第三章 実体
私は、瓶の中にいた。
女は私を硝子の瓶に封じ、棚に並べた。棚には他にも無数の瓶があった。すべて、売られた影たちだった。
「しばらくここにいてもらいます」
女は言った。「新しい持ち主が見つかるまで」
男は金貨を受け取り、上機嫌で帰っていった。振り返りもしなかった。何十年も連れ添った影を売ったというのに。
私は男を恨まなかった。男にとって、私は「持ち物」ですらなかったのだろう。存在すら意識していなかった。それが普通だ。誰も自分の影のことなど気にしない。
瓶の中で、私は女を見ていた。
女は毎日、店を開けた。影を売りに来る者、影を買いに来る者。女は淡々と取引をこなした。しかし、閉店後の女は違った。
女は一人で座り、窓の外を見つめた。月の光が差し込んでも、女の足元には何も生まれない。影のない女は、光の中でも闇の中でも、同じ姿だった。
「寂しいのですか」
私は声に出せない問いを投げた。
女は振り向いた。私の言葉が届いたかのように。
「ええ」
女は答えた。「ずっと、寂しい」
◇
ある夜、女は私の瓶を棚から取り出した。
「話をしましょう」
女は言った。「他の影たちは眠っている。あなただけが、起きている」
私は驚いた。他の影たちが「眠っている」ことも、私が「起きている」ことも、知らなかった。
「なぜ私だけが」
「わからない」女は首を振った。「でも、あなたには意識がある。自分が何かを考えている。それは珍しいことよ」
女は瓶を抱えるようにして、椅子に座った。
「私のことを聞きたい?」
聞きたかった。なぜ女は影を捨てたのか。実体を得るとはどういうことなのか。そして——なぜ女は泣いていたのか。
「私はね、愛されたかったの」
女は語り始めた。
「影だった頃、私は一人の女性のそばにいた。彼女は美しく、賢く、多くの人に愛されていた。でも私は、彼女の一部でしかなかった。彼女を愛する人は大勢いたけれど、私を愛する人は誰もいなかった」
女の目が、遠くを見ていた。
「だから私は、『間』から解放されることを選んだ。実体を得れば、私自身として愛されると思った」
「そうなりましたか」
「いいえ」女は静かに笑った。「実体を得た私は、誰の『間』にも存在できなくなった。誰かとそばにいても、その人と私の『間』には何も生まれない。私は、どこにも属さない。どこにも繋がらない。完全に自由で、完全に孤独」
女は私の瓶を見つめた。
「あなたは、実体を得たいと思う?」
私は考えた。長い時間、考えた。
「わかりません」
正直に答えた。
「でも——あなたの話を聞いて、怖くなりました」
女は微笑んだ。悲しい微笑みだった。
「それが正しい反応よ」




