3章‐5
辺境宙域の航海も残りあとわずか。国境ゲートへはあと数時間の巡航でたどり着く見込み。今のところ怪しい船影や、ましてや宙賊船なども見当たらず、拍子抜けするほどに平和な航行だった。
グリムブリア王国のVIP客船からは、ときどき通信で「地球圏の見どころ」について質問が来るぐらいで、いかにも間延びした雰囲気が漂っている。アリスも、そうした問い合わせにアバターの少女姿で応じることがあり、観光案内っぽい口調で「あちらに見える星雲は……」などと説明しては、副長エリザベスにたしなめられていた。
「だってぇ、向こうから聞いてくるんですよ? 私、結構こういう解説するの得意なんです」
「一応軍艦だってことを忘れないでちょうだい、アリス。まあ、あっちの乗客たちも退屈しないで済むんでしょうけど」
可笑しそうなエリザベスの声に、アリスは小さく「テヘヘ」と笑いながら、航行状態を表示するメイン・スクリーンへ視線を戻す。このまま長閑な航海が続けば──ほんの少し前までの死闘続きからは想像もできない展開だが──ごく平和な任務終了となりそうだ。たまにはそうなってほしい、とアリスは願う。
ところが、その願いをあざ笑うかのような変化が突如起こる。
イザナミから見て前方右舷寄りの位置にいた三隻の巡洋艦が、突如として編隊を外れ、不規則なコースを取り始めたのである。最初にそれを捕捉したのはアリスだった。彼女は一瞬で違和感としてそれを察知し、ブリッジに警告の声をあげる。
『あれ? 前方右舷の巡洋艦レヴィアタン、タイタン、ハイペリオンが……隊列を外れました』
ホログラムを消し、ただのAIインジケータに戻ったアリスの報告に、アレックスが操作パネルへ手を伸ばして前方カメラのホログラムを拡大表示させる。画面上に映し出されたそれらの艦影は、じわじわと艦隊陣形の中心から外れるように移動を始めている。距離はまだ十分遠いし、相対速度もそう大きくはないが、明らかに予定の経路から外れていた。
「通信は?」
『こちらから呼びかけしてみます。……えーっと、レヴィアタンに状態照会コマンド、タイタンとハイペリオンにも通信……』
艦橋に緊張感が走る。するとスピーカーから一瞬だけ軽いノイズが響き、巡洋艦からの返答を期待したが、それ以上は何もなかった。ふたたびアリスが各艦に呼びかけを行うも、結果は同じだった。
「どうした? 故障か?」
アレックスが眉を寄せて問いかける。すると副長エリザベスが即座にサブコンソールを操作し、通信ログを確認した。彼女の目が鋭くなり、やがて首を横に振る。
「少なくともこちらの通信システムに異常はありません。相手側が故意に応答を遮断しているか、あるいは通信機が故障しているか……」
そこにアリスがスピーカー音声で続ける。
『でも艦の動力や姿勢制御は正常に見えます。一隻だけじゃなく三隻同時に軌道を外れているのは……』
「嫌な予感がする。副長、訪問団には不穏な動きがあることを伏せつつ、さりげなく客船を安全な位置へ誘導しろ。余計な混乱は避けたい」
「了解。巡洋艦群に対しても、一応〝コース修正を願う〟程度のニュアンスで呼びかけを続けましょう」
副長が冷静な表情で指示を飛ばすと、艦内クルーたちがすぐに動き始めた。イザナミからは繰り返し「位置誤差が発生していると思われるので、コースを修正せよ」という旨の通信を送る。だが、それでも返事はなく、むしろレヴィアタンたちはじりじりとイザナミに接近し、目に見えて射線を取りやすい位置に移行し始めた。
アレックスは嫌な汗を感じながら、声を低くして言い放つ。
「フェンリルを前に出せ。あいつらとイザナミの間へ割り込むんだ。万が一撃ってきたら、フェンリルで防御ラインを構築する」
フェンリル級無人巡洋艦はAI制御下にあるため、こちらの指示を瞬時に反映してくれる。ホログラム・ディスプレイには六隻のフェンリルが滑らかな曲線を描きながら前方へ移動していく様子が映し出される。宇宙空間の砲撃戦闘は射線と射程が重要な要素を占めるが、フェンリルが間に入ることで、レヴィアタンらがイザナミを狙うためにはフェンリルを迂回または先に排除しなければならない。このタイミングで、イザナミの前に〝盾〟を置くのは合理的に思えた。
