1章‐6
演習もほぼ成功裏に終わり、アリスが痛覚を持つAIだという事実が艦内に知れ渡った翌日。イザナミは基地へと戻り、慌ただしい書類作成や整備を経て、ようやく一息ついたかに見えた。
その数日後にはもう、ブリッジに艦長アレックス・山本の低い声が響く。
「……では本日の任務の説明に入る。副長、手短に頼む」
副長エリザベス・カーターが艦長の隣に立ち、きりりと背筋を伸ばして端末を操作した。メインスクリーンに、星系サイズの宙域マップが大きく投影される。
「はい。今回は宙賊〝ブラッディ・レイダーズ〟の拠点掃討ミッションが主な目的です。先日から辺境宙域で物資強奪や破壊行為が急増しており、連邦軍上層部が対処を急いでいます。現地には小規模な要塞が存在すると推定され、そこを叩くことが目的です」
ブリッジの一角にある表示パネルには、摘発対象とされる宙賊グループ〝ブラッディ・レイダーズ〟の情報が表示される。宙賊行為だけではなく、人身売買・臓器売買、暗殺、拷問、虐殺などおよそ犯罪と名がつくものであれば何でもやっている悪名高い集団だ。歴戦の船乗りを脅し騙して襲撃者に仕立てるなんてこともあるらしい。噂を聞きかじったことのある乗組員たちの顔にも緊張が走る。
副長は淡々と続ける。
「とはいえ軍の指令書によると、規模はさほど大きくない。要塞といっても宇宙港を改造した程度という話。艦隊を大がかりに繰り出すほどでもありません。イザナミ単艦か、せいぜい随伴数隻をつけて叩くことになるかと」
艦長がスクリーンを睨みつつ、あらかじめ送られてきた命令書を読み上げるように口を開く。
「要塞を殲滅し、宙賊団を制圧せよ。他の武装勢力との交戦は任意……とのことだ。つまりさっくり終わらせてこい、という話だな。現地でわざわざ面倒を見てやる義理はないが、邪魔をするなら燃やしてしまえということだ」
その物騒な台詞に、整備班長グスタフ・ブライトが苦笑いを浮かべる。
「姫さんの砲術を試すにはちょうどいいかもしれねえな。まあ、剣呑な連中を相手にする割に、意外とあっさり終わりそうだが……」
だが、アリスはその一言に「うぇえ、また撃ちまくるの?」という気配を示した。ブリッジの中央スクリーンに出るAIインジケータがほんの少し点滅し、可愛らしい声が重なる。
『えっと、また戦闘ですか……? まあやると決まったなら頑張りますけど、ちゃんと準備はしておきたいな。今回こそ痛い思いをしないようにしたい……』
その〝痛覚〟を知ったがゆえのAIらしからぬ弱音に、ブリッジ要員は視線を交わす。艦長は「お前は戦艦だろうが……」と呆れつつも、一度かぶりを振ってアリスに向き直る。
「要塞とはいえ小物だ。軽く砲撃すれば終わりだろう。痛くなるような衝撃を受けずに済むさ。……まあ、気を抜くな。相手は宙賊だ、妙な仕掛けがあるかもしれん」
『は、はい……頑張ります、艦長』
副長エリザベスは「砲撃するときは落ち着いてね」と指示を補足し、艦長は一同に向かって声を張る。
「本艦はこれより出港準備を開始し、小規模艦隊と合流後、レイダーズのアジトへ向かう。迅速に済ませるぞ。以上、解散」
こうして一見退屈そうに見える宙賊殲滅ミッションが幕を開けた。誰もが、「要塞を軽く片づけるだけで終了だろう」と考えていた。だがその想定は、幸か不幸か大きく外れることになる。
◇ ◇ ◇
地球連邦の辺境宙域へ向かうため、イザナミは単独でワープゲートを通過し、その先で護衛の無人巡洋艦フェンリル級3隻と合流した。これらはアリスが統制する無人艦であり、長大な距離をともに移動しても人員コストがかからない。実験的に採用されたシステムだが、イザナミ級の肝ともいえる。
メインブリッジで副長が端末を見やりながら報告する。
「ワープゲート通過完了。周辺宙域は半ば無政府状態のような場所ですが、今回の目標は座標KR−五二番付近。そこに〝レイダーズ〟が潜伏しているとの情報」
『スキャンをかけていますけど……確かに不審な小型船がちらほら。この辺、宙賊やら武装集団やらが割と自由に動き回ってるみたいですね』
「仕掛けられる前に叩きたいところね。……艦長、どうしますか?」
アレックス艦長がタブレットに目を落とし、戦術マップを指先で拡大する。要塞らしき大きさの塊が数個散らばっており、そのどれかに宙賊拠点があるらしい。
「敵の基地を特定し次第、警告し無視するなら殲滅。──そんなところだろう。だが、一度で済むように、ちゃんと偵察はしておけ」
