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続きそうな短編集【並び立つ”もの”語り】

持たざるもの ー借金魔術士と恐るべき子供たちー

作者: 曽我部穂岐
掲載日:2026/06/29

 ペトラ・イロ・ヨルマは、持たざるものであった。


 まず金がなかった。魔術店の奥に積まれた空瓶の山と、引き出しに詰め込まれた未払いの請求書、それに今まさに底を見せている財布。証拠としては十分だった。


 次に信用がなかった。王都ミクチュアの金融屋はもちろん、裏通りの金貸しに至るまで、ペトラの名は例外なく帳簿の赤字欄に刻まれている。いや、刻まれていた、が正しい。今はもう帳簿にすら載らない。最初から関わらない、というのが共通見解だった。


 最後に、そしてこれが一番厄介なのだが、彼女には反省がなかった。


「……まぁええか」


 濃い緑の髪を無造作にかき上げ、ペトラは瓶の口を傾けた。乱れた髪の隙間から覗く三白眼だけが、不釣り合いなほど鋭く光っている。細い体を椅子にだらしなく預け、足を組み替える。乾いた最後の一滴が、喉を落ちていった。


「終わりかぁ」


 空瓶が机の上で虚しく転がった。


 店はひどい有様だった。壁は煤け、棚は傾き、床には乾ききらない薬品の染みが広がっている。客用の椅子は三脚あるが、まともに使えるのは一つだけ。残りは折れているか、座ったら最後、次に立つ保証がない。


 だが、それでも客は来る。


 今のところは、来ていない。


「……暇やな」


 ペトラは天井を見上げた。


 昔いた、息苦しい場所のことを思い出すことは、ほとんどない。というより、思い出す意味がないと理解している。血筋だの義務だの家名だの、そういう重たいものは、だいたい腹の足しにならない。


 なんやかんやで、今の方が楽だ。


 金はないが。


「まぁ金はある時だけあればええねん」


 自分で言って、自分で頷く。


 直後に腹が鳴った。


「……あかんやん」


 空腹は無視できない。酒で誤魔化せる範囲を超えている。ペトラは店内を見渡した。売れそうなものはない。というか、あったらとっくに換金している。


 そのとき、扉が軋んで開いた。


「いらっしゃい……って」


 覇気のない声が途中で止まる。


「……なんや、カスか」


 入ってきたのは見慣れた顔だった。


 埃っぽい店内に不釣り合いな、白に近い灰のコート。乱れ一つない銀髪と、感情の乗らない目だけが、場違いに整っている。店の煤けた空気が、彼の周りだけ避けているように見えた。