だが、その防御隊形を取るためにフェンリルが移動を開始した、そのわずかな数秒の間にだけ、いくつかの射線が通ってしまっていた。盾を築く途中にできてしまった一瞬の綻びが、惨事のはじまりだった。
まさにフェンリル級が新たなスタンバイ位置へ移動しようとした、その一瞬。レヴィアタンとタイタン、ハイペリオンの砲口から眩いレーザー光が奔った。それは高速かつ正確にイザナミを捉え、対峙するはずだったフェンリル級の防御配置よりも一拍早く、イザナミに直撃する。
「くっ……っ!」
艦橋が一瞬、強烈な揺れに包まれた。シールドが辛うじてレーザーの大半を吸収したものの、完全には防ぎきれず、一部が艦体表面にダメージを与えたのがありありと分かる。アリスが悲鳴混じりの声を上げた。
『うぎゃ! ちょ、いきなり撃ってくるとか! ……でもシールド展開はほぼ間に合ったはず!』
衝撃を呑み込みながらもアリスが悲鳴をあげ、副長エリザベスはすかさず被害状況を確認している。オペレーターが慌ただしい声で報告する。
「艦体表面の一部が焼損。シールド前部区画が二〇%ほど削られました! ただ致命傷ではありません、戦闘続行は可能!」
安堵するよりも先に、新たなアラームが鳴り始める。敵意を示したのは前方三隻の巡洋艦だけではなかった。艦隊の後方や左右にいた数隻の駆逐艦が同時に通信を切断し、火器管制レーダーをイザナミに向けているのだ。
続々と流れる緊急報告が艦橋を騒がせる。
「後方の駆逐艦ヘカテー、艦隊通信を遮断しました!」
「左翼側の巡洋艦コロッサスも砲口をこちらへ向けています!」
気づけば艦隊のあちこちで同様の異常行動が起こり、イザナミに照準を合わせている。アリスが歯噛みしながら叫んだ。
『これって……意図的に包囲しようとしてます! あっ、訪問団の客船方向にも砲口を……!?』
「ちっ、奴らは訪問団を人質に我々を抑える気か」
アレックスは険しい表情を浮かべる。訪問団を盾にされたら、イザナミとしては全力攻撃がしづらい。一瞬の迷いが命取りだ。副長エリザベスも冷や汗をかきながら指示を出す。
「フェンリルを再配置します! 訪問団の防御に三隻、イザナミ周囲の集団防御に三隻。……ただ同時に複数の方向から攻撃を受けるとなると、シールドの分散が必要です。間に合わないかもしれません」
「クシナダに状況を共有して、民間船の周囲を固めるよう伝えろ」
『ひとまず攻撃を受け止めつつ引き離します! 訪問団が巻き込まれないようにしないと!』
副長がクシナダとの回線を開き、急ぎ状況を伝える。クシナダの艦長からは、すぐに「対応する」との短い返信があったものの、クシナダのAI・クシナダヒメの声が聞こえることはなかった。
『クシナダヒメはどう思ってるんでしょうね? 私だったら絶対に混乱して〝ぎゃあ〟って叫んでますけど』
「おまえと一緒にするな」
アレックスが突っ込み、アリスはむうっと口をとがらせる。だがそんな軽口を叩いている場合ではすぐになくなった。周囲で砲火が閃く気配が増しているのだ。三方向から同時にミサイルが飛来し、そのうち一部がフェンリルの迎撃網をすり抜けそうになっている。アリスが反射的に叫んだ。
『ミサイル大量接近中! 十、二十、いえそれ以上! やばいやばい!』
「シールド展開を急いで! フェンリルにも補助させる」
副長エリザベスが指示を飛ばし、ブリッジのスクリーンが一気に映像を切り替える。そこには多数の輝く軌跡がイザナミに向かって 集中している様子が映し出されていた。遠景の星々が一瞬瞬きを増したように思えるほどの火力。
『迎撃! CIWSレーザーと副砲をまとめて動かします!』
アリスは声を張り上げ、レーダー情報を元に最適な射撃制御を走らせる。イザナミの近接防御システムがビョッと細い光線を無数に放ち、スペクターMk.Ⅲミサイルの群れを可能な限り破壊していった。だが、完全には間に合わない。どうしても何発かは突き抜けてしまう。
