4章‐1
お待たせしました。
グレーの壁と床に囲まれた広い管制室では、警告ランプが激しく点滅していた。壁一面に設置されたディスプレイは、宇宙空間の熱源や艦艇の配置を逐次投影している。人々の声がない交ぜになり、重苦しい空気が漂う。
この地球低軌道監視ステーション──トリトン・アイ──は地球防衛を担う重要拠点であり、世界中の防衛ネットワークを集約する〝最前線の目〟だといえる。普段なら長閑な雰囲気さえ漂う場所だが、今は全員が浮足立っていた。
「熱源群を再確認、合計で七十五……! EMP弾頭の反応です!」
センサー担当士官が声をはりあげる。複数の警告パネルが赤く点滅し、周囲は一瞬にして静まり返った。EMP兵器は大気圏外で起爆すれば衛星網を、少しでも大気圏に近づいて爆発すれば地上都市の通信や電力インフラを一挙に麻痺させる。用途が限られているが、撃ち落とす以外には対処も困難だ。
管制区画の中央には初老の司令官が立っていた。眉間に刻まれた深い皺が彼の苦悩を示している。彼はスクリーンの数値をにらみながら、低く問いかけた。
「どうしてこれほどの数が、一度にここまで接近した……冥王星軌道での監視はどうなっていたのだ?」
詰め寄るような空気に、センサー担当士官は歯を食いしばるようにして答える。
「申し訳ありません。冥王星方位でも警報があったのですが、通信回線が混乱していて、正確な情報がつかめませんでした。軌道から推測すると、帝国の艦船が高速で侵入し、木星あたりでミサイルを一斉発射したのではないかと……」
その声が途切れたと同時に、別の参謀が息を呑んだように叫ぶ。
「司令、TCEEゲートとの通信が完全に途絶しました!」
瞬間、管制室の空気が凍りついた。地球連邦と帝国を結ぶ要衝である、TCEEゲート(くじら座タウ星:地球連邦⇔エリダヌス座イプシロン星:帝国)──そこを守る艦隊と連邦施設がどうなったのか、嫌な想像が頭をよぎる。表向きは停戦が成立していたはずだが、もはやそうではないらしい。司令官は力なく首を振る。
「昨日まで防衛戦が続いていたが、ゲートが落ちようと落ちまいと……こちらの艦隊は分散しきったままで、ここには間に合わないだろう。二方面で一気に攻め込まれたということか」
管制室に漂うのは重苦しい敗北の空気。連邦の防衛体制は、くじら座タウ星方面へ戦力を多く割いた結果、地球近傍ががら空きになっていた。その隙を突かれ、EMP弾頭が地球大気圏を射程にとらえている。
司令官は深い息をつくと、周囲を見回した。
「地球軌道防衛衛星を全力稼働させろ。CIWSプラットフォームを自動射撃に移行。絶対に撃ち漏らすな」
オペレーターたちが一斉に端末を操作する音が重なり、管制室は一瞬で張り詰めた静寂から騒然とした状態へ切り替わった。ディスプレイには無数の緑色の迎撃ラインが描かれ、赤い脅威軌道と交差している。
やがていくつものEMP弾頭の内、いくつかは迎撃衛星のビームで破壊され、火花のように虚空へ散っていく。警告音の合間に「迎撃成功!」と興奮ぎみに叫ぶ声がしたが、束の間の喜びだった。
「ミサイルが多すぎます……半数以上が迎撃圏を突破しつつあります!」
スクリーンの軌道図に赤い点がみるみる増えていく。その先は低軌道と大気圏の境界領域。シールド衛星は必死に防壁を張るが、地球全周を覆うことなど不可能だ。
そこにオペレーターが顔を強張らせながら叫ぶ。
「夜側上空、高度八〇〇キロ付近でEMP弾頭が起爆しました! 周辺の低軌道衛星が反応を失っています。地上通信も切断状態に……」
スクリーンの右上、ラベルが付けられた都市名の一部が暗転してゆく。あらゆるデータ回線が急速に切断され、明るかった街明かりが広域にわたって失われていくのが観測映像にかろうじて映る。その光景に、若い士官が唇を噛む。
「まるで都市の明かりが飲み込まれていくようだ……このままでは地上が大混乱になる」
司令官は何も言わず、スクリーンを睨み続けていた。さらに追加でEMP弾頭が突入しているらしく、何とか迎撃しているものの、衛星が次々と軌道を外れて沈黙していく。
かすかに火花のような閃光が管制室の窓越しに見えたかと思うと、コンソールが一瞬暗転し、各所からショートしたような焦げ臭いにおいが漂ってきた。
「ステーションのシールドが……もう持ちません! 司令、非常電源に切り替えます!」
