爆撃
イスマダラーム陥落から二週間が経過した頃。
メルティはそれから、現実世界での時間は機械の傀儡では無く生身の体で過ごす様になった。
「あう…ああ?だぁ…」
メルティの家には、奇妙な同居人が増えていた。
彼女の名前はシーラ。
かつては教皇として国を治めていたが、とある謀略に逢い、長い間機械の中に幽閉された。
恒久的な薬物投与と長期に渡る監禁生活によって脳の殆どは機能を失い、解放される頃には、シーラは言葉も心も失ってしまっていた。
「はい…あーん…」
食卓にて、トーワは粥を掬ったスプーンをシーラの口元まで運ぶ。
シーラはそれを口で受け取ると、もにょもにょと軽く口を動かした後に飲み込む。
ちゃんと噛めているかは不明である。
「うぁはぁ♪」
「うんうん。シーハが作るお粥は美味しいよねぇ。」
二人のそんな様子を、メルティとシーハは少し離れた所から、神妙な面持ちで眺めていた。
「あの…ご主人様。まさか、あの子がお土産とか言いませんよね。」
シーハは恐る恐る問い掛ける。
「………」
メルティは額に指を当てながら、険しい表情を浮かべている。
イスマダラームの生存者達はイーザイド帝国の庇護の元、祖国の地に残った。
然し、大聖堂が住処となっていたトファルエルと、数年前に死んだ事になっていたシーラには行く宛がなく、仕方無く二人はメルティが引き取る事になった。
こうなってしまってはもうシーラを“救う”訳にもいかず、メルティは困り果てていた。
「ただいまー。」
不意に、トファルエルが帰宅してきた。
「いやまさかイーザイドが巨大な地下国家だったなんてね。どうりで幾ら斥候を送っても何も得られない訳ね。」
トファルエルは両手に持っていた、食材や日用品でいっぱいのビニール袋を降ろす。
「あうはぁ♪」
トファルエルの声を聞いたシーラは、食事中にも関わらず食卓から飛び出し、彼女の元へよたよたと走って行った。
トファルエルはそんなシーラを見て心痛を感じつつも、優しく彼女を抱き上げた。
トーワは暫しぼんやりとした後、ゆっくりとメルティの元へと歩いて来た。
「ん」
トーワは、メルティとシーハに一枚の紙を渡す。
それはシーラの診断書だった。
「脳みそ…殆ど壊疽しちゃってる…立って歩いているだけで…奇跡…」
「そう…」
メルティは残念そうに呟く。
如何なる魔法でも、死者を蘇らせる事は出来ない。
それは細胞単位でも同じ事で、当然、脳と共に失われた記憶を戻す事も出来ない。
「損傷部分…継ぎ足せば…治療できる…かも…でも…」
「シーラには戻れない。そうでしょ。」
トーワの説明に、トファルエルが割り込んでくる。
その背では、シーラが優しい寝息を立てている。
「あと…ごめん…脳外科は…専門外…なの…本当にごめんなさい…」
そう語るトーワは、とても申し訳なさそうにしている。
メルティは、それが少し不思議だった。
「どうしてそこまで謝るの?ただ、今の貴女が出来ないってだけの話でしょ?」
「ひぅ!」
次の瞬間、トーワは両手で頭を抱えて縮こまってしまった。
「?」
不思議がるメルティ。
一方のシーハは、そんなトーワの元まで行き、彼女をそっと抱き寄せた。
「怖がらなくても良いのよ。トーワ。今のご主人様が良い人なのは、貴女も良く知ってるでしょ?」
「うう…うう…」
「一先ず部屋で休みましょ?」
「うん…」
そうして二人は、自室へと行ってしまった。
「えっと、あ、そうだ!ウチはちょっと、シーラのお洋服を見繕ってくるね。行きましょ、シーラ。」
「あうう?」
気まづい空気を察したトファルエルは、シーラを連れて貸し与えられた自室へと向かって行った。
「…」
メルティは首を傾げたが、あまり詮索する物でも無いと割り切り、先程の事は忘れる事にした。
暫くして、シーハだけが居間に戻って来る。
「ごめんなさい。ふとしたきっかけで昔を思い出しちゃうみたいで。たまにあるんですよね。」
「良いの。誰にだって秘密にしておきたい事とか、忘れたい過去はあるものだから。」
(私の場合は、忘れるべき過去が少し前にできたとこかな。)
ふとメルティは、シーハに白い紙が貼り付けられている事に気付く。
「ところでシーハ、背中のそれは何?」
「え?な、いつの間に!?」
トーワと共に自室へと戻って行った時には、こんな物は無かった。
メルティはシーハの背からそれを剥がすと、目を通してみた。
「これは、地図?」
シーハも覗き込んでくる。
「ゲルナシャ王国の首都の地図ですね。確かあそこには、連合国軍で一番の名医が居る筈です。」
メルティはその地図とシーハの解説で、トーワの意図を察する事が出来た。
「これはまた、遠出する事になりそうだね。」
〜〜同刻 ゲルナシャ王国首都〜〜
