変わらぬ現状。
アイリスが君に恋をするまで。
コンスタンス侯爵はそう言った。
確かに今、アイリスは俺を特別好きではないんだろう。
だが他の男よりは近しい。
きちんと気持ちを伝えれば、すぐに好きになってもらえるはずだ。
そう思い、手紙を書き、花を贈り、数日おきにお茶をする。
アイリスは目に親しみを浮かべて笑ってくれる。
よく気を使ってくれて、居心地もいい。
好きかと問えば、頷いてくれる。
三年後、婚約者候補から婚約者に変わった。
そこから学園に入るための猛勉強が始まり、あまり頻繁に会えなくなったが、それでも十日に一度はお茶をした。
「毎日勉強漬けでくらくらしてきたわ。学園に入ったら落ち着くのかしら…」
アイリスが珍しく弱音を吐いた。それがなんだか無性にうれしくて、白い頬をなでてしまう。
「くすぐったいです」
肩をすくめるアイリスが上目遣いで笑った。
相変わらずその目は凪いでいたが、やわらかな親しみは浮かんでいる。
確実に俺はアイリスの心を掴んできていた。
きっとこのまま俺たちは結婚するだろう。
その未来予想図は学園に入って、崩れた。
様々な人間と知り合うと、身分も見た目も悪くない俺に女生徒がすり寄ってくるようになった。
中には結婚を目指して媚びを売る女もいたが、純粋に俺に恋してくれた女子もいた。
その目には確かに恋情が見えた。
アイリスには未だに灯らない色だ。
「アンディさま、ランチをご一緒にいかがですか?」
再び気付いてしまった事実に打ちのめされていた俺にデイジーは明るく話しかけてくれる。
つい無愛想な返事をしてしまっても、気をもり立てるようにフォローしてくれて、強ばっていた肩から力が抜ける。
「アンディさま、勉強でわからないところがありますの。放課後、教えてくださいませんか?」
見上げてくるデイジーの瞳はうるんでいて、頼られるとうれしさがこみ上げた。
アイリスは俺に頼ったことがあっただろうか。
お願いと言われた記憶がない。
いつでもにこにことそばにいるだけ。
それでもアイリスはまだ子供なのだ。しばらくしたら大人の恋をしてくれるだろう。
「アンディさま、フレデリック王子さまがたと談話室でお勉強しますの。お菓子を持ってきましたのでご一緒にどうぞ」
「ありがとう」
「アンディさまのお好きなビターチョコのクッキーがありますわ」
「それは…俺のために持ってきてくれたんだよな?」
「もちろんです!」
笑顔で即答され、デイジーに愛されていると思った。
デイジーに腕を絡められ、歩いていたら視界にアイリスの姿が映った。
こちらを驚いたように見ている。
「アイリ…」
「アンディさま、お茶は何がいいですか? あたしこう見えてもけっこう淹れるのうまいんですよ」
「あ、あぁ…」
デイジーに話しかけられ、アイリスから視線が離れた。その一瞬ですでに彼女の姿はない。
なんだか見捨てられたような気分だ。
「なんだ、ずいぶん沈んでいるな」
フレデリック王子がからかうような笑みを向けて来た。
「恋の悩みだろう」
「悩みというほどではありません」
「いや、わかってるよ。アイリスはねぇ…まだまだグレースと一緒にいる方が楽しい年頃なんだよ」
「……」
フレデリック王子は訳知り顔で頷いている。女性とよく一緒にいるだけあって、見えることがあるのだろう。
「アイリス…さまって婚約者の?」
「そうだよ、デイジー。アンディの婚約者だ」
「あの茶色い髪の目立たない女性ですよね。グレースさまの影みたいな」
アイリスが地味だと言外に言われ、ムッとなる。でもかばう言葉を言う間もなくデイジーは俺の手を取ってソファに座らせた。
「こんなに素敵なアンディさまを放っておいて、女友達の方がいいなんてありえないわ」
デイジーはぷんぷんと頬を膨らませている。その様子が子供のようでかわいい。
そういえばアイリスのこんな顔見たことないな。いつも静かに笑ってるだけで。
「どうしたらいいのかな…」
「正直に思いを伝えるだけでいいと思うぞ」
ぽつり零れた言葉にフレデリック王子が答える。
「二人に足りないのはちゃんとした会話だ」
「しかし…手紙も言葉もプレゼントもやりつくしたと思うんですが…」
「アンディさま、健気な…」
デイジーがうるうるとした目で見上げてくると、ささくれ立った心が少し癒される。
「それはアンディからばかりだろう。話しかけてばかりじゃなく、アイリスの言葉や考えをちゃんと聞いてあげることだ」
「聞いてると思います…」
「そうか? アイリスはお前の言葉に返事をしているが、考えを言っているようには見えないな」
恐らくアンディからの一方的な会話なのだとフレデリック王子は言うが、それの何が悪いのか分からない。
アイリスは大人しいから口数も少ないのだ。
「アプローチはし過ぎてもよくないんだよ、アンディ」
「はぁ…」
フレデリック王子の助言は難しい。
とりあえず俺の行動が過剰だと言われたのは分かった。
ならば、もしかして…。
「冷たくしたら、振り向いてくれるかもな」
俺が冷たくしたら、アイリスは心配してくれるだろう。 遠慮がちに「どうしました?」と話しかけてくれるはずだ。
光明が見えた気がして、俺の心は浮き足立った。