命を盾にして要求を呑ませた先に、何故幸福が約束されていると思えるのだろうか?
弱みを握るとは逆鱗に触れると言う事でもあるのだと、何故分からないのだろうか。
(そんなっ…!!)
勝ち誇った様な笑みでこちらを見下す老年の男とその娘。
彼らは、私を、私の家族を陥れた仇敵だ。
ランドール王国。
真実の神・トゥルーを主神とするこの国は、規律正しい法国家だ。
現国王であるシドニー国王は善政を敷く良き王として民にも貴族にも高い支持を受けている。
そんな王を支えるのが三つある公爵家。
アネッサ公爵家は王の知を
ブラウン公爵家は王の動を
チュリネ公爵家は王の財を
それぞれ支え、偉大なる王と三人の忠臣が中心として成り立っているこの国家は五年前まではとても平和だった。
五年前、シドニー王が病に倒れたのだ。
国中の医者を呼び寄せたが、病の進行を抑えるのが精一杯という状況に王は我が子に王位を譲る決断を下した。
それが、波乱の幕開けだった。
第一王子であるブライトを推す第一王子派と第二王子であるリーゼルを推す第二王子派で国が割れてしまったのだ。
その理由は、戦争。
穏健派が中心の第一王子と違って、第二王子派は戦争がしたい過激派達だ。
戦争を行う事で領土を広げ、民に更なる幸福をというのが言い分だが、実際は戦争をすることで自分達が富を得たいだけなのだ。
どれだけ血が流れようとも、人が死のうとも、我が身が良ければいいという外道を第一王子であるブライトは許さなかった。
そして、それは我がアネッサ公爵家もまた同じだった。
愛しい民をくだらない欲の為に犠牲するなど言語道断だとお父様は宣言された。
そのお姿はとても凛々しく、こんな素晴らしい人が私の父なのだと誇らしかった。
しかし、そんなお父様を目の前の二人が踏みにじった。
チュリネ公爵家が持つ財を使い、呪術師を雇い、アネッサ公爵家の領民を殺し、その骸で我が家を呪った。
しかも、その罪をお父様に被せて。
悔しかった、今も呪いに苦しむお父様の無念を思えば握った拳から血が流れ、ここまで私利私欲に濡れることができるこの二人の悍ましさに吐き気すらする。
でも、一番許せないのは何もできない私だ。
ブライト様が誕生日に贈ってくださったネックレスに付与されていた加護のお陰で、私だけは呪いから逃れることができたけれど、私一人では領民の無念もお父様の無念も何も晴らすことができない。
証拠を集めようにも狡猾なチュリネ公爵家は揉み消しは勿論、証拠があっても手に入れることができないように先回りされてしまっていた。
悔しくて悔しくて、不甲斐なくて、嗚咽を殺して泣くしかできなかった私をブライト様が救ってくださった。
地に落ちたアネッサ公爵家の名誉を回復させただけでなく、解呪を得意とする聖者様を隣国から手配して下さった。
「ブライト様…身に余るお慈悲、どのように報いればいいのか皆目見当もつきません。」
「慈悲などと、そんな他人行儀なことを言ってくれるな。君は私の婚約者であり最愛の人なのだから…それに、これは私の独り善がりだ。」
「そんな!独り善がりなどではありません!ブライト様が動いて下さらなければ、私は今頃…ここには居りません。」
「いいや、シンシア。君は失意の底に居てもなお折れる事も、腐る事もなかった。私が手を貸さずとも、君ならば己の力でアネッサ公爵家の名誉を回復させることができたことだろう。けれど、私が耐えられなかった。私の最愛が謂れのない罪を被り、失意の底に居るだなんて。」
「ブライト様…」
「アネッサ公爵家は元々評判のいい名家だったお陰でそれほど苦労することなく名誉は回復できたが。アネッサ公爵も時間はかかるが必ず助ける。だから、どうか笑っておくれ。」
そういって優しく微笑んでくださったブライト様の御顔を、私は一生忘れることはないだろう。
