7.訓練開始
次の日の朝、俺たちは広場に集められた。
砂利が敷き詰められた長方形の広場で、周囲は森に囲まれている。
「組ごとに並べ!」
壮年の男性が怒鳴る。
それぞれの家の集団が縦に並び始めるのを見て、俺たちも縦に並んだ。
セミラはなぜか、俺の後ろにぴったりくっつくように立つ。顔を見ると、目を細めている。
「気にしないで」と言われたので「気分が悪くなったら教えてね」とだけ言っておいた。
横を見ると、他の組は4人1組になっている。
俺たちの組は端数らしい。
女子も結構混ざっている。
ざっと見て、男女の比率は半々のようだ。
壮年の男性が前に出て、怒鳴るように話しだす。
「これより! 第199期の宣誓式を行う! 5歳の部! 復唱しろ!!」
無理やり宣誓文を読み上げさせられた。
何度も何度も復唱させられた。
宣誓文の内容は『戦士として死ぬまでバガンの民のために尽くします』というような意味だった。
「次! 10歳の部!」
訓練所は、5歳と10歳の組があるらしい。
右のほうを見ると、体格の大きい集団がいた。
カグンは10歳で訓練所に入ったと言っていたので、あちらの組に入っていたのだろう。
宣誓式が終わって3人で集まっていると、セミラの目がおかしいことに気が付いた。
昨日の夜は赤かったのに、今は灰色になっているのである。
「どうしたのセミラ! 大丈夫!? キリーナさん! キリーナさん!」
慌て始めたキリーナを探し始めたググンに、
セミラは「大丈夫だから……昼は白くなるの」とだけ言った。
セミラの肩が震えている。
ググンに呼ばれてやってきたキリーナは、セミラに「大丈夫ですか?」と状態を聞き、何かを思い出したように上を見た。
空を仰ぎ、細く息を吐いた後、俺たちを見下ろす。
「この目は大丈夫です。問題ありません」
「目は見えるんですか?」
「ええ、セミラの目は、少し光に弱いだけです」
セミラの頭を撫でながら、疲れたようにそう言った。
セミラから手を離すと、キリーナの目には少し力が入っていた。
「これから勉強を教えます。私についてきなさい」
そう言れて俺たちは、昨日初めて会った部屋に案内される。
「あなたたちにはこれから毎日、文字を書いてもらいます」
キリーナはおちょこのようなものを取り出し、俺たちの前に置く。
カンナで削ったような薄い木の板と、羽ペンを渡された。
おちょこにインクを垂らした。それに羽ペンを付けることで文字を書くようだ。
「これからカウン文字と、魔法文字を教えます。文字が扱えなくては戦士になれません。戦士になるためには、必ず覚えなさい」
キリーナはそう言って国語の授業を開始した。
「カウン文字は私たちが普段喋っているカウン語を字にしたものです。
カウン語の一文は、一筆で書かなければなりません。そのペンで書こうとすると、すぐにインクが切れるでしょう。
短い文で正確に意図を伝えられるように努力しなさい」
キリーナは2枚の羊皮紙を床に敷く。
片方の羊皮紙には、びっしりとカウン文字が記載されていた。
カウン文字は表意文字である。漢字のように、1,2文字で意味が伝わる文字だった。
「魔法文字は、魔法使い共通の文字です。『ア』『キ』と言った音がそのまま字になっています。
これをそのまま使うと文が非常に長くなってしまうので、これで手紙を書く場合などは、その地域の文字と組み合わせて、より短くなるように使います」
もう片方の羊皮紙には100文字ほど、魔法文字が記載されていた。
全て平仮名で書かれているような文字ということだ。
全世界共通の文字といえど、全て平仮名で書かれると読みづらいから、共通の表意文字を間に挟んで使いましょうって言ってるんだと思う。
「魔法文字で呪文を書き、そこに魔力を流すことで、詠唱なしで魔法が使えます。
