音速
第2管区に居た侵略者達は、塵と消えたか逃げ出した。
第3管区に堂々と居座っていた諸国の軍もまた、正体不明の大量破壊魔法に怖れを為して撤退した。
トーワが用意したきりになっていた軍隊は、そのまま復興作業に充てられる事となった。
当のメルティはと言うと、ヘルドに呼び出されていた。
「つまり君の意識体が宇宙にもあって、あの大魔法はそこからの攻撃だと言う事か?」
「はい…その…まさかこんな威力だとは思わず…」
「いや、良いんだ。幸い自陣には何の損害も出なかったからな。」
椅子に縮こまる様に座るメルティの前で、ヘルドは腕立て伏せを行なっていた。
彼の戦線復帰も近いだろう。
「しかし、1つはっきりした事もある。」
「何ですか。ヘルドさん。」
「君は、ザルヒム戦線に参戦しうる実力を持っている。」
「ザルヒム…戦線?」
「知らないのか。まあ、ゆっくりと説明しよう。」
ザルヒム戦線は、新体制軍と連合軍の戦争が勃発して最初に激戦区となった地区で、同時に最も長く衝突が続いている地区でもある。
両陣の兵士や武器が毎日の様にそこに投入され、各々が祖国の勝利を夢見て散って行くその場所の別名は、かえらずの地。
一度赴けば故郷へと帰る事は出来ず、その焼き固められた土地では土に還る事も出来ない。
そこはまさに、地上の地獄そのものだった。
「しかし、もしこの地で勝利を収める事が出来れば、我々は勝利に向けて大きく前進する事が出来る。」
「かえらずの…地…」
「もっとも、君は家から通えるだろうがな。」
「え?もしかして、見てたんですか?」
「何の事かな?」
ヘルドはわざとらしくとぼけると、そのままリハビリを続ける。
「あ、そうだ。それともう一つ。」
「何でしょう。」
「ザルヒム戦線に行く前に、君に会って欲しい人物が居るんだ。彼女を、ザルヒム戦線のとある基地まで護送して欲しい。」
〜〜〜
「此処…かな…」
メルティが辿り着いたのは、鬱蒼とした森の中に佇む静かな洋館。
正門の前には、黒くよく手入れされたスーツに身を包んだ、初老の紳士が佇んでいる。
「ようこそいらっしゃいました。メルティ陛下。ご主人様は間も無くご帰宅なされますので、展開室へご案内します。」
「展開室…?は…はい、ありがとうございます…」
メルティは戸惑いつつも、紳士の導きのままに進む。
洋館は年季が入っていたが、良く掃除が行き届いており、壁や天井の傷みも殆ど無かった。
「小汚い場所で申し訳御座いません。いかんせん戦前に建てられた物でして…」
「いえいえ!こんなに綺麗な戦前の建物、他にありませんよ!」
「はは。陛下は実に誉め上手な方ですな。さ、この扉の奥ですよ。」
道中で見かけた殆どの扉は一枚だったが、メルティの目の前のは二枚扉だった。
メルティは恐る恐る、その重厚な木の扉を押し開け中に入る。
「これは…体育館…?いや違う。滑走路?」
そこは、反対側の壁が遥か小さく見える程に縦に引き伸ばされた、武道場の様な場所だった。
メルティの少し前には木の柵が設置されており、その木製の滑走路には立ち入る事が出来ない様になっている。
滑走路の脇の壁には一定間隔で取っ手付きの歯車が付いており、その前には執事やメイドが一人ずつ配備されている。
「ご主人様からの連絡がありました。間も無くご帰宅との事です。」
青年の執事がそう言った瞬間、召使い達は一斉に歯車を回し始める。
天井が天体望遠施設の様に徐々に開いて行き、ものの2分で完全に開かれた。
召使い達は仕事を終えると、滑走路に向けて軽くこうべを垂れる姿勢をとる。
その頃天空には、少しずつ大きくなって行く光があった。
「え…何これ…何が始まるの…?」
「この館の主人。“音速の魔女”ゼートレス・アレックス様のご帰宅です。」
先程の老紳士が答えた瞬間だった。
“ドンッ!”
滑走路の視点に、鋼の箒に跨った魔女が着陸する。
“ガアアアアアアアアアアア!!!”
途方も無い摩擦を伴いながら、魔女は滑走路の始点から滑走を始める。
彼女の通った床は橙色に焼け焦げ、煙も湛えている。
彼女の通る時には大きな風圧も発生したが、主人を出迎える召使い達はその場から一寸たりとも動かない。
“キ…キキ…キキキィィィィィィ!”
