考えるのが妥当でしょう。そのカエルにしても虚無への意志からじっとしていたのでは決してなく、生き残って命を繋ぐ為にこそじっとしていたと考えられます。がむしゃらに跳ね続けて無駄にエネルギーを消耗するよりじっと環境の変化を待った方が結果的に生き残れる確率が高いという事もあるでしょう。もし動物に非合理にしか見えない習性や形質があったとしても、それは人間がその形質の優位性を見つけられていないだけに過ぎません。もちろん遺伝子のバグや外的な問題、環境の変化など様々な事を考慮に入れる必要はありますが、動物が残念な生態を持っているように見えても実際には残念でもなんでもないという事です。


 さて人間も動物である以上、ある程度合理的にできていると考えられます。最近は発達障害にしても「狩猟採集においては優位性がある」事が分かってきているようです。ただ人間は知能の高さや高度な社会性から、ほかの動物と比較しても突飛な行動を度々取ります。時には合理性が肉体を超えてくる事すらあるくらいで、「これをしなければ自分が自分で無くなる」といった観念から自己犠牲にまで打って出る事があります。


 例えばキリストは全人類の罪を贖う為に十字架に掛けられたのですが、彼は神の子なのでその気になれば簡単に助かる事もできたでしょう。しかし、そんなことをして神に逆らってしまうと神の子である資格を失ってしまいます。自分が自分で無くなってしまうのです。それが死よりも恐ろしかったのでキリストは宿命的で悲劇的な死を受け入れました。この必然性からキリストの犠牲は多くの共感と感動を呼び、世界的なムーブになったのでしょう。もし神に頼まれてもいないのにキリストがたった一人の悪人の為に唐突に自己犠牲をしていただけだったら、なんだか嘘くさくて共感しにくいかもしれません。ドストエフスキー作品の登場人物にしても、愛しているからこそ辛く当たったり、誠実だからこそ破滅してしまったり、幻覚が見えている内は全く実在を信じないのに見えなくなった途端に実在を信じだしたり……というひねくれっぷりで、どいつもこいつもカオス極まりないような行動を取ります。しかしよくよく注視していくと突飛に見えるキャラクターの行動も「そうしなければ自分が自分で無くなる」といったひたむきな必然性に裏打ちされている事が見えてきます。完全なカオスという訳ではないのです。だからこそ多くの共感を招き時代を超えて残ってきたのでしょう。人間は複雑ではありますが、やっぱりどこかで合理性、必然性、理屈を求めてもいます。


 まあ、こんな色眼鏡な考えは全く冷酷が過ぎるのでそのうち修正するかもしれません。私は人を貶め馬鹿にしているのかもしれません。しかし個人的にはこのように考えるようになってから却って他者も自分も尊重できるようになった気がしています。つまり人間が理解しがたい事をしていても、そこには連綿と受け継がれてきたどこまでも真剣な命を繋ぐ合理性が、あるいは肉体を超えて自己を貫き通す意志が潜んでいるのではないかという事です。そういったまっすぐなひたむきさを誰しもが内在しているという事です。それは時に不格好だったり悍ましかったり滑稽だったりに見える事もあるでしょうが、ともかく一直線でのっぴきならないエネルギーである事には違いありません。だから他者も自分も批判するのは良くても、決して根っこのところを見下したり否定してはいけないのです。「あいつより私の方がマシだ」と自分だけ高い位置に立って神になったつもりで他人を見下していても、結局人は神にはなれないので「なぜ私は神なのに俗人共と同じように苦しまなければならないんだ!」と悩んだり、格好ばかり気にするあまり自分の中に内在する純粋な動物的ひたむきさすらも否定してしまうかもしれません。これは全く悲しい事であります。人を見下さなければ生きていけないというなら仕方がないですが、そういう冷笑仕草は行き過ぎないようにして、変な高みに上らず自分が動物であるという事を知っていく事も大切ではないかと思います。


 といっても人間の行動原理はどうしても理屈では説明づけられない事もあるでしょうし、別に斜に構えて自他の行動にイチイチ根拠を探し出す必要はありません。何も考えず、ただただ自然や人間の美に驚嘆する事を否定するものではありません。肝心なのは自分も他者も生きとし生ける全ての生物が、意志を内在している美しくひたむきな存在だと知る事です。信頼を置くことです。もちろん環境やもろもろの要因で実を結ばない事もあるでしょうが、そのことによって美が損なわれるものではありません。誰もかれも、根っこのところでは真っすぐ生きている事には変わりありません。少なくとも私はそう信じています。

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