不用意
就任式などと言う物は行われなかった。
昔は行われていたが、3度の暗殺事件の末に文書のみでの発表に制度が変わった。
基本的に国の重役、ましてや皇帝が人前に出る事などまず無い。
「あの、皇帝のお仕事と言うのは…」
「トーワが午前中に全部終わらせちゃいましたよ。」
「慣れたもんだぜ…なの。」
エルネの先鋒を解放してから一週間。
メルティに皇帝らしい仕事が回って来る事は無く、周辺国が警戒を強めた為か新たな敵襲も無く、彼女は今、我が家でなんと言う事も無いスローライフを送っていた。
「それはそうよして、メルティ様。その頭から被っている布、本当に洗わなくて良いんですか?」
「それが良いみたいなんだよね。」
不意にメルティの背後から、トーワがケチャップをその布に掛ける。
布は当然ケチャップだらけになるが、直ぐに汚れは染み込んで行くように消えて行き、数秒で布は元の綺麗な状態に戻った。
「高汚染耐性…どころじゃない…なの。」
メルティはソファに座っていたので、トーワはその隣に座る。
手持ち無沙汰になったシーハも、メルティの隣に座る。
「…何か、やる事無いかな。」
シーハは問う。
「無いと思う…なの。」
トーワは答える。
「…ねえ、シーハちゃん。」
「何ですか?メルティ様。」
「第2管区も第1管区も、元々はこの帝国の物だったんだよね。」
「はい。ですが今は敵の手に落ちており、とても手を出せる状況じゃ…」
「いつか、取り返した方が良いのかな。」
「まあ出来るんだったらそうですけど…」
メルティは徐に立ち上がる。
「あの、メルティ様?まさか…」
「行ってらっしゃい…なの。」
トーワはそう言って、メルティに折り畳まれた紙を渡す。
メルティは、不思議そうに紙を広げる。
紙は、第1管区までが国土だった時代のイーザイド帝国の地図で、第2、第1管区のあちこちに赤い印が付いていた。
「これは?」
「早起きして調べてきた…なの。」
「えっと、これは?」
「敵の拠点の位置…なの。」
地図の印に使われていた塗料は、よく見たら真新しいケチャップだった。
「作戦申請も…軍備と兵士の手配も出しておいた…なの。1万人で足りるかい?…なの。」
「えっと、私、今思い付きで思い立った筈なんだけど。」
トーワは自慢げに書類を掲げるばかりで、それ以上は何も言わなかった。
「シーハちゃん、トーワちゃんっていっつもこうなの?」
「い…いえ、ここまで“酷い”パターンも中々見ませんね。」
多くの謎、主にトーワに関しての物を残しつつ、メルティは第2管区奪還作戦へと赴く事となった。
トーワの前で不用意な発言は厳禁だと、深く後悔しつつも。
〜〜〜
第2管区南東地区、臨時拠点。
つい先週までテント村だったその場所は居住用コンテナの街へと進化し、本国から集められた軍備や兵士が集まる駐屯地と貸していた。
本部とまでは行かずとも、第2管区の各地に散らばる拠点を取り纏める、重要な場所である事は間違い無かった。
「全方位作戦もいよいよ明日か。」
焚き火の前に据えられた、低い円柱形の椅子に座る男が、盃を片手に呟く。
耳が隠れる茶髪の長髪。
軍服の上からでも分かるほどの、筋骨隆々の体。
その身長も2mに達する。
男の名前は、アーズベルト・タンバ。
この拠点に配属された魔法使いだった。
「こんな昼間からお酒なんて、ダメですよ。アーズベルトさん。」
男の背後から、少女が声を掛けてくる。
長い金髪。
シスター服。
背は160cm程度。
目は殆ど閉じているが、そこからでも分かる程に優しい眼差しをしていた。
彼女の名前はニケ・ジェロ。
此処に配属されたもう1人の魔法使いで、アーズベルトの補助役を任されていた。
イーザイド帝国に新たな魔法使いが出現した事で新体制軍は警戒を強め、各拠点に1人〜2人の魔法使いが配備される事となっていた。
これにより何処が重要拠点であるかの分析を鈍らせると同時に、一度に多くの拠点を失うリスクを低減すると言う算段だった。
「…ん?」
アーズベルトは急に立ち上がり、帯刀していた太刀を抜き、構える。
「どうかしましたか?」
「何か来る。」
その時、居住コンテナの密集地帯で大きな爆発が起こった。
その爆発は、蒼色をしていた。