 ゴールディ・ペイジ。


 この世界で今現在、唯一ペトラに金を貸す男であり、間違いなく一番関わってはいけない類の人間でもある。


「誰がカスだ、債務者。客だぞ」


「景気悪そうな客やなぁ」


「債務者の店よりはましだ」


 ゴールディは店内を見渡し、鼻で笑った。


「前より悪化してるぞ」


「細かいこと言わんといてや」


 ペトラは棚から構成安定剤を二本、回復薬を二本、ひびの入った護符を一枚取り出し、乱暴に投げた。


「ほれ、いつものや。早よ、金」


 ひらひらと出された手を、ゴールディはゴミでも見るような目で見下ろした。


「借りた金も返さず、いいご身分だな。代金は利子に充てる」


「あほな! ウチ餓死してまうで。昨日から酒しか飲んでへんのや。赤子の頃におしめ変えたった恩、忘れたんか!」


「酒飲む金はあったんだろ。恩はとっくの昔に利子で相殺してる」


 ペトラは大袈裟にしなだれかかり、次の瞬間、ぱっと表情を変えた。


「せや、ゴル坊。金貸してぇな」


「急に気色悪い声を出すな。仕事ならある」


「金は?」


「飯代は出る」


「聞こか」


「城壁外まで来い」


「嫌や」


「安い肉も付ける」


「行こか」


「変わり身が早いな」


「肉なんて何ヶ月ぶりやろなァ」


 ペトラはゴールディを完全に無視して、引き出しの奥から黒ずんだ金属ケースを引っ張り出した。


 蓋を開けると、暗い赤色の玉が三つ、音もなく転がった。


 ゴールディの眉が動く。


「それで最後か」


「あん? 最後や」


「補充しろ」


「腹減ってんねん。質が落ちる」


 ペトラはケースを腰の袋へ放り込み、最後に空の瓶を一本つかんだ。


「それは何だ」


「武器」


「酒瓶だろ」


「割ったら武器や」


 ゴールディはため息をついた。


「行くぞ」


「飯は?」


「終わってからだ。早く歩け、債務者」


 ペトラは小突かれながら外套を羽織り、夜のミクチュアへ出た。




 城壁外の夜は、街の内側より少し冷たかった。


 内側では魔灯が眠らず、白い石畳が整然と続く。曲がる道さえ、曲がる理由を持っている街だった。外側にあるのは、岩と裂け目と乾いた風だけ。遠くにそびえる円筒の城壁には淡い魔術紋章の光が走り、巨大な影が夜空を切っている。


「ほんま、ろくでもない街やな」


「世界の中心だぞ」


「中心が一番腐りやすいねん」


 現場には治安機構の制服を着た若い男が立っていた。灯具を抱え、二人を見るなり安心したような、逆に不安になったような顔をする。手袋の指先が、何度も胸元の護符を探っていた。


