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永遠の欠片  作者: 匹々
19/21

迷う角、惑う核

イヴです。それ以外は何も思い出せません

目を覚ますと、ゆっくり体を起こした。それからあたりを見回す。

しばらくそうしていたが、やがて立ち上がって歩き始めた。

小川にたどり着き、しゃがみ込む。水に手を浸す。それから手で掬って顔を洗った。

足下を見下ろす。浅いが流れは緩く、水は澄んでいる。

水面に映っているのはイヴ自身。


しばらくそのままでいると、不意に地面が揺れた。水面にも小さく波紋ができた。

とっさに近くの茂みに身を隠す。

後方から大きな足音が近づいてきていた。注意深く振り返ると、ガーフェントがいた。

木々の間をのし歩く。顔を引っ込めたイヴには気づいていないらしい。

気づかないまま通り過ぎるガーフェント。静かにそれを見ていたイヴの背後で物音がした。

振り返ったガーフェントと、茂みの陰から覗いていたイヴの目が合う。距離は10メートルもない。巨体に似合わない俊敏さを持つガーフェントなら一息の距離だ。

硬直したイヴの前に、トワが後ろから歩み出た。ガーフェントが姿勢を低くする。

飛びかかってきたガーフェントを、トワは避けた。

「はい!?」

その後ろにいたイヴはすんでのところで躱したが、大きく体勢を崩した。狙いを移したガーフェントはイヴに向かって大きく口を開けた。

イヴに噛みつきかかる寸前、黒い何かが横から飛び出してきてそれを止めた。

ガーフェントを盾で留めたまま、トワはイヴに向かって言った。

「なぜ逃げなかった。死にたいのか」

「…無茶言わないでください」

向き直ったトワは盾を振るってガーフェントを弾き飛ばした。よろめいたガーフェントに向かって跳びかかり、脳天に向かって振り上げた盾を叩きつけた。

それから地面に降りるとイヴを見た。ガーフェントは色を失くしていたがそれを確認する様子はなかった。

「…すごいことしますね」

「君はここで何をしている」

「わかりません」

「死にたいのか」

「いいえ」

「この島の人間か」

「わかりません」

「ついてきてもらおう。町に戻る」

そう言って歩き出したトワの後をイヴは追った。

大木の並びを抜け、丘に登ると海と城壁に囲まれた町が見えた。

「ここはどこなんでしょうか」

「君は誰なんだろう」

「誰なんでしょうね」

町の建物に入って何やら手続きをする。

「依頼を受けてたんですか?」

「要請だ」

「狩人なんですか?」

「旅人だ」


食堂の席で2人は向かい合って座った。

「あなたは僕を知っているんですか?」

「初対面だ。記憶している限り。覚えるのは苦手だが、こうも生命力の感じられない者がいれば流石に忘れない」

「さっきも思いましたけど、初対面の相手にとんでもないこと言いますね。何か恨みでもあるのかと思いました」

「どうしてそんなことを思う」

「僕は何も覚えてないんですよ」

「さっきも聞いた」

トワは茶を飲む。

「…本当に僕は何をしてこんな目に遭ってるんでしょうか」

トワが目線を上げる。

「ここがどこかわかるのか」

「どこなんですか?」

「イェトラ」

「デグォム大陸の東の島ですよね」

「ゾウツァの北東」

「どちらかというと南東ですね」

「知らなかった。さっきの魔物はなんだろう」

「ガーフェントです」

「あまり見ない魔物だ。自分は実際に見るのは初めてだ。おそらく」

トワは視線を巡らせる。イヴは動かなかった。

「ムスカ」

「…腕時計の部品ですね」

「メンカル」

「お菓子メーカーですね」

「ピシレト」

「インフケス法で使う物差しですね」

「グルンクア」

「…グルクアですか?それなら命綱のことですね」

少し止まってからトワは本を取り出した。ページを捲りながら単語を呟く。

「キークル」

「カノセ大陸の北で見られる貝ですね」

「ソービン」

「軍人の装備の一つですね」

「ヴェヤナ」

「クラニアの山ですね」

「トイコロノア」

「翼竜ですね。中生代の」

「シャミクワリ」

「迷走神経の病気の別名ですね」

「ゲンバル」

「エポトラ神話の妖怪ですね」

「カツイ」

「クロートゥ大陸の北西で主食として育てられている植物ですね」

「アヴァンドゥッシ」

「わかりません」

「そんな言葉はない」

トワは本を閉じてイヴを見る。

「知識は問題ないな」

「どんな本ですかそれ」

トワは表紙を見せる。

「辣肴ですか。難しそうなの読んでますね。好きなんですか?」

トワは本をしまいながら頷く。

「むしろ自分の会った誰よりも知識の幅が広い」

「ただ、どれもなんで知っているのかわからないんですよね」

「まともな人間とは思えない。…作家か」

「今すぐ作家に謝ってください。どうでしょう。少なくとも今僕の中に特別な名前はありませんね」

トワは黙る。

「僕はどうすればいいんでしょう」


小さな町だが、イヴを知っている者はいなかった。行方不明者の情報も探したが、特徴の一致する者はなかった。


「自分と一緒に来ないか」

しばらく黙っていたトワが突然そう言った。

「どうしてですか?」

「旅をしていれば君が何者なのかわかるかもしれない」

