前夜祭
シーハは、メイドとして超一流だった。
彼女がやってきて三時間で屋敷は隅々まで清掃され、ただの森だった庭は、小さな野原とでも言うべき本来の姿を取り戻した。
そして今、彼女は夕食を作っている。
「何で浮いてるの?」
「え?えっと…」
対するトーワは、今の所は何一つ仕事もしていない。
ぼんやりと空を見つめたり、メルティの腕と胴体の間に出来ている隙間に手を差し込んで遊んだりしていた。
「合金…それとも、樹脂…?」
「ブラフニウムらしいけど。」
「はえ?何それ…」
トーワは、メルティの手や足をしきりに触っている。
その手触りはツルツルとしており、触り始めは冷たいが直ぐに体温を吸って温まる。
「………」
メルティは自分の家に居る筈なのに、変な店に迷い込んだ気分になる。
その手足には、痛覚以外の全ての感覚が通っていた。
「さあ二人とも、夜ご飯が出来ましたよ。」
ミートシチューで満たされた大鍋を持ったシーハが、居間にやってくる。
「…あ。」
そして、今のメルティの姿を見て、顔面を蒼白に染める。
「あ…あ、あ、あの、メルティ様?その…」
「大丈夫。ちゃんと物は食べるよ。」
「はああぁぁぁ良かったああぁぁぁ。」
シーハは鍋を食卓に乗せる。
食卓はソファとテレビよりも窓側にあり、丁度シーハが手入れを済ませた庭を眺めての食事が楽しめる位置にあった。
もっとも、今は夜で何も見えないが。
「さ、トーワも食べて。」
「わぁい…♪」
机は4人掛けなので、スペースは充分にあった。
「すみませんね。市場が何処も閉まっていて、あまり良い物をご用意する事が出来ませんでした。」
シーハはそう言いながら、シチューを3人分配膳する。
その時だった。
“ピッ”
メイド姉妹の服から、小さな電子音が同時に鳴る。
それを聞いた2人は、動きを止める。
「?」
普段は全く雰囲気の違う2人だったが、その瞬間は同じ表情をしていた。
目を見開き、表情は強張り、呼吸すら忘れたかの様に硬直する。
しかし、そんな状態も直ぐに終わった。
シーハは悟ったかの様な穏やかな表情になり、トーワはいつもの無表情に戻る。
だが当然、メルティはそんな2人を不審がった。
「あの…どうかしたの?」
答えたのは、案の定シーハだった。
「鎧の塔に、敵襲があったみたいです。」
「え…?じゃあ、今直ぐ行かないと…」
「いえ、良いんです。きっと夕食が済んでからでも、遅くは無いでしょうし。」
「ど…どういう事?」
「もう直ぐこの国は終わります。でも、こんな日が来る事は最初から分かっていた事なんです。」
シチューの配膳が終わる。
「とにかく先ずは食べましょう。」
シーハがそう言うと、2人は黙々と食べ始めた。
ウスターソースとケチャップ、それからミートソースをベースにした茶色いルーが、香ばしい香りを漂わせている。
具材は牛肉と人参、それからジャガイモとアスパラガスが入っており、どれもしっかりとルーが染み込み、程よく柔らかくなっている。
メルティは2人の雰囲気と食欲に理性が押し負けたので、シチューをそっと一掬い、口に運ぶ。
口に入れた瞬間、煮詰められたルーに閉じ込められていたソースと肉の旨味が一気に解放され、先ずはそれが味覚を満たす。
次いで、野菜から溶け出し、ルーによってまろやかになった素材の味が舌の奥をつつく。
鼻から抜けるソースの香りには、普段はあまり主張してこない様々な具材の風味が乗っており、香りを通して、それらが味にアクセントをつけた。
「ふお…」
端的に言えば、それはメルティが今まで食べた事の無い程の絶品だった。
「お姉ちゃん…お料理上手なの…凄いでしょ…」
トーワが自慢げに話す。
「うん。凄い。料理人になれるくらい。」
メルティが率直な感想を述べると、シーハがそれに補足を入れた。
「自慢じゃ無いですけど、料理は結構真面目に勉強したんですよね。何処かに潜入する時、料理人っていう肩書きは凄く便利なので。」
そうして3人は、シーハが用意したディナーをあっという間に平らげてしまった。
「…さてと。」
空の鍋を片付け終えたシーハが、玄関へと向かう。
居間から見える庭の夜空は、微かに橙色に染まっている。
「私はこれから、鎧の塔に行きます。今はきっと、死地になっているでしょう。兵士である以上メルティ様にも一応は参戦義務がありますが、それも国が滅べば無くなります。急いだけれど間に合わなかったと言ってしまえば、それまでです。その上で聞きます。」
シーハは、付いてきていたメルティの方を向く。
「どうしますか、メルティ様。」
「そんなの決まってる。」
メルティは、シーハの隣まで移動する。
「大事な物を守る為に、私はこの力を手に入れた。そんな気がするの。」
「その言葉、凄く立派です。」
そう言うとシーハは、玄関のドアを開けた。
「メルティ様!それにシーハ殿!良かった、早く乗って下さい!」
屋敷の前には装甲車が留まっており、一般の兵士が運転席に座っている。
その隣には、何故かトーワが座っていた。
「え?」
メルティは背後を振り返る。
3人とも外に居るので、当然誰も居ない。
「トーワはたまにこう言う事があるんです。そのうち慣れると思うので、大丈夫ですよ。」