見失う。
「アンディさま、お昼を中庭でとりませんか?」
「悪い、今日はデイジーと食堂でとる」
話しかけてきたアイリスを一顧だにせず通り過ぎ、他の男子生徒と一緒にいたデイジーへ歩み寄る。
「デイジー、食堂に行こう」
「まぁ、アンディさま。うれしい!」
誘いに素直に喜ぶデイジーを見て、今までにない充足感を覚えた。
背後でアイリスが立ち尽くしている。
きっと俺のことで頭がいっぱいなはずだ。
それがとてつもなく心地良い。
その後もアイリスの誘いを断って、デイジーと過ごす。
デイジーの話はいつもとりとめのないことばかり。
適切なタイミングで相づちを打つ。
頭を使わずに話ができる。
なんて楽なのだろう。
貴族同士の会話では学生の身分でも背後に家がある。
不用意な言葉で一族が足をすくわれぬよう常に考えていた。
そして…そうだ。
アイリスとの会話もそうだ。
アイリスの気を引く会話になっているか、いつも考えながら……心が欲しいと思いながら放つ言葉に俺は疲れたのだろう。
あがいて、あがいて…それでも得られない彼女の心。
「お前の婚約が解消になったよ」
夜遅く帰宅した父親が疲れた顔で俺を睨む。
「え…っ?」
「お前は……なんてことをしたんだ」
「父上?」
「よりによって男爵令嬢などと…。資産もなければ、領地に特産がある訳でもない。縁を結んでもプラスにならない家の子女にちょっかいを出すなんて…」
「どういうことですか?」
「コンスタンス侯爵から婚約解消と言われ、すぐに男爵から娘を頼むと言われ…」
「いや、待って下さい。なんでアイリスと婚約解消になるんですか?」
「お前の態度が原因だろう!」
父親に怒鳴られた。
「婚約者をないがしろにし、他の女にうつつを抜かしおって…」
「ちがいます、あれはアイリスの反応を…」
「御託はいい。もう陛下の前で婚約解消の話が出てしまった。今さら変えられない」
「そんな…」
「勢いも資産もある侯爵家と縁を結ぶのが、家の繁栄に繋がる。だがお前はしくじった」
「家の繁栄…」
そんなことでアイリスとの結婚を望んだ訳ではない。
「新しい縁談を探さねば…。あの男爵令嬢はダメだ。下品にも色んな子息に粉を掛けている」
父親は苛立たしげに壁を叩いた。
「だがお前の学園での行動が、社交界でも噂になっている。まともな縁談は難しい。しばらくほとぼりが冷めるのを待つしかない」
大きなため息をつき、父親は俺の横を通り過ぎて私室へ向かう。
俺は言葉もなく呆然と立ちすくんだ。
「婚約…解消…?」
一体何故そんなことになったんだ?
アイリスは了承したのか?
俺が好きかと問えばいつでも「はい」とアイリスは答えていた。
あれは嘘だったのだろうか。
「いや、最初から…だ」
好きか嫌いかで言ったら「好き」の方だとアイリスは言っていた。
それは顔見知りに対する気持ちや、ただの友情と変わらなかったのではないか?
「私はあなたとの未来が想像できなかったのです」
久しぶりに正面から対峙したアイリスは真っ直ぐな瞳でそう言った。
アイリスの人生に俺は必要ないということだ。
嫌いより重い。むしろ無関心に近い。
「そうか…」
歩き去る小さな背中は凛としていて美しい。そういう所も好きだった。
「あ、アンディさま! こんなところにいらっしゃったの?」
デイジーがパッと花の咲いたような笑顔で駆け寄ってきた。
「もぉ〜、聞いてください、アンディさま。お父さまがアンディさまを捕まえてこいっておっしゃるのよ。娘に対してデリカシーのない言葉だと思いません?」
デイジーが身をくねらせてすり寄ってくる。
「あたしは政略結婚なんか嫌だわ。だけど…アンディさまに捕まるなら幸せです…」
頬を染めて恥じらいがちに言うデイジーを見下ろす。腕に体を絡ませられ、ゾッとした。
アイリスは隣で、自分の足で立っていてくれた。
寄り掛かるのではなく、いつでも俺に寄り添い、話を聞き、助けてくれた。
でも今は…。
デイジーに掴まれた腕から、ずぶずぶと底なし沼に引き込まれるような感覚だ。
いつから……俺は間違っていた?