美少女吸血鬼が俺の血を吸ってる時に、腕に力を込めたら牙が抜けなくなるのか試してみた
29歳の会社員、十文字陸は会社での業務を終え、自宅マンションに到着する。
部屋は九階の909号室。この部屋番号を見るたび、陸は「なんて俺に相応しい番号なんだろう」と思う。
なぜなら――
「ただいまー」
「お帰りリク! 待ってたぞ、血を吸わせろ!」
“吸”血鬼と同居しているから。
陸の部屋に住み着く吸血鬼は、見た目は10代後半の娘である。
名前はリイア。肩にかかるほどの金髪で、肌は白く、眼は赤い。背丈は陸の肩ほどの高さで、ノースリーブの黒いワンピースを着ている。
可愛らしい顔つきだが、口を開くとそこは吸血鬼らしく犬歯の部分が鋭い牙になっている。
そんなリイアにため息をつきつつ、陸はスーツを脱ぎ、ワイシャツをまくって右腕を差し出す。
リイアはその前腕にかぷりと噛みつき、血を吸い始める。
この時のリイアの顔は実ににこやかで幸せそうで、陸も「悔しいけど可愛いな」と思ってしまう。
陸とリイアの出会いは三ヶ月前の夜。
暑い季節だった。陸が窓を開けて部屋でくつろいでいると、いきなり窓の外からリイアが飛んできた。
そして、開口一番――
「お前の血を吸わせろ! お前の血は絶対私の口に合う!」
「は?」
こんな出会いであった。
聞けば、吸血鬼はその名の通り人の血を食糧とするのだが、相手は誰でもいいというわけではないらしい。人間に人それぞれ食べ物の好物があるように、吸血鬼にもそういうものはある。
そのため自分の味覚に合う血を持つ人間を探すわけだが、これが大変で、それこそ砂場から一粒の砂糖を探すような作業になる。
だが、リイアは陸を一目見た瞬間に、この人間の血は自分に合うと確信したとのこと。
今風に表現するなら「人間ガチャを当てた」といったところか。
リイアに血を吸わせたところ、やはりガチャは当たっていたらしく、
「おいしー!」
と叫んだ。
リイアは部屋に住みたいと言い、陸もお人好しなところがあるので、奇妙な同居生活が始まってしまった。
そして今日もリイアは陸の血を吸う。
陸の右腕から牙を抜くと、
「ぷはーっ! おいしかった!」
満面の笑みを浮かべる。
陸としても、自分が作った料理が絶賛されたようでまんざらでもない気分である。
しかし、こんな日々が続けば陸は吸血鬼になってしまうのではとか、もっとストレートに血を吸われすぎて死ぬのでは、という心配も出てくるが、これらは無用な心配である。
まず吸血鬼が人の血を吸っても、吸われた人間が何かに変貌してしまうということはない。
そして、血を吸われすぎて死ぬこともない。なぜなら吸血鬼はそんなに多くの血を吸わないから。
人の体内では常に新しい血が作られているが、吸血鬼の吸う血液量はそれを大幅に下回る。なので陸が失血死するような恐れはない。また、噛まれた箇所も傷は残らない。
それどころか、吸血鬼は血を吸う時に、牙から血管中に体液ともいえるエキスを入れるのだが、これが血液の状態を最良に保つ効果を持っている。
吸血鬼がよりよい血を飲めるようにするための身体機能なのだろうが、このおかげで陸の血液は、理論上最良といっていい状態に保たれている。リイアに血を吸わせている限り、少なくとも血液や血管関係の疾患は恐れることがなくなる。
つまり、いいことづくめといっていい。
とはいえ、二人はそんなそろばん勘定ではなく、「美味しいから」「美味しそうに吸ってくれるから」で吸って吸わせてをやっている。
ちなみにこの吸血鬼の性質を上手く医療などに利用できないかと、吸血鬼を捕えようとした組織もあった。
しかし、怒った吸血鬼によって組織は壊滅させられたという。
やはり吸血鬼は恐ろしい存在であり、人の思惑はそうそう上手くはいかないということが分かる一幕であった。
陸も食事と風呂を済ませ、寝間着になると、リイアと穏やかな夜を過ごす。
ゲームをしたり、一緒にテレビを見たり。
「あ、この俳優、私好きなんだー! かっこいいから!」
