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まるっきり、会話の内容がわからない。
タイガはそこでようやく笑顔をみせた。
まるで子供みたいな、無邪気な笑顔。
南高って……南遥高校だよね。
あそことも、繋がりがあるんだ。
「にしても、ありゃケッサクだったな。威勢よく吠えてきやがるから、どんなモンかと思やクソザコで萎えたっつの。鼻血ダラダラ流して大人しくなりやがった」
「どーせ下のヤツらだろ?」
「おお。けどな、ミッチーいるだろ?アイツ鬼だぞ、マジひでえよ。翔桜のヤロウの鼻折りやがったからな!!」
何が嬉しいのか、タイガは楽しくてたまらないというように笑っていた。
「ひでえ」と言いながらも、ちっともそうは思っていないんじゃないか。
テンション高めのタイガに「加減ねえな、あの人」と、ハイジもくしゃっと笑った。
ミッチー……誰?
翔桜って、あの翔桜高校?
共学だけど、魁帝ほどじゃないにしても、ヤンキーが多い高校。
頭がこんがらがりそうだ。
南高だけじゃなく、翔桜の不良とも繋がってる?
不良界の人物相関図は、一体どうなってるんだろう。
そしてタイガが面白おかしく話しているのは──不良同士の抗争みたいなものなのかもしれない。
勢力争いでもしてるんだろうか。
だとしても。
人の鼻が折れたことを、げらげら笑いながら話のネタにする感覚が、信じられない。
以前ジローさんが魁帝の三人組と対立した時も、私は自分の世界と彼らの世界の余りの差に、閉口してしまった。
暴力が当然のように、そこにある世界。
力が優劣を決める世界。
そんな場所に彼らは身を置いて、日々傷つけ合って──
それでも、笑い合っていた。
私じゃ、到底わかりっこない。
彼らにしかわからない、“遊び”。
こういった別の一面を見せられるたびに、私は蚊帳の外で黙っているしかなかった。
だから、この場から去るのが正解だ。
私への用件が終わった、合図なんだろうから。
立ち上がり、まだ話し合っているタイガとハイジを残して、私は大教室を後にした。
出て行く間際に、後ろの方で「オラ起きろ、粗大ゴミ。今日、南高に行くぞ」というタイガの声が聞こえた。
たぶん、爆睡してるジローさんへのものだろうなと思った。
教室を出て、私は何をすべきか考えた。
そうだ、ミスコンだ。
出場を取り消してもらわないと。
ハイジの思惑通りになってたまるかってんだ。
「花鳥」
一歩踏み出したと同時に、背中に被さったのは、私の名前を呼ぶ声だった。
振り返ると、そこに立っていたのは飛野さん。
至極真剣な顔つきに、自然と背筋が伸びる。
「あの……どうしたんですか?」
思いがけない彼の登場に、心臓がトクンと僅かな音を立てる。
人気のない、しんとした廊下に、私の声がやけに響く。
飛野さんは静かに歩いてくると、真っ直ぐな黒い瞳で私を見つめた。
そして、重い口を開く。
「お前……響さんの妹なんだろ」
衝撃が、走った。
全身に一瞬、電流が流れたみたいだった。
鼓動がドクドクと加速しだして、息をのむ。
「どう、して……?どうして知ってるんですか、飛野さん!?お兄ちゃんを知ってるんですか!?」
縋りつくような眼差しを、必死に向けていた。
飛野さんの口から、お兄ちゃんの名前が出てくるなんて。夢にも思わなかった。
「……俺はあの人と会ったことはあるが、深く関わったわけじゃない。近づけるような人じゃなかった」
──知ってる。
この人は、お兄ちゃんを。
儚げに微笑むお兄ちゃんの姿が、脳裏に蘇る。
誰と、どんな世界で生きていたのか。
何を思い、何を感じていたのか。
そして──
最期のその瞬間に、何があったのか。
手を伸ばしたって届かない。
叫んだって、泣いたって、二度と返ってくることはない答えを、
永遠に彷徨うはずだった、答えを──
知る人が、いる。
こんなにも、近くに。
「もっと響さんに近かった人がいる。その人にお前を会わせたい。会いたがってるんだ、その人も」
私の心の奥を見抜いたかのように、飛野さんが強く芯の通った、揺るがない声で……そう言葉を続けた。
「誰……ですか」
震えそうになる声を、懸命に抑える。
あの頃の想いが、溢れ出しそうで。
少しの間を置いて、飛野さんははっきり告げた。
「ジローの兄貴だよ」




