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幼馴染みと格ゲー




 都心で催された大会を終えて一週間が経った。

 あの日から、凛子とはろくに口を利いてない。学校の教室で見かけても声をかけることなく、家の前で出くわしても無視しあっている。今までどおりの疎遠な関係に戻った。

 これが俺と凛子の正しいあり方だ。あいつとはもともとご近所さんでしかなかった。幼馴染みなのかどうかもわからない曖昧な関係だった。

 これでいい。これでいいんだ。

 今日は休日。いつものように自室にこもってゲームをしたり、アニメを見たり、漫画を読んだりと、インドアな趣味を満喫して時間を潰す。ゲームをするといっても格ゲーはしない。幼馴染みが出てくるギャルゲーばかりしている。

 大会を終えてからスイッチが切り替わったように、ラグエンを一切やらなくなった。大会前に猛練習した反動なのか、やりたいという衝動が霧散してしまった。ひょっとしたらもう二度と触れないかもしれない。

 ゲーム、アニメ、漫画に飽きるとノートパソコンを起動させてネットサーフィンに興じる。オタク系のニュースがまとめられたサイトを覗いてみたら、プロゲーマーの記事がアップされていた。

 クリックしてみると、クミというプレイヤーネームが目についた。どうやら一昨日、海外大会に遠征にいって優勝してきたらしい。それも決勝戦の相手に圧倒的な大差をつけての優勝だ。

 記事の後半には、先週都心のゲーセン大会で優勝したことにも触れられていた。誰も彼女の勢いを止めることはできない、と書かれて久美が絶好調であることが強調されている。

 実際久美は絶好調だ。ゲーセン大会の決勝でもすごかった。今の久美が誰かに負けるところは想像できない。凛子が万全の状態だったとしても、勝てたかどうか怪しい。

 ちなみにこの記事には、久美の素行の悪さについては書かれていない。そういうマイナスな面は都合よく省かれている。もっとも、日本のゲーマー達は例の実況事件を知っているので、久美の本性は隠そうとしても隠せないだろう。

 関連ニュースの欄に目をやると、そこにはリンというプレイヤーネームが載っている記事もあった。

 息を飲む。記事のタイトルからして、あまりいいニュースではなさそうだ。カーソルをあわせて、震える指先でおそるおそるクリックしてみる。

 そこに書かれていたのは……久美の記事とは対照的な内容だった。

 先日、凛子は海外大会に出場したものの一回戦で敗退したらしい。しかもゲーセン大会で久美に敗れたことも克明に記されている。コンボミスしたことや攻めが甘くなったこと、プレイスタイルが乱れたこと、凛子がどのように惨敗したのかが誇張な表現であげつらってあった。記事の最後は、スランプにおちいったのではという文字で締めくくられている。

 画面をスクロールしてみると、コメント欄には心無い書き込みがいくつもされていた。


『リコリンの時代は終了しました』

『見た目がかわいいだけで、ゲームは下手』

『弱えぇ~、俺でも勝てる』

『これでプロとかwww』

『そろそろ消えるでしょうね。さようなら』


 ……胸糞悪い。ついついパソコン画面をパンチしそうになる。

 他のサイトもチェックしてみると、やっぱり叩かれている。反論しているコメントもあるが、それと同じくらいに悪意に満ちたコメントがあふれている。

 凛子に対するバッシングを見るのは、今回が初めてじゃない。あいつが大会で好成績をおさめたと知ったときは、こういうコメントを読んで鬱憤を晴らしていた。書き込みはしなかったが、書き込みをした連中と同じくらい俺も酷いことをしてきた。だから凛子のバッシングを書き込んだ連中を、俺は責めることができない。

 でも……いま悪意のあるコメントを読むのは心苦しい。胃がきりきりする。別に俺がバッシングされたわけじゃない。俺には関係ないことだ。なのに、まるで自分のことを悪く言われているみたいで、心が痛みを訴えてくる。

 凛子は大丈夫だろうか? 爆神祭の予選も近いっていうのに、どうするつもりなんだ?

 このまま負け続けて、抜け出せない負の連鎖にはまってしまったら……凛子はゲームをやめてしまうかもしれない。目を輝かせるほど大好きだったゲームを、嫌いになってしまうかもしれない。

 それは……だめだ。凛子がゲームを嫌いになるのはだめだ。そんな姿は見たくない。俺のことはいくらでも嫌ってくれていい。とういうかあんなことをやったんだ。とっくにめちゃくちゃ嫌われているだろう。でも、ゲームだけはだめだ。ゲームだけは、嫌いになってほしくない。

 ぱたんとノーパソを閉じる。椅子の背によりかかり、重苦しいため息をついた。

 ……つらい。いろいろなことがつらい。もういやだ。なにもかも。

 こういうときはあれだな。二次元の幼馴染みになぐさめてもらうしかないな。うん、そうだな。そうしよう。

『七人の幼馴染み』を手にとる。何度となくクリアしたストーリーを、またプレイしなおす。

 二次元では幼馴染みが落ち込んだら、主人公が全力をつくしてなぐさめる。それで二人の距離が急速に縮まって結ばれる。

 こんなの、現実ではありえない。

 だって三次元の幼馴染みにはフラグがない。会話中に選択肢だって出てこない。故に攻略のしようがない。いや、攻略しようだなんて思ってないけどね。だって俺、三次元よりも二次元の幼馴染みのほうが好きだし。

 そもそも凛子のことは、なんとも想ってない。ただ昔一緒に遊んでいただけの知り合いだ。

 その才能に嫉妬することはあっても、本人に好意を寄せることは決してなかった。



     ◇



 二限目の授業が終わって休み時間になると、教室にいるクラスメイト達はそれぞれのグループに分かれて雑談する。

 どのグループにも属さない俺はヌボーッとしている。ヒマだ。はてしなくヒマだ。休み時間とかなくなればいいのに。次の授業がインターバルなしで開始されたら、こんなにヒマを持て余すことはない。

 教室の後ろ側ではオタクグループの男子生徒達が集まって、ポータブルゲームを手にはしゃいでいる。いつもなら凛子が教室にいれば押し黙っているが、今日は遠慮がない。

 グループの何名かは口の端をいやらしく曲げてにやにやしている。にやにやしながら、ねっとりとした視線をときどき窓側の席にいる凛子に向けていた。そこには幼稚な悪意がこめられている。

 たぶんネットを見て、凛子が不調なのを知っているんだ。知ってて、悪意を向けている。凛子が弱っていると知らなければ、あんなにはしゃいだりはしない。きっと裏では凛子の戦績が落ちたことを仲間内で話して物笑いの種にしているんだろう。

 凛子は無視している。彼らの悪意に気づいているけど、気づいてないふりをして耐えている。その横顔は不快そうだ。そばにいる玲奈との会話もあまりはずんでない。

 凡人の夢は叶わない。だから夢を叶えた人間に嫉妬する。才能に恵まれた人間は恵まれなかった人間にとって毒でしかない。凛子に悪意を向ける彼らの気持ちが、俺にはよくわかる。いやになるくらいわかってしまう。

 わかるけど……こういうのは気に入らない。弱っている凛子の傷口をおもしろ半分でつつきまわして嘲笑うような行為は、悪趣味にもほどがある。

 かといって俺に何ができる? オタク達のもとに行って注意するのか? 注意するってどういうふうに注意すればいい? ぼくと友達になってください、とでも言うのかよ? なに言ってんだこいつって不審がられるだけだ。ほんと、なに言ってんだろうね。

 とりあえず一回落ち着こう。両手ににじんだ汗をズボンでふいてぬぐう。

 大事なのは勢いだ、勢い。勢いさえあれば言葉も勝手に出てくる。よし、やるぞ。

 緊張感は抜けきらないし、足だって微妙に震えているが、さっさと済ませてしまおう。

 勇気なんて大層なものはない。のろのろと腰を痛めた老人のようにゆっくりと立ちあがって、ジト~ッとした目つきでオタクグループを見る。ちょっとずつ近づいていき、ギャルゲーの主人公のようにバシッと決める。

 さぁ、くらいやがれ!


「ねぇあんたらさ、なにちょいちょいこっち見てんの? キモイんだけど?」


 凛子のそばに立っていた玲奈が声のボリュームをあげて、オタク達を冷ややかな目で威嚇した。

 たちまち、にやついていたオタクたちは血の気が引いたように表情を失う。雷におびえる小動物みたいに体を萎縮させると、顔をうつむけて凛子に視線を送るのをやめた。というかやめさせられた。

 水を打ったように教室内が静まり返る。しかし数秒後には、何事もなかったかのように雑談が再開された。うん、みんな空気を読むのがうまいね。履歴書の自己アピールポイントには空気を読むことですって書けるよ。

 しかしあれだな、玲奈さんかっけぇな。名字は知らないけど、ほんとかっこいい。さすがスクールカーストの上位にいる人。俺あんな遠距離攻撃できないよ。相手に接近しないと何もできないよ。まぁ接近することすらできなかったけどね。