元々、チュリネ公爵家は過激派の筆頭として知られており、建国当初はいざ知らず近年はきな臭い噂ばかりが目立つ家だった。
けれど、回る頭はあるようで証拠らしい証拠は出ず、排除したくともできない状況が続いていたがお父様が、アネッサ公爵が回復されれば、チュリネ公爵家に強烈な一撃を与える事が出来る。
それは、アネッサ公爵家当主のみが使える”裁定の一筆”という魔法。
この魔法は主神・トゥルーによる審判を行うもので、この魔法で宣告された事実は例え王命であっても覆すことができない。
本来なら複雑な手続きを踏まなければ行使することができない魔法なのだが、その複雑な手続きを正式にブライト王子が手配してくれた。
これでお父様が目覚めればチュリネ公爵家はお終い、と言う所まで来ることができたのに。
「ここまで堕ちたか、チュリネ公爵。」
「心外ですな。全てはこの国を思えばこそ、悪を許さぬ主神の名のもとに行動を起こしているだけです。」
「それが、アネッサ公爵と国王の命を奪う事だと?」
「はて、何の事やら。」
とぼける老年の男性・チュリネ公爵にブライト王子の眼光が鋭く光る。
もう少しでお父様の解呪が終わる、その報せを受けると同時にチュリネ公爵とその娘・リアンシーが乗り込んできたのだ。
下品に歪んだ口元には焦りはなく、自分の勝利を確信していて嫌な予感がした。
外れてくれと願った予感は、最悪の形で当たってしまった。
「ただ、我が娘リアンシーが聖杖に適合したとご報告しただけではありませんか。聖杖を使えば敬愛する王をお助けすることも、罪深きアネッサ公爵を解放することも出来ましょう。だろ?リアンシー。」
「はい、お父様!でも、私一人では魔力が足りないのです…ブライト様がお助け下されば全ての者をきっと救って見せますわ!!」
芝居がかった口調で問いかけるチュリネ公爵にリアンシーは恍惚とした表情をブライトに向ける。
第二王子派筆頭であるチュリネ公爵家だが、リアンシーは昔から第一王子であるブライトに恋をしていたのだ。
だが、ブライトはリアンシーの醜悪な本性を見抜いており、アネッサ公爵家を陥れた時点で手酷く拒絶していた。
それなのにリアンシーは諦めるどころか、狂気すら感じる執着を見せてきた。
(異常だわ…)
「この様な娘を持てて私も鼻が高い。ぜひとも殿下の婚約者としてその力を振るわせていただきたいのです。」
「お優しいブライト様なら、お助け下さいますよね?」
上目遣いで下品に媚びるリアンシーをゴミを見る目で汚らわしそうにするブライトなのに、リアンシーは気づいていないのかそれともそれすら分からない馬鹿なのか、見つめられていると歓喜している。
しかも、チュリネ公爵はそんな様子をこれまた楽しそうに眺めているのだ。
(絶大な聖魔法を行使できる聖杖は、強力であるが故に周りの聖魔法を阻害してしまう。その範囲は一国が優に納まる程だと言われていたはず…もし本当に聖杖が起動しているとなれば、隣国から来てくださった聖者様の解呪は止められてしまっている…)
もう少し、もう少しで一矢報いることが出来たのに…またも無力な自分が不甲斐なくて涙すら出ない。
俯く私を、ブライト様が優しく抱擁して下さる。
「!ブライト様っ!」
「シンシア……良く聞いて、──────────」
「…ぇ?」
「っ!ブライト様!!そのような醜女に触れないでください!!汚らわしすぎて魔力が乱れてしまいますわ!!」
「おお、可哀想なリアンシー。今も強大な聖魔法を維持しているのだな。殿下、そのようなゴミに触れては王が悲しみますぞ。」
「……話は分かった、そちらの要求を呑もう。だが、既に民にはこれまでの経緯を話してしまっている。そこにいくら聖杖が目覚めたと言っても不要な混乱は国を弱め諸外国からの侵攻を受けやすい。チュリネ公爵令嬢を婚約者として発表するのは七日後とする。」
