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やっぱりおまえは俺にとって




 二週間後の週末、朝から電車を乗り継いで都市近郊に建てられたコンベンションセンターにやってくる。学校のグラウンドばりに広いここのイベントホールにて、爆神祭の全国決勝が催される。

 この場で戦うことを許されたのは、各エリアの予選を突破してきた猛者だけだ。出場選手のなかには、凛子や久美と同じプロゲーマーもいる。相当ハイレベルな試合が繰り広げられるだろう。

 ラグエン以外にも複数のタイトルの試合が行われるので、ホール内にはいくつもの対戦台が行列を成していた。会場にはストリームカメラも設置されており、試合はネットの動画配信で全世界に流れる。

 ホールの奥にはステージがあって、決勝戦はあそこで行われる。プロジェクターを使い、壁面に貼られた巨大スクリーンに対戦映像が映し出されるようだ。

 会場が広大なだけに、観戦客の数も凄まじい。うじゃうじゃいる。やっぱり男ばっかでむさい。だが独特の熱気が漂っている。人間嫌いである俺のテンションもそれなりにあがっていた。

 客のなかには、今日は誰が優勝するのかを予想しあう人達もいた。俺はそんな予想を語りあえるような知人がいないので、一人でホール内をほっつき歩く。学校の教室じゃないのに疎外感がはんぱない。仲間はずれにされている気分です。


「下野」


 名前を呼ばれたので、立ち止まって振り返る。

 視線の先には、伊達眼鏡をかけてイナズマデザインのロゴが入ったTシャツを着た凛子がいた。隣には、いつものように音葉さんがついている。

 凛子は俺の顔を見るなり、目尻をゆるめて喜色を示す。


「ちゃんと、きてくれたんだ」

「まぁ行くって言ったからな」


 信用されてないんだな。俺も俺みたいな男は信用しないけど。だって居留守とか超使いまくるからね、こいつ。


「平太くん、ありがと。わたしの期待に応えてくれて」


 音葉さんは身を寄せてくると小声で感謝を口ずさみウインクしてくる。うっお! すげぇいい匂いがした! えっ、なにこれ? 香水? 胸がドクドクいってる!


「俺はただ、ふつうに対戦しただけですから」


 平静を装いつつ、事実を述べる。

 結局のところ俺は凛子に一勝もできなかった。凛子は自力で立ち直ったようなものだ。俺はほんのちょっと、きっかけを与えたに過ぎない。


「きみはもっと自己評価を高くしていいと思うけどな。あんまり謙遜がすぎると、かえって好印象を持たれないわよ」


 そう言って、音葉さんは寄せていた体をはなす。せっかくのいい匂いもなくなってしまった。

 好印象ね。そんなの誰にも持たれたことない。というか、まともな印象すら持たれたことない。みんなから認識されてない俺には無関係なものだ。

 囁きあっていた俺と音葉さんを、凛子はいぶかしげに見てくる。


「お姉ちゃん、下野となんの話をしてたの?」

「お姉ちゃんが凛子のことを大スキだってこと」

「なにそれ?」


 からかわれたと思ったようで、凛子は唇をちょっぴりまげてすねる。だが音葉さんの言葉は言い得て妙だ。だってこの人、妹の心配しかしてないからね。


「……で、今日の調子はどうなんだ?」

「うん。悪くはないと思うけど……」


 凛子は曖昧に答える。確証は持ってないといったところか。

 予選を突破したとはいえ、凛子の前評判はよくない。というか悪い。最近の連敗が尾を引いている。どうせまた一回戦で敗退すんだろ、などの心無い書き込みがネットでは散見された。


「とにかく、優勝するから」


 凛子は両手で拳を握って意気込みを口にすると、呼吸を落ち着けた。

 精神にかかるプレッシャーは尋常ではない。これで負けたら、もっと叩かれる。そして負けてしまった自分を、凛子は誰よりも責めるだろう。

 こういうときギャルゲーの主人公なら気の利いたセリフをかけるが、あいにく俺にはそんな利発な思考回路は備わっていない。

 そうか、と相槌を打つだけで精一杯だ。ほんと気が利かない。


「ウルフスピアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!」


 雰囲気をぶち壊しにする大絶叫が響いた。どこかのバカ女が側面から凛子に向かって突撃してくる。

 ひょいっと凛子は立ち位置を後ろにずらすと、かわした拍子にバカ女のほっぺたをぎゅっと両手でつかんで引っぱる。なんという早業だ。

 んぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎっ、と涙目でうなるバカ女、もとい久美。

 ぱっと凛子がほっぺから手をはなすと、久美は泡を飛ばしながら吠えてきた。


「いきなり何しやがんだ!」

「それはこっちのセリフだけど?」

「はあああああああああああああっ! そっちもこっちもねぇだろ! わたしが喋ってんだからわたしのセリフに決まってんだろ! ヴァカか、おまえは!」


 いや、ヴァカはおまえだろ。前触れもなくとつぜん人にタックルを仕掛けてきておいて何言ってんだこいつ? マジで頭おかしい。イカれてる。

 久美は例のごとく、黒無地にドクロのロゴが入った悪趣味なTシャツを着ていた。前評判は凛子とは対照的にかなりいいみたいだ。快勝を続けているので、爆神祭も久美が優勝すると多くの人が予想を立てている。


「クックックックックッ、よくここまで辿り着いたな、我が宿命のライバル。これでやっと本気のテメェとやれるわけだ」

「ライバルじゃないし」

「ライバルなんだよ、ヴァカが! もういい加減認めろよ! な! おまえ往生際が悪いんだよ!」


 久美は噛んだ前歯をギリギリと軋ませて、ガンをとばしてくる。凛子は鬱陶しそうに顔をしかめていた。


「さっきトーナメント表を見てきたが、わたしとおまえがぶつかるとすれば、それは前回と同じく決勝戦しかない。これはもう運命だな、運命。わかる? デスティニーな。ま、おまえが何度挑んできても、わたしに勝つのは不可能だけどな。いくらおまえが強くなったところで、わたしはもっと強くなってるから。もう前回の二億倍は軽く強くなったな」

「それはない。だって今日勝つのわたしだから」

「ちがいまぁ~す。リコリンは負けまぁ~す。なぜならわたしのほうが強いからでぇ~す。おまえは今日からザコリンになりまぁ~す」


 毎度毎度、よく飽きずに口論できるな。というか久美が一方的に食ってかかり、凛子がそれにイライラしている。

 そんな二人のやりとりを音葉さんは寛容に見守っていた。他の客達も久美の大声に反応してこっちを見ている。俺は他人の視線には敏感なほうなので、すごく居心地が悪い。

 久美にからまれる凛子は試合前だというのに、顔に疲労がにじんでいた。本当にうざいからな、このクズミ。相手をするのも一苦労だろう。

 助け舟を出す意味もこめて、久美に質問を投げかける。


「おまえ、エントリーしてるのはラグエンだけなのか?」

「うおっ、なんだヒラオ! いたのかよ! いるんならいるって言え! あっ、いないときはいないって言わなくていいぞ。言われなくてもわかるし。てか、全く気配を感じなかったぞ。もっと存在感をアピールしてこいよ、わたしみたいに。じゃないと気づかないだろ?」


 なんで気づかないんだよ。そりゃあ俺は影が薄いけど、この距離で気づかないのはおかしいだろ。あと、久美みたいに存在感をアピールしたくない。絶対にうざがられて嫌われるので。

 こいつは基本的に凛子のことしか見えてないようだ。実は凛子のことが大好きなんじゃなかろうか?

