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決心。

 翌朝、学園の馬車寄せに着くと、私は座席の横に置いていたバスケットを抱えた。

 マフィンは焼きたてで温もりが残っている。


「お嬢さま、お荷物は私が持ちます」

「いいのよ。あ、でもカバンをお願いできるかしら」

「かしこまりました」


 教室まで着いてきてくれる侍女のサンドラはしょうがないなという目で笑う。

 その背後に見覚えのある紋章の馬車がやってきた。

 馬車が止まるや否やで飛び降りるように出て来たのは我が婚約者だ。


「おはようございます、アンディさま」

「――おはよう」

「あの、今日のランチですけど…」

「悪いが君と話している時間はない」


 そう言い捨てるとアンディは渡り廊下を歩いていたデイジーへと駆け寄る。


「なんですの、あれ…」

 登校してきたグレースがあきれ顔でアンディの背中を睨みつけた。

 デイジーへ少し前のめりになって話しかけるアンディの表情は見えないが、たぶんにやけているのだろう。

 アンディ越しにちらりと目が合ったデイジーが勝ち誇った顔で笑った。


 手に持っていたマフィンのバスケットが妙に重い。


「アイリス…」

「いいのよ、グレース」


 アンディは一度もこちらを振り向かず、教室へと入っていく。それをぼんやり見送っていたら、横に人が立った。


「どうした、アイリス嬢」

「…おはようございます。サイラスさま」

「顔色が悪い。医務室へ行くか?」

「いいえ…でももう少し外の空気を吸ってきますわ。サンドラ、悪いけれどカバンを教室に持っていってくれるかしら。あと…グレースさま、先生に遅刻するとお伝えくださいます?」

「わかりましたわ」


 人目があるから言葉遣いを改め、踵を返す。誰もいない場所を探して裏庭へ出ると、サイラスがついてきた。


「あの…独りにして頂きたいのですが…」

「具合の悪そうな人を放ってはおけない。邪魔はしないし、変な噂が立たないよう、ここにいる」


 そう言って少し離れた樹の影に腰を下ろした。確かにこれなら一緒にいるとは言われないだろう。


 私は深呼吸して、小さなベンチに座る。

 風が樹々を揺らす音や小鳥のさえずりを聞きながら目を閉じていたら、段々落ち着いてきた。


「あの、サイラスさま」

「なんだ」

「男性は…心変わりをすると前の女性は疎ましくなりますか?」

 サイラスは戸惑った顔でこちらを見た。

「…人によるだろう」

「ですわね。では心変わりされた女性はどうしたらよいのかしら」

「――それこそ、人による。…が、辛いのならため込まず吐き出したらどうだ?」


 そう言われて、ふと自分に問いかける。

 私は今、辛いのだろうか?


「…いえ、辛くはありませんの」

「そうなのか?」

「えぇ。元々親の決めた婚約者ですし、友人以上の感情を持っていなかったので」

「アンディのことか」

「ご存知ですか?」

「貴族の端くれだからな」


 サイラスは王家の信頼が厚い伯爵家の次男だ。恵まれた体躯を持ち、剣技は同世代で横に並ぶものはいない。


「アンディさまとは…幼馴染みのようなものでしたし、婚約も妥当なところだと思っていました」

「…うん」

「親は無理にしなくていいと言われましたが、アンディさまからも望まれましたし、嫌いではありませんでしたから婚約に逆らう理由がなかったんです」

「そうか」


「アンディさまを思っていたかと言われたら、何とも言えませんが…貴族の結婚とはそういうものですし」

「そうだな」


 サイラスの相づちと雰囲気は不思議と私の口を滑らかにする。


「だから他の方を好きになっても、しょうがない…くらいにしか思えません。よく読む物語のように嫉妬を覚えることもないけれど…」


 ひざの上に置いたバスケット。

 これを見つけるとアンディは喜んでつまみ食いをしようとしてくるのが常だった。


 そしてグレースはもちろん、アンディやフレデリック王子、一学年上のキース王子を誘って、中庭でささやかなお茶会をしていた。

 それらの時間が無くなってしまうのが妙に淋しい。


「その気持ちは分かる」 

 素直に吐露した言葉にサイラスは頷いた。


「分かっていただけますか?」

「あぁ。子供の頃よく遊んだ友人たちと、今は家のしがらみやら互いの競争心やらでどうにもぎくしゃくしてしまう。昔はそんなこと関係なかったのにな」

「そうですわね…」


 この寂寞は誰にでもある感情なのか。

 では自分がこうやって落ち込んでいてもおかしくない。


「人との付き合いかたは変わっていくものですのね」

「そうだな」

「学園に入って、今まではあまり話さなかった方とも親しくなれましたし、うん。そういうものだと思うようにしますわ」


 婚約は解消しよう。

 幸い、両親はそのつもりだし、まだ正式な披露目はしていなかった。


「相談に乗ってくださってありがとうございます。サイラスさま」

「別に俺は何もしていない」


 サイラスは茶色の目を細めて笑う。


「お礼にお菓子はいかがですか? マフィンなのですが…」

「甘いものはあまり得意ではないので、気持ちだけいただこう。教室に戻るなら送る」

「ありがとうございます」


 少し離れて二人で歩く。会話はなかったが、心は軽い。聞こえてくる小鳥のさえずりもやわらかな陽射しもすべてが暖かかった。

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