「おお!流石の英断ですな!リアンシーよ、お前は今から王太子妃だ。」
「嬉しいですわ!!では初仕事としてその目障りな女の処分から行いますわ。」
「っ!」
「待て、王太子妃にそんな権限はない。それに、勝手なことをして発表をさらに遅れさせる気か?」
「お言葉ですが、その女がいる限り私は安心して魔力を維持する自信がございません。ふとした拍子に乱でもしたらと不安でなりませんの。」
「そうか。ならば発表まで彼女は貴族牢へ収監することとする。リームベルト。」
「はっ!…申し訳ございませんがご同行願います。」
「ええ…」
ブライト様の筆頭騎士であるリームベルト様が優しく私を促す。
きっと、この様子をチュリネ公爵とリアンシーが下品な笑みを浮かべながら見送っているのだろう。
悔しくて悔しくて俯きそうな顔を意地だけで抑え込む。
無力で不甲斐ない私にはもう、出来ることは一つだけだから。
*
チュリネ公爵との取引の後、二人は一先ず王城に待機となった。
理由は、王妃との謁見の為だ。
シドニー王が臥せっている現状で王族との婚約を結ぶには王妃の許可がいるのだが、公務を代行している王妃は現在王城を離れており、戻るのは明日。
今からチュリネ公爵領に戻るよりも、王城で一夜を明かした方が負担が少ないだろうというブライトの気遣いに二人は喜んで頷いたのだ。
──それが、愚かとも知らずに。
「ああ、ブライト様ぁ…貴方と床を共に出来るなんて夢のようですわ…」
湯浴みを済ませ、下品なネグリジェに身を包んだリアンシーが猫なで声を上げながら恍惚の表情でブライトを見つめている。
(ああ、気持ち悪い。)
その声も、服も、髪も、瞳も、何もかも、リアンシー・チュリネという存在そのものが気持ち悪くて仕方がない。
本当ならすぐにでも切り捨てて焼き払ってしまいたいが、ぐっと我慢する。
こんなものの為に、愛しいシンシアといる時間を一秒でも損ないたくない。
「…静寂よ、満ちよ。」
「まぁ!防音魔術だなんて、ブライト様ったら大胆♡」
音が外部に漏れないように防音魔術を念入りに貼る。
一重、二重、三重…万が一にも音を漏らすわけにはいかない。
後は、遮断魔術か。
大丈夫だろうが、外から見られでもしたらまた厄介だからな。
「うん、これでいい。」
「ふふっ、嬉しいですわ。さぁ、ブライト様、存分に私を…「これで、始末できる。」…え?」
準備が整うや否や、気持ち悪くて仕方がなかった女の両腕を斬り裂いた。
「ぎゃああぁぁあああぁああぁああぁぁ?!!!?」
「煩いな、しかも汚い。」
「ぁあぁああう、腕、うでが…わ、わたくしのうでっぇえっぇぇええ…」
二の腕から綺麗に落とされた両腕からは夥しい鮮血が流れ、先程まで恍惚の表情を浮かべていた顔は涙や涎で酷く汚れている。
余りの醜悪さに吐き気がするが、あの気持ち悪い両腕がなくなったことはとても喜ばしい。
「ど、どうじで…なんで、こんあ……」
「分からないのか?馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが予想以上の馬鹿だな。まぁ、あれだけハッキリ言ってやったのに王とアネッサ公爵の命を盾にしての強行に出た時点で分かっていた事か。」
「なっ…!?」
「そもそも俺がお前を尊重する理由などないが嫌悪する理由は山ほどある。そして、我が最愛に手を出した時点でそれは殺意となった。」
「ひっ…!!」
抜き身の剣を持ち、ゆっくりと迫るブライトにリアンシーの表情は恐怖に染まる。
ベッドから転げ落ち、何とか逃げようとするが走るどころか立つことすらできず無様に地を這う。
「チュリネ公爵も馬鹿な男だ。あれだけ拒絶し、卑怯な手を使われた側が何故何もしないだなんて思えるのだろうな。万が一にも婚姻に漕ぎつけたとしても、あるのは冷遇が虐待だろうに。」
