新妻(?)は逃げる!
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私がバイエルン家に嫁いでから五日経った。いや、嫁ぐって言っていいのか分かんないけど。
初日に、空腹を感じて食堂へ行ったまでは良かったんだ。でも、出されたのはカッチカチの小さいパンに具ナシのうっすいスープ。だけ。
そしてそれも何故か二日前に出されなくなった。
つまり、三日間何も口にしてない。
食堂から屋根裏部屋へ戻る時、当主の個性的な容貌の奥様方が意味深な笑みを向けていたので多分彼女たちの仕業だろう。
「……お腹……減った……」
部屋の狭いベッドにうつ伏せになっていると、ため息と共にそんな言葉がポロリと出た。
そりゃそうだ。三日間飲まず食わずなんだから。人間一週間は食べなくても生きていけるって聞いたことあるけど。
「三日で死ぬよ、コレ」
この館に着いた時でさえ空腹だったのに。それが三日も。
死ぬ……。死ぬのかな、私。……ロクな人生じゃなかったな、十五年間。
……おとーさん、おかーさん、兄弟の皆、さようなら。
マルガレーテはお腹を空かせながら天高く上って行きます…………。
「…………なんてゆーワケねーだろぉぉぉッ!!! 天下のバイエルン家に嫁いで餓死でしたなんて恥ずかしすぎだわッ!」
くわっ! と目を見開いて起き上がる。
「死ねない死ねない死ねない。……もう、ここは……」
逃げるしかないでしょ。
思い立ったら即実行。逃げよ逃げよ。
意気込んで立ち上がったものの、先程の、大声を出して急に動いたことでエネルギーが尽きてしまったらしい。ポテッと床に倒れてしまった。
「うっそー……」
仕方ないので床に頰をくっつけたまま数分待機。
……って、数分で体力が回復するかよぉー!
「ふぎぎぎ……」
プルプル震える腕で身体を支え、壁伝いに歩き出す。
動け、私の足ー! このままじゃ餓死だぞ!
自分で自分を励ましながらなんとか部屋を出て、使用人専用の勝手口にたどり着く。
この屋敷内の構図は初日に色々と歩き回ったので既に頭に入っているのだ。
「……おや。そこにいるのは誰ですか?」
げっ。家令さん!
……今、早朝ですけど!? まだお空、暗いですよ! 早起き過ぎじゃないですか!?
慌てて近くの草陰に飛び込んだ。さっきまで死にそうなくらい力出なかったのに、これが火事場の馬鹿力ってやつか!
「……ニ、ニャアーオ……。……」
……誤魔化せた? いや、誤魔化せないな!? 棒読みだし!
「猫ですか……」
え。この大根演技でオッケーなの?
ほぼほぼ捨て身でやった猫の鳴き真似に、家令さんがあっさり騙されて拍子抜けする。
……案外、猫好きだったりして。
何はともあれ、家令さんがいなくなって良かったー。
ホッとして草陰から這い出る。
周りに人がいないことを確認して、私は小さな勝手口の扉を開けた。まだ朝早いからか、貴族らしき人間の姿は見えない。代わりに、働きに出る市民たちが視界に映る。
……で……。
「出れたー!」
私は自由だぁー!
と叫びたい所だったけど。
身体に力が入らなくて出来ませんでした、ハイ。
「……ご飯……みず……」
私は相変わらずフラフラの状態で彷徨いだした。お腹も空いたし……力が入らん……。
上流階級の人々が出入りする貴族街をそそくさと抜け、平民の街である城下町に入る。
貴族街と違って、労働者階級の多く住む城下町は朝が早い。まだ朝日が完全に姿を現していないけれど、既に大通りの屋台とかは開店準備を始めてた。
食べ物を求めてトコトコ歩いていると、私は奇妙なものに遭遇した。
……なんだろう、あの人。
城下町では珍しい、小綺麗で従者の着るような服を纏った男が脇の狭い路地にいた。
そしてその男はものすごーく急いでいるようで、着ている服をバンバン脱いでいた。
……白昼堂々と露出狂か?
その人は素っ裸になってから、ここらにいる平民が着るようなボロボロの服に着替え始めた。
急いでいるみたいで、……なんだか、目が血走ってて汗を異常なほどかいていて……疾しいことをした人のようだ。
男はやがてチッと舌打ちをして、元々着ていた小綺麗な服もそのままで貧民街の方へ走って行った。
ポツンと路地に残された服を見て、私はあることを思いつく。
そして数分後。
「……うん。似合ってる似合ってる」
それまで着ていた女の子らしい、でもつぎはぎだらけのボロボロワンピースから、男の置いていった服に着替えてみました。
大丈夫、コレは盗みじゃない。だって、あの変態が置いていっただけだもん。大丈夫大丈夫。
側側に落ちてたナイフでバッサリと長い金髪を切れば、ちょっと良いところのお坊っちゃんに大変身だ。
我ながら本当に男の子にしか見えない。
上機嫌で路地から出る。
ちなみに着ていた女物のワンピースはそこら辺にほっぽっておいた。
「よーし。帝都散策と洒落込みますかー!」
ぐうぅぅぅー。
ピタリ。
「あーーーッ!」
新しい服ゲットに浮かれててすっかり忘れていたけど、今空腹なんだった……。
「ご飯ー…………」
思い出したようにヨロヨロと足がおぼつかなくなる。
「お、おじさん、串肉一本恵んでください……」
お金を持っていないので近くにいた露店のおじさんに頼み込む。
「ええ? 金無いんじゃ困るよ。こっちも商売でやってるんだから」
「うぅっ……い、一本。一本で良いんです。手が滑って地面に落としちゃったと思えば……」
「……オレは大事な商品を落としたりしねぇけどよ……」
「いたぞ! やっと見つけた! この野郎、よくも盗みやがったな!?」
「ぐえっ!?」
泣きそうになりながらおじさんに頼んでいると、突然後ろから首根っこを掴まれた。
「ゔっ!? ぐ、ぐるじッ!?」
「暴れんじゃねぇ! さあ、盗んだのはどこだ! ここか!? それともここか!?」
ぎゃあああぁぁぁっ!!! ドコ触ってんだコイツゥ!? ソコはお尻、てかお胸ェ!
「あばばばばっ!」
「この野郎っ!」
ガッ!
「ぐうっ!」
ほっぺ! ほっぺ殴られた! ついでに突き飛ばされた先がお店の角! 痛い!
「どこにある!?」
私を殴ったのは三十代後半くらいの凶悪な形相の男。激怒していて血管が盛り上がっている。
「ひっ!」
男は私に近付いて再び殴ろうとする。
「待て、やめろルドルフ」
それを止めたのは男の横にいつの間にか立っていたおにーさんだった。
「目立ち過ぎだ。馬鹿者」
彼の言葉でハッとなったのか、男は振り上げかけていた拳を下ろす。
ホッとしたのもつかの間、私は次のおにーさんの言葉に固まった。
「こいつから詳しく事情を聞く。…………どうしても口を割らなければ、殺そう」
殺す。誰を? 私を?
「え。ええっ!?」
「来い。お前に聞きたいことがある」
返事をする前に男に腕を掴まれ、拒否権はないのだと悟った。