 とりあえず俺も空気を読んで、そおっと自分の席に戻る。

 凛子には強力な友達がいることをすっかり失念していた。凛子に悪意を向ければ、とりもなおさず玲奈が守護する。これぞクラス内の勢力図なり。

 俺が立ちあがった意味なかったな。あ~ぁ、変に緊張して損した。でも自分の出番がこなくてよかったと安心していたりもする。

 椅子に腰を沈めると、ちらっと横目で凛子を見てみる。


「ありがとう、玲奈」

「いいって、いいって。それより凛子、近ごろ元気ないじゃん。なんかあった?」

「ちょっと不調続きで、いろいろとうまくいかなくて」


 曖昧な笑みで凛子は答える。玲奈も詳しくは言及せず、温厚な笑みを浮かべて凛子の肩口に手をそえていた。

 うんうん、百合百合しちょるね。女の子同士が仲良いのは素敵なことだと思います。

 俺は鼻から息をもらすと、もう一度だけ凛子を見る。

 ぴたりと目が合ってしまう。凛子は何か言いたそうにこっちを見ていたが……すぐに目をそらした。だから俺も目をそらす。そしてまたヌボーッとする。

 感謝の言葉をもらえるなんて、そんな浮ついた期待をしちゃいけない。俺は何もやってないし、何もできなかった。この場での賞賛はすべて玲奈にささげられるべきだ。

 それでいいんだと思う。凛子は俺に、何も言わなくていい。




 寄り道しないでまっすぐ家に帰ることはせず、行きつけのゲームショップに立ち寄った。

 広い店内をうろついて、おもしろいゲームがないか物色する。新品コーナーは言うにおよばず、掘り出し物のある中古品コーナーも隈なく調査していった。

 特にあれだよね。幼馴染みの登場するギャルゲーとか探しちゃうよね。まぁギャルゲーにかぎらず、RPGでもアクションでもジャンルは問わない。とりあえず幼馴染みキャラさえ出てきてくれるならそれでいい。俺ってば自分でも引くほど幼馴染みに飢えているな。

 こんなところ、とても友達には見せられない。見られたらキモがられること請け合いだ。あっ、友達いないんだった! よかったぁ、友達いなくて。ぜんぜん心配することないや。なりふり構わず行動できるぜ。

 けどクラスの奴に見つかったら今後の生活に支障が出る。そこんとこは警戒しておこう。まぁ存在感のない俺に相手が気づけばの話だが。

 その予想を裏切り、透明人間並みに影が薄い俺を感知する女が現れた。


「ウルフスピアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ!」


 どすっと脇腹に衝撃。つんのめりそうになったが、今回は下半身の踏ん張りを利かせてこらえる。


「ハッ! わたしのウルフスピアをくらってもダウンしなかったか! 少しは成長したみたいだな、ヒラオ!」

「……へいただ」


 げんなりとしながら振り向いてみると、黒のジャケットに短パンをはいた久美がいた。


「おまえ、こんなところで何してんの?」

「はぁ~? ヴァカかおまえは? ゲームショップにいるんだから、ゲームを見にきたに決まってんだろうが。わたしはゲーセンだけじゃなくて、ゲームショップめぐりだってするんだよ。そんな当たり前のこともわからないのか? ちょっとは頭を使って生きろよな、ヒラリオン」


 俺が訊きたいのはそういうことじゃなくて、なぜ隣の県に住んでいるおまえがこの時間帯にこのへんをぶらついているのかということだ。しかも制服じゃなくて私服で。あと俺はヒラリオンなんてスーパーロボットみたいな名前じゃない。


「おまえ、ちゃんと学校に通ってるのか?」

「やれやれ、これだから凡人は」


 久美は何かの重さでも測るように両手をあげて、外人みたいなオーバーリアクションでかぶりを振るう。腹立つな。


「いいか、学校での勉強なんてのは社会に出たらなんの役にも立たないんだよ」


 あっ、こいつダメな子だ。自分が勉強できないのを何かと理由をつけて言い訳して、大人になってから苦労するタイプだ。


「学校で学ぶことよりも大事なことが、ゲーセンやゲームショップでは学べるだろうが。そんくらい知っておけよ」


 そんなものが学べるのか。知らなかった。

 ぼっちな俺が言うのもなんだが、学校での集団生活だって学ぶべき大事なことだ。特別な才能がないかぎり、社会に出たら集団生活を強制されるわけだしな。そして久美にはゲームという特別な才能がある。クソが! 死ねよ!


「学校に行かなくて……友達とか、心配しないのかよ?」


 どもりながら友達という俺には縁のない単語を口にする。


「わたしのレベルにあう人間なんて学校には一人もいねぇよ。そんな連中と馴れ合うつもりはねぇな」


 なるほど、こいつ友達いないんだな。まぁいなさそうだ。性格悪いし、口悪いし、態度も悪い。悪いことづくめだ。悪いことだけで構成されている。最悪じゃねぇか。

 俺と同じ孤高の戦士ではあるが、属性は異なる。おそらく久美はふつうに嫌われているから友達ができない。片や俺は、みんなから認識されてないから友達ができない。他人に記憶されているぶん、久美のほうがマシだ。


「そういうヒラオは、友達いるのか?」

「いねぇけど」

「うおっ、やけに早く答えたな。ちょっとびっくりしたぞ」


 そりゃあ即答できるよ。なんたって友達いないことに関しては熟練の域に達しているからね。どんな熟練の域だそれ?


「なんだよ、おまえも友達いねぇのかよ。かわいそうな奴だなぁ~」


 同情されてしまった。嫌われ者のきみにだけは、同情されたくないんですけど。


「あっ、勘違いすんなよ。おまえに友達がいないからって、わたしは友達になってあげないからな。凡人であるおまえが、天賦の才を授けられたわたしと肩を並べられるわけないだろ。ヒラオはどこまで行ってもヒラオだ。しょせんわたしの子分でしかねぇんだよ」


 なんかもう、いつの間にか子分として認定されている。というか久美と友達になるなんてこっちから願い下げだ。こんな他人を見下しているような女と友達になるのは無理だ。

 そもそもつりあってない。凛子と同じだ。こいつも才能に恵まれた側の人間。俺とは住む世界がちがう。

 それを言ったら……久美は凛子みたいに悲しむだろうか? いや、悲しまないな。クズミだし、むしろ才能があると言われてつけあがる。


「おまえは、どうしてプロゲーマーになったんだ?」

「んなもんなるべくしてなったに決まってんだろうが。わたしの有り余る才能を世間が放っておくわけねぇじゃん。わかる? 有り余る才能な、有り余る才能」


 わかるわかる。わかったからもう才能という言葉を口にすんなよ、このクソアマ。

 こいつと話していたら、毎秒イラッとさせられる。そりゃ友達できねぇわ。


「おまえはどういう動機でプロゲーマーになったんだ?」

「あっ、なんだ動機が知りたいのかよ。だったら初めからそう言えよ。ったく、まぎらわしいな」


 最初からそう言ってましたけどね。普通わかんだろ。人並みの読解力さえあればな。そんなことはおくびにも出さないけど。出したら余計に話がこじれる。


「有り余る才能の持ち主であるわたしは、小さい頃から凡人とは違うって自覚があったからな。時間さえあればゲームをしまくっていたんだよ」


 なるほど。友達ができなくてゲーム三昧の日々を過ごしていたのか。俺もその経験があるから、すごく共感できる。


「格ゲーは誰とやっても負けなくて、わたしTUEEEEEって思ってたら……中学のときに、わたしと一つしか違わないのにプロゲーマーになった女がいやがってよ」

「それって……」


 まちがいなく、凛子のことだ。


「ネットで対戦動画とか見たら、そいつすげぇプレイしやがってムカついた。同年代で最強はわたしのはずなのに、華々しく活躍して輝いてやがった。だからわたしも大会で優勝しまくってプロゲーマーになったんだよ。宿命のライバルを叩きのめすためにな。わたしはあいつにだけは負けたくねぇんだ」


 もしかしてこいつ……。本人は自覚してないみたいだし、指摘したところで絶対に認めないだろうけど、そうに違いない。

 久美は、凛子に憧れていたんだ。憧れていたけど、それだけでは満足できずに、プロという同じ土俵にあがった。同等に戦えるライバルになるために。

 それほどまでに、こいつは凛子に焦がれている。


「格ゲーで大切なことって、なにかわかるか?」

「知識とか、戦略とか、反応速度とか、読みとか、技術とか、精神力とか、他にもいろいろだろ」


 というのはぜんぶゲーム雑誌からの受け売りだ。


「ぷっすぅ~。しょせんはヒラオだな。だからおまえはヒラオなんだよ」


 バカにされた。もう訂正するのも億劫だが、俺はヒラオじゃない。

 今の解答がすべて不正解だとしたら、なにが正解だっていうんだ? その御高説を聞かせてもらおうじゃないか。


「いいか、格ゲーで大切なのはなぁ、対戦相手をブッ殺すっていう気概なんだよっ!」


 ものすごい根性論がとび出した。凛子だったら「は?」って言うだろうし、俺も言いそうになった。言わないけど。だが、本能で戦っている久美にはぴったりの理論だ。


「このまえの凛子からはその気概が微塵も感じられなかった。あんなウンコプレイする女に勝っても、うれしくねぇし満足もできねぇ。わたしの最強は証明されないんだよ」


 だから久美は、試合が終わった直後に激怒した。凛子と対戦するのを誰よりも楽しみにしていたから。きっと、俺よりも楽しみにしていたから、感情をぶつけずにはいられなかった。自分が本気だったのに、相手は本気ではなかった。それは久美にとって許容できない侮辱だったんだ。


「つうわけでヒラオ、おまえなんとかしろ!」

「いや、なんで俺が?」

「おまえはわたしの子分だろうが! だったらおとなしくわたしの命令を聞けよ!」


 むちゃくちゃだ。むちゃくちゃな奴だとわかっていたけど、むちゃくちゃすぎる。

 ていうか頼む相手をまちがっている。俺なんかが凛子のことをなんとかできるわけがない。


「そもそもヒラオ、おまえあいつのなんなんだ? ゲーセンや大会では一緒にいたけど、おまえは友達ゼロだから、凛子の友達じゃねぇんだろ? 関係性がぜんぜんわかんねぇぞ」