「ぁ…い、いや……」
「ああ、脳が花畑だからそう思えるのか。お前の頭の中では俺はお前に傅き愛の言葉でも捧げたのか?虫唾が走る。」
「ぎゃああぁああぁ?!!?」
ズリズリと這う右足を斬り裂く。
ああ、汚い。
「もし、このままお前達の企てが成就した場合の未来を教えてやろう。お前は国王に嫌悪され、軽蔑され、拒絶され、醜悪の権化として晒し物にされながら離宮に軟禁されるだろう。そして、チュリネ公爵は毒杯を賜る事になる。」
「ぎゃあぁあああ゛!!!?」
残った左足を斬り裂く。
ああ、醜い。
「罪状はアネッサ公爵の殺害及びアネッサ公爵領民の虐殺。」
「ぞ、ぞん゛な゛ごど、で…ぎな゛…」
「知らないのか?アネッサ公爵家当主の魔法は継承される、現アネッサ公爵家当主が亡くなればその魔法は自動的にシンシアに受け継がれるんだ。」
「!?!?!?!」
「お、これは理解できたのか。少しは脳も機能しているんだな。」
感心したように呟くが、その瞳は酷く濁っている。
目の前のこの男は、一体誰なのだろうか。
艶めく金の髪に、穏やかな藍色の瞳。
その表情はいつも優しげだがどこか退屈そうで、幼い頃からただ一途に想い続けた愛しい人と同じ姿をした全く知らない男が目の前にいた。
違う、ブライト様じゃない。
あの方はこんなことしない。
こんな、こんな残虐に相手を嬲るようなことなんて…
「ならば最後に脳に刻み付けて逝け。俺は現アネッサ公爵を気に入っているし、シンシアの悲しむ顔をもう見たくない。以上だ、さっさと消えろクズ。」
「ぎゃっ!!!」
絶望に染まったリアンシーの頭を、ブライトは無慈悲に貫く。
ゴロンと糸が切れた人形のように横たわるリアンシーを、汚らわしいものを見る目で見ながら返り血で汚れた上着を忌々しそうに脱ぎ捨てる。
「おーおー、見事に仕留めたみてぇだがお前にしては随分お行儀よくやったな。」
「これ以上、醜悪な血に触れたくなかったからな。そっちは?」
「予定通り呪詛返しに偽装して皆殺し。」
「そうか。」
防音と遮蔽が施された部屋に音も無く侵入した男は、横たわるリアンシーには目もくれず室内に備え付けられた戸棚からコップとワインを出すと飲みだす。
まるで、最初からリアンシーなどいないかのように。
「アレは?」
「言われた通り首だけ残してあるよ、何に使うのあんなの。」
「隣国に渡す約束になってるんだ。」
「ああ、聖者への報酬ね。向こうとしてはこの機に乗じて国力を削いでやろうって魂胆だったんだろうけど、体よく廃棄物を押し付けられただけなんてね。」
「それでも両国の和平につながるんだ、アレも本望だろうよ。」
「ククッ、流石極悪兄上様。」
「極悪は余計だ性悪愚弟。」
軽口を言いながら差し出されたワインを一気に煽る。
勝利の美酒としてはお粗末すぎるが、掃除を終えた後の一杯としてなら及第点だろう。
それにこれからまだ仕事はあるのだから。
呪詛返しに見せかけてあるとはいえ腐っても公爵家が一つ潰れたのだ、後釜は既に用意してあると言えど貴族の混乱は大きいだろう。
それに、それほどまでの解呪を隣国の聖者が行ったとなれば無用な波風が立ちかねない。
「…届けたか。」
「バッチリ。」
「…」
「いいじゃねぇか、ここん所俺かなり頑張ったんだからご褒美くれたってさ。」
「俺だって頑張っていた。」
「俺よりシンシアと一緒に居られたじゃねぇか。」
「居られたがあれでは生殺しと同義だ。」
愛しい我が最愛が隣に居るのに、有象無象が引き起こした厄介事のせいで触れるどころか愛らしい笑みすら殆ど見ることができなかったのだ。
お陰で、シンシアを依存させることは出来たが何が悲しくて愛しい人を悲しませなくてはならないんだと、何度老害共の首を撥ねてやろうとしたことが。