 やれやれ、音葉さんといい、玲奈といい、久美といい、リコリンったら男子だけじゃなくて女子にもモテモテ。百合版のハーレムを築くのも夢じゃないな。


「で、おまえはラグエン以外の作品には参戦してないのか?」

「たりめぇだろうが! わたしを誰だと思ってんだ!」


 クズで、うざくて、口汚くて、性根が腐りきっている最低女だろ? と真実はおくびにも出さないでおく。


「いいか、爆神祭にかぎっていえば、わたしはラグエン一筋なんだよ。ま、他の作品にエントリーしてもどうせ優勝するのはわたしだけどな。わたしが優勝を総なめにしたら他のザコプレイヤーどもが哀れだろ? だから今回はあえてラグエンだけにしておいてやってんだよ。ほんとわたしって女神なみに優しいな」


 こんなクズ女神、誰得なんだよ。需要なんて欠片もないぞ。

 とりあえず、久美も凛子と同じでラグエンにしかエントリーしてないみたいだ。

 ちなみにプロのなかには複数のタイトルにエントリーする選手もいる。いくつかのゲームを同時進行で練習して決勝大会までのぼってくるなんて、凡人には真似できない。


「にしてもヒラオ、よく凛子を復活させてわたしの前に引っぱり出してきたな。特別にほめてやろう。さすがわたしの子分だ」

「だから子分じゃねぇって」

「子分じゃないならなんだってんだよ! わたしの子分じゃないとしたら、おまえなんて存在する価値がねぇだろうか!」


 存在そのものを否定された。このクズ女、泣いて謝るまで小突きまわしてやりたい。やらないけどね。女の子を泣かすとか、さすがにひどいから。


「本人が違うって言ってるんだから、下野はクズミの子分でもなんでもないよ」

「あぁ~ん? おいおい、凛子さんよぉ。なんでおまえがわたしとヒラオのことに口出ししてくんだ? おまえは部外者だろうが。すっこんでろよ。って、はっは~ん。なんだそういうことか」


 久美は得心がいったように首を縦に振るうと、したり顔になって下から凛子を見上げてきた。


「おまえあれだろ? わたしにヒラオを取られたから嫉妬してんだろ? ジェラシーバチバチさせちゃってんだろ? ハッ、残念でしたぁ! もうこの男は骨の髄までわたしの下僕と化してんだよ!」


 んなわけねぇだろうが、このクソ女。いい加減にしろよ。

 ……どうしよう。裏に連れ込んで一回ちゃんと叱りつけようか。それでもこのクズは改心しそうにない。


「べつに嫉妬とかじゃないけど」


 そしてリコリンは、なに言ってんの、みたいな顔をしている。どうやらこいつにとって、俺はその程度の存在でしかないらしい。はい、傷つきました。

 二次元のツンデレ幼馴染みだったら「はぁ? そ、そんなんじゃないし! こんな奴なんか、どうでもいいんだから!」と顔を赤面させる。二次元の幼馴染みってホンマかわええわぁ~。

 俺が肩を落とすと、凛子と目が合う。すぐに目をそらしてきた。凛子は長いまつ毛をふせて、斜め下のほうをジーッと見ている。

 なに? まさか今さら悪いことを口にしたなって反省してるの? もういろいろ手遅れだよ。できれば口にする前に気づいてほしかったなぁ。

 凛子は顔をあげて俺を見やると、何か言おうと口を開いたが、


 ――二番台でダスク選手とリン選手の試合を行います。


 天井から聞こえてくるアナウンスが凛子の名を呼んだ。

 もう試合が始まるのか……。まだ俺の心の準備はできてない。いや、俺の心の準備とかどうでもいいんだけどさ。関係があるのは凛子のほうだ。

 その凛子は……かちこちに身体をこわばらせていた。


「名前を呼ばれたわね。指定された対戦台に行きましょう」


 音葉さんがにこやかに微笑んで肩に手を乗せる。凛子はハッとすると、こくりとうなづいた。


「平太くんも、わたしと一緒に凛子の応援に来るでしょ?」

「えぇ、まぁ」


 そのために来たわけだしね。応援はするが、対戦そのものは凛子の実力で乗り切るしかない。俺は何の力にもなれない。


「わたしはついていかないけどな!」


 デェェェェンという擬音が聞こえてきそうなほど、久美は大仰に胸を張った。え? なんでこんな偉そうなの、このクズ?


「いいか、わたしがおまえの試合を見るとしたら、それは決勝戦でだ! それ以外はないからな! 絶対に勝ちあがってこいよ! 負けたらしょうちしねぇぞ!」


 ビシッと指差すと、久美は人ごみのなかに消えていった。ライバルとして、あいつなりにエールを送ってきたみたいだ。素直じゃないというか、不器用でわかりにくい。


「さ、行きましょう」


 音葉さんに催促されると、俺たち三人は二番台に向かう。

 肩を並べて歩く天宮姉妹から三メートルほどの距離をあけて俺は後ろについていく。べつにストーカーではないので、どうか周囲の皆さんには誤解しないでもらいたい。

 二番台には大勢のオーディエンスが集まっていた。ざわざわと口々に格ゲーについて語り合っている。凛子が目当てだとしても、この数は多すぎだ。


「たくさんいますね」

「そりゃあ対戦相手もプロだからね」


 マジっすか。一回戦からプロに勝たなきゃいけないとか、神様はとんだ試練を凛子に用意してくれた。

 プロとプロの試合は注目度が高い。オーディエンスがこんなに集まるのも納得だ。

 そしてこのなかには凛子の評判が悪いことを知って、今日の調子はどうなのか探りにきた連中もいる。そういった連中は悪意を秘めた眼差しを向けてくるだろう。

 凛子が同じプロ相手と渡り合えるかどうか、この試合は試金石になりそうだ。


「いってくる」

「えぇ、いってらっしゃい」


 戦場に向かう妹を、音葉さんは自然な笑顔で送り出した。心配りが達者な人だ。

 でも凛子は動こうとはせずに、ちらりと俺を見てくる。

 あ~、どうやらなんか言葉をかけなきゃいけないみたいだ。どうしよう。こういうのは初めてだからよくわからない。


「まぁ、なんだ……」


 がんばれという言葉は余計なプレッシャーを与えかねないので、慌てて引っこめる。じゃあ何を言えばいいのかなんてわからない。わからないから、勝ち負けとか度外視して、率直な気持ちを伝えることにした。


「その……楽しんでくればいいんじゃないか」


 本来ゲームとは、そういうものだ。俺はそう思う。

 凛子は硬くなっていた表情をほぐすと、


「うん」


 とうなづいて戦場に出向いていった。

 2P側の対戦台につくと凛子は深呼吸する。左の手首を返してレバーを中指と薬指の間にはさみ、右手の指をボタンにそえる。

 後ろからだと顔は見えない。だけど姿勢正しくぴんとのばした背中からは、不屈の闘志が感じられる。

 キャラクターセレクト画面になると、1Pを操作するプロゲーマーのダスクはロキを選んだ。

 2Pを操作する凛子は、もちろん持ちキャラのオーディンを選ぶ。

 キャラクターセレクトを終えると画面がヴァルハラ宮殿の対戦ステージに切り替わる。

 ドラムロールのように心臓の鼓動が強まっていく。別に俺が戦うわけじゃない。戦うわけじゃないけど、緊張感が増すのは止められない。


 ROUND1 FIGHT


 戦端が開かれる。

 開始と同時にロキは突撃技のダークインパクトで突っ込んでくると、追加攻撃の三回を入力してくる。

 オーディンはガードで防いだ。ライフゲージが微減し、ガードゲージも消費される。すかさずロキをつかみ、投げ飛ばす。

 ライフが九五%になったロキがダウンすると、オーディンはバックステップで少しだけ距離をとる。

 ロキはダウンから起きあがると一歩前進してからしゃがみ中攻撃を打ち、そこからしゃがみ強、立ち強とコンボをつなげるが、オーディンはガードで防ぐ。

 ロキの攻撃がやむと、オーディンはダッシュで肉薄する。躍りかかってくるオーディンに対して、ロキはカウンター技のミラーリベリオンで待ち構える。

 まずい。カウンターをもらえば、そこからコンボをつなげられてしまう。

 だが、オーディンは何もしなかった。打撃を繰り出さない。ただダッシュで接近しただけだ。おそらくこれはロキのミラーリベリオンを誘い出すための行動だ。

 ミラーリベリオンのモーションがとけると、その隙を突いてオーディンは立ち中攻撃をヒットさせた。次いでしゃがみ中、しゃがみ強、立ち強とコンボをつなげていき、突撃技のゴッドクラッシャーと追加攻撃の二回をぶちかましてロキをふっとばす。

 オーディエンスがうなり、息を飲む気配が感じられる。俺も手に汗を握り、試合の動向を見つめる。

 残りライフが六五%になったロキは前転受け身をとって、壁際でのダウンを回避する。

 オーディンはゲリとフレキを召喚して突撃させる。それと同時にロキはわずかな溜め動作に入る。前方に瞬間移動する技、シャドウマジックだ。走ってくるゲリとフレキをすりぬけて、ロキはオーディンの背後にまわりこむと立ち中攻撃をくらわせてきた。しゃがみ中、しゃがみ強、立ち強とつなげていきオーディンが地上から浮いたらロキはジャンプして空中中、空中強、二段ジャンプ、空中中、空中強、最後に回転しながら飛びあがる対空技のダークスパイラルを決め、追加攻撃の一撃をお見舞いした。

 一気にオーディンのライフが六〇%まで減り、形勢が逆転する。オーディンは空中受け身をとって地面に着地した。

 大丈夫だ。凛子は冷静に戦えている……はずだ。たぶん。実際のところは本人にしかわからないが、そうだと信じる。

 オーディンよりも先に地上に降りていたロキはダッシュで迫ってくると、立ち中、しゃがみ中、しゃがみ強、立ち強と猛攻を叩き込んでくる。オーディンはガードで凌ごうとするが、ガードゲージが削れていき残りゲージがわずかになる。