「外部委託の方ですね」


「せや。外部や。できれば内側に戻りたい」


「ええと、鎮術士のゴールディ・ペイジ氏と……」


 担当官の視線がペトラで止まる。


「……本当に、この方が?」


「このお方や」


 ペトラは片手を上げた。


「安くて早くて信用ない。よろしく」


「不安しかありません」


「正直でよろしい」


 ゴールディは地裂溝の方へ目を向けた。


「回収物の扱いは、治安機構が決めるのか」


 担当官は首をかしげた。


「回収物、ですか」


「異常物が出た場合の話だ」


「通常は、治安機構が封印し、必要に応じて連盟へ照会します」


「所有権は」


「所有権……?」


 ペトラが横目でゴールディを見た。


「おい、カス。金の匂い嗅ぐん早ないか」


「確認だ」


「犬か。銀色の犬か」


「お前にだけは言われたくないな、債務者」


 担当官は二人を交互に見たあと、小さく咳払いした。


「それで、調査内容ですが」


「聞いてへん」


「聞いていないんですか」


「飯代が出ることしか聞いてへん」


「……赤子の泣き声です。少なくとも、聞いた者は皆そう言います」


 ペトラの眉が、ぴたりと止まった。


「どこで」


「あちらの地裂溝です。夜になると底から聞こえると。聞いた作業員が、翌日から近づかなくなりまして」


「人が寄らんようになってから調査かいな。仕事が遅いわ」


「怪談扱いでしたので」


「怪談ならもっと嫌や」


 その時だった。


 夜の奥から、細い声が聞こえた。


 おぎゃあ。


 担当官の肩が跳ねる。


 おぎゃあ。おぎゃあ。


 赤子の泣き声に似ていた。似すぎていた。風鳴りと呼ぶには湿っていて、獣の声と呼ぶには人に近い。


 ペトラは黙って耳を澄ませた。


 赤子の泣き声は嫌いだった。


 本物でも、偽物でも。


 ああいう声は、いつも誰かに都合よく使われる。


「泣いとるんちゃうな」


 ゴールディが目を細める。


「何だ」


「数えとる」


「何を」


「自分の数や」


 地裂溝は、すぐ先にあった。


 大地が黒い口を開けたような裂け目だった。灯具を近づけても底までは見えない。縁には古い保守柵があるが、半分ほど倒れている。


 ペトラはしゃがみ、地面を指でこすった。指先についた泥を鼻に近づける。


「馬鹿の仕業やな」


「分かるのか」


「高い薬を、安う捨てた臭いや」


 担当官は青ざめた。


「ここは外壁保守区域です。不法投棄など」


「しとるやつに言えや」


 ペトラは地裂溝を覗き込む。暗がりの奥で、虹色に濁った液体がわずかに光っていた。壊れた処理槽らしき破片も見える。


 ゴールディが担当官へ言った。


「この区域に出入りした工房の記録は」


「確認します」


「後でいい。消される前にな」


「消される……?」


「債務者、続けろ」


「命令すな、カス」


 ペトラは腰の袋から、暗赤色の玉を一つ取り出した。


「使うのか」


「一個だけや。あとで請求する」


「債務者のだろ」


「ウチのもんは高いねん」


 ペトラは赤い玉を指で弾いた。


 玉は地面に落ちる前に砕けた。乾いた結晶のはずなのに、欠片は赤い液体となって空中に散り、細い線になって岩肌を這い始める。


 担当官が息を呑んだ。


「血……?」


「見るだけにしとき。触ると機嫌悪なるで」


 血は、魔力の流れだけを選んで這った。


 赤い線は地裂溝の縁をなぞり、途中で止まった。赤い線に触れられた岩肌が、傷跡のように光る。ペトラはそれを円にしなかった。欠けた線の一画だけを血でなぞる。


 すると、死んだはずの古い魔法陣が、嫌々ながら目を開けた。


「何だ」


「保存陣やな。死にかけやけど」


「何を保存していた」


「知りたくないわ」


「知る必要があるだろ」


「ほな、カスが覗け」


「断る」


「ほらな」


 底の闇で、何かが動いた。


 おぎゃあ。


 今度は近い。


 闇の中から、白いものがふわりと浮かび上がってきた。


 短い円柱だった。


 胴体の前に、赤子の顔がついている。手足は短く、飾りのようにぴこぴこと動いていた。地面を歩かず、夜風に逆らうように浮いている。蝋細工めいた白い皮膚の下に、赤い筋が薄く透けて見えた。