 そんなの俺にだってわからない。俺は凛子のなんなんのか? 迷うことなく幼馴染みだと明言はできなかった。そんな親しい間柄じゃないし。


「とにかく、なんとかしろ! いいな! なんとかしなかったら、あれだ。わたしのウルフスピアがおまえの身体をつらぬく!」


 もう三回はくらっているが、久美のウルフスピアでは俺の身体はつらぬけない。くらったら頭にくるけど。


「じゃあな!」


 言いたいことだけ言うと、久美はすたすたと店外に去っていった。俺は了承した覚えはないのに、一方的に要求だけを押しつけられた。自分勝手な女だ。




 ショップを出ると夕空が町の頭上をおおっていた。家路についたサラリーマンや買い物帰りの主婦の姿がちらほら目につく。

 駅前を通りがかると、前に凛子と出くわしたゲーセンが視界に入る。

 あのときの凛子は強かった。カンストするほど連勝を重ねて、誰にも負けなかった。あの強さを保ったまま大会の決勝に臨んでいたら結果は変わっていたかもしれない。でも時間は巻き戻らないので、答えは永遠に謎のままだ。


「あれ、そこにいるの平太くん?」


 見覚えのある黒のセダンがガードレールに横付けされていた。開いた車窓からスーツ姿の音葉さんが顔を覗かせている。

 ども、と軽く会釈する。先日の凛子の件がある。できればこの人とはあまりエンカウントしたくなかった。


「ちょっと待っててね」


 窓を閉めるとウインカーを点滅させて車を発進させる。すぐそこにあるゲーセンの駐車場に入っていった。

 えっ? これって待ってなきゃいけないパターンなの? 俺帰りたいんだけど。しれっと帰りたいんだけど。でも待っててと言われた後に帰るような度胸はない。おとなしく棒立ち状態で待機する。

 二分も経過しないうちに、音葉さんは駐車場からゆったりとした足取りで出てきた。


「お待たせ。悪いわね、呼び止めちゃって」

「いえ、まぁ……」


 本心を言えばすぐにでも帰りたいけど、肯定とも否定ともとれない不透明な返事をする。


「どう? これから一緒にゲーセンでも?」


 音葉さんは親指を立ててゲーセンを指し示してくる。


「俺は……」


 ここのゲーセンには、あまり入りたくない。入ればいたずらに凛子と一緒にいた時間を思い出してしまう。


「おごるけど?」


 その言葉に心がゆらぐ。無料でゲームができるなら、まぁやぶさかではない。俺ってば現金だな。


「決まりね」


 俺の返答を待たずに、音葉さんはずかずかとゲーセンに入っていく。その背中は俺がついてくることを信じて疑わない。そして俺は金の力には逆らえないので大人しくついていった。

 店内に踏み込むと、おなじみの騒々しい電子音が出迎えてくる。


「いやぁ、凛子以外とゲーセンに来るのなんて久しぶりだわ」


 ん~っ、と音葉さんは両腕をあげて伸びをする。そういうポーズをとったら、妹と同じく豊かに実ったお胸が強調されてえろい。これは俺がすけべえというわけではなく、思春期の男子なら誰もが自然と考えてしまうことだ。


「彼氏とかと、一緒に遊びに来たりしないんですか?」

「えっ? 彼氏?」

「あっ、いえ……」


 しまった。ぶしつけなことを訊いてしまったか?


「わたし、彼氏いないわよ」

「そうなんっすか……」


 意外だ。容姿はきれいだし、プロポーションも優れている。女性としては非の打ちどころがない人なのに。


「うん、彼氏いないのよ。……ずっと」

「え?」

「いいのいいの。わたしの恋人は仕事だから。仕事さえあれば生きていけるから。仕事を愛してるから。だからわたしは大丈夫。ぜんぜん大丈夫。年齢=彼氏いない歴なんて気にしてない。むしろ仕事をダンナにしたいくらいだから」


 ちょっぴり首をかたむけて、フフフフフと微笑んでいる。微笑んでいるが目だけは笑っていない。形だけつくろった偽りの笑顔だ。見ててぞっとする。


「格ゲーは二階にあるのよね」


 こっちを振り向いた音葉さんは、年上のお姉さんらしい晴れやかな笑みを浮かべていた。さっきまでのイビツな笑みは失せている。その切り替えの早さが逆にこわい。ほんの刹那だか、音葉さんの闇を垣間見てしまった。人間、仕事だけじゃ生きていけないんだな。

 なんか、急激に帰りたくなってきた。金に釣られてほいほいついてきたことを後悔する。だが、ここでやっぱり帰りますなんて言ったら何をされるかわからない。素直に二階の格ゲーコーナーについていこう。


「えっとラグエンはっと……あった」


 ラグエンXⅢの対戦台を発見すると足を止める。


「平太くん、きみはお姉さんに勝てるかしら?」


 にやりとガキ大将のような笑みをたたえると、音葉さんは財布から百円玉を何枚か取り出して俺に渡してくる。

 手渡された百円玉を握りしめると、なぜか援交をしているような良心の呵責を感じた。いや、別に援交じゃないけどね。さっきのほの暗い笑顔さえ目撃しなければ、たぶんこんな気持ちにはならなかった。あとこの百円玉、余ったらパクっていいのかな?


「それじゃあ、はじめましょうか」


 音葉さんは反対側の台につく。

 俺も椅子に腰かけると、左手でレバーをつつみ、右手の指をボタンにそえた。

 大会で敗れて以来、ラグエンをプレイすることを避けてきた。恐れていたといってもいい。今だってドキドキしている。そのドキドキには恐怖だけじゃなくて、どうやら喜びも混じっているようだ。なんだかんだいって、やっぱり俺は格ゲーをやるのが楽しくてしょうがないみたいだ。

 百円玉を投入すると、キャラクターセレクト画面になる。選ぶキャラクターはもちろん持ちキャラのヴリュンヒルデだ。久しぶりだから、かなり腕はなまっているだろう。

 音葉さんが選んだキャラクターは、なんとオーディンだった。凛子と同じオーディンを使うのか。腕前の程は知らないが、プロゲーマーの妹と暮らしているくらいだ。油断はできない。

 画面が切り替わる。対戦ステージは人間の住む大地ミッドガルドだ。


「さぁ、いくわよ」


 音葉さんの声がはずむ。よほど自信があるみたいだ。これは俺も本気でいかないとな。


 ROUND1 FIGHT


 対戦が始まると、オーディンは立ち弱を連打してくる。

 してくるが……当たってない。試合開始時は、どちらのキャラも相手と一定の距離をあけて立っているので、リーチの短い弱攻撃が当たるはずがない。一度でもラグエンをプレイしたことがあるのなら、誰でも知っていることだ。


「あれ、届かない? あっ、そっか。近づかないといけないのか」


 ダッシュ……ではなくオーディンはのんびりと歩いて近づいてくる。ヴリュンヒルデの立ち中で打撃を与えると、そこからコンボをつなげてダメージをくらわせた。


「うわっ!」


 音葉さんが悲鳴をあげる。オーディンは受け身もとれずにダウンする。

 その後も音葉さんの操るオーディンは、なぜか離れた位置で立ち弱やしゃがみ強を繰り出して空振りしまくり、無意味にジャンプしたりする。というか通常攻撃しかしてこない。コマンド入力技は使えないようだ。間合いとか戦術とかは考慮せずに、やみくもにレバーをガチャガチャやってボタンを押している。

 俺はヴリュンヒルデを操り、ダッシュで接近してコンボを叩き込む。ガードで防がれることはない。おもしろいくらいに攻撃がヒットしまくった。

 かくして俺は、パーフェクト勝ちする。

 対戦を終えての感想はこうだ。

 この人弱ええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ! 

 下手すぎる。ドヘタクソだ。プロゲーマーのマネージャーをやっているくらいだから、てっきり強いのかと思ったが、まるっきり素人だった。これなら緊張する必要なかったな。


「まだまだやるわよ!」


 なのに負けてもへこむどころか気炎を燃やして、こりずにまた挑みかかってくる。その意気込みだけは評価しよう。

 後ろに並んでいる客もいなかったので、俺と音葉さんは何度も対戦した。何発かダメージをもらうことはあったが、負けることは一度もなかった。練習を積めばどうなるかわからないが、現状のヘタクソな音葉さんでは俺に勝てない。それがわかるほど実力に差がある。

 通算で十回以上の大敗を重ねると、音葉さんは「ふぇ~」とふやけたような声をもらして対戦台から立ちあがった。

 これで終わりみたいだ。俺も椅子から腰をあげる。ちなみに余った百円玉は、こっそりとズボンのポケットにしまっておく。


「たはははは、やっぱりだめね。わたしゲーム苦手だわ」


 レバー操作に酷使した左腕をぶらぶらと振って音葉さんは苦笑する。


「平太くん強いわね。ひょっとして凛子と同じで、子供の頃からラグエンのやりこみプレイとかしてるの?」


 やりこみと呼べるレベルかどうかわからないが、人並みに練習は積んできたつもりだ。


「まぁ……それなりに。けど俺、そんなに強くないですよ」


 凛子に比べたら、ぜんぜん強くない。足下にもおよばない。天と地ほど差がひらいている。

 凛子をそばで見てきた音葉さんなら、そのくらいわかるはずだ。……わかるのかな? わかってほしい。格ゲー下手でもわかってほしい。


「そうなの? わたしからすれば平太くんも十分強いけど?」


 音葉さんはきょとんとしている。うん、わかってないな。ゲームについてはマジで素人なんだな。

 ……ゲームで強いとか、人からそんなふうにほめられたのは初めてなので、なんというか、こそばゆい。


「下でなにか飲みましょうか」


 音葉さんが疲れた左手で床を指差す。

 エスカレーターを使って俺達は一階に降りた。


「コーヒーでいい?」

「どうもっす」


 自販機で缶コーヒーをおごってもらう。本当は紅茶のほうが好きだけど、それを言うほど厚かましくはない。クズミではないので。

 フロアの片隅にあるベンチに音葉さんと微妙な距離をあけて座る。受けとったコーヒーに口をつけてちびちびといただいた。

 会話はない。そもそもこの人と話すことなんてあるだろうか? ……あるな。一つだけある。ていうかそれを話したいから、わざわざ俺をゲーセンに誘ったんだろう。遅かれ早かれ、この話題は避けては通れない。だったらこっちから切り出そう。