「かっこいいか? スカしてるだけって気もするけど……」
陸が言うと、リイアはニヤリとする。
「なんだ、リク。妬いてるのか?」
「誰が妬くかっ!」
陸の返しにリイアはへへへと笑う。
夜12時近くになると、寝る準備に入る。
二人は別々の布団で並んで眠るが、リイアが陸に話しかける。
「リク、たまには一緒に寝ようか」
「人間の男をからかうもんじゃないよ」
陸は電気を消す。
二人は眠りについた。
陸とリイアの二人暮らしは、だいたいこのような感じである。
***
ある夜、陸は会社の飲み会があり、ひどく酔っ払って帰ってきた。
「たっらいま~」
赤ら顔の陸を出迎えるリイアは呆れていた。
「ずいぶん飲んできたみたいだな」
「まあね~」
陸はそのまま玄関先で倒れ込んでしまった。
「まったく……だらしないな。こんなところで寝ちゃダメだ」
リイアは陸の両腕を持って、リビングまで引きずって運ぶ。
彼女の腕力ははっきりいってか弱いものである。
ただし、吸血鬼は人ではない存在、怒らせたりして覚醒させると何が起こるかは分からないが。
「ああ、重かった」
「ありがと~」
ありがとうと言われ、少し嬉しそうにするリイア。
「じゃあ血を吸わせてもらうぞ。いいな?」
「どうぞ~、俺が干からびるまでどうぞ~」
「バカ、そんなことするか。血を飲めなくなるし、お前が死んだら私は寂しいしな」
こう言いつつ、リイアは陸の右腕に噛みつく。
吸血で、陸の血液は健康といっていい状態に戻っていく。
つまりはアルコールも――
「おお、酔いがすっかり覚めた! リイア、ありがとな! スッキリしたし、お前のおかげで二日酔いしなくて済む……」
陸がリイアに目を向けると、
「リク~、わたし、頭がほわほわになっちゃったよぉ~」
今度はリイアが酔っ払っていた。
アルコールを含んだ陸の血を吸ったためだろう。その上リイアも酒には弱い。
耳まで顔を赤くして、そのまま倒れてしまった。
「今度は俺が介抱する番か。よっと!」
陸がリイアをお姫様抱っこの要領で抱え上げ、寝室まで運ぶ。
優しく寝かせ、布団をかけてやる。
夢か現かの状態で、リイアがささやく。
「リク……ありがとぉ……」
きっともう耳には入らないだろうなと思いつつ、陸も答える。
「俺こそな。リイアのおかげで人生が楽しくなったよ」
吸血によって体は健康となり、仕事も順調だ。
しかし、それだけではない。
少し寂しい一人暮らしにリイアという花が咲いたことで、陸は自分の人生に陽光が差したかのような温かさを感じていた。
リイアは別に太陽光が弱点ではないが、陸は「吸血鬼に太陽を感じちゃうとはな」と少し笑った。
***
オフィスでの昼休み。
陸は同期の友人と他愛ない雑談をする。
「十文字、そういや来週は健康診断あるよな」
「ああ、近くの病院でやるんだっけ」
「俺、採血苦手なんだよな~。注射が怖いし、絶対目を背けるもん」
「ハハ、下手な人に当たったら最悪だよな。針を何回も刺されて」
返しつつ、陸は毎日のように吸血鬼に噛まれてるし、今更注射ぐらいどうってことない、と思う。
とはいえ安全性でいえば、吸血鬼の方が上なのであるが。
「針といえば……蚊っているじゃん」
急に話題が変わる。雑談ではよくあることだが。
「俺ネットで『蚊に腕を刺されてる時に腕に力を入れると、筋肉で針が抜けなくなる』みたいな話を見てさ。ちょっとやってみたくなったんだけど、今は蚊って季節でもないからさぁ」
「そういう時に限っていないよな、蚊」
「そうなんだよ。そういや蚊が飛ぶ時のプーンって音は、“モスキート音”って言って……」
どんどん話が切り替わるが、雑談とはこういうものである。
しかし、陸の中で、先ほどの話が妙に印象に残っていた。
蚊に刺された時、腕に力を入れると針が抜けなくなる……。
スマホで検索してみると、「実際にやったらできた」とか「失敗した」とか情報が錯綜しており、結局のところできるかどうかはよく分からなかった。
陸の中でこんな思いが芽生える。
吸血鬼でやったらどうなるだろう?
