プロローグ2
ブリッジから甲板へと移動する光景が、また〝別の視界〟として私に流れてくる。どうも私には、艦の各部に配置された無数のカメラやセンサーを切り替えて見る機能があるらしく、意識を向ければ即座にそちらの映像を投影できる。さっそく甲板の様子を拾ってみると、そこにはかなり広大なスペースが広がっていた。もし私が人間として歩いていたら圧倒されるだろうが、今は仮想的な眺めでしか感じられない。周囲には巨大な重力ドックらしき構造が組まれ、何本もの支柱が私──つまり、この戦艦イザナミを固定している。わからないが、多分ドッグに浮かんでいる状態なのだろう。
少し離れたステージ状の場所では、軍服を着込んだ人々が整列している。観覧席にはさらに多くの士官やゲストが招かれているのか、あるいは整備や技術スタッフが待機しているのか、アナウンスをする声が大音響でこだましている。何となく厳粛な音楽がBGMとして流れているのも聞こえる。
「ただいまより、最新鋭宇宙戦艦イザナミの進水式を執り行います! 本艦は地球連邦の英知を結集した第七世代の戦艦であり、最先端AIを搭載して画期的な……うんぬんかんぬん……」
アナウンスの声は少し上擦っていて、いかにもお役所っぽいお堅い調子だ。この時代ではAIを式典でお披露目なんてするのか。いや、それほど特殊で注目度が高い艦なのだろう。そんな艦になぜ私が? 未だに謎は深い。
ステージ中央には、先ほどの艦長と副長らしきメンバーも見え、そして拍手が起こる中、そこへ大将クラスの高官と思われる人物が登壇した。会場がしんと静まる。老人だが、ぎょろりとした眼光を持ち、品格ある仕草だ。周囲はその人物を「司令閣下」と呼んでいる。さらに上には大統領や元帥などがいるのかもしれないが、少なくともこの場では最上級に偉い立場らしい。司令閣下はマイクを握り、静かな声で言った。
「諸君、この艦は我ら地球連邦軍の象徴となろう。多くの敵と戦うための矛であると同時に、平和を築くための盾ともなるだろう。……さて、艦長アレックス・山本大佐、貴官と本艦の制御AIに、改めて敬意を表する。この席にて、制御AIに名を与えたいと思うが、用意はできているか?」
艦長はマイクを受け取り、小さく頷く。
「はい、司令閣下。我々は本艦を〝イザナミ〟と呼びますが、AIに関しては〝タクティカルAI、コードタクティカ−七〟としか登録がありません。広報部からの提案もあり、より親しみやすい名を与えていただきたいとの要望が出ております」
すると司令閣下は目を細め、艦長をちらりと見やりながら続ける。
「なるほどな……。ならば、古い文献を眺めていて見つけた人名だが……〝アリス〟というのはどうか? 地球の昔の言葉で『真実』や『高貴』を意味するとも言われるが、諸説ある。何しろ響きが良い。──アリス、と呼ぶことにしたい」
まさか、こんな形で名前を与えられるとは。私の本名──もともと日本人名だけど、今やこうなってしまった以上、新しい存在として〝アリス〟を名乗るのも悪くない。司令閣下の穏やかな、しかし揺るぎのない声で紡がれたその名。それに対して、艦長は少し表情を動かさないまま、「承知しました」とだけ返す。拍手が湧き上がり、盛り上がる会場。私の脳裏に、大学生だった時代の姿がよぎる。あちこちの国から集まった友人に呼ばれるニックネームはあったけど、〝アリス〟は少し可愛いすぎるかもしれない……などと、可笑しいようなくすぐったいような、不思議な気持ちが込み上げる。
そして、マイクが私のほうへ切り替わった。甲板側の巨大スクリーンには〝制御AI映像〟と称して、私の言葉が文字テロップとしても出るらしい。今まで私は〝普通のAI口調〟を頑張ってきたが、ここは失礼がないよう、できるだけ素直に応じる。かといって、人間くさすぎても変に思われる。礼儀正しく返すべきだろう。
『AIより皆様へ……名を頂き、感謝申し上げます。これより、私の通称は〝アリス〟と致します。本艦イザナミと共に、皆様の力となるべく尽力いたします』
拍手が大きくなる。司令閣下が続けて、威厳ある声を張り上げる。
「よろしい。制御AI〝アリス〟! 貴官には戦艦イザナミの頭脳としての役割を期待する。いかほどの性能か、我々はその大いなる力を信じている。艦長、アレックス大佐、そして副長エリザベス・カーター中佐、技術士官ヘンリー以下クルーの皆も、本艦を誇りとし、これからも地球連邦の平和に貢献してくれ!」
大きな歓声とともに、進水式のメインイベントが幕を下ろす。周囲で風船や紙吹雪が舞い、マーチングバンドさながらの音が鳴っている。慌ただしい熱気に包まれつつ、私はひとまず「アリス」という新しい呼び名を受け入れた。こうして正式に名前を得た瞬間が、私の第二の人生(なのか第三の人生なのか)の始まりなのだろう。
進水式が終わると、アレックス艦長とエリザベス副長が甲板端で報告を交わしている姿が見えた。司令閣下はそのままステージを降りて、周囲の役員たちに挨拶をしている。私のデータリンクには、技術士官のヘンリーから各種調整や模擬演習のプランが続々とアップロードされてくる。どうやら、早速いろんなテストを兼ねた出航が近いらしい。
私がデータを眺めていると、副長が少しだけステージから外れて通信を入れてきた。艦内回線で、直接AIに向かって話している形のようだ。
「AI──じゃなくて〝アリス〟。このあと艦橋でミーティングを行うから、そちらに接続して。艦の準備状況の共有やクルーの顔合わせも兼ねて、簡単なセッションをするわ。……ちなみに、変な口調はやめてね。あまりに人間味が無さすぎると逆に不気味だし、かといって馴れ馴れしすぎるのもどうかと思うけど」
最後に含みのある口調で終わった副長の言葉に、私は動揺しそうになる。しかし、それ以上の踏み込みはなく、少しクスッと笑った感じですぐ回線が切られた。どうやら彼女は気付いていないが、〝最新AIなんだからもっと自然に振る舞え〟という指導かもしれない。そうだよね。完全な機械音声よりも、多少感情表現があったほうが連携しやすい。現場はそう考えているのかも。私にとってはありがたい方針だ。