第6章:暗黒騎士ルシアスの襲来(2)
ライナは真っ先にルシアスへ斬りかかろうとしたが、ガレスが「待て!」と制止し、自分が前に出る。
元副団長としての経験が告げるのだ――あの男は規格外だ。
突撃しても返り討ちになるだけ。
ガレスは騎士剣を構え、盾のように前腕を突き出す。
短く刈った黒髪に混じる白髪が、彼の年輪を物語るかのように揺れた。
「カイル、ライナ! お前たちは神官や貴族を避難させろ。エレーナ、負傷者の回復を頼む。ここは俺が……食い止める!」
「でも……ガレスさん一人じゃ……!」
カイルが叫びかけた瞬間、ルシアスは一気に距離を詰め、振り下ろした大剣がガレスの剣を真っ向から叩きつけた。
衝撃波のような風圧が広間を揺らし、周囲の人々が吹き飛ぶ。
「ぐっ……!!」
ガレスは歯を食いしばりながら踏みとどまり、盾代わりの剣をなんとか支える。
だが、ルシアスの魔人化した筋力は想像を絶するものらしく、ガレスの足元が石畳にめり込むほどの衝撃が走る。
「お前が噂の元副団長か。騎士道を語るには少し歳を取りすぎたな……」
ルシアスは冷たい笑みを浮かべたまま、さらに剣に闇の力を込める。
大剣の刃から漆黒のオーラが漂い、ガレスの剣を内側から砕こうとするかのように軋む音が響いた。
「ガレスさん!」
ライナが叫び、横合いから斬りかかるが、ルシアスは片腕でそれをいとも容易く防いだ。
むしろ闇の衝撃波が逆流し、ライナは大きく弾き飛ばされる。
「な、何、この強さ……!」
床を転がり、ライナは苦痛に顔を歪めながらも剣を放さずに踏ん張る。
カイルは小枝を構えて増幅を試みようとするが、ルシアスの闇オーラが邪魔をしているのか、思うように力が集中できない。
ガレスは最後の力を振り絞り、一瞬ルシアスの剣を受け流すような動きを見せた。
まるで闇の力を裂く隙をつかんだかのように、逆手に握った短剣をルシアスの胸元へ突き立てる――かに見えた。
「はあぁっ……!」
刹那、ルシアスの瞳が残酷に細められる。
大剣を後ろに反らし、すさまじい勢いでガレスの脇腹を薙ぐ。
ガレスは反応が遅れた。
短剣はルシアスの鎧をかすめるだけに終わり、そのまま強烈な一撃をまともに受ける形となる。
「うっ……がぁっ……!」
鈍い音とともに、ガレスは床へ叩きつけられた。
その体から鮮血が溢れ、意識が遠のきかける。
カイルは慌てて駆け寄るが、ルシアスは動じずに大剣を振り上げたまま軽く息を吐く。
「ふん……さすがに副団長の名は伊達ではない。今ので少しだけ肝が冷えたぞ。だが、貴様の時代は終わったようだな」
「っ……まだ、終わらん……!」
ガレスは必死に起き上がろうとするが、身体がうまく動かない。
エレーナが半泣きになりながら彼の傍に駆け寄り、回復魔法を施そうとするが、ルシアスの闇が広間全体を満たしているせいか、魔力が掻き消されるようで効果が薄い。
「ガレスさん、ダメ……こんな、傷……!」
エレーナはうわずった声を上げる。
そのとき、ルシアスが背後から斬りかかる構えを見せた。
狙いはガレスを守ろうとするエレーナ――。
「やめろぉっ!!」
カイルはとっさに小枝を振りかざし、闇のオーラを裂こうとするが、ルシアスの動きはあまりにも速い。
大剣が闇を纏い、エレーナとガレスを一刀両断にせんと迫った瞬間、ライナが果敢に盾をかざして踏み込んだ。
「どいてろ、小娘が……!」
ルシアスの剣がライナの盾を砕き、彼女をもろとも吹き飛ばす。
床に叩きつけられたライナは、痛みに耐えながら絶叫を上げる。