「凛子の調子は、どうですか?」

「芳しくないわね。先日の海外遠征は無残な結果だったわ。このままいけば、次の大会の爆神祭でも好成績は残せないでしょうね。最悪、予選すら通過できないかも。あの子のメンタルケアはわたしの仕事だけど、今回は手こずっているわ」


 凛子が不調なのはわかっていたことだが、こうして身内の口から聞かされると胸にくるものがある。おまえのせいだと言われている気がした。おまえのせいで、凛子は本来の実力を発揮できないんだと。

 その通りだ。俺が凛子を傷つけるようなことを口にしなければ、こんなことにはならなかった。認めたくなかったが、もう認めるしかない。凛子が久美に負けたのは、俺のせいなんだ。

 音葉さんは自分のぶんのコーヒーのプルタブを開けると、ぐびっと首をあおいで一気に飲む。湿った唇をはなすと、悩ましげな息をもらした。

 それにならって俺も首をあおぎながらコーヒーを飲む。


「平太くん、小さい頃はよく凛子と遊んでいたわよね」


 むせた。飲みかけのコーヒーを吹き出しそうになる。吹き出さなかったけど。でも激しく咳き込む。鼻の奥がつんとして痛い。


「大丈夫?」

「えぇ、まぁ……」


 音葉さんはそっと左手で背中をさすってくる。心配してくれるのはありがたいが、そういうボディタッチはやめてほしい。心拍数があがっちゃうよ。

 呼吸が整うと、隣の音葉さんを横目で見やる。


「あの頃は、まだ子供でしたからね」

「そう。じゃあもう一緒に遊ばなくなったのはどうして?」

「子供じゃなくなったからじゃないですかね」


 くすりと音葉さんはスポンジみたいなやわらかい笑みで俺の言葉を受けとめた。


「ごめんなさい。いじわるな質問だったわね。実は大体の察しはついているの。平太くんが、凛子と疎遠になった理由はね」

「……そうなんっすか?」

「うん。そうなんっすよ」


 だとしたら本当にいじわるな質問だ。あと年上のお姉さんが敬語使うのって萌えるね。着ボイスにしたくなったよ。


「たぶんわたしも、平太くんと同じだから。あの子のそばにいたから、そういうのわかっちゃうのよ」


 音葉さんは凛子の姉だ。ずっとそばで凛子を見てきた。近所に住んでいる俺と違って、一つ屋根の下で暮らしてきた。それは……どれほど苦痛な日々だっただろう。


「特別な才能を持った凛子のそばにいたから、わたしも何か特別な存在にならなきゃいけないって、昔は焦ってた。何かしなきゃって、強迫観念に突き動かされていた。でもわたしには何もなかった。ゲームは上手じゃないし、頭がよかったわけでもない。スポーツもいくつかやってみたけど、特別になれるほどの才能はなかった。わたしは自分の夢を叶えられなかったし、夢を見つけることもできなかったのよ」


 音葉さんの微笑みに、ほんのわずかな憂いが差す。


「親戚で集まっても、ほめられるのはいつもあの子ばかり。あの子は特別だから、みんな期待の眼差しを向けてくる。何もない平凡なわたしは、あんな目で見られたことは一度もない。だから特別な凛子が羨ましかった。かつてはうらんでさえいたわ」


 俺と同じだ。俺も凛子の才能においていかれるんじゃないかという漠然とした不安があった。その不安から逃げるように、凛子と距離をとるようにした。

 特別ではない俺には、特別な凛子のそばにいる資格はない。それが不安の正体だ。

 でも音葉さんは「かつては」と言った。いまは、どうなんだ?


「もうあいつのこと、うらんでないんですか?」

「まぁね。いろいろ見てきたから、わたしも大人になったのよ」


 肩をすくめると、音葉さんは宙を凝視する。


「プロゲーマーの世界ってね、まだまだ不安定で消えていく人だってたくさんいるの」


 プロになったせいで純粋にゲームが楽しめなくなり、ゲームをやるのが苦痛でやめてしまう人がいる。

 プロじゃなくても、大会で優勝したことで特別視され、負けるのが怖くなって誰とも戦わなくなる人がいる。一度でも負けてしまえば特別じゃなくなるから、ずっと過去の栄光にすがっていたいから、戦うことを放棄する。仮に戦うことができたとしても、負けが続けばやっぱりゲームを嫌いになってしまう。


「苦痛を乗り越えて幸福を手にできる人もいれば、そうじゃない人もいる」


 音葉さんの声に重さが加わる。

 凛子も、そうじゃない人になろうとしているんだ。


「プロゲーマーっていうだけで、オタクだと偏見を持たれたりするしね。わたしから見れば、ぶっちゃけみんなアスリートよ。うちの妹なんて毎日毎日ひたすら格ゲーばかりやってるんだから」


 格ゲー馬鹿、ということだろう。凛子はRPGとかギャルゲーとかそういったジャンルのゲームは一切やらないからな。


「それにプロゲーマーって楽して稼いでいるように思われがちだけど、本人達には相当なプレッシャーがかかっている。たぶんわたしじゃ耐えきれないほどのプレッシャーがね」


 凛子も大会で緊張していた。プロとしてのプレッシャーを感じていた。ひょっとしたら久美だって、顔に出さないだけでプレッシャーを感じていたのかもしれない。


「プロとして大変なことは、他にもいっぱいあるわ」


 各選手でスポンサーとの契約内容が違うので、固定給で食べていけるプロもいれば、お小遣い程度しかもらえないプロもいる。

 新作ゲームのリリース次第では生活を左右されてしまうプロだっている。前のゲームでは強くても新しいゲームでは強くない人達や、一つのシリーズでしか強くない人達がそうだ。

 そして人気の出ないプロもいる。そういう人の対戦動画は再生回数が少ない。そのうち誰にも見向きされなくなる可能性だってある。


「なにより、一度負けただけで悪く言われるのがきついわね。優勝しないとほめてもらえないのよ。準優勝だってすごいことなのに」


 凛子はネットで叩かれていた。準優勝するまでの努力を評価しない人々に悪意という刃を向けられた。そのことを……たぶん凛子は知っている。音葉さんの不機嫌な物言いが、如実にそう語っている。

 あの悪意に満ちた書き込みの数々を凛子が目にしたと思うと……虫唾が走った。あんなもの、がんばっている凛子が見ていいものじゃない。


「あの子、毎日五時間以上をゲームの練習に費やしているのに、ちゃんと勉強もやっているのよ。学業をおろそかにしないって、プロゲーマーになるときにお父さんとお母さんに約束したから」


 そういえば凛子が追試を受けているところを見たことがない。授業で教師に当てられてもすらすらと答えている。成績はかなりいいみたいだ。ゲームに精進しながら勉強もちゃんとやるなんて、どんだけ努力家なんだよ。


「音葉さんは、どうして……」


 そんな妹との関係を割り切ることが、できるようになったんだ。

 俺にはまだ到底できそうにない。どれだけ凛子がプレッシャーを感じていて、血のにじむような努力していると聞かされても、あいつへの嫉妬心が消えることはない。

 やっぱり俺は夢を叶えた凛子が羨ましい。夢を叶えられなかった自分がみじめでならない。

 音葉さんはコーヒーを一口飲むと、こっちを見ないでつぶやいた。


「特別になんてならなくていい。夢なんて叶えなくていい。夢を見つけることだって、しなくていい」


 右手の指先に力がこもる。ぎゅっと缶コーヒーを握りしめて、音葉さんを見た。見たというより睨んだ。たぶん俺の顔は真っ青になっている。

 それほど今の言葉は衝撃的で、胸に突き刺さるものだった。俺の内側を引き裂いて、深く深くえぐりこんでくる。


「特別な存在になれ、夢を叶えろ、夢を見つけろ、そう言ってるのは自分自身よ。親とか友達とかに多大な期待を寄せられて、他人に夢を叶えることを強要される人もいるけど、最終的に決めるのは本人だもの」


 夢を見るかどうか、結局それを決めるのは自分だ。自分の意志にかかっている。


「少なくとも、わたしの場合はそうだった。夢を叶えろとわたしに言っていたのは、他でもないわたし自身だった」


 平太くんもでしょ、と音葉さんはこっちを見つめ返してくる。


「特別じゃなくても、夢なんてなくても、あの子のそばにいることはできる。それがわかってからは、ずいぶん楽になったわ。おかげでちゃんと向き合えるようになった。あの子の才能とも、自分が非才であることにもね」


 音葉さんの口調はすべらかで、顔に浮かんだ笑みには屈託がない。

 特別じゃなくても、特別な凛子のそばにいることはできる。そんなこと、音葉さんを見ていればすぐにわかったことだ。なのに俺は、見えないふりをしていた。見たくなかった。俺にはできないことをやっている音葉さんを見たくなかった。現実を受け入れているこの人を直視したくなかった。