つまり、本人に適性のない魔法も、これで使うことができます。
魔法文字が書かれた紙を魔導書といい、石材等に書かれた場合は魔法陣と呼ばれます」
「魔法陣を発動させるには、魔法文字のみで書かなくてはなりません。
つまり長い文字で、魔法陣を作るようになります。
大きな文字で書くと、紙が何枚あっても足りなくなります。
この文字は普段から、細く・小さく書くようにしなさい」
キリーナは一通り話しきると
「それでは、私の文字を真似て書きなさい」
と言い、授業が始まった。
文字を読み上げながら書く。
隣の部屋からも、同じようなことをしている声が聞こえた。
俺は小さいころからウンマーさんに文字を教わったし、ググンも実家で習っているので苦労していないようだったが、セミラは違ったらしい。
何度もキリーナに書き直しを命じられている。
しかしセミラは灰色の目を細めながら、勉強を続ける。
ひたむきに勉強し続ける姿勢には、どこか必死さを感じる。
――ここを追い出されたら、行く当てがないんだもんな……
困っていたら助けようと思っていると、
ググンも同じ気持ちになっていたらしい。
セミラを見て、一緒に頷いた。
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午後は広場に出て運動をする。
広場にはすでに、他の組が出てきていた。
「あの四隅に立っている石柱の外を走りなさい」
キリーナは、砂利が敷いてある広場の隅を指さす。
指の先を見ると、4つの石柱が広場の隅に立っているのが見える。
「ググンとハイヤーンは10周走りなさい。セミラは気闘が使えるでしょう。あなたは30周走りなさい」
気闘とは、体内にある気力と呼ばれる力を使って、身体能力を高くする技術である。
体内にある気力を消費することで、成人男性を子供が打ち負かすこともできるようになる。
気力は消費中に肌が白くなる特徴があるため、急に体が白くなった人やモンスターには近づくなと、カグンから教わっていた。
気力や魔力は、人によって保有できる量に差があり、多く持てる人は常人の何倍も保有している。
一度に消費できる量はその人の技量によるので、単に持っている量が多いから強いという訳ではないが、量は多く持っていたほうが利点が多いので、増やすことを推奨されていた。
気力も魔力も、増やす方法はいくつかあるらしいが、代表的な増やし方は、
若いうちに気力・魔力をたくさん消費する方法である。
なので、気闘が使えるセミラは、気力を消費して走るように指示されたのだろう。
セミラは「はい!」と元気よく返事をし、走り始めた。
もともと色白な体が、気闘を使うことによってさらに白くなっている。
わずかに浮かんでいた血管も白く塗られたため、陶磁器で作った人形のようになっている。
俺とググンも走り始めたが、足元が砂利だった。
裸足で走ると、足の裏に傷ができる。
足元を見ながら走っていると、砂利に血が付いていることに気が付いた。
みんな、血を流しながら走っているのだ。
「ぁぁああ゛あ゛あ゛!!」
泣き始めた子がいる。
――わかる。足めっちゃ痛いもん
俺の足の裏も、もう皮がむけているのが分かる。
足の爪に石が当たり、血が出てきた。
走りながら泣いた子を見ると、丁度しゃがみ込むところだった。
しゃがんだ女の子の前に、キリーナとは別の老婆が、瞬間移動したように現れた。
「立て!!」
怒鳴るように命令するが、女の子は嫌がっている。
「やです! もうやです!!」
老婆は剣を抜き、剣の腹でその子を叩いた。
バンッ!!と音が鳴り響く。
「立て!!」
同じように命令するが、女の子は立ち上がらない。
老婆は何度もその子を叩き「立て!!」と命令している。
「ハイヤーン!! 走れ!!」
ビックリした!
