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第8章:賢者オーレリアの試練(1)

 王都を出発し、数日後。

 カイルたち三人は、さまざまな街道や森を抜け、古代図書館跡へと通じるという山岳地帯へ足を踏み入れていた。

 かつては賢者や学者が集い、膨大な知識が蓄積されていたと伝わる場所。

 そこに『賢者オーレリア』が現れるという噂が残っているらしい。


 もっとも、その道程は険しく、荷馬車を使えるのは途中まで。

 山道に差し掛かったあたりからは徒歩での移動を余儀なくされた。

 幸いにも、地図に載っている限りでは目的地の『古代図書館跡』はさほど遠くない――はずだが、現地には道標もなければ整備された道もない。


「うわあ、これ……想像以上にしんどいわね」


 ライナが重いリュックを背負い、息を切らしながら愚痴をこぼす。

 いつもは元気いっぱいの彼女だが、険しい崖や岩場を越えて進むのは容易ではない。


 エレーナもローブの裾が汚れてしまい、苦笑交じりに「私も、修道院の山登り訓練を少しやったことはあるけれど、さすがにここまでの道のりは初めて……」と呟く。


「ここいらの山は野生の魔物も多いし、足を滑らせないよう気をつけて……」


 カイルは地図を広げながらみんなを先導するが、地形が複雑なせいで方向感覚が狂いがちだ。

 もともとフェリダの村周辺しか詳しくない彼にとって、険しい山岳地帯は未知の領域。

 一行は何度も「行き止まりだ!」「こっちじゃないの?」というやり取りを繰り返しながら、やたら回り道をしている。


 そんな道中、ちょっとしたアクシデントが起きた。

 狭い崖沿いの小道を進んでいたところ、地面に滑りやすい苔が生えていたのだ。

 ライナがちょっとした足元の段差に気づかず、つるっと滑って尻もちをつく。


「いっ……たたた……もぉ、なによこれ!」

「ライナ、大丈夫!?」


 カイルとエレーナが駆け寄るが、ライナは情けない体勢でうずくまり、苔だらけのズボンを見て激しくむくれている。

 彼女はいつもアクティブだが、足元には少し無頓着なところがあり、こうした小トラブルが多いのだ。


「あー、恥ずかしい……私が先頭だったら、確実に笑いものになってたわ」

「ライナが崖から落ちないでよかったよ。本当に危ないから、気をつけて……」


 エレーナはホッとしたように声をかけつつ、軽く治癒魔法を施す。

 どうやら骨折はしていない模様。

 ライナは目尻を赤くしながらも、その優しさに思わず苦笑いする。


「やっぱりエレーナがいてくれて助かるわ……」


 さらに、山の谷間へ下る道中で、突如強い風が吹き荒れて三人の帽子やケープがあおられる。

 カイルの被っていた薄いフードが吹き飛ばされて崖下へ落ちそうになるが、ちょうど木の枝に引っかかってしまう。


「ちょ、ちょっと待って、あれ取らないと……!」

「ええっ、危ないからやめてよカイル、崖の淵だよ!?」

「でも、あれお気に入りなんだよ……」


 必死になってロープを投げるカイルの姿がどこか滑稽で、ライナは呆れながらも手伝ってロープの先にフックを付ける。

 まるで小さなサーカスのような光景だ。

 エレーナも崖下を覗き込み、ヒヤヒヤしながら魔力で風を抑えてくれる。


「これ、本当に賢者に会えるのかしら。私たち、道中だけで体力使い果たしそう……」


 エレーナが半分冗談めかして呟くと、ライナは苦笑して同意する。

 カイルもフードを無事回収しながら、「いや、きっとこういう小トラブルも旅の醍醐味ってやつだよ」と、へとへとになりつつも前向きに答える。


 こうしてコミカルな迷走を重ねながらも、三人は少しずつ山を越え、森を抜け、高地に向かって進む。

 やがて周囲の植生が変わり、古い建築物の礎石のようなものが点在し始める。

 かつてここに大規模な施設があった証拠だろう。


「そろそろ……目的地かな?」


 カイルがそう言いかけた瞬間、視界の先に陰鬱な雰囲気を湛える巨大建造物の残骸が現れた。

 壁は崩れ、柱が何本も倒壊しているが、その威容は今なお十分に伝わってくる。

 文字が彫られた石板や、朽ち果てた書架のような構造物が見える。


「ここが……古代図書館跡か。こんな奥地に、よくこんな大規模な施設が建てられたわね」


 エレーナは驚嘆の眼差しを向け、ライナも「ふむ……確かに、『賢者』がいそうな雰囲気ね」と腕を組む。

 カイルは胸の奥で高まる鼓動を感じながら、足を踏み出す。


 ◇◇◇


 倒壊した石造りの門を潜り抜けると、広々とした空間が広がっていた。

 かつては多くの書物や文献が並んでいたのだろうが、今は瓦礫の山と化している。

 天井だった部分はほぼ崩落し、木々や蔦が侵食して廃墟となっていた。

 