この声で照明がちらつき、管制室のライトが一時消えかける。緊急用の薄緑色の照明だけが細長く地面を照らし、士官たちの青ざめた顔を浮かび上がらせる。
士官のひとりが舌打ち混じりに呟いた。
「こんな短期間に、主力をくじら座タウ星に振り向けてしまったのが裏目に……。もしかするとくじら座タウ星との国内ゲートも制圧されているのかもしれません。その上で、ここへEMP攻撃を……」
地上の回線は断たれ、TCEEゲートの通信も完全に沈黙。二方面同時侵攻の衝撃が連邦軍を蝕んでいる。司令官は混乱する声を無理やり抑えようと、拳を握り、言葉を発した。
「この状況でも、まだ成すべきことはある。最低限、地球防衛の現状を各拠点へ通報しなければならない。仮に我々が落ちても、戦いが続けられるように、他星系に必要な情報の転送を続けろ」
しかし、コンソール画面にはエラー表示が増え続けている。通信ラインが大規模ジャミングを受けている可能性も高い。現場が敗色濃厚となった今、帝国は電子戦でとどめを刺しにきているのだろう。じわじわと外堀を埋められるような感覚が人々を追い込んでいた。
「司令、まだ複数のEMP弾頭が大気圏へ突入しようとしています! 追加で何発かは迎撃できそうですが……もう、すべてを落とすのは不可能です」
メイン・スクリーンの表示がプツリと消え、壁沿いの予備スクリーンだけがかろうじて生きている。衛星の軌道表示が次々暗転して、接続断を意味する赤いアラート文字が画面に踊る。
「くじら座タウ星のゲートが撃破された可能性が高い以上、そこからの増援は見込めません。太陽系近辺に残っている艦だけで、侵攻してきた帝国艦全部を相手にするなんて……」
耳元で誰かが呟きを残し、思わず沈黙が落ちる。管制室には熱を失ったような気配が満ちていた。警告サイレンすら途中で断絶し、聞こえるのは電子機器の軋むような音ばかりだ。
「くそっ、どうすれば……」
司令官は拳をコンソールに押し付ける。くじら座タウ星の艦隊が敗れ去ったかどうかはわからない。だが現状、地球軌道用の防衛戦力は限られている。
そこにかけ込みの報告が続く。だが、設備はすでに限界を超え、トリトン・アイ自体も充分な機能を保てなくなっていた。
「司令、メイン電源が二割以下まで落ちました。非常用バッテリーもいつ壊れるか……」
照明がまた淡く点滅する。人々が顔を見合わせる間もなく、ズシンという振動がステーションを揺らした。あるいはEMP弾頭のかけらが衝突したのかもしれない。
若い参謀が押し殺した声をあげる。
「地球上空をいまのEMPが覆い続ければ、通信網も……都市機能も……。これ以上続けば我々はもう……」
司令官は弱々しく唇をかんだ。周囲の士官も動揺を飲み込みきれず、ただ立ち尽くす。脳裏に浮かぶのは、見慣れた大地が闇へ覆われ、混乱に飲み込まれていく未来予想図だ。
「せめて本部──月面側か外縁区画でもいい。どこかに通信を送れれば、まだ……」
言い終わらないうちに、予備スクリーンまでもがわずかに閃光を走らせて完全にブラックアウトした。管制室の半数以上の端末が機能停止し、残る僅かなノイズだらけの端末画面と非常灯だけが管制室を照らす。
誰かが無線機を握りしめて必死に呼ぶ声がしたが、音が断片的にかき消され、不安定な雑音しか聞こえない。
「司令官……。もう、ステーション各区画も限界です」
暗闇の中で、司令官は片手を額に当て、歯を食いしばったまま動けずにいる。連邦艦隊が十分に機能していれば、こんな惨状にはならなかったはず。それが今はくじら座タウ星ゲートを巡る攻防で力を割かれ、本来の防衛線は虫食いだらけ。
だが、何を言うにも遅すぎる。帝国が狙った二正面作戦で、連邦は不意打ちを食らい、総崩れの寸前まで追い詰められているようにしか見えない。
誰もが期待していた援軍は、くじら座タウ星から来ない。もしゲートの防衛で戦力が尽きていたなら、帝国艦隊はそのまま太陽系に入り込み、地球上空まで自在に攻撃を加えられる。実際、EMP弾頭がこうして雨のように降り注いでいるのを見れば、状況は推して知るべし。
最後に小さな爆発音がステーションの外装を揺さぶり、コンソールが次々とショート。最後の非常灯すら息を吐くようにふっと消え、管制室は漆黒の暗闇しか残らなくなった。