 だから住む世界がちがうんだと、凛子との間に壁をつくって言い訳をしていた。そしてその壁は実在している。確固として俺と凛子の間にあって、二人の距離を隔てている。

 けど、壁越しでも触れ合うことはできる。音葉さんはそうしている。


「いまわたしがやりたいことは、あの子がいつまで夢を叶え続けられるのかを見守ること。夢を叶えるのは大変だけど、夢を叶え続けるのはそれよりも遥かに難しい。だからそばで見守ってあげるの。で、もしもあの子が駄目になったら、そのときは支えてあげるつもり」

「どうして……そこまでできるんですか?」


 かつてこの人は凛子の才能をうらんでいた。あいつの放つ輝きに、顔をうつむけていた。なのにどうしてそこまで献身できるのか? 姉とはいえ、そこまでできるのは異常だ。他の誰かのためなんて、俺にはできない。

 音葉さんは力なく微笑むと、手にした缶コーヒーをベンチの上にやさしくおいた。


「わたしはもう、あげたから」

「あげた……?」

「うん。わたしの人生、もうぜんぶ、あの子にあげたから」


 肩から力が抜けていく。握りしめていた缶コーヒーを、思わず落としそうになる。

 それは誰よりも苦しみ抜いた末の、音葉さんの選択だ。覚悟の程は計り知れない。いや、計ることなんてできない。自分の人生を才能のある妹のために使うだなんて、生半可な覚悟ではやれない。

 そしてやっぱり俺は、音葉さんのように割り切ることはできそうになかった。これからも凛子の才能に嫉妬しつづけて自己嫌悪におちいる。幾度となくそれを繰り返す。聞き分けのいい大人にはなれない。


「これはね、最近になって気づいたことなんだけど、特別であることに意味があるように、平凡であることにも意味はあるんじゃないかなって。叶わなかった夢にも、叶え続けられなかった夢にも、きっと意味はある。一生懸命なにかに打ち込もうとした時間は無駄じゃない。それでもし、夢中になれるなにかと巡りあえたのなら、それだけで幸せなことだと思うの」


 音葉さんは凛子を見守るという目的とめぐりあえた。それだけで音葉さんは幸せなんだ。

 俺はどうだろうか? 世界で一番、ゲームで強くなりたい。その夢は叶わなかったし、これからも叶わない。夢を見たせいで、ゲームをしなきゃよかったと後悔したことだってある。

 それでも夢中になってゲームに打ち込んだ時間は……幸せだったんじゃないのか。意味があったんじゃないのか。

 音葉さんはベンチに乗った缶コーヒーを手に取って体をこちらに向けてくる。


「平太くんが凛子に対して、どういう感情を抱いているのかは知っている。わたしはその気持ちが痛いほどわかる。わかったうえで、お願いしたいの。どうか凛子の力になってあげて。これはマネージャーとしての、そして凛子の姉としてのお願い」

「お願いする相手、まちがってないですか?」

「そんなことないわよ。だってきみは、凛子の幼馴染みでしょ?」


 幼馴染み……ね。そう言っていいのかは微妙だ。

 でも幼馴染みが落ち込んでいたら、力になってあげなきゃいけない。ギャルゲーだったらそうだと相場が決まっている。俺の場合、二次元じゃないのが非常に残念だが。


「どうかしら?」

「まぁ、考えておきます」


 考えておくというより、もう心は決まっている。凛子の敗北を目の当たりにして、うすうす感じていたことだが……音葉さんの話を聞いてそれが確信に変わった。

 落ちぶれろ。ひどい目にあえ。挫折しろ。そう思っていた。そうなればいいって、凛子に嫉妬していた。

 それと同じくらいに、勝ち続けてほしかった。高みにのぼって輝いてほしかった。絶対的な存在であってほしかった。そんな理想と期待を押しつけていた。

 あいつは……天宮凛子は、小さな頃からずっと、俺のなかのヒーローだった。

 女の子にヒーローっていうのはどうかと思うけど、ヒロインだとあまりしっくりこない。やっぱりヒーローの方がニュアンス的にあっている。

 凛子に不幸になってほしい。凛子に勝ってほしい。どちらの感情も本物だ。どちらか片方が正解だなんてことはない。憎みもすれば、憧れもする。ほんと、俺は面倒な男だ。

 ただこれだけはいえる。

 凛子にはもう、誰にも負けてほしくない。自らの道を邁進して、夢を叶え続けてほしい。

 これだけは、下野平太の本心だ。


「期待していいみたいね」


 ぐびっと缶コーヒーを飲み干すと、音葉さんはベンチから立ちあがって、空になった缶をゴミ箱に捨てた。


「よかったら車で送っていくけど、どうする?」

「いえ、俺はその……寄りたいところがあるので」


 そう、と音葉さんは含み笑いをする。車内で二人っきりになりたくない俺のウソを見抜いている笑顔だ。


「じゃあね、平太くん。妹のことよろしく」


 小さく手を振って、音葉さんは出口に向かっていった。

 孤高の戦士である俺は、しばらくボーッとしてから一人で帰ることにした。



     ◇



 地に足がついてないような、おぼつかない感じだ。いや、足はついてるんだけど、それでも落ち着かない。胸の鼓動は高速で脈打っている。寒くもないのに全身が小刻みに震えている。

 学校が終わると即行で帰宅した。いつもより足早に下校道を駆けていった。こんなに走ったの久しぶりだから、ちょっと脇腹が痛い。

 んで、現在は家の前にいる。家の前で待ち構えている。誰を待ち構えているのかは言うまでもない。

 俺に遅れること数十分後、ターゲットはやってきた。俺が通ってきた道とは反対の方角から夕焼けを背にして歩いてくる。

 凛子は俺に気づくと、表情を曇らせる。家の前に突っ立っててキモイとか思われているかもしれない。

 凛子は俺から目をそらすと、筋向いにある天宮家に入っていこうとする。それを阻止せんと、小走りで歩み寄っていった。ふっ、第三者から見れば完全に俺は不審者だろうな。


「……おい」


 声をかけると、凛子は足を止めて首だけ動かしてこっちを見てくる。


「なに?」


 皮膚が粟立つほどの刺々しい声だ。やだ、リコリンもしかして怒ってるの? まぁ怒られるようなことをやっちまったからな。しょうがないか。

 凛子の放つ怒りオーラに気圧されないようにする。いやもう気圧されちゃってるんだけど、せめて逃げないように踏ん張りを利かせる。


「用があるなら早くして」


 両目を糸のように細めて威嚇してくる。もぉう、急かさないでよ! こっちはドキドキしてんだからさ!

 んんっ、と芝居がかった空咳をすると、後ろに引きそうな足を押しとどめて、凛子に焦点を合わせる。

 そして、数年ぶりにその言葉を口にした。


「……ラグエンで、対戦するぞ」


 よっし、言えた! 超テンパったけど、なんとか噛まずに言えた。俺えらい!


「は?」


 ドキッてした! ひさびさにその「は?」を聞いてドキッてした! それ心臓に悪いからやめてよね!

 凛子はこっちに向き直ると、怪訝な表情を浮かべる。


「やだけど」


 なん……だと? こいつ今なんて言った? 俺の聞きまちがいか? でもはっきりとやだって言ったよな。

 よし、もう一度チャレンジしてみよう。


「いや、だからラグエンで……」

「だから、やだ」


 もう一度チャレンジしてみたが、玉砕しました。

 えぇ~、どうしよう。断られるなんて考えてなかったわけじゃないけど、可能性は低いと思っていたからな。まさかマジで断られるとは。ここはしつこく粘るしかないか……。


「なんでイヤなんだよ? おまえ、俺と対戦できたらうれしいって言ってただろ」


 だから対戦を申し込めば応じてくれると楽観していたのに。そしたらこのザマですよ。あれフラグじゃなかったんだな。


「それはそうだけど、でも……」


 きまりが悪そうに凛子は顔をそむけると、ぎゅっと両手で学生鞄を握りしめる。少女漫画に登場する純情な乙女みたいな仕草だ。


「対戦って、どこでするの?」

「そりゃあ、おまえん家じゃねぇの?」

「……わたし、下野を自分の部屋にあげたくないんだけど」


 すげぇショックなことを言ってくれますね。もうライフが残り一ドットまで減った気分だ。あれかな、俺みたいなギャルゲーをやっているようなキモ男はプレイベートゾーンに侵入させたくないってことかな?

 ふぅ、俺なんでこんな奴のためにがんばってんだろ。あ~ぁ、やっぱ三次元の幼馴染みとかないわ~。

『七人の幼馴染み』のヒロイン達だったら、照れながらも自分の部屋にあげてくれる。それで頬を赤くそめながらあんまりじろじろ見ないでよ、というやりとりが発生する。

 三次元の幼馴染みとは、そういうイベントすら起きなかった。


「それにうちでやったらお父さんとお母さんに見られるかもしれないし……」


 なるほど、俺みたいな男とゲームしているところを両親に知られたくないわけか。ひどいな、この子。俺のことをなんだと思ってるんだ。


「だったらおまえが俺の部屋にくればいいだろ。これならおまえの親とかにもばれずにできる」


 なんか、言葉だけ聞くと俺がえっちなことをしようと凛子を誘っているように聞こえなくもないが、これはあくまでゲームをしようって話だからね。


「それなら……べつにいいけど」


 しぶしぶ凛子はうなづいてくれた。ほんとしぶしぶだ。

 対戦を許可してもらうだけでこんなに骨だなんて……先行きが思いやられる。

 凛子が天宮家に入っていくと、俺は石化したように動かないで待機する。

 ほどなくしてブレザーだけ脱いだ凛子が玄関から出てきた。俺を見るなり、なぜか目を丸くする。いや、おまえ俺がここにいるって知ってたよね? なんでそんな意外そうな顔してるの? まだいたのかよキモイな、とか思ってんの?