「カイル! エレーナを連れて逃げて……! 今の私たちじゃ……勝てない……!」
カイルは痛烈な無力感に襲われる。
自分が何かしなければ仲間が死ぬ――それでも、小枝を握りしめても増幅がまるで効かないほどルシアスの闇オーラは強大だった。
まるで深淵に飲まれそうな絶望感。
「ぐっ……!」
負傷したガレスが血を吐きながら、カイルに向かって怒鳴る。
「お前たち、早く逃げろ! 俺が……ここで食い止める……」
「でも……!」
「いいから行け! 俺の誇りにかけて、若い連中をここで死なすわけにはいかん……!」
ガレスの目には涙がにじんでいるように見えた。
壮年の武人として、若者を生かそうとする強い意志が宿っているのだ。
ルシアスは周囲を見回し、すでに無力化した貴族や教団の神官たちに興味を失ったのか、すっと大剣を引く。
闇オーラが縮まり、その満ちた圧迫感が一時的に薄れる。
すると、部下らしき暗黒騎士数名が後ろから現れ、ルシアスに何事かを耳打ちした。彼はわずかに眉をひそめる。
「ここまでだ。奴らが来る前に退散するか。まったく、王都とは厄介だな」
ルシアスは不敵な笑みを浮かべ、最後にカイルたちを一瞥する。
ルシアスと暗黒騎士たちは壁の破壊口からさっと姿を消していった。
まるで台風のように城内を蹂躙し、あっという間に去っていったのだ。
床には血が広がり、呻き声があちこちから聞こえる。
ガレスは深い傷を負ったまま意識を保っているが、致命傷とも言える出血量だ。
エレーナは必死に回復魔法を試みるが、闇の残滓が邪魔して思うように癒せない。
「ガレスさん、しっかり……!」
「大丈夫、だ……まだ……死にはせん。くそっ……!」
ガレスはかすれた声でそう呟き、息を荒くする。
広間には騎士団の応援らしき足音が近づいてくるが、ルシアスたちを止めるにはまるで間に合わなかった。
カイルは立ち尽くすしかない。
ライナは左腕を押さえて痛みに耐えながら、カイルの方を見やる。
その瞳には悔しさと絶望感が入り混じっていた。
後から駆けつけた正規の騎士団や医療班が被害状況を把握し始める。
多くの貴族や神官が負傷し、中には命を落とした者もいるようだ。
会議は大混乱に陥り、事態の収拾がつかないまま終わりを迎えた。
カイルたちは重傷を負ったガレスを最優先で運び出し、ギルドの医療施設へ搬送することを決める。
王宮の医務室も混乱状態で、手が回らないのだ。
ライナやエレーナも少なからず怪我をしているが、自力で動ける程度。
彼らは連れ立って城を出る。
エレーナは回復魔法を断続的に試みるが、ガレスの傷は深く、完全な治癒には時間がかかる。
カイルは馬車の中で額に滝のような汗をかきながら、ガレスの脇腹を押さえて止血を手伝う。
「ごめんなさい……俺、何もできなくて……」
「自分を責めるな……ルシアスが……化物過ぎるだけだ……」
ガレスは途切れ途切れに言葉を吐く。
血の気が引いた顔は苦しそうだが、どこか安堵したような表情も混じっている。
「お前たちが生き残っただけで……俺は……それで……」
それ以上は声にならない。
カイルもライナも歯を食いしばって涙をこらえ、必死に呼びかける。
◇◇◇
ギルドの医療施設に着くと、スタッフたちが緊急でガレスを手当てし始める。
深い傷だが、命を繋ぎとめることはできそうだ――そう告げられて、カイルたちはようやく一息つける。だが、問題は山積みだ。
「あれほどの圧倒的な強さなんて……」
ライナはベッドに腰掛け、包帯を巻いた腕をさすりながら、暗い目を落とす。
エレーナはローブの袖を握りしめ、苦々しく唇を噛みしめている。