素足を地面に付けてブレーキをかけ、滑走路の終端、柵の数センチ手前で彼女は停止する。
「ごめんやっぱり前の装備の方が良い。こんな格好じゃ風邪ひいちゃう。」
銀色の少しパサついた髪。
伸びた前髪の間から、僅かに覗く赤い瞳。
頭には黒く尖った魔女帽子。
首からは金色のペンダント。
カラスの羽を彷彿とさせる様な、黒いボロボロのフリルが付いた胸当てとパンツを着用している。
その身体は、思春期真っ只中で発育途中の少女のそれである。
その顔は、少しダウナーっ気を帯びた可愛らしい童顔である。
彼女こそこの屋敷の主人にして“音速の魔女”の名を冠する、テルネサイド王国最強の魔法使い、セートレス・アレックスだった。
「ん?お客?」
「アレックス様。こちら、例のイーザイド帝国の新たなる皇帝に就任なされた、メルティ様です。」
アレックスの質問には、メルティに変わって老紳士が答えた。
「ふぅん。」
箒から降りたアレックスがその箒を放り投げると、たまたま近くに居たメイドが慣れた手つきでキャッチし、そのまま片付けに行った。
「30何人かの下級供を纏めて吹っ飛ばしたって割には、中々のチビじゃん。」
アレックスはそう言って、メルティの頭を柵越しにポンポンと撫でる。
「キミ、中々可愛いねぇ。どうだい、ボクの妹にならない?」
「え…?そ…それは…」
「へへ?冗談だよ。っと、こんな場所にお客を置いとくのも悪いね。取り敢えず応接間に行こっか。」
アレックスは帽子を老紳士に被せると、そのままメルティの手をひき展開室を後にした。
「いやーそれにしても、最近の戦闘機はどれも早いね。ボクも負けてられねーや。」
アレックスとメルティは、廊下を歩いている。
アレックスの素足が木の床に触れる度にジュっと言う音がして、彼女の歩いた後には黒い足跡が残った。
「えっと…足、大丈夫なんですか…?」
「ん?まあね。最初は鉄靴を履いてたんだけど、あれ重いんだよねぇ。やっぱり飛ぶ時は、出来るだけ身軽で行かないとってね。」
その言葉を体現するかの様に、彼女は必要最低限を満たすだけの下着型の衣類とペンダント以外、何も見に纏っていなかった。
「ま、これは流石にやり過ぎだけど。」
アレックスは、廊下の壁際にあった白い塗装のドアの前に立つと、応接間へとドアは勝手に開いた。
「お帰りなさいませ。ご主人様。お茶とお茶菓子のご用意はできておりますが、何かご要望があれば遠慮無くお申し付け下さい。」
「おう。いつもサンキューな。」
その頃にはアレックスの足跡は大分薄くなっていた。
「ささ、上がって。大丈夫。とって食いやしないよ。」
アレックスが応接間の絨毯の上に上がると、踏まれた部分が焼けて穴が空いた。
然し、当の本人は気にする素振りも見せない。
「ふいいいい…疲れたぁ。」
アレックスは白くふかふかなソファに身を投げだし、とろける様に座る。
メルティは、彼女と向かい合う様に設置されたソファに座る。
「んじゃ改めまして。ボクの名前はアレックス。君はメルティちゃんだよね。イーザイドの自動人形。くうううカッコいい!てことで、なんか用?」
「え…はい、えっと…」
本題に入るべきか、それとも個人的な質問から解消すべきか。
少し考えた後、メルティは前者を選択する事にした。
「えっと、ザルヒム戦線に…」
「は?」
アレックスは自身のおでこに指を当て、ゆっくりとため息を吐く。
「やっぱりかよ…嫌だね。ボクぁもう二度とあんな場所には行きたくない。」
「あ、そうですか…」
メルティは立ち上がる。
「お騒がせしてすみませんでした。失礼しま…」
「ちょちょちょちょちょい!まさかそれだけ!?もう行くの!?速くない!?」
「はい…この後は直ぐに、ザルヒム戦線に行かなければいけないので…」
「はぁ!?キミ、あんな場所に行こうとしてるの!?やめとけやめとけ、あんな場所、命がいくつあっても足りないよ。」
「でも…あの場所を勝ち取ればすごく有利になるって…」
「な…そりゃまあそうだろうけどさぁ…」
アレックスは頭を掻き毟る。
「ボクが行かなかったら一人で行くのかい?ヘルドはどうしたんだい?」
「戦いの傷が癒えず、まだリハビリ中で…」
「はぁ…分かったよ。ボクも付いてくよ。その代わり、一つだけ条件がある。」
「?」
「事が終わったら、ボクの恋人になって欲しいんだ。」




