第四章 選択
季節が変わった。
私は瓶の中から、女の暮らしを見続けた。女は相変わらず影の売買を続けていた。しかし、私を棚から出して話をする夜が増えた。
女は様々なことを話した。影だった頃のこと。実体を得た直後のこと。長い長い年月を、一人で生きてきたこと。
私は聞いていた。声は出せないが、女には伝わった。私たちの間には、不思議な繋がりがあった。
ある夜、女が言った。
「あなたに、新しい持ち主が見つかったわ」
私は動揺した。
「若い船乗り。明日、引き取りに来る」
女の声は平坦だった。しかし、どこか震えているようにも聞こえた。
「私は——」
「行きなさい」女は遮った。「それがあなたのためよ。影は、誰かの『間』に存在するべき。瓶の中で朽ちていくべきじゃない」
私は黙った。
「それに」女は続けた。「私といても、あなたは幸せになれない。私は誰の『間』にも存在できない。あなたと私の間にも、何も生まれない」
それは嘘だ、と私は思った。
私と女の間には、確かに何かがあった。言葉にできない何か。それは、かつて男との間にあったものとは違う。もっと深く、もっと温かい何か。
「あなたは——」
私は言葉を探した。
「あなたは、『間』に存在できないと言った。でも、私はずっとあなといて、確かに何かを感じている。それは、関係の中に生まれたものではないのですか」
女は目を見開いた。
「そんなはずは——」
「私は影です。関係の中にだけ存在するもの。私が何かを感じているなら、それは『間』に何かがあるということではないですか」
女は黙り込んだ。長い沈黙が流れた。
やがて、女は立ち上がり、窓辺に歩いていった。月の光が、女の横顔を照らした。
「……本当に?」
女の声は、かすれていた。
「本当に、私との間に、何かがあるの?」
私は答えた。
「あります。名前はつけられない。でも、確かにある」
女の頬を、涙が伝った。
「私は——」
女は振り返った。その目には、希望と恐れが入り混じっていた。
「私は、もう一度『間』に存在できるの?」
私にはわからなかった。わからなかったが、一つだけ確かなことがあった。
「私は、行きたくない」
新しい持ち主のところへ。若い船乗りの影として、また誰かの足元で過ごすことが。それが「正しい」生き方だとしても。
「私は、ここにいたい。あなたのそばに」
◇
女は一晩中、泣いていた。
私は瓶の中から、ただ見ていた。何もできなかった。影には腕がない。抱きしめることができない。
夜明け前、女は泣き止んだ。
「私はずっと、一人だった」
女は言った。
「誰かの『間』に存在できないということは、誰とも繋がれないということだと思っていた。でも、あなたは——」
女は私の瓶を手に取った。
「あなたは、私を見ていてくれた。私の話を聞いていてくれた。私との『間』に、何かを感じていてくれた」
女の目が、私を見つめた。
「それだけで、十分なのかもしれない」