 そしてロキは、大量の悪霊を召喚して襲撃させる超必殺技、エターナルナイトメアを使ってきた。

 悪霊の群れが一斉にオーディンへと殺到する。ガードを固めるが、とてもじゃないが防ぎきれない。残りわずかだったガードゲージが激減していく。

 ガードクラッシュされる。そう思った。けどそうはならなかった。オーディンの身体が青く光り、鋼を叩いたようなエフェクトがかかる。それも一度だけじゃない。連続でかかる。

 パーフェクトガードだ。凛子は高難度のガード技術をエターナルナイトメアがヒットするたびに成功させ、防ぎきってしまった。

 オーディエンスが感嘆の声をあげる。俺もまばたきするのを忘れて見入ってしまった。

 あんなことをされたら対戦相手のダスクはたまったもんじゃない。かなり精神的に参ったはずだ。しかし相手は凛子と同じプロ。予断は許されないし、凛子は気をゆるめたりしない。

 即座にオーディンは反撃に転じる。立ち中、しゃがみ強、立ち強をヒットさせると超必殺技の勝利のルーンでロキをふきとばす。

 ロキは受け身をとって、ダウンを回避。ライフはあと四〇%だ。

 オーディンは溜まったマジックゲージを惜しむことなく使い、またしても超必殺技を発動。力のルーンで自身の性能を強化する。

 ロキは再びシャドウマジックで瞬間移動し、オーディンの背後にまわりこむ……が、凛子はそれを読んでいた。ロキが背後に現れた瞬間、オーディンはしゃがみ中を当てる。さらにしゃがみ強、立ち強とコンボをつなげていく。

 このままではまずいと察したロキは、身体を白く発光させてオーバースパーク。MAXまで溜まったマジックゲージを犠牲にする代わりに、オーディンを弾きとばして強制的にコンボを中断させた。

 ロキのライフは残り二〇%。オーバースパークを使わなかったら勝敗は決していた。判断の速さは、さすがプロといったところか。

 ロキは走り出すとダウンしたオーディンとの距離をつめる。オーディンが起きあがるタイミングを見計らってダークインパクトで突っ込んでくる。

 オーディンのガードゲージは依然として少ない。一撃でもガードすればゲージがゼロになってガードクラッシュする。ロキはそこを攻めていくつもりだ。

 しかし起きあがったオーディンは跳んだ。ジャンプした。ジャンプでロキのダークインパクトをかわしつつ、空中強を当てた。地上に降りると立ち中、立ち強、しゃがみ強とコンボを決めていき、ゴッドクラッシャーに二回の追加攻撃を入力。

 それで終わりだ。ロキのライフがゼロになって、KOする。

 2PWINと画面にでかでかと表示された。

 ふぅ、と凛子は背中を少しだけ丸めて一息つく。

 一ラウンドめを凛子が取ると、観戦していたオーディエンスはひそひそ囁きあう。リコリン強いじゃん。ついに完全復活したか。などの声が聞こえてきた。

 これなら問題ない。いつもどおりの俺が嫉妬して憧れている凛子だ。きっと久美も、今の凛子を見たら小躍りして憎まれ口を叩いていただろう。

 絶対に勝てる。そう期待させてくれるだけのオーラが凛子の背中からみなぎっている。

 二ラウンドめも凛子は適宜に正確な対応をとっていった。ミスを犯すことはない。対戦相手のダスクは次第にプレイスタイルが乱れていき、あえなくKOされた。

 凛子の勝ちだ。それも二本先取のストレート勝ち。同じプロが相手でも、引けをとることなく勝利をおさめた。

 オーディエンスが口々に感想を述べるなか、凛子は椅子から立ちあがると、なぜか真っ先に俺を見てきた。そしてこくりとうなづいてくる。

 ……えっ? なに? どういうことかわかんない? 三次元の幼馴染みとはあまり心が通じ合ってないから、どういう反応をすればいいのか戸惑ってしまう。

 とりあえず勝利を讃える意味をこめて、うなづき返してみた。

 凛子はうっすらと唇の端をほころばせて笑う。

 ホッとする。どうやらこの選択肢で当たってたみたいだ。数々の幼馴染みキャラを攻略してきた俺でも、今回の選択肢はなかなかムズかったぜ。


「おめでとう、凛子」


 調子をとりもどした妹を、音葉さんは明朗な笑顔で出迎える。


「どうやらいけそうね」

「うん、勝つよ。勝って決勝までいく。じゃないと……」


 一瞬、言うか言うまいかためらうようなそぶりを見せたが、諦めたように一度だけまばたきをすると、凛子はここにはいないライバルに目を向けた。


「じゃないと、クズミを倒せないから」


 きっと本人は無意識なんだろうな。いま凛子は、大好きな友達と遊ぶのを待っている子供みたいな無邪気な笑みを浮かべている。




 その後の試合でも、凛子は勝利を重ねていった。途中で何度か苦戦しながらも、冷静に立て直して敵をKOする。プレイスタイルが崩れることはなかった。

 久美も劇的な快進撃を重ねて勝ち進んでいく。乗りに乗っている。絶好調だ。久美のフェンリルは他のプレイヤーが操るフェンリルとは一味も二味も違う。強い。強すぎる。

 オーディエンスも久美の痛快なプレイが見たいようで、集まる客足は凛子の試合よりも多かった。爆神祭に出場したプロのなかで、久美が一番人気が高いのではないだろうか? もちろん格ゲーの試合の人気であって、久美本人の人気ではない。本人はいろいろ性格に難をかかえまくった破綻者だ。相変わらずプレイ中はうるさいし、態度も悪い。性格さえよければもっと人気が出るのに、もったいない。まぁ人の性根はそう簡単には変わらないか。

 そして双方とも負けることなく、決勝戦まで駒を進めた。

 ついに凛子と久美の再戦が、現実のものとなる。




 ステージ上で各タイトルの決勝戦が順番に繰り広げられる。巨大スクリーンに映し出された試合は、どれも迫力満点でレベルが高い。見てて胸が躍った。敵をKOして小さくガッツポーズをとる選手もいれば、負けて涙する選手もいた。みんな本気だ。本気でゲームに情熱をそそいでいる。

 ゲームをまったくしない人達からすれば、ゲームくらいでアホらしいと思うかもしれない。くだらないって笑うかもしれない。それでもこの会場に集まったみんなは本気だ。俺もふくめて、アホなくらいにゲームのとりこになっちまった連中だ。バカにされようが笑われようが知ったことか。俺達は全力でゲームに取り組む。

 そしていよいよ最後のタイトル、ラグエンXⅢの番がまわってきた。俺と音葉さんは観客席の最前列まで移動して、ステージを注視する。

 一つ前のタイトルの決勝を終えたプレイヤーがステージから去ると、運営スタッフの手によってスムーズに対戦台の入れ替えが行われる。観客席から見て、二人のプレイヤーが横向きに向かい合う形で対戦台が設置された。


 ――これより、ラグナロク・エンシェントXⅢの決勝戦を開始します。


 マイクを握ったスタッフのお姉さんが告げると、ステージの両端から凛子と久美が登場する。

 久美は見るからに自信たっぷりだ。にやにやと八重歯を覗かせて好戦的な笑みをたたえている。

 片や凛子は……なんだか表情が硬い。いや、いつもどおり無表情なんだが、どことなくぎこちない。ていうか歩き方がロボットみたいだ。こっちにまで緊張がひしひしと伝わってくる。

 前回の敗北は完全にふっきれたと思っていたが……いざ久美との対戦になると、あのときの記憶が脳裏をめぐってしまうようだ。俺もガキの頃に似たような気持ちで凛子との対戦を避けていたからわかる。

 けど、凛子は俺とは違う。逃げない。どんなに怖くても、びびっても、敢然と立ち向かう。そういう負けず嫌いな奴だ。

 一歩ずつ対戦台に近づいていく凛子は、こっちに目を向けてきた。俺と音葉さんに気づいたようだ。それできりっと表情を引き締めなおすと、対戦台の前まで足を進める。正面から久美と向き合う。


「ようやくマジのおまえとやれるみたいだな、我が宿命のライバル。おまえを完膚なきまでに叩きのめして、今度こそわたしの最強無敵伝説を全世界に知らしめてやんよ。いいな、わたしに負けたら土下座しろよ」

