角笛の嘆声
猟師という仕事がある。
人間以外の動物を狩って生きている。
腹の立つ笑顔の店主に別れを言って店を出て、そのまままっすぐ集落を後にする。
もう少しまけてくれたっていいのに。ケチめ。
雪に覆われた道を歩く。ため息が白く見える。
先週から突然の大雪があって、余裕があったはずの倉が底を見せた。
仕方なく雪のやんだ今日、守銭奴のところまで交換に来た。
雪景色のなかを荷物を背負って、そりを引いて歩く。
視界は常に白い。顔を上げると行く手の遥か向こうに巨大な山が見える。
木々からはたまに雪が落ちてくる。
「ただいま」
扉を閉めながら発した挨拶に、当然返事はない。
早いうちに荷物を倉に運んでおこう。
冬になってからユタカじいさんは眠っていることが多くなった。
今日も布団から動いたあとはない。
だから今は俺がほとんどひとりでやることになっている。
その日はいろいろ仕事を片付けていると日が暮れた。冬は休みが少ない。
暗くなるとユタカは起きて、そのときだけは炉の前で一緒に飯を食う。
翌朝、庭に出たところで燃料の処理をしていると、旅人らしい人が通りかかった。この時期にここを通る人がいるなんてめったにない。
そのまま北へ向かった。全身を白い布で包んでいる。
森に出てそりを引いて歩いていると、さっきの旅人が木に向かって手を伸ばしているのを見つけた。
「...何してるの?」
声をかけると何かを持って近くに寄ってきた。白い仮面を着けていて表情が読み取れない。
「このあたりの人ですか」
「...うん。まあ」
手に持ったつららをくるくる回している。
「どうしたの?」
もう一度尋ねてみる。
「今日の寝床を探していまして」
「...野宿するの?」
「はい」
「どこか泊めてもらったら?また雪が降るかもよ」
「どこかですか?」
「...うん。ここに来るまでに村みたいなのあったでしょ」
訊くと首を傾げる。どうやら知らないらしい。
「え...昨日までとかどうしてたの」
「野宿です」
この地に慣れている者でも家の外には出られないほどの雪だった。旅人がよく生きていられたものだ。
つららを光にかざして見ていた視線を足元に向ける。
「手伝いますか?」
「いや...」
氷を積んだそりはなかなか重い。
冷たい息を吸い、紐を背負いなおして歩きだすと後ろをついて来る。
「エル...っていうの?名前が?」
「はい」
答えるときも顔を巡らしながら歩いている。
「変わった名前。どこから来たの?」
「生まれならイェトラですね」
聞いたことがあるようなないような。少なくともこの近くではないだろう。
その見慣れない衣服は南のほうのものだろうか。あまり暖かそうには見えない。
「どうしてこんなところまで?」
「知り合いに呼ばれまして。初めて来るので少し道に迷いました」
この季節にこんなところに呼ぶとはひどい知り合いもいたものだ。
エルは北の山に仮面ごしの視線を向ける。
「ほら、こっち」
「ほんとにいいの?うちも少しなら泊めてあげられるけど」
庭先で炭をまとめながら背後に問うが返事はない。
「エル?」
振り返るが誰もいない。さっきまでいたのに。
倉に近づくと声がした。
「この道具はどうやって使うんですか」
「...ちょっと、それさわんないでよ。危ないんだから」
エルは倉の横しまってある箭を見ていた。
「少し待ってて。今日はこれ終わらせちゃったらもう休むから」
そう言うと、おとなしく倉から出てきた。
「猟師ですか」
「そう」
二人で森の中を歩く。こうしてゆっくり歩くのもなんだか久しぶりな気がする。
このあたりの冬は魔物が少ない。脅威になるのは、天候と、それから野の獣。獣は少ない作物を荒し、家畜を襲う。場合によっては人間も。
猟師とは、人々の暮らしを守るために、そういった人間以外の動物を狩る人のこと。
「最近ではあまり聞かなくなりましたね」
「...そうかもね」
決して人気のある仕事ではない。
魔物から人々を守る狩人に憧れる子供は少なくない。それに対して猟師は目立たない。
「...ていうか最近ってなに?」
ここ数年で目に見えるほどの動きがあったとは思えない。
そういえば大昔は人間は食料や衣服を確保するために狩りをしていたらしい。大昔は。
「綺麗ですね」
エルにつられて顔を上げると、軽い雪が舞っていた。
「...珍しいの?」
「冬の雪山なんて来ようと思っても来られないですから」
「...ああ」
「寄り道した甲斐がありました」
「...は?」
「もうすぐ冬が終わりますね」
エルはこちらを見ず、疑問を挟む余地を与えない。
「...ああ。もうすぐだね」
風も先月ほどの冷たさはない。年明けが近い。
「春になったら、このあたりはどんな生き物が見られますか?」
「そうだなあ。ウサギとかシカは結構出てくるかな。キツネなんかもいるし、たまにイタチも見る。...そういえば最近クマが出たって言ってたな。穴持たず」
しばらくの間のあと、地面の丸太に飛び移ったエルは全く違う質問を唐突にしてきた。
「猟師の暮らしは大変ですか?」
唐突でどう答えればいいのかよくわからなかった。見上げるとエルは黙ったまま少しずれたところを見ている。
