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1章‐1

 イザナミ艦内の朝は、ブリッジを満たす静謐な空気から始まった。ここは地球連邦が誇る最新鋭戦艦、それだけに設備は完璧に近く、夜間照明から昼に切り替わるタイミングすら無音で滑らかだった。人工的に制御された〝朝〟とはいえ、クルーたちは普通にあくびを洩らし、簡易ベッドで寝ぼけ眼を擦る者もいる。艦外には当たり前だが朝日も空の青もない。彼らの体内時計を支えるのは、艦内時間を示すディスプレイと、それに従った勤務シフト表だけだった。


 アレックス艦長はすでに執務机に座っており、小さく伸びをしている。まだ人影がまばらなブリッジに、操作音だけがカチカチと響く。視線を端末画面へ移すと、今日のスケジュールが淡々と表示されてきた。大きくまとめれば、「演習への参加準備」「機能チェックの書類作業」、そして「新人搭乗員の訓練補助」など。だが、もっとも重要なのはこの艦──イザナミ──に搭載された新型AI、〝アリス〟の初めての実戦的テストともいえる演習だ。


 そのとき、艦内アナウンスが小さく短い旋律を鳴らし、続いて女性の声が響く。副長エリザベス・カーターの落ち着いた声だ。


『艦内放送。まもなくブリッジにて、本日の艦務計画に関するミーティングを行います。関係クルーは五分後に集合願います。繰り返します──』


 放送が終わると同時に、アレックスはタブレット端末を横へ滑らせ、椅子ごとゆっくりと後ろを振り向いた。そこには、メインスクリーンにホログラフィック・インジケータを表示しているアリスのアイコンが見える。アレックスが視線を向けると、そのインジケータが柔らかな光で点滅して応えた。


『艦長、おはようございます。ブリッジ内の各システム立ち上げを完了しました。照明や酸素濃度、適正レベルです。今日は演習ですね。前回のシミュレーションによれば、──』


 アリスはAIとして淡々とした口調だが、どこか明るい響きが混じっている。進水式以前に比べると、やや「生身っぽい」やり取りが自然に行われているようにも見えた。しかし艦長は相変わらず、事務的に短く返すだけだ。


「状況は承知している。通信回線と各砲の総合チェックも頼む。すぐに副長以下が来るはずだ。報告を簡潔にまとめておけ」

『了解しました、艦長。各計測値をリアルタイムでまとめ、準備が整い次第お知らせいたします』


 会話だけ捉えれば完璧な軍用AIの応対。しかし、アレックスはすでに「こいつは妙に人間臭い」と微かな違和感を抱き始めていた。もっとも、その表面上の挙動は優秀かつ素直──運用に支障はない。


 やがて整備服姿の者、技術士官風の者、医療班らしき白衣の者……それぞれがブリッジへ入ってくる。副長エリザベス・カーターが厳格な表情で立ち止まり、艦長へ短い敬礼をした。


「艦長、おはようございます。本日の演習参加ですが、編隊集合時間は〇九〇〇、予定空域へは〇九三〇までに到着とのこと。宇宙港の通過レーンの使用許可を得ています」

「わかった。各部所の準備はどうだ?」

「順調です。グスタフ班長たちも小型艇の回収を済ませました。動力炉の安定性に問題はない模様。ヘンリー技術士官からも良好と報告を受けています。詳細は後ほどまとめて報告します」

「結構」


 報告は手短だったが、艦内では多岐にわたる作業が同時進行している。全長一四五〇メートルにも及ぶこの巨大艦は、その隅々まで管理・点検をしなければならないし、突発的なトラブルにいつ遭遇するか分からない。演習といっても実弾を用いる部分は慎重な下準備が欠かせない。アレックスはひととおり説明を聞き終えると、軽く息を吐いた。