「は? 意味わかんない。なんでわたしがクズミに土下座しなきゃいけないの。その理屈でいうと、クズミが負けたらわたしに土下座しなきゃいけなくなるけど?」

「はあああああああああああ! アホォかあっ! どうして高貴なこのわたしが、乳ぐらいしか取り得のないおまえごときに土下座しなきゃならねぇんだよ! ヴァカか! あぁ~そうでしたねぇ、そういえばリコリンはヴァカでちたぁ~。ごめんねぇ、忘れてて~。ぷっぷ~」


 久美は口元に手を当ててバカにしてくる。

 凛子の両目が若干細まった。イラッときてんだろうな。そのイラッがいい方向に転がってくれればいいが。

 運営スタッフのお姉さんから指示を受けると、二人は対戦台につく。

 1P側に座った凛子は胸に拳を当てて呼吸を整える。緊張を薄めているようだ。

 2P側に座った久美は、ぺろりと舌で唇を湿らせていた。前回は叶わなかった本気の凛子との対戦。それが実現することに心を弾ませている。

 キャラクターセレクト画面がスクリーンに映し出される。二人とも、それぞれ慣れ親しんだ持ちキャラを選択する。

 凛子はオーディンを。

 久美はフェンリルを。

 対戦ステージは、紅蓮の炎につつまれた終末の世界ラグナロクだ。

 神話ではオーディンはフェンリルに飲まれて死ぬが……この戦いでは、果たしてどちらが勝利の栄光をつかむのか。


「いくぜぇ、凛子! おまえをブッ殺す!」

「ぜったい、負けない」


 両者が決意を口にすると、決勝戦の火蓋が切っておとされた。


 ROUND1 FIGHT


 先手を取ったのは凛子だ。オーディンのリーチの長さを活かし、いきなりしゃがみ強攻撃を仕掛ける。

 それを予測していたのか、フェンリルはジャンプでかわした。その拍子に空中強を打ってオーディンにヒットさせると、着地して立ち中、立ち強、突撃技のウルフスピアに追加攻撃の一回を入力してコンボを決める。

 ふっとばされたオーディンは受け身をとって立ちあがる。ライフが七五%まで減った。先にダメージをもらったのは痛い。精神的にくるものがある。

 距離を置いたまま、オーディンはゲリとフレキを召喚して突撃させる。

 フェンリルは垂直ジャンプで軽々とかわすと地面に降り立ち、ダッシュで急接近してくる。


「いくぜぇぇぇぇぇ! オラオラオラオラアァァァァァ!」


 久美が咆哮を轟かせると、オーディンに肉薄したフェンリルがのべつ幕なしに立ち攻撃としゃがみ攻撃を織りまぜた猛攻を叩き込んでくる。

 オーディンは立ちガードとしゃがみガードを正確無比に使い分け、フェンリルの猛攻に耐える。そのぶんガードゲージが削られていく。

 フェンリルの猛攻がやむと、オーディンは立ち中攻撃で反撃に出ようとうするが、


「見え見えなんだよ、ボケがっ!」


 フェンリルはバックステップでかわす。

 知ってはいたが、やはり久美はプレイ中にうるさい。あんなに叫んで集中力が乱れないのは大したものだ。もしかしたら、あの叫び声が好戦的なプレイの原動力かもしれない。そして罵声をあびせられてもプレイに集中する凛子も同じくらいにすごい。

 フェンリルはわずかに動いて半歩ほど前進。立ち中を繰り出してオーディンにヒットさせる。そこからしゃがみ中、立ち強、立ち弱を三連打すると、口から黒い川を吐き出す超必殺技、ヴォーンでオーディンをふっとばす。

 ライフが四〇%まで減ったオーディンは壁際でダウンする。


「どうしたどうしたどうした! おまえの本気はそんなもんかよ、あぁぁん!」


 オーディンは起きあがると、ダッシュする。間合いをあけた状態からしゃがみ強を打ち、立ち強、フギンとムニンを召喚して飛ばす。

 すべてガードで防ぎきるとフェンリルは遠距離技のデスボイスを撃ってきた。オーディンがガードすると、ダッシュで接近してつかみかかり投げ飛ばす。

 ダンッと音が鳴ってオーディンはダウンする。ダウンしたオーディンにフェンリルは再びダッシュで近づき、追加攻撃をする技エクスキューションを使って爪で切り裂いた。

 またダウンしたらさらに追撃をもらうのでオーディンは前転受け身をとって、壁際から抜け出すとともにダウンを回避。残りライフは二五%しかない。対してフェンリルはまだまともなダメージを一撃もくらってない。ほぼパーフェクトだ。

 すかさずオーディンはゴッドクラッシャーで突撃するが、オーディンが眼前まで迫ったところでフェンリルはデスボイスを撃った。

 カウンターヒットが決まり、オーディンはのけぞる。のけぞったところにフェンリルは立ち中、しゃがみ中、しゃがみ強、立ち強、ウルフスピアに追加攻撃の一回を繰り出してオーディンをKOする。

 スクリーンに2PWINと映し出される。


「おっしゃあああああああああああ! どうだおらああああああああああああっ!」


 一ラウンドめを先取した久美は雄叫びをあげる。

 前回の大会よりも久美の技量は向上していた。強くなったのは凛子だけじゃない。久美だって急速に成長している。ひょっとしたら凛子以上に強くなっているかもしれない。

 凛子は……押し黙っている。まだ緊張がふっきれてない。むしろ一ラウンドを取られたことで、緊張がふくらんだかもしれない。


「このまま二本連続のストレート勝ちを決めてやんぜ!」


 息巻く久美は闘志をたぎらせる。ここからはさっきよりも勢いが増してくる。

 凛子は大きく息を吐き出す。よりよいプレイをするために、冷静さを取り戻そうと努めている。


 ROUND2 FIGHT


 二本目が開始されると、オーディンは何度もバックステップを繰り返して距離をとる。


「逃げんな!」


 フェンリルがデスボイスを撃ってくると、オーディンはガードで防いだ。

 凛子は距離をとって、まずは精神を安定させようとしているようだ。しかし、久美がそれを許すはずがない。

 フェンリルが猛然とダッシュで迫ってくる。

 オーディンはゲリとフレキを召喚して突撃させるが、フェンリルは前方ジャンプでよけると、空中から地上に向かって突進し、牙を剥くハンターファングを使う。オーディンはダメージをくらい、ライフが九〇%になってのけぞった。


「オラオラオラオラオラアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 フェンリルは地上に降り立つと、すぐさま連撃をあびせてくる。オーディンはガードを固めて防ぎ、大量のガードゲージを消費する。


「亀みたいに縮こまってんじゃねぇよ!」


 守りに徹するオーディンを、フェンリルはつかんで投げ飛ばす。ダウンしたオーディンに接近するとエクスキューションで切り裂いた。

 ライフが七五%まで減ったオーディンは受け身をとって立ちあがる。

 フェンリルはデスボイスを撃ち、すぐにダッシュして距離をつめてきた。オーディンはデスボイスを立ちガードで防ぎ、そのままガードを固めるが、迫ってきたフェンリルはしゃがみ中を打ち込んでヒットさせてくる。さらにしゃがみ強、立ち強とヒットさせると、最強必殺技のゴッドイーターを炸裂させた。

 巨狼に変身したフェンリルにオーディンが飲み込まれる。画面が暗転し、連続で切り裂かれまくり、オーディンのライフが三〇%まで削られる。


「いいのか、いいのか、いいのかよぉぉぉぉっ! このままマジでわたしがストレート勝ちしちまうぞぉ!」


 久美はテンション高くゲラゲラ笑っている。

 凛子の表情は険しい。追いつめられている。余裕がない。

 オーディンは壁際で起きあがると、わずかに前進して間合いをとりつつ立ち強で攻めるが、フェンリルは前方ジャンプでかわす。かわしただけでなく、空中強を繰り出してヒットさせてきた。地上に立つとしゃがみ中、立ち強とコンボをつなげてくる。

 やばい。このままだと決められる。オーディンのライフがゼロになる。


「凛子……」


 知らず、あいつの名を口ずさんでいた。負けてほしくないという想いをこめて、名前を呼んでいた。

 次の瞬間、オーディンの全身が白く発光してオーバースパーク。MAXまで溜まったマジックゲージを消費して、コンボを決めてきたフェンリルをふっとばした。

 オーディンのライフは残り二〇%しかない。本当に危なかった。オーバースパークの発動が遅れていたら今ので決着がついていた。


「首の皮一枚つながったってところか」


 へっ、と久美はうれしそうに口角をあげる。

 フェンリルが起きあがると、オーディンはゲリとフレキを突撃させる。それをフェンリルは前方ジャンプでよけて、ハンターファングでオーディンに襲いかかった。

 空中から突進してくるフェンリルを、オーディンは対空技のゴッドムーンで迎撃する。

 それでフェンリルのライフが九〇%になる。やっとまともなダメージを与えることができた。

 ここからだ。格ゲーはライフが一ドットでも残っていれば、いくらでも逆転可能だ。

 ゴッドムーンに弾きとばされたフェンリルは空中受け身をとると、空中に浮いたまま前方にダッシュして、また攻撃を仕掛けてくる。

 先んじてジャンプしていたオーディンは、フェンリルが攻撃を繰り出すよりも早く空中中攻撃をヒットさせた。そこから空中強、二段ジャンプ、空中中、空中強、最後に空中で使用可能なフギンとムニンを突撃させてフェンリルにダメージをあたえる。