 目だけは赤子のように潤んでいた。


 口の中だけが、獣よりも正直だった。


 にたり、と笑う。


 針のような鋭い歯がびっしり並んでいた。


「な、なんですか、あれ」


「古いやつや」


「古い、とは」


「赤子の顔しとる兵器なんぞ、まともな時代のもんちゃう」


 白い胚が、音もなく歯を鳴らした。


 かちかちかち。


 その音が地裂溝の壁に反響し、泣き声のように歪む。


 担当官の手が胸元の護符へ走る。


「撃つな。術で刺激したら」


 護符が光った。


 ペトラの舌打ちより早く、小さな炎が飛ぶ。白い胚に当たり、胴体を焼いた。


 赤子の顔がぐしゃりと歪み、落ちる。


 次の瞬間、焼けた肉片が二つに分かれて浮かび上がった。


 赤子の顔が二つ。


 どちらも笑っている。


 担当官の顔から血の気が引いた。


「……増えた」


「せやから言うたやろが! あんたの耳、地裂溝に捨ててきたんか!」


「す、すみません、反射で」


「反射で古代の厄ネタ増やすな!」


 二体の赤子もどきが歯を鳴らす。


 かちかちかち。かちかちかち。


 顔は違う。焼け跡も違う。だが、歯の鳴る間隔だけが完全に同じだった。


 底に溜まった廃棄物から魔素が吸い上げられ、白い皮膚の赤い筋が濃くなる。二体が四体に分かれた。四体が八体に。


 増えた顔のどれもが、初めからそこにいたように同じ笑みを浮かべていた。


 ゴールディはまだ動かない。


「見とるだけか、依頼受けたんカスやろ」


「処理するのは債務者だ」


「最低限の下請け以下やな」


 八体の赤子もどきが空中に並ぶ。ただ浮いているのではない。輪を作っている。


 ペトラの顔から、だらしない笑みが消えた。


「まずい。数で陣を組む」


「魔法陣か」


「生き物の顔した魔法陣や。趣味悪いにも程がある」


 歯鳴りが重なる。


 かちかちかちかちかちかちかち。


 それはもう泣き声ではなく、詠唱だった。白い胚の群れが円環を作り、互いの赤い筋を共鳴させる。地裂溝の壁に残る保存陣が、赤黒く明滅した。


 地裂溝の底から、見えない糸が城壁へ引かれたようだった。


 遠く、ミクチュアの城壁に走る光が一瞬だけ乱れる。


「外壁の防護陣が……」


 担当官が震える。


「見たら分かるわ!」


 ペトラは二つ目の赤い玉を砕いた。


 血が線になる。地面を走り、地裂溝の縁から底へ、底から壁面へ、壁面から空中の円環へ伸びる。


 赤い線は円環に触れた瞬間、油の上の水みたいに弾かれた。


「ちっ」


「無理か」


「血がない」


「生物だろう」


「血の代わりに魔素が回っとる。似とるけど滑る」


 空中の輪が、さらに大きくなった。赤子たちの歯鳴りが、城壁の光を揺らす。


 ペトラは最後の赤い玉を取り出した。


「手伝えや、カス」


 ゴールディの眉が動く。


「債務者一人で足りるだろ」


「足りる。けど、カスの手ぇ借りた方が早い」


「つまり、足りていない」


「帳簿に屁理屈載せるな、カス。下を押さえろ」


 ゴールディは舌打ちし、白い手袋を外した。


「追加料金だ」


「赤子に請求し」


「払わんだろうな」


 彼の指先が地面に触れた。


 石が石であることを思い出したように、沈黙した。


 地裂溝の縁を走る細かな亀裂が、ぴたりと止まる。岩が重く沈み、風に揺れていた砂粒まで、その場に縫いつけられたように静止した。乾いた草の先端さえ、音を失う。


 鎮術。ものの流れを沈め、重さで動きを殺す魔術。


 空中の赤子たちが作る輪が、わずかに下がる。歯鳴りの間隔が乱れた。


「長くは持たん」


「それでええ。持たせたらカスやない」


「褒めているのか」


「罵っとる」


 ペトラは最後の玉を口に放り込み、噛み砕いた。


 赤い結晶が歯の間で割れ、唇から血が垂れる。さらに、自分の指先を噛み切った。流れた血は地面に落ちず、細い糸となって空中に伸びる。


 担当官が目を見開いた。


「あなた……ヴァンパイア……」


「せやで。今なら握手はやめとき。血ぃ足りんから噛むかもしれん」


 ペトラの目が赤紫に光った。


 夜気が冷える。


 彼女の血が、一本の線になる。細く、赤く、頼りない。それが赤子たちの作る円環へ紛れ込もうとする。


「赤子を起こす陣なんぞ、昔からろくなもんやない」


「昔?」


「百年以上生きとったら、大抵の嫌な音は二回聞く」


 血の線が円環へ触れた。


 今度は弾かれなかった。


 赤子もどきの顔が、一斉にペトラを見た。


 泣いているようにも、笑っているようにも見える。針のような歯が開き、全員が同じ呼吸で息を吸った。


 ペトラの血の線が、ぐい、と引かれる。


「っ」


 細い腕の血管が浮いた。唇から血の色が消える。


 円環が、ペトラの血を食い始めていた。


「おい、債務者」


「分かっとるわ!」


 赤子たちの体が膨らむ。白い皮膚の内側で、ペトラの血が細い根のように広がっていく。


 八体が十六体になりかけた。


 地裂溝の底で、眠っていたものが、さらに身じろぎする。


 ゴールディの指先に罅が走った。皮膚ではない。彼が押さえ込んでいる地面の方だった。重さを与えられた岩が、その重さに耐えきれず、低く軋む。


「早くしろ。底が抜ける」


「急かすなや。食われながら針に糸通しとんねんぞ」


「失敗したら肉はなしだ」


「今それ言うか、カス!」


 ペトラは笑った。


 ひどく薄い、血の気のない笑みだった。


「起動、分裂、摂食……うるさいなぁ。赤子のくせに注文多いわ」


 赤子もどきがさらに血を吸う。


 ペトラの膝が折れかけた。


