巡り会えた。
「ではアイリスお嬢さま、いってらっしゃいませ」
「行ってきます」
車寄せで馬車を降り、校舎に入ると、ばったりアンディに会った。
「おはようございます」
さっとあいさつをして通り過ぎようとしたら、腕を掴まれる。
「…なんでしょう」
「なぜ婚約を破棄した」
「なぜ…とは?」
「お前は俺を好きなはずだろう!」
「は?」
朝から寝ぼけているのかしら。
ぽかんと見返すと憎々し気に睨みつけられた。
「とりあえず、手を離してください」
「いやだ」
「では、力をゆるめてください。痛いです」
そう言うと気まずそうにアンディは少しだけ力を抜いた。
「婚約解消は互いの家との取り決めになりますが…私個人の気持ちとしては、婚約の意味を見出せなかったのです」
「意味だと?」
「はい。学園に入ってからご自分の私に対する態度が変わったのはお分かりですよね?」
「………」
「そういうあなたの態度を見ていて…私は自分の感情に気付きました」
アンディとお菓子を何度も食べた。食事だって一緒にしたし、お茶会や未成年の子を集めたパーティにも二人で行った。
だけど、私はアンディに美味しいものを食べさせてあげたいと思わなかった。
思っていたのは、グレースや王子たち、みんなで食べたい、だった。その中にアンディが含まれていたけれど…アンディのために用意しようとは思えなかった。
そこに恋愛感情はなかった。
「私はあなたとの未来が想像できなかったのです」
そして私は深く頭を下げる。
いつその場を離れたのか記憶にないが、気付いたら私は裏庭にいた。
人気のないベンチでぼんやりしていたようだ。小鳥のさえずりはいつも通り。風は少し弱い。
ふと視線を動かすと、樹の根元にサイラスがいた。
半身を樹に隠すように、でもまるで有能な護衛のように私を見ている。
目が合うと伏し目がちに微笑んでくれた。
「どうして…」
「ふらふら歩いていくのが見えたから」
危なっかしかった、と言うサイラスは立ち上がり、私の足元に跪く。
「大丈夫か?」
「――たぶん」
何があったかとは聞かない。サイラスの優しさなのだろう。私を気遣ってくれているのが、とてもよく伝わる。
「グレース嬢が心配していた」
「そういえば今日のレッスンが…」
「もう終わってる」
「えっ」
言われて空を見ると、確かに夕方の気配があった。
「いやだ、私…ぼんやりし過ぎね」
「コンスタンス家の馭者には少し遅くなると伝えてある。気の済むまでぼんやりするといい」
「ありがとう」
サイラスは着ていた上着を私に掛けてくれた。温かさに包まれてホッとする。
「こういう時には紅茶が飲みたくなるな」
「そうね。甘い物もほしいわ。サイラスさまにはサンドウィッチかしら」
「いいね」
具はチキンの照り焼きとレタス。大きな手で、大きな口で頬張ってくれたらうれしい。
ずっと同じ物だと飽きるからたまごサンドイッチもつけたい。デザートは少し酸味のあるりんごがいいな。
私は跪いたままのサイラスを見下ろす。でもサイラスは大きいので、いつもより少し視線が低いだけだ。
陽射しに赤みが混じり、彼の茶色い瞳を蠱惑的に染めている。
「私…サイラスさまにおいしいごはんを用意してあげたい」
「俺に?」
「お料理はできないから、実際に用意するのはヘンリーだけど…お菓子もロータスの作ったものだけど、メニューは私が決めたいの」
暑い日にはスッキリしたドリンクを。寒い日には温かいスープを。楽しいお酒と、おいしいおつまみ。疲れていたら体も心も癒せる食事を。
「頭にどんどんメニューが浮かぶの。あと、クロスの色や食器もサイラス様を喜ばせてあげられるものを…」
「アイリス」
サイラスがそっと大きな手をひざの上に揃えた私の手に乗せた。
「その食堂はどういうインテリアがいい?」
「テーブルから庭が見えるといいわ。それにあまり広すぎるのもさみしいから、こじんまりとしてていいの」
「でも、家族が増えたら困るだろう」
「仲良く身を寄せ合えばいいのよ」
「今みたいに?」
サイラスがにやりと笑った。
「――え、ええ。そうね…そのえっと、サイラスさま…」
「なんだ?」
「手を…その手を」
離してほしいと言う前に強く握られた。
「アイリス」
「はい…」
「俺と、結婚してほしい」
夕陽はさっきより赤く世界を照らす。サイラスの目も燃えているようだ。
唐突な言葉。でも……自分が望んでいたことはもう知っている。
サイラスも同じように思っていてくれたなら、なんてうれしいことだろう。
何も言わず、こくりと頷く。私の頬は夕陽より赤いだろう。
「ありがとう」
サイラスは立ち上がり、そっと私を抱きしめた。