だが、それも今日で終わる。
愚弟・リーゼルに届けさせたのは”聖女の涙”と呼ばれる魔道具。
遥か昔に失われたと言われた魔道具は、聖杖の影響を受けない唯一の魔道具だ。
それを使えば隣国に過度な手柄を立てさせることなく、騒ぎ立てるであろう貴族を黙らせる建前ができる。
貴族が黙れば後は、あとは簡単。
第一王子であるブライトが王位を継承し、第二王子であるリーゼルが旧チュリネ公爵を引き継ぐ形で新たな公爵家を興す手筈となっている。
「まぁ、兄上の本懐が遂げられるのは全てが終わった後なんだし、そこは仕方ねぇんじゃねぇの。」
「あと六日か…長いな…」
「いやこれ以上急かすなよ?」
「…」
「おい!!」
「分かっている、有能な者を使い捨てにはしたくない。」
「分かればいいんだよ。ったく、公爵邸の改装は済ましとくからさっさとシンシア堕として来いよな。」
「誰にものを言ってる。」
「極悪兄上。」
べぇーっと舌を出しながら部屋を後にする弟を見送りながら、ワインに口を付ける。
今頃、シンシアは懸命に祈っているのだろう。
無力な自分を責め、それでもなお己の言葉を支えに健気に進もうとするその姿のなんと愛おしい事か。
(ああ、シンシアに会いたい。)
傷ついたその身を抱きしめ、安堵させてやりたい。
何も怖い物はないのだと、君は無力なんかではないと、宥め、励まし、甘やかしたい。
そして、あの愛らしい微笑みを自分に向けてほしい。
(あの愛くるしい笑みを快楽に染め上げた君は、どれほど魅惑的なのだろうね。)
己が最愛を想いながら無意識に放たれた炎は、骸を静かに焼き誰にも気づかれることなく存在を消した。
*
その後、ブライトの目論見通り聖女の涙を付けたシンシアの祈りによってアネッサ公爵家は呪いを跳ね除け、その代償である呪詛返しによるチュリネ公爵家滅亡が確認された。
三大公爵家の一柱が消えたことに貴族達は混乱するが、第二王子が後釜となる事で混乱は収束した。
「リーゼル様。」
「やぁ、シンシア。公爵の容態は?」
「もうすっかり良くなりました。リーゼル様が届けてくださったこの魔道具が無ければ今頃どうなっていたか…本当にありがとうございます。」
「君の助けになれたのなら嬉しいな。」
「本当に、感謝していますわ…大切な人が苦しんでいるのに、私は何もできなくて…でも、最後にようやくほんの少しだけでも役に立てた気がします。」
「君は自分を過小評価しすぎだよ。」
「そう、でしょうか…?」
「うん。まぁ、そこがシンシアの可愛らしい所なんだろうけどね。」
腑に落ちないと言わんばかりの表情を浮かべるシンシアの頭を、リーゼルは優しく撫でる。
今回の一件は、自己の利益に溺れた過激派の暴走と言う事になっている。
まぁ、それもあながち間違いではないのだが、正しくもない。
「この後、母上に呼ばれているんでしょ?」
「はい。け、結婚式の、段取りについてお話があるそうで…」
「母上、シンシアが娘になる事を楽しみにしてたからなぁ。これは盛大なものになりそうだけど、シンシアを妻として囲いたがってる兄上と衝突しそうだね。」
リーゼルの言葉に顔を赤くして慌てるシンシアに、メイドが時間を告げる。
王妃を待たせてはならんと、小さく断りを入れその場を後にするシンシア。
赤い顔のまま去るその背が見えなくなるまで、リーゼルは見送る。
「リーゼル様、こちらもそろそろ。」
「ああ、行こうか。」
従僕に促され、リーゼルは歩みを進める。
自身の言葉とこれからの未来に照れ、顔を赤くさせる姿のなんと可憐な事か。
あの姿を見ただけで、ここまでの事を起こしてよかったと素直に思えた。
「兄上から返事は?」
「こちらに。」
馬車に乗り込む前に手渡された手紙には、これまでの事とこれからの事が記されている。
”リーゼル
