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「聞こえなかったのか」
この時、初めて本気でこの人を怖いと思った。
その目に射抜かれれば、腰が抜けてしまう。
並の精神じゃ、とてもじゃないけど楯突こうなんてバカな真似はしない。
逆らうなんて、自殺行為だ。
太郎さんの放つ凄まじい圧力に、思わずその場にへたり込みそうになった。
ジローさんに腕を支えてもらってなかったら、そうなってた。
それでも──
「馴れなれしく触んな!」
ジローさんは一歩も、怯まなかった。
肩に置かれた太郎さんの手を、乱暴に払いのけた。
ジローさんもまた……威嚇するような鋭い眼差しで、太郎さんを睨んでいた。
「俺はてめえを兄だなんて思ってねえ。勝手に兄貴ヅラしてんじゃねえよ!!」
あのジローさんが、こんなにも感情をむき出しにして
声を荒げて、憎悪を吐き捨てる。
太郎さんは表情を、崩さなかった。
けれど、その瞳の奥に──ほんの一瞬だけ、悲哀の影が差したのを私は見た気がした。
立ち尽くす私の腕を引いて、ジローさんが歩き出す。
太郎さんを一人、その場に残して。
彼がどこへ向かっているのか、わからない。
でも迷いなんて微塵もない足取りで、長い廊下を進んでいく。
ここに来る前、車から連れ出された時みたいに。
やっぱり私は何も言えなくて。彼の背中を見つめることしか、できない。
胸がズキズキと痛むだけ。
“俺はてめえを兄だなんて思ってねえ。勝手に兄貴ヅラしてんじゃねえよ!!”
さっきの言葉が、頭の中で木霊する。
それを突きつけられた太郎さんの気持ちを考えたら……ただ、悲しくて、切なかった。
太郎さんは表向きジローさんに横暴な態度をとっているけれど、本当は彼のことを大切に思ってる。
可愛いんだと、思う。
話していて、それが自然と伝わってきた。
だから、後悔してる。
ジローさんに“トラウマ”を背負わせてしまったこと。
何があったのかは……わからないけれど。
二人の間にある壁……ううん、そうじゃない。
ジローさんが立てた、壁。
太郎さんを、自分の領域に入れさせないための。
その壁が、厚いと思った。
ちょっとやそっとじゃ、崩れそうにない。
そこに響兄ちゃんも関わってるの……?
そんなことを考えている間に、階段を上り、また長い廊下を歩いて。
たどり着いた先の、一室。
ジローさんが無言で、ドアを開ける
微かに冷たい空気が、頬を掠めた。
照明の落とされた、真っ暗な部屋。
窓から射す朧な月明かりが、青白く空間を染め上げている。
それが何だか、幻想的だった。
晩ご飯を食べた部屋と同じくらいの広さがあるけれど、中は驚くほどシンプルだった。
薄暗くて全体は、よく見えない。
けれど隅に置かれた大きなベッドだけは、ぼんやりと形がわかる。
迷うことなくそこへ、ジローさんは私を強引に連れていった。
彼が何を考えてるのか、全然わからなくて。
さっきの太郎さんとのやり取りで、私はまだ恐怖に支配されていた。
ジローさんが立ち止まったかと思えば──
彼は乱暴に、私をベッドへ放り投げた。
「や、……!」
反動でスプリングが弾み、少し軋む音がした。
体が、柔らかなベッドに沈む。
だけど次にはもっと……沈み込むことになった。
私の上に跨ってきた、ジローさんの重みによって。