「よし。ではブリッジ各員、出港シークエンスへ移れ。アリス、艦内アナウンスを頼む」

『了解です、艦長。乗員全体に呼びかけを行います──』


 スクリーンのインジケータが幾度か点滅し、続いて艦内放送が起動した。澄んだ少女の声をベースとしながら、軍独特の落ち着きが感じられる、そんな〝アリスの声〟が通路や居住区画に響いていく。


『こちらイザナミ制御AIのアリスです。ただいまより演習宙域へ移動します。整備区画、格納庫、医療区画はレベル2の警戒体勢を確保ください。全乗組員は持ち場を再確認願います。繰り返します──』


 声の調子こそ事務的ではあるが、どこか弾んでいると言えなくもない。出撃という非日常へ向けて、アリス自身がどこか浮き立つ気分を抑えられないようにすら聞こえる。


 ブリッジでは副長や通信士官が端末を睨み、同時に急ぎ足で動き出していた。関係各所との交信ログや、宇宙港管制とのやり取りが矢継ぎ早に処理される。大型のシャッターが凍てついた金属音を響かせて開き、イザナミの船体をさえぎっていたドックの壁が徐々に移動していく。そこから覗くのは、漆黒の宇宙と、瞬く人工灯火の列。ブリッジ正面の視界が広がった瞬間、アレックスは全員へ静かに指示を下した。


「メインスラスター始動。推進力二〇%でゆっくりとドックを離れる。微速前進……いいか、どこに他艦がいるか常に注意だ」

『はい、艦長。周囲のクリアランス、問題なし。出航許可を正式に受領しました』

「航行開始!」


 かくしてイザナミは、ゆるりと薄暗い宇宙港を離れていく。その巨大質量を微塵も感じさせず、嘘のように静かだ。わずかな振動が艦内にじんわりと伝わり、巨大壁面の向こうへゆっくり滑り出す。アリスがその動きを捉え、リアルタイムで計器データを整理していく。


 演習の舞台となる宙域は、地球連邦が設定した標準的な訓練フィールド。周辺には別の巡洋艦や駆逐艦も練度上げを兼ねて集まり、まとまった艦隊行動をシミュレートする。そういう意味では、いわゆる「仕組まれた安全地帯」で、完全な戦闘よりは練習用の攻撃ターゲットが用意されるのが普通だ。しかし、実際に対艦砲撃や高速機動を行う以上、予期せぬトラブルが発生しないとも限らない。だからこそ、アレックス艦長は眉一つ動かさず、淡々と指示を続ける。


 副長が艦長へ改めて報告した。


「艦長、他艦との連携確認が完了していません。出力バランスの最終調整を急ぎましょう。アリス、艦隊管制データの共有をお願い」

『承知しました。周辺艦からのリアルタイム情報を統合マップへ反映します。……艦長、三分後に編隊ラインへ合流できますよ』

「よし、頼む」


 副長はそこで視線を下げ、艦長に耳打ちするように声を落とした。


「しかし、あれほど人間味のあるAIは初めてですね。前評判よりすごい気がします。良い意味で、ですが……」

「現状は何も不具合はない。必要以上の感情はいらないとは思うが、まあ技術が進歩したと思えばいいだろう。副長、貴官もあまり過干渉にならぬように」

「……了解です、艦長」


 やがてイザナミは、編隊の定位置に就く。今はまだ低速で隊列を組む段階だが、ほどなく演習開始の合図がかかるだろう。先行して集まっている巡洋艦や駆逐艦、支援艦などが整列し、管制部隊と交信を重ねている。


 ブリッジの端末には小さくテロップが流れた。「一〇分後に演習開始」と記載。すると、そこで副長が腕時計をちらと見やり、艦長へ問いかける。


「艦長、始まる前に演習内容を全隊へ一斉送信しますか?」

「ああ、そうしろ。アリス、ミッション概要を送れ。全艦隊に発信する」

『了解。演習は三フェーズ構成で、まずは──』


 そう言いながら、アリスはブリッジ中央スクリーンにフェーズごとの概要を表示する。艦長と副長はそれに軽く目を通した上で「送信開始」と命じた。

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