「私……私がもっと強い聖光を出せれば……」
「エレーナのせいじゃないよ。あんなの、普通に戦って勝てる相手じゃない……」
カイルは小枝をそっと握りしめる。
自分にはまだ扱い切れない力だが、あそこまでの怪物に対抗するには、何らかの突破口が必要だと痛感する。
「カイル、あんたはどう思ってるの……?」
ライナが弱々しい声で問いかける。
その瞳には、カイルへのもどかしさと期待が入り交じっている。
「俺は……もっと強くならなきゃいけないと思う。正直、今のままじゃルシアスには歯が立たない……」
言葉を詰まらせるカイルを見て、ライナは唇を震わせる。
「そうだよね……私たち、このままじゃ誰も守れない……。でも、一体どうすればいいの……?」
◇◇◇
医療施設の廊下で、パーティは沈黙に沈む。
外では、王都が騒然としているらしく、騎士団が慌ただしく駆け回る足音が聞こえる。
貴族や教団内部でも動揺が広がり、今後の政治バランスは大きく乱されるだろう。
エレーナは胸に手を当て、少し震えた声で言う。
「私が狙われる理由も、ルシアスが何を企んでいるのかも、まだ分からない。教団の闇の儀式と、あの騎士団がどこで繋がっているのか……。でも、きっと私がその鍵になっているんだと思う」
「そんな、エレーナが気に病むことないわ……」
ライナは手を差し出し、エレーナの肩をそっと叩いた。
互いの不安や葛藤を共有するような、微かな温もりがそこにある。
カイルはエレーナを見つめ、そして横にいるライナの方へ視線を移す。
二人とも苦痛や後悔に満ちた顔をしているが、立ち止まっていられないのは明らかだ。
何か手がかり――ルシアスに対抗するための術を探さなければならない。
数時間後、医師たちの懸命な治療でガレスの出血はどうにか止まり、危篤状態からは脱した。
意識は戻らないままだが、命に別状はないと診断される。
カイルたちはほっと胸を撫で下ろすが、同時に心の痛みが増す。
「こんなにも苦しめて……ルシアス、絶対に許せない……」
ライナは眠るガレスを見つめ、拳を握りしめる。
エレーナも必死に涙を堪えながら静かに同意する。
「もし、ルシアスが闇の儀式を完成させる前に手を打たないと、もっと大きな犠牲が出るかもしれない。私……覚悟を決める。みんなを巻き込んでるって分かってるけど、もう逃げない」
エレーナの言葉は弱々しいが、確かな意志が感じられた。
カイルは小枝を握り直し、深呼吸して口を開く。
「俺も、一緒に戦う。力不足かもしれないけど、諦めたくない。ガレスさんだってきっと回復して、また力を貸してくれる。だから、そのときまで俺たちが頑張らないと……!」
ライナは少し微笑んで、「あんたがそう言うなら、やるしかないわね」とうなずく。
敗北の痛みは深いが、その先にある新たな決意が、三人の心を結び直す。
ただし、今のままでは力も情報も足りない。
ルシアスという絶対的な強敵に対抗するためには、さらに大きな手掛かりや訓練、あるいは秘術のようなものが必要になるだろう。
こうして王都を震撼させた暗黒騎士ルシアスの襲撃は、あっという間に終息した。
だが、被害は甚大で、政治的混乱も避けられない。
カイルたちはギルドを通じて状況を整理しつつ、ガレスの容体を見守り続ける。
「あれほどの怪物と、これからどう立ち向かえばいいのか……」
ライナは誰にともなく呟く。
カイルとエレーナも答えを出せないまま、廊下の椅子に腰を下ろし、遠くで煌々と灯る王城の明かりを眺めていたのだった。




