閑話‐1
頼りない人工の明かりがちらつき、床面の向こうに金属部品が滑り落ちていく。どこを見回しても暗い影が重なり、場所によっては微かな火花が散っているのがわかった。僅かながら低下し続ける気圧は、息苦しさを伴ってクルーたちをじわじわ追い詰めている。ここはイザナミの脱出艇──と言っても、もとはイザナミの居住区画とブリッジの一部をまとめて切り離した形のため、決して小さくはない。だが大きさと安全性は別の話で、至るところが損傷した艇内は破壊の痕跡が散乱し、通路や室内のどこを見ても安全な状態とは言いがたかった。
イザナミが散るときに生まれた爆風を至近距離で、しかも不均等に受けたせいで、船体は数秒につき一周ほどの速さで回転している。わずかに人工重力も働いているが、回転のために場所によって〝下〟の方向が異なり、歩けばコリオリ効果によって平衡感覚が揺さぶられる。
艦長アレックス・山本は、椅子の肘掛けに右腕の義手を引っかけながら、短く息をついて周囲を確認する。彼の目の前にはブリッジ・コンソールが砕け散ったまま放置され、そこをかろうじて補う形で非常用パネルが並んでいた。
「……艦の状況を改めて。副長、聞かせてくれ」
損傷した座席に座ったまま静かに問いかけると、艦内各所を見て回っていた副長エリザベス・カーターが苦しそうに息をのみ込んで答えた。
「まず姿勢制御が機能せず、回転を止められません。居住区画は一部が大きく抉られています。衝撃で隔壁が歪み、一部配管から空気が微量に漏れ続けているようです。生命維持装置も稼働率が半分未満で、現在のペースだと、数十時間ほどで呼吸に重大な影響が出ます……。通信装置は外殻アンテナが全滅。無指向性のビーコンをヘンリーが組んでみましたが、出力不足であまり期待はできないかと。唯一の救いは、電力だけはわりと豊富にあるということです」
脱出してから今この瞬間も、クルーは脱出艇の機能を取り戻すために奮闘している。しかしその成果があがっているかというと怪しい。率直に言えば、いま脱出艇はただ漂流しているだけであり、その機能限界に達するまで、そう長くはないことが容易に想像できた。
「そういうわけだ。本当は検査するまで再起動しない方が良いが、そうも言っていられなくなった。何かできることはないか、考えてくれ」
アレックスの視線の先に、一見場違いなホログラムの少女が佇んでいた。イザナミの制御AIであるアリス──戦艦イザナミそのものであるともいえる存在。彼女は艦体を失った今も、この脱出艇のシステムと接続し、人間の姿でクルーの前に現れている。ホログラムだから実体はない。アリスは脱出艇の回転運動に影響されず空中に安定して立ち、少し首を傾げていた。表情にはどこか子どもっぽさがあるものの、その瞳には確かに知性の輝きがある。
「なんでナースなんだ……しかもやけにクラシカル……」
だが、その姿はいつもの軍服をアレンジしたような衣装ではなく、今回に限って何故か看護師風だった。頭にはヘッドキャップ、身には白衣。その恰好を見た技術士官ヘンリー・小嶋が小声で呟く。
「えーと、ほら、皆のケアが必要かなって……。だけど、ごめんね、結局は手当てもできないし……」
「あー、まあ、一部の連中は元気になるかもな」
ヘンリーが肩をすくめる。メンテナンス用のインターフェース・ユニットでは脱出艇の情報を取得できないため、ブリッジ床下に格納されたイザナミ本来のコア接続スロットにアリスのAIコアを接続する必要があった。しかしブリッジは半分近くが崩壊しており、気密も失われ到達できない。そこで、ヘンリーの指示のもとクルーがバイパス配線を張り巡らせ、なんとかアリスが脱出艇を掌握できるようにしたのだった。ホログラムを使うとは思わなかったが。
しばし黙考したアリスは、考えがまとまったのか前へ進み出る。白いスカートの裾が、ふわりと弧を描いた。
「艦長、できることはあります。まず位置を割り出しましょう。内部の状態を調べてみたら、スター・トラッカーは駄目でも、その代わりに使えるセンサーが結構残ってました。これで太陽や惑星の相対位置を集めます。ある程度の時間観測できれば、時刻と合わせて考えることで、ここが太陽系のどの辺りか分かると思います。回転してるからノイズ除去が厄介だけど、逆に色々な方向が見えるということでもあるので。計算してみるから、少し時間をください」
「……すまないな。頼む」
その一言で、アリスの瞳が力強く光る。彼女はホログラムに太陽系のマップを表示し、脱出艇の推定位置を誤差とともに表示する。時間とともに数値が絞り込まれていく様子がわかる。しかしセンサーがそのためのものではないため、満足のいく精度が得られるまでやや時間がかかったようだ。やがて十分ほど経つと、アリスは小さく頷いて艦長を呼んだ。