「くっ──挟み撃ちだと……!」
イザナミの周囲を取り囲むように、同時多発的に砲撃やミサイル攻撃が連鎖する。攻撃の配置が完全に計算ずくのように見え、訪問団を狙う軌跡もちらほら見受けられた。フェンリル級が懸命に迎撃体制をとり、何とかギリギリで船団に命中するのを阻む。しかし、イザナミ自身への被弾は増えていく一方だ。
『うー、なんで……こんな急に裏切るなんて!』
アリスの叫びがブリッジを震わせる。艦長アレックスも唇を引き結び、短く指示を繰り出す。
「こちらで防げる範囲は限られている。フェンリルが訪問団をガードしきれない場合を考えると……最悪の結果は避けられないかもしれん。副長、外部への警告通信を発信しろ。連邦艦隊の司令クラスに事態を伝える」
「了解しました!」
この混戦状態において、アレックスは一つの可能性に思い至った。暴走している艦たちは外部から統制を受けているのではと思えるほど、精密に連携している。何発か主砲を撃ち込めば、それだけで泡を吹いて逃げ惑う低レベルな宙賊とはわけが違う。やはり帝国の工作によるものか。ただ、これだけの規模で、しかも出発前に見つからずに何かを仕込むとなると、少なくとも物理的な手段であるとは考えづらい。となるとAIに何かされたのではないか──
「アリス、前にやったクラッキングを試せ! 相手の艦制御を取り戻せるかもしれん」
『やってみます! 前回の試験のときに使った手段ですね!』
アリスがクラッキングに集中するのであれば、兵装の制御とフェンリルの統制は人間のクルーに一旦渡す必要がある。副長はブリッジクルーに通達する。
「アリスは電子戦に集中するわ! イザナミの制御をマニュアルに切り替え! 砲撃支援や航行制御、精度は多少下がるけれど仕方ないわ。一時的に人間が対応するわよ!」
こうしてクルーが一丸となって手動操作に入った。通常、イザナミの砲撃やシールド管理はアリスが統合し、適切なタイミングで稼働するよう自動化しているため、精度や効率は極めて高い。しかしこれから、そのAIが電子戦に忙殺されてしまうので、艦の攻撃力と防御力はともに大幅に落ちる。好き放題撃ち込まれれば、イザナミといえど耐えきれない可能性がある。
人間側に制御権を移したのを確認して、アリスは電子戦に集中する。ブリッジのメイン・スクリーンには、複雑なコードの流れやID認証、パケットの往来がビジュアル化され、めまぐるしく点滅を繰り返している。アリスが超高速で侵入経路を探り、各艦AIのセキュリティに突撃していくのがわかる。
『アクセスチャレンジ、いきまーす……っと、ど、どうかな?』
長い数秒。しかし一向に相手の反応が変わらないどころか、逆に信号が遮断されるように塞がっていく。火力はそのままイザナミに向けられている。
「アリス、だめか?」
『う、うーん、ダメっぽいです! 相手のセキュリティがえらく強固になってます。私が知っている連邦艦のAIと違います。下手するとこちらが逆にクラッキングされかねません!』
アリスが半ばパニックの声で返す。
「アリスは電子戦から一旦引け! クシナダにも連絡。アリスのクラッキングは通用しなかったこと、そして、寝返った艦はAIが書き換えられている可能性があることを伝えろ」
艦長は歯噛みしながら言う。ホログラムの戦況表示に映る、各艦の炎のような砲撃表示が苛立ちを煽る。工作なり陰謀なりと決めつけることはできないが、実際にこうして容赦なく撃ってくる以上、連邦軍の艦といえど敵として対処せざるを得ない。
『ふぇぇ、艦長さん……私、戻ってきました! 電子戦の手応え、ゼロでした。戻って艦の制御に集中しますね!』
「助かる。頼むぞアリス。……く、こんな悪趣味な歓迎会をお膳立てした奴は一体どこのどいつだ」
アレックスの呟きには誰も答えられない。機体を深く軋ませる戦闘の振動だけが、解けない問いかけを嘲笑うかのように響いていた。