 空中コンボを決めるとオーディンは地上に着地する。

 ライフが六〇%まで減ったフェンリルは再び空中受け身をとり、今度は強襲せずにおとなしく地上に降りた。


「そうこなくっちゃな、おもしろくないぜ!」


 フェンリルはダッシュで迫ると、しゃがみ中を打ってくる。

 オーディンは軽やかにジャンプしてよけつつ、空中強をヒットさせる。着地するとしゃがみ中、しゃがみ強、立ち強、立ち弱を二連打、ゴッドクラッシャーに追加攻撃の二回を入力してフェンリルをふっとばす。

 残りライフが三〇%になったフェンリルは前転受け身をとって壁際でのダウンを逃れる。

 すみやかにオーディンは疾走するとフェンリルに肉薄。つかんで投げようとするが、つかんだ瞬間に投げが外れた。投げ抜けだ。


「いくぜぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 フェンリルが反撃に出る。しゃがみ中、しゃがみ強、立ち強、立ち弱の三連打。

 あびせられる猛攻をオーディンは的確に見切ってガードするが、ガードしきれない。ガードゲージがもうなくなる。

 通常攻撃を終えるとフェンリルは超必殺技のヴォーンを発動させた。

 ガードはだめだ。ガードゲージが足りない。ガードクラッシュする。ヴォーンの餌食になる。かといってあの状況からでは回避できない。

 負ける。どのみち負ける。凛子が負ける。会場に集まっている全員がそう思った。俺も思ってしまった。凛子が負けると。

 しかし、一人だけ諦めてない奴がいた。凛子だ。凛子だけは、まだ瞳の奥にある輝きを失っていなかった。


「くっ!」


 凛子の横顔がこわばる。

 黒い川が直撃する刹那、オーディンの身体が青光りし、鋼を叩いたエフェクトが何度も響いた。連続ヒットするはずのヴォーンを、ライフゲージもガードゲージも一切削らずに凌いだ。この極限状態において、凛子はパーフェクトガードを立て続けに成功させた。

 すかさずオーディンは立ち中攻撃をヒットさせると、しゃがみ中、しゃがみ強、立ち強、フェンリルが浮くとジャンプして空中中、空中強、二段ジャンプして空中中、空中強、空中でのゴッドムーンを叩き込んでフェンリルをKOする。

 スクリーンに1PWINと表示される。

 観客席が騒然と沸いた。凛子のプレイにオーディエンスが感嘆の叫びをあげる。なかには何が起きたのか分析を口にするオーディエンスもいる。そして唖然としたまま固まったオーディエンスもいた。

 みんなが高揚している。それだけ凛子は人間離れしたことをやってのけた。


「クックックックッ……これだよ、これこれこれ! わたしはこれを待ってたんだ! おもしろくなってきたじゃねぇか! さすがは我が宿命のライバル!」


 二ラウンドめを取られたというのに、久美は落ち込むどころか破顔している。こういうところは、こいつの性格の強みだ。

 凛子は肩を上下させて呼吸を落ち着ける。一本取ったことで、緊張はほぐれただろうか。それとも逆にプレッシャーがかかっただろうか。どちらかわからない。

 わからないが……凛子は小さく笑った。


「クズミ。あんたとの対戦は、最高におもしろいよ」

「あぁん! んなの当たり前だろうが、ボケェが!」


 軽口を叩き合うと、両者は真剣に画面を見据える。

 いよいよだ。いよいよ最終ラウンドがはじまる。

 泣いても笑っても、これで決着がつく。

 勝利の栄光をつかめるのは、一人だけだ。


「わたし、勝つから」

「ヴァカが! わたしが勝つに決まってんだろうが!」


 どちらもゆずる気はない。全力で勝ちにいく。

 

 FINALROUND FIGHT


 最後の戦いが幕を開ける。

 オーディンとフェンリルは、同時にジャンプして攻撃を繰り出した。

 久美のほうがわずかに反応速度が早かったようで、フェンリルの空中中がオーディンにカウンターヒットすると空中強、二段ジャンプ、空中中、空中強と続けていき、ハンターファングでオーディンを地面に叩きつける。

 ライフが七〇%になったオーディンは後転受け身をとってダウンを回避。ダウンだけは防がないといけない。ダウンすれば容赦なくエクスキューションが襲ってくる。

 空中での先制攻撃に成功したフェンリルは、地面に着地するとダッシュでオーディンに迫り、つかみかかってくる。

 しかしオーディンは投げ抜けをすると、反撃のコンボを打ち込みまくる。

 高速で繰り出される打撃をフェンリルは完璧に見切ってガードした。そのぶんガードゲージが大幅に消費される。


「そらそらいくぜぇ! 次はこっちの番だ!」


 オーディンのラッシュが終わるなり、フェンリルはしゃがみ中を当ててくる。しゃがみ強、立ち強、立ち弱三連打とつなげると、軽めにジャンプして地上から浮いたオーディンに空中中、空中強を当ててから二段ジャンプせずに着地、続けて立ち中、立ち強をヒットさせウルフスピアを繰り出し、追加攻撃の一回をくらわせた。

 オーディエンスの歓声が飛ぶ。あんなコンボは見たことない。新コンボだ。練習を積んできたのか、それともいま思いついたのか、判然としないがタイミングが数フレームでもずれたら成功しない神がかりのコンボだ。この局面であんなのを決めてくるなんて、並大抵の精神力じゃない。バケモノだ。

 フェンリルの新コンボにふっとばされたオーディンは受け身をとって立ちあがる。ライフはもう二五%しか残ってない。開始早々に追いつめられた。

 フェンリルはデスボイスを撃ってくる。オーディンがガードで防ぐと、フェンリルは前方ジャンプで接近しつつ、空中強で襲いかかる。

 ガードを固めるかと思いきや、オーディンは前方に向かってダッシュ。空中にいるフェンリルの真下をくぐりぬけて攻撃をよけた。

 そしてフェンリルが着地したところに立ち中をヒットさせる。しゃがみ中、しゃがみ強、立ち強、浮いたフェンリルに立ち弱の三連打をくらわせてジャンプすると空中中、空中強、二段ジャンプ、空中中、空中強、ゴッドムーンとコンボを決めた。

 ライフが六五%になったフェンリルは空中受け身をとると、空中ダッシュして、先に地面に着地しているオーディンに迫り、空中強を当てようとする。

 オーディンはバックステップでかわすと、着地したフェンリルに立ち中をヒットさせ、さらにコンボをお見舞いしようとするが、


「させねぇよ!」


 フェンリルの身体が白く発光。オーバースパークでオーディンをふっとばして強制的にコンボを封じた。MAXまで溜まったマジックゲージはゼロになったが、残りのライフは六〇%とダメージは軽減された。

 ふっとんだオーディンが壁際で起きあがると、フェンリルは疾走して近づいてくる。


「そらそらそらあっ!」


 しゃがみ中からのコンボを叩き込んできたので、オーディンはガードを固めて防ぐ。

 フェンリルの猛攻がやんだら、オーディンは前方ジャンプでポジションを入れ代わりつつ、空中中攻撃を打ち込む。

 フェンリルは空中からの攻撃を立ちガードで防ぐと、オーディンの着地を見計らってしゃがみ中を仕掛ける。それをオーディンはバックステップでかわし、すぐにダッシュで肉薄してフェンリルを投げ飛ばした。

 ライフが五五%になったフェンリルは壁際でダウンする。

 その隙にオーディンは超必殺技、力のルーンを発動させて攻撃力とスピードを上げて自身の性能を強化した。

 あれを使ったということは、凛子は勝負に出るつもりだ。

 フェンリルがダウンから起きあがると、オーディンは壁際までダッシュで迫り、苛烈な猛攻を叩きつける。

 フェンリルはガードする。ガードするが、ガードゲージがもうない。このままオーディンの連撃に押し切られてガードクラッシュに持っていかれる。

 フェンリルのガードゲージが残り一ドットになると、オーディンはゴッドクラッシャーで突撃した。ガードを崩すつもりだ。

 だが、フェンリルの身体が青光りして、硬質な鋼のエフェクトがかかる。パーフェクトガードだ。その後オーディンはゴッドクラッシャーの追加攻撃二回も入力したが、それさえもフェンリルはパーフェクトガードで凌駕してきた。