過激派を一掃することに成功はしたが、その影響で貴族の数も半数近く減少してしまった。
正直な所、まさかここまで腐食が進んでいたとは思わなかった。
貴族の減少は国力の低下にも繋がる為、早急に立て直しを図らねばならない。
(これを書きながら不機嫌そうに顔を歪ませる兄上の姿が目に映るな。)
クスクスと笑いながら続きに目を走らせる。
聖者は無事に例のアレを受け取り、隣国との和平は成立した。
その記念と両国の交流を目的とした交換留学を行う事になっており、隣国からは薬学に明るい学者がこちらに来る予定となっている。
こちらかはリーゼル配下の者を送るので、目星をつけておくように。”
(実際に過激派へ指示をしたかしないかはさておき、傍から見たら俺は今回の件で旗印にされていた王族。これまでの功績のお陰で心証は悪くはないだろうが、良くもない。だからこの機会に俺の評価を少しでも上げて動きやすくしとけってことか。)
過激派に推されてはいても、リーゼルは戦争を望んでいたわけではない。
ただ、兄よりも武に優れていたから過激派が推していただけ。
尤も、その武も国防に力を入れていたおかげで強くて優しい王子という評価で止まっていた。
そういう風に、していた。
(ん~そう言う事ならアイツを指名するか。確か隣国って薬以外にも使えそうな技術持ってるって聞くし、ついでに吸収するように言っとくか。)
何故なら強くて優しい王子という先入観は、人々の目を欺くのに効果的だからだ。
あの人ならこんなことはしない、するにしても何かのっぴきならない理由があるはずだと、こちらそうするように指示したわけでもないのに目を逸らしてくれる。
まぁ、度が過ぎれば化けの皮が剥がれるが、そこまで欲深くはないと思っている。
だって、自分が欲しい物は唯一つだけだから。
(兄上の事だから多少の誤差はあれど、ここまで計算済みってことかな。過激派を扇動して事を起こさせ、アネッサ公爵家に貸しを作り、隣国の知恵を手に入れる…)
幼少の頃から、唯それだけが欲しかった。
だけどそれは既に兄上のものだった。
奪う事も考えた。
だけど、やめた。
だって、自身が欲しいと思ったのは兄上のものである彼女なのだから。
それからの行動は早かった。
幼少の頃から、知恵では兄に勝てないが武力ならば勝てると理解していたリーゼルは鍛錬を続けながら兄に己を売り込んだ。
自身は決して兄の敵にはならない、兄が望むのなら汚れ役でも請け負おう。
だから、兄の最愛を共に愛でる権利が欲しいと。
最初は拒絶された。
いくら弟と言えど己が最愛を分け与えることはできないと、何度も、何度も。
だが、リーゼルは諦めなかった。
国一番の強者に上り詰めた後は、驕ることなく鍛錬を続ける人格者として在り続け、その裏では闇ギルドに伝手を作り暗殺術等のありとあらゆる闇の技術を学んだ。
そうして表と裏、そのどちらにも強力な一手となり得る存在になると今一度、兄に己を売り込み、勝ち取った。
兄の最愛・シンシアを共に愛でる権利を。
長かった、とても。
だが、その苦労ももうじき報われる。
兄がシンシアと結婚し、初夜を終えた後に。
(この騒動に乗じて既に花園は出来上がっている。後は、どれぐらい兄上がシンシアを堕とせるかにかかっているが…ま、兄上の事だからもう徹底的に堕とすだろうな。)
あの清らかな瞳が欲に濡れた光景はどれほど美しいのだろう。
それを共に愛でられることは、どれほど幸福なのだろう。
来たる甘美な日々に思いを馳せながら、リーゼルは愉悦に顔を歪ませる。
(ああ、早く堕ちておいで。シンシア。)
兄弟でシンシアを愛し、家族で囲う日々に胸を躍らせながら、リーゼルはこれからの住まいとなる公爵家へと向かった。
読んでいただきありがとうございました!
もし良ければブクマや評価をつけていただけると、とても励みになります。