「わざわざ待っててくれたんだ……」

「まぁな……」


 どうやら先に自分の家に入っててもよかったらしい。そういう細かい意思疎通ができないよな、俺達。幼馴染みなのに。

 凛子を連れて、家のなかに入る。凛子は玄関で丁寧に靴をそろえて脱ぐと「おじゃまします」とささやいた。変なところで礼儀正しかったりする。

 二階にある自室に凛子が来ると、やっぱり緊張した。自分の部屋なのに他人がいるだけで空気が変わってくる。


「あ……」


 凛子はジーッと学習机のほうを凝視してくる。

 机の上には、『七人の幼馴染み』のケースが乗っていた。

 俺ってばうっかりさん。片づけるのを忘れていたぜ。ていうか凛子の部屋で対戦する予定だったから、この事態は回避しようがなかった。死にたい。

 何事もなかったかのように、『七人の幼馴染み』を引き出しのなかにしまう。

 ここには初めから何もなかった。そして俺たちは何も見なかった。そういうことでいいな? オーケー?


「それ……おもしろいの?」


 こらこら、興味を持つんじゃない。このゲームはいろいろレベルが高いから、おまえがプレイしたらカルチャーショックを受けて引くぞ。名前入力機能で平太という名前になった主人公と幼馴染みヒロイン達の甘ったるい会話を見たら「なにこれ?」って眉間をひそめるだろ。


「おもしろいかどうかは、人によるかもな」


 暗に、おまえにはおもしろさがわからんよ、というメッセージをこめる。

 ベッドの上の座布団をとって差し出すと、凛子はまるで汚いものにでも触れるかのようにたどたどしく両手で受けとった。

 なんだよ、『七人の幼馴染み』がそんなに気持ち悪いものに見えたのかよ。言っておくけど、あけみも、みゆきも、かのこも、しずねも、さなえも、ちほも、りか姉も、まなかもみんな超絶かわいいからね。おまえの百万倍はかわいい幼馴染みだからね。

 凛子は座布団をしくと膝を崩して女の子座りになる。

 さて、準備は整った。ここからだ。ここから何もできなかったら、ガキの頃と同じになってしまう。たぶんそれでもいいんだろう。音葉さんは俺の助けがいるみたいなことを言っていたが、俺なんかいなくても、そのうち凛子は勝手に立ち直る。そういう奴だ。それでも俺はやる。やらなきゃいけない。俺自身のために、凛子がもう負けないために。

 そのために俺は凛子と対戦する。そして勝つ。勝ってみせる。

 凛子は昔よりもめちゃくちゃ強くなった。今ではプロゲーマーだ。そんじゅうそこらのプレイヤーじゃない。俺の勝ち目はほぼゼロだ。ほぼというか、ゼロだ。それでも勝つ。勝たなきゃ意味がない。

 そもそも最初から負けるつもりで格ゲーをプレイする奴なんていないだろ。

 テレビとハードの電源を入れる。1Pにつないであるアケコンを凛子に渡そうとしたら、


「は?」


 えっ、なんでここで「は?」なの? 俺なんも言ってないよね? なんで「は?」が出てくるの?


「わたし、2Pにつないであるゲームパッドでいいけど」

「いや、でもおまえアケコン使ったほうが強いんじゃないのか?」

「そうだけど、下野が相手なら普通のコントローラーでいい」


 えっと、今のを意訳するとあれかな? 俺がザコってことかな? そっか……そっか。俄然、闘志に火がついた。絶対に勝って鼻を明かしてやる。


「ていうかおまえ、眼鏡はどうしたんだよ? 持ってきてないのか?」

「どうして下野と対戦するのに、眼鏡をかけなきゃいけないの?」


 ザコの俺を相手に本気を出す必要はないってことか。しかもこいつ、無自覚に言ってるっぽい。それが余計に腹立つ。これだからリアル幼馴染みは好きになれない。もともと好きでもなんでもないけど。


「じゃあ俺、アケコン使うぞ」

「うん」


 凛子は膝立ちになってしなやかな腕をのばすと、2Pのコントローラーをつかんだ。そのときほんの一瞬だが、唇がゆるんだように見えた。俺と対戦できることを喜んでいるのか? ……はっきりとはわからない。

 思考を切り替える。勝負に集中しよう。

 アケコンを操作して対戦モードを選択する。キャラクターセレクト画面になると、ヴリュンヒルデを選んだ。

 凛子の選んだキャラはオーディン……ではなかった。凛子が選んだのはロキだ。青白い顔に漆黒の衣をまとった美形の男性キャラ。リーチは短いが、コンボをつなぐことで真価を発揮するテクニカルキャラだ。


「いいのかよ、持ちキャラのオーディンじゃなくて」

「べつに試合じゃないし、今は使いたいキャラを使う。それにいろんなキャラを使うのは、ゲームの全体像を把握して勝つ法則を見つけるために必要なことだから」


 アケコンでもないし、眼鏡もかけてない、そして持ちキャラでもない。手を抜かれまくっている。いや、眼鏡は強さに関係あるのかどうか知らないけど。

 なんにしても、ハンデがあるのはいいことだ。そのぶん俺の勝率は増す。

 一度でいい。一度でいいから凛子に勝つんだ。

 キャラクターセレクトを終えると、画面が荒野の対戦ステージに変わる。

 やばいな、これ。心臓がバクバクいってやがる。ガキの頃に感じた不安が徐々によみがえってきてる。凛子に負けるという恐怖だ。昔はそこから逃げて、凛子と対戦しなくなった。

 ……けど、もういい加減その現実と向き合わなきゃいけない。


 ROUND1 FIGHT


 試合が開始されるとヴリュンヒルデをダッシュさせて先制攻撃を仕掛ける。しかし凛子は読んでいたようで、カウンター技であるミラーリベリオンをロキに使わせた。ヴリュンヒルデの攻撃がヒットした瞬間にロキが殴り返してくる。カウンターをもらったヴリュンヒルデはのけぞる。

 カウンター技は成功するとその後にコンボをつなげられるので、ロキは立ち中攻撃からしゃがみ中、立ち強、しゃがみ強、突進しながら殴りかかる突撃技のダークインパクトに、追加攻撃の三回を入力して、ヴリュンヒルデをふっとばす。

 ヴリュンヒルデに受け身をとらせてダウンを回避する。強烈なコンボを叩き込まれたせいでライフが六五%まで減った。間合いをとったまま遠距離技のフレイムウェイブを放つ。

 しかしフレイムウェイブを撃つよりもコンマ数秒早く、ロキはわずかな溜め動作の後に前方に瞬間移動する技、シャドウマジックを使ってきた。ヒュッとロキの姿が消えると放たれたフレイムウェイブをすり抜けてヴリュンヒルデの眼前に現れる。

 肉薄するなりロキは立ち弱をヒットさせてくる。そこから立ち中、しゃがみ中、しゃがみ強、立ち強、ヴリュンヒルデが宙に浮いたらジャンプして空中中、空中強、二段ジャンプして空中中、空中強、最後に空中投げを使い、ヴリュンヒルデを地面に叩きつける。

 ライフが三〇%まで減ったヴリュンヒルデがダウンすると、数秒遅れてロキは地面に着地した。

 試合が始まってまだ二〇秒も経ってないのに、あっという間に追いつめられた。これが凛子との実力差。埋めることのできない才能の差だ。

 それが……なんだっていうんだ。凛子との差なんて、これまでさんざん見せつけられてきただろうが。今さら、怖気づいたりしないっつうの。

 ヴリュンヒルデが起きあがると、ダッシュして距離をつめる。ロキにつかみかかり投げようとするが、つかむよりも先にしゃがみ中攻撃を当てられた。しゃがみ強、立ち強とコンボが続くと最強必殺技であるヴァイスワールドを使ってくる。

 ロキの近距離パンチがヒットすると、画面が暗転。暗黒の力によってヴリュンヒルデは見えない連撃を受けまくりKOされる。

 画面には2PWINと描かれている。凛子の勝ちだ。しかもパーフェクト勝ち。一撃もダメージを与えられなかった。

 まさかここまで大差をつけられるとはな。精神的にかなり弱ってしまうが、俺の回復を待ってくれずに次のラウンドが開始される。

 二ラウンドめも、ヴリュンヒルデの攻撃は当たらなかったり、ガードされたりした。ロキの強烈なコンボをあびせられて、一度はオーバースパークで抜け出したものの、再び猛襲を受けるとあっさり負けてしまう。