 またしてもオーディエンスから歓声が巻き起こる。高揚感はさっきの何倍にも膨張していった。


「ライバルのおまえにできることが、わたしにできねぇわけがねぇだろうがよ!」


 窮地を乗り切ったフェンリルは、反撃の一撃を繰り出す。ヒットすれば凄まじいコンボを決められてKOされる。そうなったら凛子の負けだ。久美の勝利が確定する。

 だけど……。


「負けるな、凛子」


 もう思わない。凛子が負けるだなんて思わない。俺は信じる。あいつが勝つと信じる。

 そのために、俺はここに来たんだ。

 どうしてあいつを応援しているのかなんてわからない。あいつが栄光をつかむところなんて見たくない。高みにのぼっていけば、距離がひらいてしまう。おいていかれる。差をつけられる。それがこわい。

 なのに、なのに俺は……。


「負けるな、凛子!」


 今度はつよく、胸を焦がす想いをこめて叫んだ。

 負けてない。凛子はまだ負けてない。あいつの瞳には、闘志の炎がやどっている。

 フェンリルにわずかに遅れて、オーディンも立ち中攻撃を繰り出す。

 まだ力のルーンの効果は継続中だ。攻撃力とスピードは強化されている。

 オーディンの性能が通常よりも向上しているがゆえに、結果も通常とは異なるものを生み出した。

 フェンリルがカウンターヒットによってのけぞる。力のルーンの効果により、遅れて出したオーディンの攻撃が先に当たるという矛盾が発生した。

 その瞬間、凛子の瞳が光った。

 壁際、力のルーン、カウンターヒット、全ての要素がここにそろう。

 凛子は正視する。対戦画面を、フェンリルを、その向こう側にいる久美を。

 両手を動かし、レバーとボタンを高速で操作。

 立ち中をヒットさせたオーディンはそこからしゃがみ中、しゃがみ強、立ち強、ゲリとフレキ、フギンとムニン、カウンターヒットによってのけぞり時間がのびているので、ここからさらに立ち中、立ち強を当てた。

 つながった。これまでつながらなかった攻撃がつながった。そしてまだつながる。この先がある。

 オーディエンスがざわめき、たくさんの声が反響している。会場全体に感動の波が広まっている。

 この大衆の叫び声のなかでは、俺の声援なんて届かない。届かないけど、それでも届けたい。言っておきたい。


「勝て、凛子……!」


 勝ってくれ。俺は、おまえに勝ってほしい。勝ってほしいんだ。

 だっておまえは、俺の幼馴染み(ヒーロー)だから。

 ずっとずっと、俺なんかじゃ敵うわけもない、最強の、憧れの存在でいてほしいんだ。

 さぁヒーロー。つれてってくれ。

 おれを、おれたちを、ここにいるみんなを。


 ――誰も見たことない、新しい景色へ。


 オーディンは立ち強をヒットさせたあと、ゴッドクラッシャーで突撃。二回の追加攻撃を意図的にテンポを遅らせて入力すると、そこからさらに立ち中、立ち強をくらわせた。

 壁際で新コンボを叩きつけられたフェンリルのライフは、数ドットしか残ってない。そしてオーディンは一連の攻撃によってマジックゲージがMAXの三〇〇%まで溜まっている。この瞬間のために、温存していたんだ。

 凛子は勝利のコマンド入力をおこない、新コンボをしめくくる。

 最強必殺技、インフィニティ・グングニル。

 オーディンはファンリルに突っ込んでいき、手にしたグングニルで猛然と連続突きを繰り出す。最後に空中へと飛びあがると、グングニルを構えたままフェンリルに向かって落下する。鮮烈な破壊演出が画面を満たし、フェンリルにトドメを刺してKOを決めた。

 みんなが注目する巨大スクリーンに、はっきりと1PWINの文字が刻まれる。

 勝敗が……決した。神話とは違った結末が、ここに下される。


 ――優勝は、リン選手です。


 スタッフのお姉さんがマイクで勝者の名を告げる。オーディエンスの喚声の嵐がその声をかき消していた。あんなものを見せられたら、黙ってなんていられない。

 凛子は新たなコンボを完成させて、半分ほどあったフェンリルのライフを一気にゼロにした。誰も見たことない新しい景色を生み出した。やろうと思ったってできはしない、まさに神業だ。

 なんとか勝利した凛子は、ふぅと息をついて天井をあおぐ。試合を終えて、いろいろなものが抜け落ちたようだ。

 反対側に座っている久美は……唇を噛みしめて画面を睨んでいた。自分が負けたという事実をまだ受け入れられない。そんな顔をしている。

 スタッフのお姉さんが指示を出すと、二人とも対戦台から立ちあがる。

 俺と音葉さんの前を通り過ぎていくとき、凛子は足をゆるめて、こっちに向かって笑いかけてきた。

 とても素敵な笑顔だ。死に物狂いでがんばって、勝利を手にしたものだけが浮かべることのできる笑顔だ。一目で恋に落ちてしまいそうなほど、魅力的な笑顔だった。

 ……まぶしい。なんて輝いているんだろう。

 ずるい。ずるいよ、おまえばっかりずるい。なんでそんなにすごいんだよ。なんでそんなに強いんだよ。

 くやしい。めちゃくちゃくやしい。くやしいけど……うれしい。

 なんで俺は、あいつが勝ったことがうれしいんだ。なんでこんなにも、安心しているんだ。なんでこんなにも、心がふるえているんだ。

 目頭が熱い。数えきれないほどの感情がこみあげてくる。オーディエンスのなかには、もうぽろぽろ泣いてる人もいた。みんな、凛子と久美の戦いに心を動かされたんだ。

 俺は、泣かない。泣きたくない。隣に音葉さんがいるから恥ずかしいし、意地もある。三次元の幼馴染みなんかに泣かされてたまるか。そんなひねくれた意地があった。

 胸に掌をあてる。心臓がどくどくいってる。体が火照ってる。全身が汗まみれであることに、たったいま気づいた。

 心だけじゃない。体まで熱くなってる。

 あぁ、ほんといやだな。どうして三次元の幼馴染みに、ここまで身も心も振りまわされなきゃいけないんだ。ほんとにいやだ。

 いやだけど……思い知らされる。

 認めたくない。認めたくないけど、認めざるえない。

 凛子……やっぱりおまえは、俺にとって、掛け替えのない存在なんだよ。



     ◇



 その後、各タイトルの授賞式がステージ上で行われた。王者の証である優勝トロフィーを受けとった選手達は、笑顔の花を咲かせる。

 凛子もその例にもれず、微笑を浮かべていた。苦しいことがたくさんあったから、本気でがんばったから、笑えているんだ。

 そして準優勝だった久美は、つまならそうにぶすくれていた。式中に暴れ出すんじゃないかとひやひやしたが、閉式までおとなしかった。おとなしすぎた。負けたことを、あいつなりに気に病んでいるようだ。

 つつがなく授賞式が終了すると、オーディエンスは三々五々となってコンベンションセンターから出ていく。俺も人波に乗って会場の外へ脱出した。

 あ~、もうこれで他人がひしめく空間にいなくていいんだと思うとすっきりする。やっぱあれだな、孤高の戦士である俺には大衆が集まる場所は肌に合わない。部屋に引きこもって一人でいるのが性に合っている。べつに引きこもりじゃないよ?

 もう外は日が暮れている。夜空には星がちらつきはじめていた。体温が高まっているぶん吹きつける夜風は肌寒い。

 さっさと一人で駅に直行して帰る……ことはせずにコンベンションセンターを出てから数分歩いた先にあるコンビニに向かう。決勝戦が終わった直後、授賞式のあとにここに来るようにと音葉さんから言われた。無視して帰るという選択肢もなかったわけではないが、ここまで来たら最後まで付き合おう。

 それに……なんだ。こんなにも胸が熱くなるものを見せてもらったんだ。無下にはできない。

 コンビニの駐車場には、見覚えのある黒いセダンが停まっていた。その横に二つの小さな人影がある。ロゴ入りTシャツを脱いで眼鏡を外した私服姿の凛子と、スーツ姿の音葉さんだ。


「お~い、平太くん。こっちこっち」


 もう見えてますから。そんな大手を振って手招きとかしないで。あと名前も呼ばないで。照れるから。

 とぼとぼと近づいていくと、音葉さんはそれはもうあふれんばかりの幸せそうな笑顔を突きつけてくる。


「ねぇ、どうだった、うちの妹! すごかったでしょ? 超すごかったでしょ? やっぱすごいわよねぇ~、うちの妹は! なんたって優勝だからね~!」


 めっちゃくちゃテンション高く妹を絶賛してくる。なにこのシスコン? 情緒不安定なのかしらん?