 その瞬間、ゴールディが地面を叩いた。


 鎮術が一段深く沈む。


 石が沈み、風が沈み、歯鳴りさえ一拍だけ重くなった。


 ほんの一拍。


 だが十分だった。


 ペトラは自分の血を、食わせたまま裏返した。


 赤い線が円環の内側でほどける。血ではなく、血の形をした枷になった。赤子たちの体内を走る魔素の流れに絡み、分裂の命令だけを掴んで潰す。


「寝ろ、クソガキども」


 ペトラの三白眼が、赤紫に燃えた。


「百年早いわ」


 赤い線が円環を貫く。


 増えようとしていた輪が、ほどける。


 食らおうとしていた赤い筋が、閉じる。


 起きかけていたものが、眠りへ落ちる。


 歯鳴りが崩れた。かち、かちか、か、という壊れた音に変わる。赤子たちの顔から笑みが消え、まぶたが閉じる。


 一体、二体、三体。


 乾いた種のように、白い胚が地面へ落ちていく。


 地裂溝の光が消えた。


 城壁の防護陣も、何事もなかったように静まる。


 ペトラはしばらく立っていたが、やがてふらりと揺れた。


 ゴールディが腕を掴む。


「ペトラ」


「……名前呼ぶなや、ゴル坊。調子狂う」


 ゴールディは答えず、腕を離さなかった。


「借金返してから死ね」


「ほんま金のことしか言わんやつやな」


「肉は?」


「報酬次第だ」


「今の見て肉出んかったら王都滅べ」


 担当官は眠った白い胚の群れと、地裂溝と、ペトラを順番に見た。


「あの……これは、報告書にはどう書けば」


「夜間異音。処理済み」


 ゴールディが即答した。


「古代生物兵器らしきものが」


「らしき、で止めろ。報告書が死ぬ」


「王都の外壁も一瞬揺れましたよね」


「軽微や」


「軽微……」


 担当官が地裂溝の底へ視線を落とす。壊れた処理槽の破片と、眠った胚珠を見分けようとしているらしい。


 ペトラは地面に座り込んだまま、低く言った。


「なぁ、カス。わざわざこの怪談話、なんで受けたん」


「飯代が出るからだろう」


「ウチの飯代で動くほど安ないやろ、カスは」


 ゴールディは答えなかった。


 ペトラは、乾いた白い胚珠のように転がるものへ目を向ける。


「最初から、回収物の所有権なんぞ気にしとったな」


「確認だと言った」


「知っとったやろ。起きとるとは思わんでも、未覚醒の胚珠くらいは残っとるかもしれん。そう踏んだんやろ」


「仮定の話だ」


「欲しがる連中には、ええ値がつきそうやもんな」


 ゴールディの銀色の目が、ほんの少しだけ細くなった。


 それが答えだった。


「やめとき、ゴル坊。連盟もアホちゃうで。古い兵器の胚珠なんぞ、下手に動かしたら臭いが残る。金で帳簿は消せても、魔素の足跡は消えへん」


「忠告か」


「ちゃう。カスが危ない橋から落ちたら、ウチの飯代の出所が減る」


「貸しているのは俺だ」


「細かいこと言うなや、カス」


 ゴールディは小さく息を吐いた。


「今回は、見送る」


「今回は、な」


「しつこいぞ、債務者」


「最低やな、カス」


「褒め言葉として受け取る」


「受け取るな」


 ペトラは座ったまま、担当官へ片手を上げた。


「あと不法投棄。上の工房や。底の処理槽拾っとき」


「あなたは」


「嫌や。服汚れる」


「今さらか」




 夜明け前、二人はミクチュアへ戻った。


 街は相変わらず完璧だった。白い街路も、整った建物も、遠くの魔灯も、何ひとつ乱れていない。誰も、城壁の外で赤子の顔をした何かが増えかけたことなど知らない。


 店に戻るなり、ペトラは椅子に倒れ込んだ。


「飯」


「精算だ」


 ゴールディは帳簿を開く。


「差し引きで、借金は増えた」


「なんでやねん、引いて増えたらおかしいやろ!」


「血玉を作り直すための食費と薬代だ」


「ウチの飯代やろ!」


「必要経費だ」


「食事に利息つけるな、カス!」


 その頭の横に、硬貨が数枚置かれる。


 ペトラが片目だけ上げた。


「なんや」


「飯代だ」


「帳簿は?」


「つける。借りるんだろ?」


「つけるなや!」


「冗談だ。食って寝ろ。次の血玉が作れん」


「結局、血目当てやんけ」


「資産管理だ」


「気色悪い言い方すな、カス」


 ペトラは硬貨を掴み、のろのろと立ち上がった。


「肉食う」


「安い店にしろ」


「肉は肉や」


 扉を開けると、朝の光が店の埃を照らした。


 ペトラ・イロ・ヨルマは金を持たない。信用を持たない。反省も持たない。


 けれど、その朝だけは、飯代を持っていた。


 十分だった。


 今のところは。



お読みいただきありがとうございました。

創作の励みになりますので、感想・評価をお願いします。


今回は、金も信用も反省もない魔術士ペトラと、金勘定で人情を処理しようとする魔術士ゴールディの短編でした。


舞台は完璧すぎる王都ミクチュア。

その外側で聞こえる赤子の泣き声、という怪談めいた入口から、酒臭い借金女が血で魔法陣を縫う話になりました。


ペトラはかなりろくでもない人物ですが、ろくでもないなりに現場では頼れる女です。

ゴールディもだいぶカスですが、カスなりに仕事はします。たぶん。


この二人はまた、別の怪しい下請け仕事や、帳簿に載せてはいけない厄介事に巻き込まれる気がします。


少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


お気に召した方は、他の短編『続きそうな短編集』もぜひ、ご一読ください。

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