三章
今、私の手には既に気が抜けてしまって、ただの甘いだけになったものがある。
これを地面に垂らしてみるとどうだろう。それが初めから炭酸飲料だなんて分かる人はないと思う。
思い返してみると、きっと私の記憶というのも、この床に垂らされたものとほとんどが同じだ。
悲しく思われて、少し散歩することにした。
このような気持ちを抱えたまま家に帰る気にはなれなかった。
日は少し暮れ、今は夕方になってしまった。
高校生だろうか? 地元の住人とよくすれ違う。高校生は道によく広がって我が物顔で笑っている。
それを微笑ましく思いながら、避ける様に脇道へと入っていく。
今がどこなのかは分からないのだが、迷おうがかまわないだろう。
そして、随分と遠いところに来てしまったとも思う。
私とひとしが育った岐阜は今や遠いところにある。
ここからだと半日ほどかかるのではなかろうか。
私も彼も故郷から離れすぎたのか、あるいは故郷の方が私達から離れていったのか。
これはきっと今となっては誰も分からない。
夕暮れ時の住宅街は相当に暗い影が差している。
四角い軽自動車は私の横を駆け抜けていき、すぐに見えないところまでに走っていく。
その風に背中を押され、僅かな快さを感じる。ただ、すぐに文句を抱いた。なんて危険な運転だろう。
行き先を定めずに歩き続けて、私は偶然にも川のほとりに到着した。
看板には一級河川豊川と書かれている。記憶が正しければ、シジミの有名な川だ。
河川敷の草はよく刈り取られていて、すこし寂しく見える。
思えば、もうそろそろ花火大会の時期だ。それに合わせて刈り取られてしまったのだろう。
思い出すと、私はひとしと花火を見た記憶がない。
長良川というと、花火大会が有名であるから少しばかりの後悔が浮かぶ。
遠い方ではかけっこをしている小学生達が見える。
今はもう家でゲームをしていそうなものだから珍しい。転んだり走ったり忙しくしている。
彼らはきっとよい友人なのだろうというのが一目でわかった。
私とひとしとの関係というのは、きっとあそこの小学生と同じものだった。
違いがあるとすれば、今は友人を嫌いだと言っている程度だ。
私たちの別れは本当に静かなものだった。
私が名古屋の高校へ行き、ひとしが岐阜に残ったそれだけだ。
当然対話の手段というのは幾つも残っていた。でも、私たちはそれを行使することはなかった。
これはきっと私たちが互いに嫌いあっていたためではない。多分互いのことをよく思っていたからこそだ。
今は少ししか残っていない飲料がある。
これに新しく同じものを買って注ぎ込んでも、きっとそれは同一のものにはなることはない。逆に、新しい炭酸飲料を古い名残で汚してしまうことになる。
もしくは古いいずれ消えてしかるべきものを、無理やりに残そうとしたためにもっと違うものに歪めてしまうかもしれない。
私たちは高校生ながらにこれをきっと理解していたのか、それともしていなかったのかは知らない。ただある一定の気づきを得ていたに違いがない。
実際に、彼と最後に話したのはきっと中学三年生の卒業の日だった。




