吐露
白と銀を基調とした壁や天井や装飾品が、その事務室の気温を下げている様だった。
部屋の隅には分厚い葉が特徴的な観葉植物が佇んでいる。
部屋には綺麗に整頓されたデスクが一つあり、そのデスクを挟んで、戦乙女と若い男が対峙していた。
彼の名前は、ランマー・ヘブリッヒ。
新体制軍に所属する若き司令官にして、戦乙女の直属の上司である。
「作戦報告書は見させてもらった。本当に、災難だったね。」
「今回の損失の数々は、全て私の失態による物です。如何なる処分も受け入れる覚悟です。」
「分かった。では処遇を言い渡す。戦乙女、君は今日付けで軍を解任だ。10年間、実にご苦労だった。」
戦乙女、もといアナイス・レーガーは、静かに目を閉じる。
建門師は、新体制軍にとっても重要な資産だった。
その建門師を失った挙句に敵に敗北し、更に当初の作戦目標すら果たせなかったのだ。
軍法裁判に掛けられていても、おかしく無かった。
「寛大な処置、感謝致します。では失礼します。」
アナイスは部屋を立ち去る。
彼女が今までに残した戦績、今回の作戦失敗の特異かつ予測困難な性質、そして持ち帰った情報。
それら全てが、今回彼女が受けた、寛大な処分に繋がった。
(済まない…みんな…私の力不足で…)
こうしてアナイスは、失意の内に軍を去った。
もっとも、これは彼女に恨みを募らせた猟犬からアナイスを守る為の、ランマーのうった策だった。
「お疲れ様。アナイス。戦場暮らしなんかよりも、君にはもっと良い人生がある。」
〜〜〜
そこは地下防空壕と言うよりも最早、地下都市だった。
穴蔵の天井は夜空の様で、建物から漏れる光は摩天楼に見えた。
「凄い所ですね…」
皇居ビルと呼ばれる建物の屋上の一室に、メルティとヘルドが居た。
無人を装う為電気は消えており、外からの光だけが部屋を照らしている。
部屋にはカーテン付きのベッドが一つあり、そこに皇帝が、上体を起こした状態で居る。
一方メルティは、摩天楼を眺められる様に窓辺に据え置かれた椅子に座り、ぼんやりと外を眺めていた。
彼の体には無数の包帯が巻かれており、何箇所からかは僅かに血が滲んでいる。
「この帝国の歴史は逃亡と隠伏の歴史。戦の大火が襲う度、我々はこの穴蔵に隠れてきた。」
その町は、遥か彼方に天井と壁がある事を除けば、繁栄した夜の街と変わりは無かった。
「しかし、此処とて安全では無い。天井を落とされれば皆死ぬし、敵が来れば逃げ場など無い。故に地上にあるあの街は、我々の本来の住処であると同時に、この楽園を守る巨大な兵器でもあるのだ。」
帝国に住まう人々の大部分は、この地下防空壕で一生を過ごす。
この地下都市こそが、目立った資源も無い、立地が良い訳でも無い、吹けば飛ぶ様な小国が現在まで存続出来た要因だった。
「そう言えば、トーワとシーハは何処へ?」
「彼女達なら下の階で休んでいる。彼女達のお陰で誰一人として犠牲者が出なかったのだ。当然、待遇はそれなりの物を用意している。」
「そうですか。」
「ふ…あの子達と仲良くなれた様で、何よりだ。」
部屋は、暫しの沈黙に包まれる。
「…皇帝陛下。」
「何だ。」
「所で私は、どうして此処に居るのでしょう。」
「あの魔法小隊を単身で撃退した魔法使いだ。これ程までに護衛にうってつけの者が、他におるか。」
「………」
「冗談だ。少し、話がしたくなってな。」
「話…ですか。」
皇帝は、一つ深呼吸をする。
「始めに謝ろう。今まで騙していて、本当に済まなかった。」
「?」
「君の両親は、もうこの世には居ない。」
「………え?」
メルティは、皇帝の方を向く。
淡く発光する青い瞳が、暗い部屋で良く映える。
「ど…どう言う…事…ですか…?」
「君が徴兵された次の日に、辺境区は敵の手に落ちた。君の両親は辺境伯でありながら、実に優秀な外交官でもあったのだ。敵は我らを周辺諸国から孤立させる為、夫妻を殺めた。諸国のスパイの仕業に装ってな。」