「……まだ完全に終わったわけでは、ないはず」
まるで何かが深い底から押し寄せ、すべてを飲み込んでしまうような感触。世界が変貌していく──そんな感覚を誰もが抱きながら、トリトン・アイの一同は声を失い、黒い闇の中に身を沈めていった。
──さかのぼること二週間前。
くじら座タウ星系・TCEEゲート監視基地。その管制室には、数段に積まれたモニターが淡い光を投げかけていた。日常業務をこなしながらも当直士官たちの様子は落ち着かない。どこか違和感からくる不安が漂い、ターミナルを打つ手が止まりがちだ。
「……また通信が途切れましたね。先ほどから妙なエラーが続きます」
若手士官がスクリーンに映るログの欠落を指し示す。その相棒ともいえる先輩士官は、短くうなずきながら苦い表情をつくった。
「いくら停戦後の混乱とはいえ、これだけ頻繁に行方不明になる艦や通信途絶が出るのはおかしい。報告は何度も上げてるが……誰も重く受け取ってくれない」
「上層部は『深刻な問題なし』と言うばかりです。これじゃ何も変わりませんね」
「もっとも、艦といっても小型無人艇ばかり。わかりやすい被害が表面化していない以上、動きようがないのかもな」
硬い空気の中、二人は声を落としてやり取りを続ける。まるで大きな風が近づいているのに、何も対策を講じられない。そんな焦りを抱え込んだまま、管制室は静かに業務を回していた。
一方、太陽系では月軌道上の全自動工房がフル稼働している。中でも注目を集めるのは、長らく実戦続きだった戦艦イザナミ。いつもなら外装なし、つまり戦闘区画を失った状態で運び込まれるのが通例だが、今回は珍しく艦体へのダメージがなく、定期整備を受けるだけで済みそうだ。工房の奥では整備員たちが「こんなに無傷で戻るのは初めてだな」と口々にこぼしている。
「なにか裏があるんじゃねえかと思うくらいだ」
白髪交じりの整備班長グスタフが、遠隔操作パネルで艦の外板を細かくチェックしながらぼやいた。
「班長、それ言いすぎですって。平和なときは素直に喜びましょうよ」
班員のひとりが肩をすくめる。だがグスタフは渋面のまま、
「嬉しいのは当然だが……どうにも胸騒ぎが消えねぇ。前に『大丈夫だろう』って油断していたら、爆発しやがった経験があるからな」
そう苦笑を浮かべる。周囲の整備班員も同感なのか、スキャナの読み取り値を何度も確認しては首をひねっていた。
艦内のブリッジでは、ホログラム少女のアリスが足取り軽く、パネルの一覧を閲覧している。軍服の面影をわずかに残した白っぽい衣装にリボンを添えた姿。人工重力下でふわりとスカートが揺れ、彼女の表情はいつになく明るい。
「艦長、聞いてくださいよ! 外装も中も、ほとんど損傷ゼロですって。私、こんないい状態で帰ってこられたの初めて!」
アレックス艦長はモニター越しに書類を読みながら、ややあきれ顔で相槌を打つ。
「そうか。整備班が疑い深くなるぐらい順調らしいぞ。嬉しいのはわかるが、騒ぎすぎて転ぶなよ」
「だって、いつも派手な騒ぎが起きてたでしょ。ようやく普通の艦みたいな生活? すごーく珍しいパターンじゃないですか」
アレックスは手元の報告書を確認しながら、浅く息をついて答えた。
「爆発せずに終わったのは喜ばしいが、油断はならんぞ。整備班の仕事も山ほど残っているしな……。お前も、もし何か怪しい兆候を拾ったらすぐ教えてくれ」
「もちろんです! 今回は再建造じゃないから、私も若干ヒマなんですよね。でも念のためステータス・モニターには一日中張り付いておきまーす」
コクピット後方では副長エリザベス・カーターが鋭い視線でデータをチェックし、状況を把握している。イザナミの、アリスのことだから、きっとどこかで何かが起きる──そう予感するがゆえに、自然とチェックにも熱が入る。
「調整箇所を引き継いだ整備班から報告がありました。エンジンとセンサーの一部に極微細なノイズがあるとのことですが、今のところ運用上の問題はないそうです」
「やった、私の艦体絶好調ですね。もう爆発再建造との縁はなくなったのかな!」
「はしゃぐのは程々になさいな。あまり油断していると、また何かやらかすわよ」
エリザベスは少し苦笑して言い、アリスを見やる。すると、アリスは「えへへ」と柔らかく笑う。ほんとうに、珍しく、平和だった。