 その絶賛されている妹は「お姉ちゃん……」と残念なものを見る顔になっている。


「なによ、凛子。テンション低いわね。すごいことをやってのけたんだから、もっと胸を張っていいのよ。平太くんもそう思わない?」


 俺に振られても困る。まぁ凛子も音葉さんも、胸なんか張らなくても十分におっぱいは大きいですけどね。これは口に出しません。言ったら二人に軽蔑されるからね。

 ちらりと凛子に視線を向ける。目が合った。凛子は黙ってこっちを見ている。なんというか、ほめられたがっている子供みたいな、物欲しそうな顔をしていた。


「まぁ……よかったんじゃねぇの」


 胸中にうずまいている興奮を薄めまくって、ぶっきらぼうな口調で感想を述べる。できれば百万言をつくしてほめてやりたいが、なにぶん口下手なもんで、これで勘弁してくれ。


「うん……わたしも、今日の試合はなかなかの出来だったと思う」


 おもむろに目をそらすと、凛子は頬をやわらげる。どうやら満足してくれたみたいだ。


「ウルフスピアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 ドスッと脇腹のあたりに衝撃が突き刺さる。ずっこけそうになったが、もう慣れたので下半身の踏ん張りで耐えきってみせた。嫌な慣れだな。

 ていうかこのバカ女は毎回毎回、登場するたびにウルフスピアを使わないと気がすまないのか? どんだけラグエンが好きなんだよ。

 鈍痛がする脇腹をさすりながら、後ろを振り返る。


「おまえ、なんでいんの?」

「あぁぁん? んなのおまえの後をつけてきたからに決まってんだろうが! ヒラオの行く先には凛子が待ち構えているだろうからな!」


 だったらふつうに声をかけて一緒に来いよ。なんで尾行すんだよ。あれか、ふつうに行ったら凛子が嫌がって逃げそうだからか? それなら納得だ。


「やい、おっぱい女!」


 相変わらずひどい呼び方だ。まぁ凛子のおっぱいはボリューム満点だけれども。

 凛子は眉間をひそめて不快感を前面に押し出す。厳しい目つきで睨んでくる久美と反目した。


「これで一勝一敗の引き分けだ! イーブンだぞ、イーブン! だからわたしはまだおまえに負けてねぇ! 今日の試合が最後じゃねぇからな、これで勝ったと思うなよ!」

「……クズミ、もしかして泣いてる?」

「はぁぁぁぁぁぁっ! な、な、な、な、な、泣いてねぇし! 泣くわけねぇし! 意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ、ボォケが!」


 言葉とは裏腹に、久美の目元は熱く湿っていた。ごしごしと腕でこするが、やっぱり赤く晴れた目元からは水滴がこぼれてくる。ずるずると鼻水まですすっている始末だ。

 そうだよな。やっぱ悔しいよな、負けるのは。とくに全力で戦ったときほど、その悔しさは大きい。

 現実は残酷で、勝者がいれば必然的に敗者が出てくる。

 がんばった。ベストをつくした。やれることはやった。また次がある。なんて言い訳はできない。そんな言葉はどれも敗北に悲しむ人の前では安っぽい。

 プロは結果を出さなきゃいけない。結果を求められる仕事だ。そして結果を出せなかったから、久美は泣いている。

 負けた人間がいるという厳しい現実がそこにある。


「また対戦しよう」


 凛子は再戦の申し出を口にした。その瞳に穏やかさはない。打倒すべき敵を見るときの、剣呑な眼差しをしている。


「今日の試合は楽しくて、とてもいい試合だった。わたしはまたあんなふうに、クズミと鎬を削りたい」


 久美はケッと舌を鳴らすとまたごしごしと顔をこする。赤く晴れた瞳で凛子を睨みつけると、にやりと好戦的な笑みを浮かべた。


「次は絶っっっっっ対にわたしが勝ぁつ! もうテメェには二度と負けねぇからな! 次やるときまでにせいぜい腕を磨いておけよ、我が宿命のライバル!」

「だからライバルじゃないし……」

「ライバルなんだよ! いい加減認めろよ! なっ!」


 ビシッと久美は凛子の顔を指差す。


「とにかく、わたしがおまえに勝つまで、おまえは誰にも負けんじゃねぇぞ! いいな! 約束だからな!」


 一方的に言いたいことだけ言うと、久美は背中を向けてずかずかと大股で立ち去っていった。

 久美の後ろ姿が見えなくなってから。


「わかった」


 と凛子はつぶやいた。

 久美には聞こえてないだろうが、ちゃんと届いている。いや、聞こえていようがいまいが関係ないか。久美にとって、凛子はライバルだ。これからもずっと、鎬を削る相手だ。凛子がいるかぎり、久美は何度も戦い続けるだろう。

 凛子は体ごと俺のほうに向き直ると、前髪をたらして顔をうつむける。


「えっと……下野、その……」


 声をつまらせながら、何かを伝えようとしてくるが、途中で切れてしまったので何を言いたいのかわからない。もじもじと内股になって膝頭をこすりあわせる。

 そんないじらしい妹を見て、音葉さんはおかしそうに相好をほころばせた。


「凛子、あんた今日は電車で帰ってきなさい。平太くんと一緒にね」

「え……」


 呆然とする凛子。ちなみに俺も呆然としている。突然なに言い出すんだ、このシスコン姉ちゃんは。


「平太くんに話したいことがあるんでしょ? だったらじっくり話しちゃいなさいよ。車に積んである優勝トロフィーは、わたしがちゃんと持って帰るから」

「でも……」

「いいから、いいから」


 片手をひらひらさせると音葉さんは一人で車の運転席に乗り込んだ。エンジンがかかると、ライトをつけたセダンが駐車場から発進して夜道を走っていった。

 本当に行ってしまった……。なんて強引な人だ。

 取り残された俺と凛子は、孤島に流れ着いた漂流者のごとくどうしようかと顔を見合わせる。


「おまえ、俺になにか言いたいことがあるのか?」


 口火を切ると、凛子は迷子のように視線をさまよわせてから……こくりとうなづいた。右手の指先で前髪をさらっとなでてスーハーと息を吐き、せつなげな瞳で見上げてくる。


「わたしが今日がんばれたのは、下野が見守ってくれてたおかげだから。試合中に下野の声援があったから、わたしは平静を保ったまま戦うことができた」

「聞こえてたのかよ……」

「うん、まぁ……なんとなく耳に入ってきて」


 超はずかしい。どうせ聞こえてないと思って応援したのに、ばっちり聞かれていた。あのときは俺も熱くなっていたからな。声のボリューム調整を誤ってしまったようだ。


「だから、ありがとうって伝えておきたくて」

「そっか……」

「うん、ありがとう……」


 夜風に吹き消されてしまいそうなほど、儚いささやき。凛子は頬を桜色にそめると、やさしく微笑む。


「ありがとう…………平太」


 びくっと体が反応する。鼓動が跳ねあがったのを意識してから、自分の名前を呼ばれたんだと理解した。


「もしかして……名前で呼ばれるの、いやだった?」


 不安げな瞳をうるませてくる。その表情にまた鼓動が跳ねあがる。


「べつに……どう呼ぶかはおまえの自由だし、好きに呼べばいいんじゃねぇの?」

「……うん、そうする」


 凛子は大切な宝物をしまいこむように、胸に両手を重ねる。

 俺はそっぽを向かずにはいられなかった。

 だってありえないだろ。俺には二次元の幼馴染みがいるのに。彼女達を愛しているのに。幼馴染みは二次元だけでいいのに。

 どうして俺は、三次元の幼馴染みに胸をときめかせているんだよ。




 電車を乗り継いで地元まで戻ってくると、あたりはすっかり真っ暗になっていた。夜空にちらついていた星達は数を増やして、各々がきらきらと自己主張をしている。

 爆神祭で灯った熱は冷めてきているが、まだ夢のなかにいるみたいで足取りは不確かだ。ちゃんと平らな地面を踏みしめているのに、傾いた斜面を歩いているような奇妙な感覚がある。