「旅をしているんですか?」

「世界を巡るつもりだ。時間はかかるだろうが」

「どこから始めたんですか?」

「出身はイジモだ」

「メウナクでしたっけ」

トワは頷く。

「旅ですか。どうせ行く場所もないからありがたいですけど。僕何も持ってないですよ」

「金ならある」

「それは申し訳ないです」

「気にすることじゃない」

イヴが答えようとするとトワが立ち上がる。

「悪いのは君ではないのだから」


夜、部屋に戻った。

「この部屋は割といい値段するんじゃないですか?悪いですね」

トワは本を差し出した。

「読んだことがないなら勧める。余計なことを考えずに済む」

「…もしかして目があまりよくないんですか?」

「自分の目は普通。君が映ろうとしないだけ」

イヴは本を受け取った。

「なくすな。汚すな。迷子センターに連れていかれたくなかったら」

思い出したように振り返るトワに、イヴは呆れた声を返す。

「受け取ってから怖いこと言わないでください」

トワは布団を運びながら呟いた。

「一人だと眠れない」

「…余計なことが聞こえましたね。今までどうしてたんですか」

「明日の18時20に船が来る」

座ったトワをイヴが見る。

「盾を使うんですね」

トワが盾を掲げて見せる。

「多いんですか?」

「珍しい。盾だけで戦う者は見たことがない」

トワが机に視線を向ける。

「手帳か」

「持ってたんですよ。さっき見つけました」

「何か書いてあったのか」

「見ますか?」

イヴが開いて見せた。

「僕が書いたものなのだとしたら、僕が作家でないことは確かですね」

それを覗いたトワの表情は変わらない。

「…読めない」

「ああ、字が汚いですか?」

「違う」

手帳には細かい手書きの字がびっしりと書き込まれている。ページを捲ってその一か所を指し示す。

「ここにはイェトラって書いてあるんですけど」

「…この字が読めるのか」

「?はい」

トワは部屋のドアの上を指さす。

「そこには何と書いてある」

「、ですか」

イヴが答えると突然部屋の隅に行って荷物をあさりだし、紙を持って戻ってくる。

「これは?」

「手紙だ。ずいぶん前のものだが。何と書いてある」

その手紙に目を通したイヴは呟く。

「これが手紙ですか」

「読めるのか」

「はい」

トワは表情を変えないまま。

「なんとなくですけど、すごく驚いてますか?」

「…自分はその文字が読めない」

イヴの手元の手紙を示して言う。

「今は使われていない文字だ。今生きている者でその文字が読めるものはいないはずだ」

イヴは不思議そうな顔をする。

「誰からの手紙ですか?」

「妹だ」

「死んでるんですか?」

「生きている」

「矛盾してますね」

「例外のない法則はない。ほかに読めるものがいるとすれば考古学者くらいだろう」

「…妹は考古学者なんですか?」

「違う」

「…」

「何が書いてある」

イヴは再び視線を手紙に落とす。

「…すごい妹なんですね」

「血は繋がっていないが。何が書いてある」

「そんなに知りたいんですか?」

「そうでもない」

「それなら教えません。とても僕の口からは言えません」

トワが少し黙ってから。

「寝る。もうこんな時間だ。明日の朝は早い」

イヴも布団を運ぶ。洗面台を使ってから部屋の照明を消す。

「おやすみ」

「朝が来るといいですね」


トワは目を開ける。闇の中。

声が聞こえる。


「おはよう」

机で本を読んでいたイヴは顔を上げる。

「新しい一日ですね」

「君の挨拶は変わっている」

「そうですか?」

「やはり近くに人がいるとよく眠れないらしい」

「我儘ですね」

「よくあることだから慣れている。心配はいらない」

「してません」

2人は朝食を食べる。

「昨日はどんな夢を見たんだ」

「…思い出せないですね。どうしてですか?」

「うるさかった」

「はっきり言ったものですね」

「楽しそうではなかった」


港に着くころにはすでに船が来ていた。

「そういえば、どうしてこの島にいたんですか?この島でしたいことでもあったんですか?」

「特にない。この島じゃないとできないことは」

「じゃあなんでですか?ゾウツァからサイナーまでなら降りずに行けますよね?」

「そんな距離船に乗っていたら動けなくなる」

「はい?」

「この島に来たときも一人では降りられなかった」

「適当に放り出せばいいのに優しい人たちですね」

「最後にもう一度訊く。あの手紙には何が書いてあった?」

「急ですね。手紙と呼べる文章じゃないんですよ。いくつもメモみたいに…。小説のセリフみたいでしたね」

「それだけか」

「ところで、僕はあなたと旅をすることに決めました」

「急だし今更」

「というわけでよろしくお願いしますね師匠?」

「下船の時は担いでくれていい」

「面倒なので転がしていいですか?」

ガーフェント:魔物。外見は古ワニに近い。全長18メートルほど。強いはず

そんなことより本当に人間なのか

遠慮はするだけ無駄だということに気づくのに時間はかからない

頭の回転が速いようで遅い

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