 そう、負けた。俺は負けた。しっかりと負けた。これは……きついな。ずっとそばにいた幼馴染みに大敗を喫するのはきつい。ガキだった頃の俺が、逃げ出したのも納得だ。

 でもこれでやっと、ガキの頃に抱いた不安を正面から受け止めてやれた。昔はできなかったことを、やってのけることができた。


「もう気は済んだ?」


 凛子は無表情のままコントローラーを床において、座布団から立ちあがろうとする。


「いや、まだだ」


 腰をあげようとした凛子を呼び止める。そう簡単に帰らせるつもりはない。


「誰も一回勝負だなんて言ってないだろ」


 俺がせこいことを口にすると、凛子はムッと唇をとがらせる。


「何度やっても下野じゃわたしに勝てないよ」

「そんなのやってみなきゃわかんないって、誰かさんは言ってたけどな」


 そう、言っていた。都心のゲーセンで行われた大会で、凛子は確かに言おうとした。勝てるかどうかは、やってみなきゃわからないって。

 ま、やらなくてもわかるけどね。現にいま負けたし。

 でも挑戦し続ければ奇跡的に一度くらいは勝ち星をつかめるかもしれない。……自信はないが、やるしかない。


「俺と対戦するのをやめたいならやめてもいいぞ。けどそれだと、おまえは自分の言葉を否定することになる」


 腰を浮かせた凛子を見上げて、右の頬を意識してつりあげる。さぞ意地の悪い笑みができていることだろう。

 凛子は憮然とした面持ちのまま、浮かせていた腰を降ろすと、床においたコントローラーを握った。

 よし、やるぞ。

 それから何度も凛子に挑みかかった。対戦するたびに、俺は敗北の味を舐めさせられる。あまりの自分の無力さに苛立つが、試合を重ねるごとに次第に苛立ちも消えていき、負けることにも慣れてきた。

 かといって平気なわけではない。やはり胸は軋んで痛くなる。ひっくりかえせない敗北の連鎖に、ひたすら精神をむしばまれる。耐えなきゃいけない。この痛みに。逃げ出したガキの頃から進歩してないことになる。

 やがて左の手首とボタンを押す指が疲れてきた。けどやめない。つづける。心の痛みに比べたら、体の疲れなんてへっちゃらだ。

 思い出させてやるんだ。ゲームがおもしろいってことを、凛子に思い出させてやる。凛子が誰よりもゲームが好きなことを、俺は知っているから。

 もう何度目になるのかわからない敗北。心が擦り切れそうだ。ボコボコにやられまくるヴリュンヒルデを見ていたら憐憫を禁じえない。ごめんな、俺が弱いせいで。

 凛子はいろんなキャラを使い回すが、どれも一定の強さを保ち、俺を打ち負かしてくる。しかし持ちキャラのオーディンだけは絶対に使ってこなかった。俺を相手に本気は出さないという制約を守っている。

 気分転換もかねて俺も試しにキャラを変えてみたが、やはりヴリュンヒルデほどうまくは使えない。凛子の鉄壁ガードで打撃を防がれてしまう。凡人の俺では、天才のようにどんなキャラでも自在に使いこなせる芸当はできない。浮気せずにヴリュンヒルデ一筋でいこう。


「もうあきらめたら?」


 2PWINという表示に飽きたのか、凛子は嘆息まじりに訊いてきた。

 おまえ才能ないんだよ、と言われてるみたいで顔の表情筋がひきつりそうになる。ひきつらないように堪えたけど。

 あきらめたら……だって? 笑わせてくれる。俺はもうとっくにあきらめてんだよ。凡人の夢は絶対に叶わないって知ってんだよ。だからこそ開き直れる。やけくそになって歩き続けることができる。

 プレイを積み重ねていけば、ちょっとずつだが前に進める。強くなれる。けど天才の凛子は俺以上のスピードで歩き、ぐんぐんと前に進む。急速に進化していく。才能があるから。

 そんな大差を見せつけられたら、普通はそこで立ち止まるだろう。もう無理だってギブアップするだろう。

 でも俺はとっくにあきらめているし、開き直っているから、まだまだ歩くことができる。自分のペースでじっくりねっとりと遥か先にいる凛子の背中を睨みながら進んでいける。

 凡人をなめるなよ、この天才が。


「なんでこんなことするの? わたしに勝てないことくらい、下野だってわかってるよね?」


 マゾなの、という目で見てくる。マゾじゃねぇよ。だって負けてもぜんぜん気持ちよくないし。むしろイライラしちゃうし。気持ちよくなるとしたら、それは凛子に勝ったときだ。


「おまえが不調なのは……俺のせいかもしれないからな」


 かもしれないというか、そうなんだが。自分でも説明不足だとわかっているけど、とにかくそういうことだ。自分で引き起こしたことの後始末は自分でつける。


「べつに、わたしの調子が悪いのは下野のせいなんかじゃ……」


 凛子はすねたような目つきでこっちを睨んでくる。


「下野の言葉で不調になるなんて、そんなのゲームにも対戦相手にも失礼だよ。たしかにあんなこと言われてショックだったけど……それはそれだから。あんまり思いあがらないで」


 そんなふうに口で強がってみせても、現に凛子は調子が崩れている。俺のせいで成績に支障が出ている。

 凛子を復活させることができるのなら、この対戦には価値がある。

 闘志を燃やすのはいいが、そこに実力がともなうことはなく、日没になっても俺は一勝もできなかった。これが現実だ。

 そしてとうとうタイムリミットが訪れてしまう。


「もう家に帰るから。下野の部屋にいたこと、親にばれたくないし」


 凛子は座布団から立ちあがる。今度は引きとめても無駄だ。家族がからんでくるとなれば凛子は絶対に帰ってしまう。

 くそっ、まだ駄目だ。まだ凛子のなかで何も変わっちゃいない。まだ凛子にゲームのおもしろさを思い出させてやれてない。

 いくら頭を悩ませたところで時間は足りないし、俺の実力もあがらない。もう一回対戦したところで、敗北は自明の理だ。

 どうする? どうすればいい? どうすればこの窮地を突破できる?


「……明日も対戦するぞ」


 というセリフが、口をついて出てきた。


「は?」


 なに言ってんのこいつ、みたいな顔をして「は?」っていうのやめて。びっくりするから。

 咄嗟に名案なんて思いつかない。だったら予定を変更して、延長戦に持ち込むだけだ。


「いや、だから明日も対戦するぞってことを……」

「二回言わなくても聞こえてるけど?」


 そっちが二回言わせたんじゃん! そっちが「は?」って言うから、びびって二回言っちゃったんじゃん!

 凛子はあからさまにため息をつくと、唇をまげて俺を一瞥する。


「まぁ……気が向いたら」


 すごく上から目線だ。お願いしているのはこっちだけどさ、もっとまろやかな言い方ってもんがあるんじゃないの。冷たい目で見られてもぜんぜんゾクゾクしないので、やっぱり俺はマゾではないと思いました。

 凛子を玄関まで見送り、自室に戻ると『七人の幼馴染み』を我慢して、ラグエンをプレイする。すまない、二次元の幼馴染みたち。今はこっちが優先なんだ。許してくれ。

 俺はヴリュンヒルデを使い、オンライン対戦をしまくる。

 ちょっとでも勝率をあげるために、ネットの動画サイトでヴリュンヒルデのプレイ動画を視聴してコンボの参考にした。しかし見るのとやるのは大違いで、動画にアップされていたコンボを真似しようとしても、容易にはできなかった。

 それと過去の凛子の対戦動画も視聴した。弱点やクセはないか探ってみるが、あったとしても次の試合では改善していたりする。でも何か勝機につながるものが発見できるかもしれない。念のために凛子の対戦動画もなるだけ多く見ておこう。




 だが勝機につながりそうなものなんて、一つも発見できなかった。ヴリュンヒルデのコンボ練習もしたが、たった一日で新しいコンボが身につくはずもない。天才ならともかく、凡人には無理だ。しょせん俺はこの程度でしかなかった。わかっていた。わかっていたから気にしない。ほんとほんと、ほんと気にしてないよ。

 そして昨日に引き続いて今日も俺の部屋にやってきた凛子は、半眼になってあきれていた。


「これ……もしかしてわざわざ学校帰りに買ってきたの?」


 凛子が見ているのは新品のアケコンだ。

 そう、凛子にアケコンを使わせるために、わざわざ学校帰りにショップに立ち寄って購入してきた。学生にとって貴重なお小遣いを割いてだ。もちろん後で購入額を音葉さんに請求するつもりだ。俺ってばそこらへんはみみっちい。

 ちなみに凛子が昨日使っていたゲームパッドはクローゼットの奥に隠してある。どうだ、この完璧な作戦。選択肢は一つしかない。是非もなく凛子はアケコンを使わざるえない。


「べつにいいだろ。ほら、さっさと昨日の続きをしようぜ」


 新品のアケコンを1Pにつなぎ、古いほうのアケコンを2Pにつないで凛子に渡す。


「新しいの……自分で使うんだ」


 なにそのゴミを見るような目? そりゃ新しいの使うよ。俺の金で買ったんだから使いたいに決まってんじゃん。

 凛子はぶっちょう面で古いほうのアケコンを受けとった。いろいろ不満らしい。

 キャラクターセレクト画面になると、俺はヴリュンヒルデを選ぶ。

 凛子は……昨日は一度も使うことのなかった、持ちキャラのオーディンを選択した。


「とうとう本気を出す気になったか?」

「本気は出さない。本気でやるなら眼鏡をかけるから。ただ下野を絶望させるくらいには叩きのめすだけ」


 物騒だな。もしかして新品のアケコンを使えなかったの怒ってるのかい? どうもそれっぽいな。

 凛子は細やかな息をもらすと、独り言のようにつぶやいた。


「ねぇ下野。下野はどうして……」


 そこから先の言葉は、凛子が唇をつぐんだので霞のように消えてしまう。


「……やっぱ、なんでもない」


 凛子は背筋をまっすぐのばすと、テレビ画面に視線を向ける。

 途中まで言ってやめるのって反則だ。だって気になる。凛子は俺に何を訊きたかったんだ? 追及はしない。凛子が追及してほしくない顔をしているから。

 世界樹ユグドラシルの生えた対戦ステージになると、テレビ画面に目を向けてゲームに集中する。


 ROUND1 FIGHT


 同じオーディンでも、音葉さんの操作するオーディンとは全くモノが違った。同じキャラとは思えないほどの強さを発揮してくる。

 ヴリュンヒルデで立ち攻撃、空中攻撃、しゃがみ攻撃を叩き込むが、どれも完璧にガードされる。投げようとしたら、投げ抜けをされるか、もしくは投げる前に殴られてしまう。一向にダメージを与えられない。