 しかし、建物の中心部へ近づくに連れ、不思議な光が差し込んでいることに気づく。

 外の陽光とは異なる、淡い白金色の輝き。

 まるで空気が揺らめくように光の筋が漂っている。


「何、この光……なんだか神秘的……」


 エレーナが思わず呟く。

 ライナも目を見張り、「鳥肌が立つ感じ……悪い予感じゃないけど、ゾクゾクする」と囁く。

 カイルは小枝を握りながら、慎重に足を進めた。


 図書館の中央ホールと思しき場所の床には、奇妙な紋様が浮かび上がっている。

 形は円を基調に、多重の円環と幾何学模様が交差し、ところどころで光が走っているように見える。

 その中央に、白金色の長髪を持つ女性が立っていた。

 年の頃合いは三十代前半ほどだが、どこか人外の気配を漂わせる。

 まるで光の粒子を纏っているような、美しくも畏怖を覚える佇まい――。


 三人が言葉を失ったまま見つめていると、女性は静かに振り向いた。

 澄んだ瞳がカイルたちを見据え、その一瞬、空気がひんやりと張り詰めるように思える。


「あなた方は、何を求めてここまで来たのかしら?」


 柔らかいが、どこか超然とした声が広がった。

 まるで人間のものとは思えないほど澄んだ響き。

 カイルは咄嗟に答えに詰まるが、ライナが一歩前に出て言葉を紡ぐ。


「私たちは……『賢者オーレリア』を探しています。闇の騎士団と教団が引き起こそうとしている脅威を止めたいんです。あなたがその『賢者』なんですか?」


 女性は静かに瞬きをし、わずかに微笑むような表情を浮かべた。


「そう……ならば、あなた方は『永遠の賢者』と呼ばれてきた私を求めている、ということね。私の名はオーレリア・ザ・エターナル。人と神の狭間に生まれ、世界の転換点を見届けてきた存在……とでも言うべきかしら」


 エレーナが息を呑み、カイルも戸惑いながら言葉を継ぐ。


「やっぱり……本当にいらしたんですね。俺たちは……暗黒騎士ルシアスっていう強大な敵に苦しめられていて、教団の闇の儀式が完成したら世界が危険な状態になるかもしれない。それを阻止する力を探しているんです」


 オーレリアは軽く頷く。

 まるで、すべてを既に知っているかのような落ち着きだ。


「やはりそうなのね。闇の勢力が再び大きく動き出し、世界の秩序を乱そうとしている……。私も微かに感じていたわ。あなたたちがここに辿り着いたのは、偶然ではないのかもしれない」


 オーレリアはゆっくりと手をかざし、周囲の光が渦を巻くように集まる。

 その光が床の紋様を刺激し、淡い光芒がホール全体へと広がっていく。

 カイルたちは眩しさに思わず目を細める。


「私は人間に知恵や力を与える代わりに、いつも『試練』を課してきたの。たとえ強大な力を得ようとも、それを扱う覚悟がなければ必ず世界を歪めるから……」


 オーレリアの声には静かな威厳があった。

 エレーナは身がすくむような思いで、「試練……」と口の中で繰り返す。

 ライナも、負けん気を示すように剣の柄を握り、カイルは小枝を持つ手に汗をかいていた。


「あなたたちは『仲間の想い』を武器に戦おうとしているのね……特にあなた、カイル・ファーヴェル。小枝に宿る『共感』の力を試そうとしているでしょう? 本当にそれが、世界を変える力になるかもしれない。けれど――」


 オーレリアは一瞬、辛辣な光を瞳に宿してカイルを見つめる。


「覚悟があるのかしら? 自分の弱さや仲間の重荷、すべてを背負う勇気が……」


 まるで心を見透かされているかのような言葉に、ライナとエレーナは思わず顔を見合わせ、息を呑む。

 カイルも心臓が激しく鼓動し、首筋に冷や汗が伝う。

 自分たちが抱える葛藤――ガレスの大怪我への責任感や、ルシアスへの恐怖、そしてライナとのすれ違いやエレーナの罪悪感――。

 それらが丸見えになっているかのようだ。


「試す、とは……具体的にどういうことをするんですか?」

「私に触れてごらんなさい。あなたたちの心を映し出す『試練の迷宮』に招待するわ。あなた方が本当の意味で結束できるのか、未来を変えられるほどの力を目覚めさせる覚悟があるのか――それを確かめさせてもらうの」


 エレーナが少し震えた声で尋ねると、オーレリアは唇を綻ばせ、不思議な微笑を浮かべた。


 オーレリアの言葉に従い、カイルたちは彼女の差し出す手に触れた。

 その瞬間、視界がぐるりと歪み、足元が遠のくような浮遊感に包まれる。


「うわっ……何だ……?」


 ライナが思わず声を上げるが、エレーナも「きゃっ……!」と短い悲鳴を発したかと思うと、三人の体は光の渦に飲まれていく。

 数秒か、数分か――感覚が曖昧になる中、やがて視界がクリアになったとき、そこはまったく別世界のような空間に変わっていくのだった。


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