「わかりました。位置と軌道が判明しました。現在は黄道面から黄道北極方向に約六十度で離脱中。いずれ楕円軌道に移行すると思いますけど、だいぶ速度がついてますね」
艦長は離れた場所に立つ副長へ視線を送る。副長は神妙な面差しで眉を寄せる。次の問題はこの場所を、おそらくはクシナダを含むであろう捜索艦隊に知らせる方法だった。この脱出艇は通信装置を失い、ただ暗い無辺の宙で彷徨っているのだ。
アリスは続ける。
「……場所を知らせるのも、方法があるかもしれません。アンテナなしで座標を知らせるなら、熱放射を用いた信号ならワンチャンあるかも」
「熱放射……?」
艦長は顔を上げる。見ると、技術士官のヘンリーも心当たりがあるらしく小声をこぼす。
「まさかスラスターの燃焼を利用するのか?」
「うん。ノズルが損傷しているとはいえ、燃焼ならできるスラスターが何本かあります。回転周期を計算しつつ、艦隊がいる方を向いたスラスターを短く点火して断続的な赤外線パターンを出せば……捜索艦がいれば、きっと奇妙なシグナルとして拾ってくれると思うんです」
古典的アプローチだが、この極限状態で使える方法など他にありそうもない。問題はあまりにも制御が難しいことだ。ノズルを損傷したスラスターのどこから燃焼ガスが漏れるかわからないし、回転し続ける中で斜めに噴射すれば、さらに脱出艇の挙動が乱れるだろう。だが、アリスならば瞬時にフィードバックを受け取って調整できる。
「だいぶ複雑なので、アルゴリズムを組み立てて、私から制御信号を直接送ります。スラスターが完全に壊れてしまう前に、座標の信号をのせて赤外線を放射し続けるんです。まるで灯台みたいに」
艦長は静かに呼吸しながら、アリスをしばし見つめた。看護師姿のホログラムが大真面目に語る姿が、なぜか頼もしい。アレックスは頷く。
「よし、やってみよう。ヘンリー、整備班とも協力してスラスターの状態を確認してくれ。副長はすぐにジェシカに指示し、負傷者の固定を確実に行ってくれ。状況に応じて追加のクルーを医療班に派遣。あと、他に固定が必要な箇所がないか手分けして確認を頼む。十分準備しなければ負傷者が増えかねない。みんな、踏ん張るんだ!」
指示が飛び交い、クルーたちがわずかな余力を振り絞って動く。スラスターは信号送出を優先して噴射するので、ただでさえ回転運動している脱出艇の姿勢はさらに乱れ、激しい揺れを生み出すに違いない。
医療班のジェシカ・ウエストは、本物の医療器具を抱え、複数の負傷者を相手に奔走していた。ベッドに横たわるクルーには、かなりの重傷を負ったものが数名いる。舞い上がった金属片で深い切り傷を受けた者もいるし、衝撃で飛ばされて骨折を負った者もいる。彼女はひとりひとりに穏やかな声をかけながら、最低限の処置をして痛み止めを分け与え、そして揺れに備えて患者と機器を固定していった。だがリソースが限られる以上、完璧な処置とは言えない。
「アリスちゃん、その姿はともかく、怪我人のそばに寄るなら動線は空けてね。ストレッチャーが通れないと困るから」
「あ、はい。見た目だけで何もできなくてごめんなさい。あとホログラムなのでそのまま通れます。もちろん邪魔にならないようにしますけど」
「……あっ、そうだった」
そしてアリスに手伝ってもらい、追加で固定が必要な箇所がないか、念入りに確認していく。もちろん戦闘艦なので、元から揺れても大丈夫なように作られてはいるが、低重力環境下でスラスターでぶん回されるというのは初めての体験で、何が起きるかわからない。
艇内の準備が整い、まずはスラスターの稼働を確認するために、スラスターを順番に噴射させていく。案の定、わずかな回転軸の変化により、特に回転軸から遠い側で振動が加わり、固定しきれなかった細かな物品や破片ががらがら床を滑っていく。
「ご、ごめん。結構揺れるね……でも絶対に信号を届けてみせるから……っ!」
艇内には呻き声や落下音が響く。ジェシカをはじめとした医療班は傷病者を保護しようと必死で機材を固定し、他のクルーも自身をアンカーポイントに固定するなどしてひたすら耐える。中には三半規管を揺らされ、頭部の流体スラスターを噴射させそうな者もいたが、脂汗をかきながらも己の尊厳にかけて何とか耐え抜こうとしていた。
アリスはスカートの裾を握り、ホログラム・ディスプレイの状態表示をじっと見つめる。
「赤外線は、十分に出てる……あとは継続して送信しないと。ヘンリーくん、配管まわりで温度が異常になってるの、ある?」
「いまのところ追加したセンサーに異常値はない。こっちは大丈夫そうだ。問題は燃焼系だな。やばい兆候があったらすぐ止めてくれ」
「うん! 私に任せて!」
ホログラム・ディスプレイの煌めきの中で、アリスは数値の流れに全神経を集中させた。