「...どうだろ。あまり思ったことはないかな。それに誰かがやらなきゃいけないことだし。最初はちょっとつらかったけど慣れた」
エルは今度は足元を見る。
雪が強くなるとまずいから帰ることにした。ちょうど腹も減った。
「ーーですからね」
「最初はそう思ってたけどね」
「では」
雪がやんで、頭を下げて去って行こうとするエルを呼び止める。
「ちょっと遅いけど、昼飯一緒に食べない?」
「いえ」
エルとは目が合わない。
「...そう。気をつけてね」
「あ」
思い出したように声をあげて荷物を漁り始める。
「これを」
差し出してきたのは大小ふたつの袋だった。
「...これは?」
「薬です。持っていても仕方がないので。礼と言ってはなんですけど」
「...礼?なんの?」
訊き返した俺の手に、袋と、加えてもうひとつ小さなものを乗せた。
「詫びかもしれません」
意味が分からなくてさらに訊き返そうとしたとき、正面から強い風が吹いた。
舞った雪に目を閉じ、再び開けたときには視界には誰もおらず、ただ白い景色があった。
改めて見ると、雪は綺麗だ。
翌朝、燃料の処理をしているとタツキとミノルが帰ってきた。
帰って来た時、ミノルはタツキの肩に担がれていた。
そのまま二人は玄関に腰を下ろす。
「怪我したの?」
「転んだだけ。たいしたもんじゃないよ」
庇っていた帯を外すと脛のあたりの布が裂けていて、血が見えた。転んでできたにしては深い傷だ。
「まあ今回は多分向こうが金を出してくれるから。だけど傷薬は使い切っちゃって。予備あったか?」
「いや。あれで最後」
「じゃあ村で買って来るか」
一緒に買ってくればよかったなと思って。
「あ!待って」
タツキが立ち上がる前に思い出す。隣の部屋からエルにもらった袋を取ってくる。
「あるよ少しだけど。包帯も」
二人は少し顔を見合わせたが特に追及はしなかった。
「じゃあ後でいいか」
炉の火が音を立てる。
「仕事終えてね、帰るときタツキが木の根っこにつまずいたの」
「こいつの犠牲のおかげでぼくは無傷」
「そんなことだろうと思った」
タツキはともかくミノルが派手なドジをやらかすとは思えなかった。むしろタツキを庇って怪我をしたのだろう。
タツキはやっぱり罰として走らせるべきだったか。
「あんなところでスキップなんかするからさ。あーあ。この借りはどうやって返してもらおうかな」
「スキップはしてないけど深く反省」
正座したままのその仕草がおかしくて笑ってしまった。ちなみに借りはもはや数え切れないので相当待たないとこの借りの順が巡ってこない。
その間にユタカは食事を終えて、一言も発さないうちにさっさと寝床に戻ってしまう。無駄口が生業みたいだったのに、年をとってほとんどしゃべらなくなってしまった。
「ところで、あの薬とかはどうしたの?」
問われて、何気なく袋と一緒に棚にしまった飾りを見る。おそらく指につける装身具だろうがサイズが合わなかった。まことに残念ながら。初めて見るが俺にもわかる見事な意匠で、捨てるには惜しかった。
「もらった」
「誰に?まさかタクミじゃないだろう?」
「旅人」
「...ん?」
「たまたまこの近くを通ったんだけど。...まあいろいろと変なやつだったね」
俺が感じたあの異質さをうまく説明できる自信はなかった。
何者だったのか。たまたまだったのか。
今回、二人が依頼を受けて出かけたのは禁山の近く。最も危険な場所。
北のはるか遠くに見える巨大な山は禁山と呼ばれる。頂が雲に隠れるその高さにもかかわらず、全体が深い森におおわれていて、周りが白一色になる冬でもずっと緑が見られる。麓の木々が見たことない、そして緯度に似合わない類のものになるところから先へ、人間は立ち入ってはいけないと言われる。
その周囲は冬でも魔物がうようよいる。標的となる生き物に魔法は効かないから、多くの猟師は魔法を使わない。街で暮らす者と同じように、魔物に対しては身を守る術を持たない。
そうでなくても、当然生きた標的はおとなしく殺されてはくれない。
そして、手練れの猟師は一息で仕留めるが、結局血に塗れることは変わらない。
猟師という仕事は苦しい。
人間が自然と共存する以上、どうしても多少の衝突は避けられない。殺すことで、双方の犠牲を最小限にして解決する。狩人とはまた違う種類の守る仕事。
なり手が減っているのは50年や60年の話ではない。ずっと南から来た俺はその危うさに驚いた。
エルは猟師を殺す仕事と評した。俺も最初はそう思って抵抗があったが、なくてはならない仕事だと今は思っている。
今の俺の考えはこんなものだ。
作者の世界の猟師のことはたいして知らないが殺すこと自体を否定するやつは嫌い
好きで殺すやつとかいるの?
魔物は生き物ではない
猟師は狩人とは全くの別物
嘘はついてない
作者の世界の猟師の収入がそこまで多くない理由の一つに、自分で育てて報酬を得ようとするバカがいるから、それが成立しないようにていうのがあるらしい。この世界にバカはいない
この世界に害獣や駆除という概念はないらしいから言葉も使わないようにした
ところでここはどこなんだ?