 俺の隣には、疎遠になったはずの幼馴染みがいた。もう一緒に家路をたどるイベントは発生しないと思っていたのに、またこうして肩を並べて同じ帰り道を歩いている。

 ちなみに二次元の幼馴染みとは、ほぼ毎日一緒に帰っている。ひどいときは一日五回も一緒に帰ったりする。どんだけ長時間ギャルゲーをやってんだよ。ほんとひどいな。

 俺と凛子の間に会話はない。コンビニからここまで一言も喋ってない。無言で歩きつづけている。

 でも気まずくはない……かな? どうなんだろう? さっきまで興奮していたせいで、感情が麻痺しているだけかもしれない。

 そろそろお互いの家が近くなってくると凛子はぽつりともらした。


「帰ったら、練習しないと」


 その発言に毒気を抜かれる。俺は目を見張って、凛子を凝視した。


「あんだけゲームしたのに、まだやりたりないのかよ?」

「どれだけやっても、満足はしないよ」


 凛子は首を反らして、遠い星空を仰ぎ見る。


「これからも勝ちつづけて、進化してかなきゃいけない。でないと他のプレイヤーに追い抜かれる。今日のプレイだってすぐに研究されて、コンボも真似されるようになる。だからわたしは次のステージにいかないと。今度やるとは、クズミだってもっと強くなっているだろうし」


 停滞することはない。日進月歩してかなきゃいけない。

 それは凛子がプロゲーマーだからではなく、負けず嫌いだからだ。そして同じ負けず嫌いである久美は、必ずパワーアップして復活する。ここだけ聞くと、封印された魔王みたいだな。


「まっすぐ芯の通った心根を持っているクズミが、わたしはちょっとだけ羨ましい。どうしてあんなに迷うことなく突き進むことができるのかわからない。バカなのかなって思う。……バカだけど」

「おまえそれ、貶しているのかほめているのかわかんないぞ」

「一応ほめてる」


 一応かよ。まぁ手放しでほめたくはないよな。あのクズはほめたら絶対につけあがるし。


「クズミは、わたしよりも強い心を持っている。今日の試合だって、とっても強かった。結果的として勝ったのはわたしだったけど、わたしがあいつよりも優れているだなんて思ってない。だから満足せずに練習しないと」


 さまざまな要素がからみあって、凛子は勝利をおさめた。でも負けていた可能性だって多分にあった。だから凛子は鍛錬を怠らない。次にやるときは、久美はもっと実力をつけてくるから。

 いいライバル関係だと思う。口にはしないけど。ていうか言っても凛子は認めない。自分を高めているものの一つが、ライバルである久美だなんて絶対に認めないだろう。


「もう家、見えてきたね」

「そうだな……」


 筋向かいに並んだ俺と凛子の家が遠目に見えてくる。やっぱりあの家の配置は幼馴染みとして間違っているな。幼馴染みなら、家は隣同士であるべきだ。

 俺はばれないように少しずつ歩調をゆるめながら、音葉さんが言っていたことについて考える。

 叶わなかった夢に、叶え続けられなかった夢に、意味はあるのか?

 そして叶った夢に、意味はあるのか?

 世界で一番、ゲームで強くなりたい。

 その俺の夢は、やはりこの先も叶わない。どんなに努力しても、どんなに時間をかけても、才能に恵まれない凡人では夢を叶えることができない。一時的に叶えたとしても、いつまでも叶え続けることはできない。……と思う。この考えは曲げないし、曲げられない。くつがえしようのない現実だ。

 だったら夢を叶えた凛子は……どうなんだろう?


「おまえさ……」

「なに?」


 ぴたりと足を止める。前に進んでしまったら、もう家についてしまうから、俺達は立ち止まって視線を交差させた。


「おまえ、好きなのか、ゲーム?」


 すごく当たり前のことを、今さらになって訊いてしまう。

 なんてアホな質問だろう。凛子もきょとんとしている。まぁそういう顔するわな。

 ふっ……と凛子は体の力を抜くと、満天の星空よりもなお鮮やかに世界を照らすような、美しい笑顔を向けてきた。


「うん、好きだよ。苦しいこともあるし、こわいときもいっぱいあるけど、それでも好き。大好き。今も昔も、変わらないまま好き。ずっと好き。ずっとずっと、この先も好きなまま。この気持ちだけは、なにがあっても絶対に変わらない。だってゲームは、わたしの人生だから」


 言い終わると、凛子は顔を紅潮させてそっぽを向いた。

 いや、だからさ、なんで俺までどきっとしちゃってんだよ。今の好きというのは、ゲームが好きということであって、べつに俺のことがどうとかそういう話じゃない。そんな深い意図はないはずだ。だから勘違いしちゃいかんぞ。


「平太は……好き?」


 また名前を呼ばれる。またどきっとする。

 これはゲームが好きかどうかという質問だ。別の言葉に聞こえなくはないが、そんなことはない。必死に自分にそう言い聞かせて、早鐘を打つ心臓を黙らせる。

 そして、凛子の問いかけに答えた。


「……きらいじゃねぇよ」


 どうしょうもないほど嫉妬してしまうし、見るのがいやになってしまうときもあるけど、それでもきらいにはなれない。俺にとってもゲームは大切なものだ。ゲームを手放すなんてできっこない。


「そっか……よかった」


 凛子は安堵の笑みを浮かべる。何がよかったのかは、言及しないでおこう。これ以上心拍数をあげたら身がもたない。

 胸の鼓動が落ち着くと、幼馴染みの顔を見る。その純粋に微笑んでいる顔を。

 とりあえず俺は、一つの解答を得ることができた。

 少なくとも、凛子にとって……叶った夢に意味はあった。

 こうして笑えているから、苦しめているから、夢中になれているから、人生を賭けることができているから。

 こんなことが、無意味なわけないだろ。


「平太のおかげだよ。わたしを大好きなゲームをめぐりあわせてくれたのは、平太だから。平太がゲームの楽しさを教えてくれたから、わたしはこんなにもがんばれている。だから感謝してもしきれないよ」

「べつに感謝なんか、しなくていい」


 ゲームを知ったあとにがんばったのは凛子だ。俺は何もしていない。全ては凛子の功績だ。

 それに凛子なら、いつかめぐりあえていただろう。ゲームでなくても、一生懸命に打ち込める何かに。それで高い所までのぼりつめていくんだ。そういうとんでもない奴だって、俺は知っている。


「いいんだよ。これはわたしが勝手に感謝していることだから。勝手にするぶんには、かまわないよね?」

「まぁ……な」


 勝手にするのなら止めようもない。そこまでの権利は俺にはない。しょせん俺はただのご近所さんにすぎないから。


「ねぇ……平太」


 まだ名前を呼ぶことに違和感があるのか、凛子の声音はぎこちない。

 なんだよ、と俺は目で応えた。


「機会があったらさ、またしてくれるかな? わたしと対戦とか、スパーリングとか」


 もう俺の役目は終わったというのに、凛子はまた一緒にゲームがしたいと言ってきた。また一緒に遊びたいと言ってきた。

 それじゃまるでガキの頃と変わらないというか……ふつうの幼馴染みみたいじゃないか。

 俺は凛子とそうなることを望んでいるのだろうか? 自分自身の心に問いかけてみる。本当にまた凛子と一緒にゲームをしてもいいのかどうかを。

 才能においていかれる恐怖、自分の弱さに胸をかきむしりたくなる苦痛。それらを味わってまで、凛子とゲームをする価値があるのか。

 そして答えは……意外にもあっさり出た。


「……気が向いたらな。サンドバッグくらいには、いつでもなってやるよ」

「だからサンドバッグじゃなくてスパーリング」


 むぅと頬をむくれさせてくる。そこはゆずれないポイントらしい。

 たぶん俺は、これからも凛子の才能に嫉妬するだろう。こいつが邁進して輝くほどに胸がしめつけられて、辛い気持ちに苛まれるだろう。

 その痛みと、凛子と一緒にゲームをする光景を天秤にかけてみたら……かまわないと思えた。それでもいいんだって思えた。

 俺も凛子とゲームがしたい。心の奥底には、そういう願望の欠片が眠っていたみたいだ。


「そろそろ帰ったほうがいいんじゃねぇの? あんまり遅いと音葉さんが心配する」

「あっ、うん」


 二人の止まっていた足が動き出す。目と鼻の先に家があるので、別れはすぐにやってきた。

 俺はさっさと自分の家がある方角を向いて歩き出そうとする。


「平太」


 凛子に呼び止められて、また足が止まる。

 振り返ってみると……凛子は照れくさそうに小さく手を振ってくる。


「ばいばい」

「あ……あぁ」


 ぎくしゃくしながら、うなづいた。

 完全な不意打ちだ。まさかそんな、昔はふつうに言っていたセリフをまた聞くことになるなんて思わないだろ。

 凛子はきびすを返すと、駆け足で自分の家に入っていく。

 俺はしばらく茫然自失となったまま突っ立っていた。なんだか口から魂が抜けたみたいに、心がスカスカだ。

 それからしばらくして、ようやく体が動きはじめた。

 いかんな。これくらいで口元がにやけそうになるなんて、ほんとどうかしている。



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