「はっはっはっはっは!あーっはっはっはっはっは!」
天をも穿つビルの屋上で、男が一人、高笑いしている。
つばの広い赤い帽子。
ラメが入った赤いタキシードに、緑色の蝶ネクタイ。
目にはゴーグル。
男は、派手と言う言葉をそのまま体現したかの様な服装に身を包んでいた。
ビルの屋上より見下ろす町は、そこかしこから黒煙を立ち上らせ、燃え盛っていた。
男は懐から手榴弾を一つ取り出し、ピンを噛んで引く。
「嗚呼、これぞ人生!《複製》!」
男は手榴弾を放り投げる。
手榴弾は空中に放り出されると、爆発する前にバラバラに砕け散る。
その破片一つ一つが各々で再生を始め、瞬く間にそこに、破片と同じ数の新たな手榴弾が生まれた。
「まだだ、まだ足りない!《追加複製》!」
無数の手榴弾は全て砕け、更に大量の手榴弾が複製される。
「さあ、この陳腐なキャンバスを橙色に染め上げてくれ!さあ、この粗雑なコンサートホールを破壊のオーケストラで満たしておくれ!」
手榴弾の雨は、重力に従って街に落下する。
次の瞬間、爆発が絨毯の様に街を覆った。
建造物は倒れ、モダンカラーだった街並みは橙色に染まり、人々の悲鳴は爆音によって掻き消された。
「うっひゃー…こりゃまたド派手にやったなー…」
そんな男の様子を、上空の戦闘用ヘリコプターから少年が眺めていた。
短い茶髪。
緑色の瞳と、濃い緑色の軍服。
背にはロケットランチャーを背負っている。
「もしかして、あたしらの出番無い感じだったりする?」
そう言ったのは、操縦桿を握る少女だった。
紅色の髪。
同じく紅色の瞳。
「かもね。爆破範囲を抑えて焼夷性能を上げただけで、まさかこんな事になるなんて。やっぱりドーナン先輩って凄いね。」
「爆破狂をこじらせただけでしょ。《複製》って、本当ならもっと凄い事にも使えるはずなのに。」
「さあどうだろう。もしかしたらこれが、ドーナン先輩が出来る一番凄い事かも知れないよ。」
少年はそう言って、再びドーナンの方を向く。
焔の赤が、彼の真っ赤な服装をより際立たせていた。
「ん?」
不意に、ドーナンは振り返る。
そこには黒い戦闘服に身を包んだ、金髪の青年が佇んでいた。
肘や肩、膝と言った関節部分は、黒い強化カーボンのパットで守られている。それ以外の布地の部分は炭素繊維で編まれており、軽い上に銃弾一つ通さない。
右手には、半月型の黒い剣を持っていた。
「この爆破の首謀者は、貴様か。」
「んん?何だね君は。僕の作品を批評しにでも来たのかい?」
男は剣を構える。
「こんな物、芸術でも何でも無い。ただの虐殺だ。俺はそれを止めるために来た。」
「成る程。君の意見はよーく理解したよ。」
ドーナンは上着を広げる。
タキシードの裏には、多種多様な爆発物や使い捨ての兵器が仕込まれていた。
「僕の芸術が理解できないのであれば、黙って立ち去れ。邪魔するのだと言うのなら、君も黒く塗り潰してやるよ!」
「上等だ。テロリスト風情が!」
男は剣を手に向かってくる。
「ふん!」
次の瞬間には、男の腹にドーナンの蹴りが深々と入っていた。
「着込む奴程本体は弱いとは、よく言った物だね。そのちゃちな重武装からして、さては君無能者だね。」
「《命運選択・左》!」
「は?」
男はドーナンの背後に回り込んでおり、今まさにその剣を、ドーナンの首に振るおうとしている所だった。
「く!」
ドーナンはバク転で前進し、間一髪で男の剣撃を回避する。
「さあ、他の未来も見てみようじゃ無いか!」
前進した筈のドーナンは、先程と同じ場所に立っていた。
頭の一寸先には、男の剣が迫ってきていた。
「何!?」
ドーナンは男の剣を白刃どりする。
が、
「ぐあああああ!?」
剣に流れている高圧電流によって、ドーナンは感電してしまった。
「《確定》」
男は剣を背負い直す。
一方のドーナンは、体を僅かに痙攣させながら仰向けに倒れた。
「は…はは。何ですかその魔法は。強いと言うよりズルじゃないか。」
「貴様には尋問室が待っているぞ。テロリスト。」
「…ふ。貴方も馬鹿ですね。」
ドーナンは、奥歯に取り付けられていた起爆スイッチを噛み締める。
「こんな運命で甘んじるなんてねぇ!」
二人の立っていたビルのあちこちが爆発する。
「な…!?」
男はたじろぎ、屋上は傾く。
ドーナンはゆっくりと立ち上がりと、背についた埃を軽く払い落とす。
「まあ今日の所は…」
ドーナンは、空高くに向けて金属の円柱を放り投げる。
「この辺で手打ちにしておきましょう。」
ドーナンはそう言い残すと、崩れゆくビルから高笑いをしながら飛び降りた。
直後、空より雨の様に降り注いできたミサイルによって、町は壊滅した。