蚊と吸血鬼を一緒くたにしたらリイアは怒るかもしれないが、連想してしまったのだから仕方ない。
今夜、やってみるか。
まるで子供の頃に戻ったかのように、陸の中でイタズラ心が芽生えた。
***
この日、陸は残業もなくまっすぐ帰宅する。
「ただいまー」
「お帰り! さあ、血を吸わせろ!」
「分かったよ」
スーツを脱ぎ、ワイシャツをまくる。
露出した前腕にリイアが噛みつく。
美味しそうに血を吸うリイア。
ここまではいつもの光景である。
だが――
陸は拳を握り、右腕に力を込めた。
学生時代はテニスをやっていたので、それなりに筋肉はある。
陸の前腕がギュッと引き締まる。
さあどうだ、と陸はリイアを見る。
「……!?」
リイアが困惑してるのが分かった。
「……!? ……っ!?」
牙を抜こうとしているが、上手くいかないようだ。
見事に成功している。
リイアが噛みついたまま、声を出す。
「う、うけあい……」
「抜けない」と言っていることはすぐに分かった。
その後もリイアは何度も牙を抜こうとするが、彼女の力はそう強くないし、タイミングを合わせて陸が腕に力を入れるので、上手くいかない。
リイアの焦りが手に取るように伝わってくる。
こうなると陸もつい悪ノリしてしまい、こんなことを言う。
「どうした? 今日の吸血はずいぶん長いんだな」
「ひ、ひあう……」
「違う」と言っているのだろう。
吸血しているのではなく、牙が抜けないのだと。
とはいえ、少し可哀想にもなってきた。
もう少し反応を楽しんだら、腕に力を入れるのをやめよう、と陸はリイアを見る。
「リイア……!?」
リイアはぽろぽろと泣いていた。
大粒の涙を流し、その涙が陸の腕にもつたってくる。
陸はすぐに腕から力を抜いた。それにつれ、牙も抜ける。
「あ……抜けた……」
リイアが安堵の息をつく。
陸は罪悪感で一杯になっていた。
まさか泣くとは思わなかった。ちょっとからかうだけのつもりだったのに。
「だ、大丈夫か!」
「うん……平気」
「怖かったよな。このまま牙が抜けなくなったらどうしようって」
「それもだけど、リクに迷惑かけるのが怖かった……」
「え?」
「あのまま私の牙が抜けなくなったら、私はずっとリクにくっついたままになっちゃう。そうしたらリクは困ってしまう。それが怖かった……」
リイアの涙は自分がどうなってしまうかの恐怖ではなく、陸を思いやってのことだった。
陸の良心をぐさりと突き刺す。
「ごめん! 悪かった! 本当にごめんっ!」
「なんでリクが謝るんだ……?」
怪訝な表情のリイアに陸は全てを打ち明けた。
蚊が針を抜けなくなるエピソードを知り、それをリイアで試してみたくなったと。
「リク~!」
リイアは怒っている。
陸はどんな罰も甘んじて受ける覚悟をした。
「……なあんてな」
リイアはすぐに朗らかに笑った。
「これぐらいで怒るもんか。むしろリクもこういうことするんだなって知れて嬉しい。私にイタズラしてくれて嬉しい」
「リイア……」
「それに牙が抜けなかった時、ちょっと嬉しかったんだ。あ、このままだと一生リクとくっついたままでいられるなって」
言った後に、すぐ照れ隠しのように笑う。
「そんなことになったらお互い大変だけどな! リクは私を連れて会社に行くことになっちゃう!」
その吸血鬼らしからぬ太陽のような笑顔は、陸の心を――
「俺も……だよ」
「え?」
陸の心を――
「俺も……リイアと一生、一緒にいたいよ」
陸の心を鷲掴みにするにはあまりにも十分すぎるものだった。
「ありがとー、リクー!」
リイアが陸の胸に飛び込む。
「お世辞でも嬉しいー!」
お世辞なんかじゃない。本心だった。
吸血鬼との同居、決して簡単ではない。
これから何が起こるか分からない。
だが、何が起ころうとも、陸はリイアとずっと一緒にいたかった。
一緒にいようと思った。
そんな決意を表すように、陸はリイアを抱きしめる。
柔肌を両腕に感じつつ、陸は思う。
リイアの牙は抜けたが、俺はもう、この吸血鬼の魅力から抜け出すことはできないと――
リイア、愛してる、と――
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。