いつの間にかキリーナが横に立っていた。
体罰を見るのに夢中で、立ち止まっていた。
慌てて走り出す、俺も走らなければ、キリーナに叩かれるのだろう。
ググンもセミラも、昨日顔にあざがあった。
言うことを聞かなかったり、命令を拒否したら、ああなるんだ。
ここでの規則を覚えた。
"ここじゃ命令は、拒否しちゃダメ"
なんとなくは分かっていたが、言葉にして戒めておかないと、いつかきっと失敗する。
足が血まみれになりながら、なんとか10周走り終わった。
息はあまり上がっていない。ただ足が痛いだけだ。
痛む足でキリーナのもとに向かう。
「終わりました」
「お疲れ様です。足を見せなさい」
その場にしゃがみ込んで、足を見せる。
――うっわエグイ
足の裏が血と汚れでグチャグチャになっていた。まだ血が流れている。
目をそらして、ググンとセミラを探す。
ググンは先に訓練を終わらせ、木の下で眠っていた。
セミラはまだ走っている。
1度キリーナと話しているところを見たから、すでに30周走り切ったはずなのに、まだ走っている。
キリーナは俺の足に手をかざして呪文を唱えると、足が光に包まれる。
ヒスト村で見たことがある。
これは治癒の魔法だ。
光が消えた後、足からは傷がなくなっていた。
「ググン! セミラ! 来なさい!」
キリーナに呼ばれて、2人がやってくる。
「水浴びをします。ついてきなさい」
向かった先は、森の中だった。
しばらく進むと、ローマの水道橋のようなものが見えてくる。
水道橋からは水が流れ落ちており、下は浅いプールになっていた。
すでに何組かの子供たちがおり、みんな麻袋のような服で体を洗っている。
キリーナはしゃがんで、俺たちと目線を合わせる。
「体は毎日、きれいな水で洗いなさい、身につけるものも、よく洗いなさい」
キリーナはプールを指差し
「服を抜いで、服で体を擦りなさい」
と命令した。
ググンと俺は、言われたとおりに服を脱ぐ、
しかし、セミラは服を脱がなかった。逃げるように後ずさりする。
「セミラ」
キリーナは怒鳴らなかった。
ただ、じっとセミラを見ている。
セミラは意を決したように、服を脱いだ。
股の間に何もなかった。女の子だった。
――ごめん
心の中で謝る。
しかしそれより気になったことがある。
セミラには、白い尻尾が生えていた。馬の尾のような、細長い尻尾である。
尻尾をチラチラ見ていると、セミラはプールに素早く入り込んだ。
脱いだ服で、必死に体をこすっている。
「ググン、ハイヤーン」
早く洗えと怒鳴られるかと身構えたが、
「あの子は良い子です。そして家族です。家族として、接してあげなさい」
お願いするような口調だった。
きっとこれは命令じゃないんだろう。
別に人間じゃないからってどうこうする気はなかったけれど、普通以上に優しくする必要があるのだと感じた。
「はい!」
「わかりました!」
返事をして、俺たちも体を洗い始める。
服は固く、体の垢はよく落ちた。
「この後は自由時間です。日が暮れる前に小屋に戻りなさい!」
キリーナはそう言って、来た道を戻っていった。
体を洗い終わったとき、セミラはもういなかった。
ググンは「別々に小屋に戻ろう」と言い、先に帰ってしまう。
先に入ってた組の子たちもいなくなり、プールには俺1人だけになった。
そこで気付いた。
――今なら、魔法の練習ができるな。
水に手を向ける。
――今度は失敗しない。水をお湯にするだけ。魔力は少なめ。
プールの水が温かくなる。水道橋から落ちてくる水が冷たい。
びっくりするほど、魔力の消費は少なかった。
岩を吹き飛ばした時の、千分の一くらい。
指先の魔力を、ちょっと使ったくらいの感覚である。
試しに、近くの石の温度を上げてみる。
水ほどではないが、じんわりと温度が上がる。
今度は木の温度を上げてみる。
まったく温度が上がらない。
不思議に思って、魔力をもっと送る。
水の百倍ほどの魔力を流したところで、木が爆発した。
結果、すっ飛んできたキリーナに、剣の腹で殴られた。
引きずられるようにして小屋に戻され、日が暮れるまで叱られた。