「じゃあ…じゃあ私は…運命に助けられたんですね…?」
「残念ながら、違う。」
「!」
メルティの左手が、ヘルドの首に飛び付く。
「何でお父様とお母様を助けなかったんですか!?来る事は最初から判っていたんでしょう!?」
「出来なかったんだ…」
「何を!」
「敵の暗殺の阻止を、してはいけなかったのだ。」
「な…!」
メルティの左手に、少し力が入る。
しかしまだ、致死には至らない。
「何でですか!?お父様とお母様が死んでいい理由が、何処にあるんですか!?」
「…暗殺の予兆は、夫妻が巧みな手腕によって独自に発見した物だ。当時の私ですら半信半疑だった。しかし、夫妻の決断は全てが正しかった。と言うよりも、この帝国に、それが誤りだと言える程の力は無かったのだ。」
「だから…どう言う事ですか!?」
「事の経緯は、こうだ。」
暗殺の予兆を発見した夫妻は、当然最初は別な場所への移動を考えた。
しかし、直ぐにそれではまずい事に気が付いた。
イーザイド帝国は今内政を保つ事すらままならない極限状態で、敵国も当然そう認知している。故に、夫妻が各国に張った網が現在まで見つからずに済んでいるのだ。
しかしもし仮に、襲撃を前にそれを察知した様に逃げれば、当然敵国は不審がる。スパイを調査して、夫妻が長年掛けて綿密に張った人脈の網が無に帰るかも知れない。イーザイド帝国を買いかぶって、正面きっての戦争を仕掛けてくるかも知れない。
無数の懸念を考慮した末に夫妻が取った決断が、自身が被害者となる事で、次やその次のターゲットになるであろう周囲の重役に警戒を促し、自分の意思で逃げさせると言う自然な流れを作る事だった。
「イルドゥとシアを救えなかったのはひとえにこの国、ひいては私の責任だ。君が私の死を望むのであれば、それで君の気が済むのであれば、私は喜んで受け入れよう。」
「………」
メルティの腕が、主人の下まで戻る。
首に手形が付いていたが、ヘルドは生きていた。
「………」
メルティは、途方も無く悲しい気持ちになった。
でもこの体では泣けなかった。
なのでずっと、悲しむだった。
「…すれば…」
「…何だい。」
「…どうすればこの国は…もう二度と…私みたいな運命を辿る方は居なくなりますか…?」
「!」
彼女はヘルドを、そしてこの国を赦した。
(ああ、イルドゥ。お前の娘は立派になったぞ。少し心配になるくらいにな。)
「私が言うのは余りにも烏滸がましいが…」
部屋の出入り口付近に取り付けられていた赤いランプが点灯し、ピピッ、ピピッ、と静かに電子音を鳴らす。
敵襲の合図である。
「対話し続けるんだ。時に言葉で、時に武力で。この世から敵が消えるまでだ。」
「………」
少しして、部屋に取り付けられていた無線が喋り始める。
「敵襲!敵襲!規模は3名!但し、背後に5000の軍を確認!魔法使いの先遣部隊と思われます!」
「ふ…連中め。早急に此処を潰そうって気を隠そうともしないな。」
ヘルドは起き上がろうとして、全身に刻まれた傷にそれを阻まれる。
「うぐっ…く…」
「無理しないで下さい。私が戦っていますから。」
「そうか…ん?戦っている、とは?」
〜〜〜
「おい、何だよこれ。」
赤いボクシンググローブを履いている赤髪短髪の男が、ランスロットを小突く。
「今回新たに見つかった魔法使いは、機械を扱うらしい。さしずめ、そいつの私兵と見て問題ないだろう。」
メガネを掛け、スーツに身を包んだ茶髪の青年が持論を述べる。
「でもさーちっとも動いてないよー?もー壊れてんじゃなーい?」
金髪ツインテールの女が、背より生えた小さな翼で軽く浮遊しながら言う。
「ま、いいさ。こんな鉄くずとっととぶっ壊して…」
その時、ランスロットの目が蒼く光る。
「来るぞ。構えろ。」
眼鏡の男がそう言うと、グローブ男はバックステップで後退し距離をとる。
ランスロットは3人を見据えると、背負っていた大槍をゆっくりと構えた。