ブリッジには静かな熱気が漂う。エリザベスがクルーを見渡しつつ口を開く。
「アリス、頼むわね。怪しい船がいたら即座に教えて頂戴。こちらから先制するかどうかは艦長の指示だけど、無駄に壊して破片をばらまくのもやっかいだから」
『はい、了解! えっと……今のところ大きな船影は見えませんね。予想通り、小物ばかりみたい』
その報告に、エリザベス副長はほっとしたように息をつく。だがどこか胸騒ぎを覚えるのは、何らかの勘だろうか。軽々しく済むミッションほど、裏がある可能性がある──それは、彼女や艦長が幾度も目にしてきた現実でもあった。
ワープゲートを出てしばらく、イザナミは無人巡洋艦たちとともに宙域を捜索し、やがて座標KR−五二に到達した。星の明かりに囲まれた闇の空間に岩石が点在する小惑星帯。その隅にぽつんと使われなくなったスペースドックらしき施設が浮かんでいた。それは古いドックを改造した簡素な施設にすぎないが、外壁をぐるりと覆う増設防壁や付け焼き刃の迎撃砲座が、宙賊たちがここを拠点としていることを物語っている。
分析を進めるアリスの声が、少し弾む調子でブリッジに届く。
『艦長、見つけました。あそこに古いドックを改造したような要塞っぽい構造が……外に停泊している船はだいたい小型船ですね』
「それがブラッディ・レイダーズの巣か……意外と隠れてもいないな。周囲にカモフラージュもないようだ。……手短に片づけて帰るか」
艦内には安どと緊張が入り交じった空気が流れる。艦長の言う通り、相手が真正面から出迎える態勢にあるなら、まともに砲撃すれば一瞬だろう。だが、その時アリスが微妙に戸惑う声を上げた。
『ん? 何か通信が多い……要塞からは出てないけど、周辺に結構いろんな船が集まってる感じなんですが……』
「何だと?」
『今ざっと拾っています。複数の武装船が近くの宙域に待機している様子を捉えました。あれ、なんでこんなに集まってるの……?』
ブリッジには一気に緊張が走る。副長エリザベスが眉をひそめ、スクリーンを覗き込む。外部センサーには確かに複数の小型船影や反応が点在しており、それらの所属は不明だが武装集団と思しき兆候が見える。
艦長は低く唸り、各所に指示を飛ばす。
「なんだか嫌な予感がするな。他の集団まで集まっているのか。アリス、詳細を探れ」
『……通信傍受の結果、その通りっぽいです。有名な〝コルセア〟や〝カレドヴールフ商会〟さらには〝デス・バザール〟あたりの名前が飛び交っています。ここで巨大な商談会かなにか、そんなものが開かれているみたい……?』
副長は思わず「商談会?」と首を傾げる。有名な武器商人や海賊集団が集うブラックマーケットの商談会という噂は確かにあるが、堂々と一ヵ所に集合するとは考えづらい話でもある。だがもしそれが事実なら、ブラッディ・レイダーズ以外にも緩い同盟関係が形成されており、瞬時にこちらへ包囲網を敷いてくるかもしれない。
「これは少々やっかいね……艦長、どうします? 力押しするには相手が多すぎます。強力な装備を持っている可能性もあります」
「連中は勝手に取引してるだけかもしれんが、こちらを邪魔者と見れば一斉に襲ってくることもある。下手に突っ込めば囲まれかねん」
要塞一つを潰すだけのはずが、どうやら思わぬ大規模戦闘へ発展する可能性を孕んでいた。イザナミのブリッジがざわめく中で、アリスは不安げな声を漏らす。
『うう……艦長、こんなに敵が多いと、また痛い思いしそうで嫌なんですけど……』
その言い分に苦笑が漏れる者もいるが、実際アリスが突撃をためらう気持ちも理解できる。艦長はただ静かに彼女に語りかけた。
「大丈夫だ。なるべく被弾しないように立ち回れ。こちらは最先端の火力とシールドを持っている。とはいえ連中は寄せ集めながらも数が多い。わが軍も増援を──」
だが、その言葉を言い終える前に、外部からの通信アラートが鳴った。
『艦長、向こうからのメッセージです。……〝こちらブラッディ・レイダーズ、それ以上接近すれば容赦しない〟と。どうしますか?』
「やれやれ、闘志十分というわけか。こっちも一応返答を。……いや、時間が惜しいな。連邦軍として通告しろ。要塞を明け渡し投降せよ。さもなくば攻撃する、と」
こうして互いに警告のやり取りを交わすうちに、武装集団側は着々と陣を敷いているらしい。催し物の真っ最中に邪魔されてイラついているのか、実に殺気立った通信が飛び交っていた。