 何も通じない。壊すことのできない壁がそこにある。

 巧みなガードをこなすオーディンに対して、俺のヴリュンヒルデはバコバコ攻撃を受けまくり急激な勢いでライフが減っていく。

 そしてヴリュンヒルデが壁際で投げ飛ばされてダウンすると、オーディンは力のルーンを使って自身の性能を強化してくる。

 ヴリュンヒルデは起きあがってしゃがみガードを固めたが、オーディンは立ち中攻撃を打ってきた。ヴリュンヒルデがダメージを受けると、しゃがみ中、しゃがみ強、立ち強、ゲリとフレキ、フギンとムニンとコンボをつなげてくる。

 そこからさらにオーディンは立ち中、立ち強と素早く繰り出してきたが……その二発はダウンしたヴリュンヒルデにヒットしなかった。


「やっぱりだめか……」


 凛子は気難しそうな顔でぼやく。

 もしかして、新しいコンボを模索していたのか? けどタイミングが合わずに失敗したらしい。こんなときまで可能性を探そうとするなんて、筋金入りの格ゲーマーだな。

 ヴリュンヒルデがダウンから起きあがると、オーディンはトドメを刺そうと躍りかかってくる。

 その瞬間、反射的に指が動く。ボタンを押してヴリュンヒルデが立ち強攻撃を出した。

 その打撃がたまたまオーディンにカウンターヒットする。


「おっ」


 あまりの驚きに、うっかりコンボをつなげるのを忘れてしまった。


「どうだ。ついに一発当てたぞ」

「まぐれで一発当たっただけで、喜びすぎ」


 すかさずオーディンはしゃがみ弱からのコンボを炸裂させて、ヴリュンヒルデをKOしてくる。

 試合を終えると、凛子は鬱陶しそうに前髪を指先ではらい、こっちを見てきた。


「もしかして今日もずっと対戦するつもりなの? 下野じゃわたしには勝てないのに」

「なんだ、まさか俺に一発もらって怖気づいたのか?」

「下野なんかに怖気づくわけないじゃん。調子に乗らないで」


 あぁそうですかい。サーセン。

 ムッとすると凛子はレバーを握りなおす。今日もとことん付き合ってくれるみたいだ。

 それからの試合でも、時おりヴリュンヒルデの攻撃はヒットしたが、勝ちに届くことはなかった。

 こいつって本当に強いんだなと、身を持って痛感させられる。悔しい。ムカつく。弱い自分が情けない。けど、それだけじゃない。それとは別の感情もある。

 俺の幼馴染みが強くてよかったと、安心している。

 格ゲーは相手を知る戦いだ。キャラの向こう側にいる人間を知ることで、互いの心を通わせる。

 ガキの頃は、当たり前のように心を通わせることができていた。けど、大きくなったらガキの頃にできていたことが難しくなった。

 いまはどうだろう? こうして凛子と対戦しているいまは、心を通わせることができているだろうか?

 できているとしたら、うれしい……と思う。そう思いたい。


「ねぇ下野……」


 凛子はアケコンの操作を止めると、ぽつりと名前を呼んできた。またさっきみたいに最後まで言わずに途中でやめるんじゃないかと思ったけど、そうじゃなかった。今度はちゃんと俺の目を見て訊いてくる。


「なんで下野は……わたしと対戦してくれなくなったの?」


 それは、ここ数年間ずっと凛子が抱え込んできた疑問だ。自分にゲームを教えてくれた相手が、いつの間にかゲームで遊んでくれなくなった。凛子からすれば、不条理だったはずだ。

 その疑問を、氷解させてやらなきゃいけない。


「現実を受け入れたくなかったんだよ。おまえに勝てなくなっていくのが悔しくて、おまえが特別な存在になっていくのが羨ましくて、だから現実を見ないように、おまえと対戦するのを避けるようになった」

「そう、だったんだ……。でもわたし、特別な存在なんかじゃないよ」


 それも特別な人間がよく言うセリフだ。わたし別にすごくないんですよアピール。本人は謙遜しているつもりだが、凡人からすれば嫌味にしか聞こえない。かといってクズミみたいに大っぴらに自分が天才だと公言してきたらアレはアレでムカつく。どちらにしろ天才はムカつくってことだ。


「駅前のゲーセンに昔一緒に通っていたの、忘れたフリをしてたけどな、あれウソだ。本当は覚えていた」

「……ひど」


 ウソをつかれていたことにまったく気づいてなかったらしく、薄目で睨んでくる。

 ゲーセンでの一件は俺にとってショックな出来事の一つだからな。覚えているなんて、軽々しくは言えない。


「じゃあ下野は……わたしのこと、きらいになったから遊ばなくなった、ってことでいいのかな?」

「いや……きらいとまではいかないんじゃないか。たぶん」

「そうなんだ……」


 憎んだり羨んだりはしたけど……きらいではなかったと思う。俺にも自分がどういう気持ちだったかはわからない。かといって別に好きなわけじゃないけどね。

 凛子はもう一度「そうなんだ」とつぶやくと、そこはかとなく目尻をゆるめた。


「でもわたしが強くなろうって思ったきっかけは、下野を見返すためだよ」

「見返すって……おまえが俺をか?」


 意味がわからない。凛子が俺よりも劣っている部分なんてありはしない。あるとしたらギャルゲーの知識量くらいだ。あと二次元の幼馴染みに対する愛な。これは誰にも負けない自信がある。


「やっぱり……忘れてる」


 凛子は落胆するように声のトーンをさげると、ちょっぴり頬をむくれさせて室内に視線をめぐらせた。


「この部屋ではじめて下野とラグエンで対戦したとき、わたし一度も勝てなかったよね」

「そりゃあ、はじめてやったんだからな」


 勝てるはずがない。あのとき凛子はまだ才能を開花させてなかった。嫌がる凛子に無理やりコントローラーを握らせたのは、なんとなく記憶にある。


「あのときさ……わたしが負けるたび、下野わたしのことバカにしてきたよね? ヘタクソとか、弱えぇとか、おまえみたいなザコは他にいないとか……わたしがやめてよって言ってもやめてくれなくて、わたしが泣いたら……ゲームで負けたくらいで泣くなよって指差して笑ってきた」


 えぇ~、なにそのクソガキ。サイテーじゃん。いや、俺なんだけど。やっべぇ、一ミリも覚えてねぇわ。あれかな? いじめられた側は覚えているけど、いじめた側は覚えてないパターンかな? だとしたらこれまで俺にひどいことをしてきた連中も何も覚えてないことになる。なんだよそれ、クソだな。

 それとゲームで泣くのは子供だけじゃない。大人も泣く。大会に来ている人達は勝っては泣き、負けては泣き、観戦しては泣いている。この前の都心の大会でも、泣いている選手を見かけた。


「まぁ……ガキだったからな。俺も悪気はなかったんだろ」

「わたし、男の子に泣かされたのなんてあのときがはじめてで、トラウマなんだけど?」


 いや、自分だけが辛かったみたいに言ってるけど、おまえだってそのあと俺に強烈なトラウマを植えつけるからね。才能の差というトラウマを。それを持ち出したらきりがないので口に出さないけどさ。リコリンだってやらかしているってことを忘れないでほしいな。


「あのとき一度も勝てなかったことが悔しくて、絶対に下野を負かして見返してやるって誓ったの」


 だから毎日のように俺の家に通いつめては、日が暮れるまでラグエンをプレイしてきたわけか。あの頃はまだかろうじて俺は凛子に勝つことができていたから、純粋に遊ぶことを楽しめていたな。

「そのうち下野以外のプレイヤーとも戦いたくなって、駅前のゲーセンに行ったよね。ラグエンの対戦台に座っていたおじさんに二人とも負けたけど、わたしはしつこく粘ってなんとか一勝することができた。はじめて誰かに勝てたから、あのときのうれしさは忘れない。対戦相手のおじさんは微妙な顔してたけど」

 そこは申し訳ないと思っているようだ。まさかあのおじさんも、その大はしゃぎする女の子が将来プロゲーマーになるなんて思ってもいなかっただろう。


「そしてあのとき、わたしのなかに明確な夢ができた」


 世界で一番、ゲームで強くなりたいという夢だ。

 俺と同じ夢だ。俺が叶えられなかった夢で、凛子が叶えた夢だ。

 中学のときに凛子はラグエンの世界大会で優勝した。だからその夢は叶えた。そして現在は、その夢を叶え続けるために戦っている。


「あのあとゲーセンから帰ったら、すぐにお父さんとお母さんにゲームがほしいってお願いしたんだ。最初は駄目だって断られたけど、何日も頼み込んだら了承してくれた。あんなに何かを手に入れたいって思ったのはじめてだった」


 おまえがゲーム機とソフトを購入したと聞かされたときは寒気がしたよ。そしてその懸念は本物だった。


「家でラグエンをやりこんで、次に下野と対戦したら勝つことができてうれしかった。やっと見返せたから、どうだって思った。なのに下野……ふてくされて口も利いてくれなかった」


 うわっ、マジでそのガキ腹立つな。わがまますぎるだろ。だからそいつ俺なんだって。


「下野と一緒にゲーセンに通っていた時期は楽しかったけど、あの頃からだったよね。下野が、わたしとの対戦を避けはじめたのって」

「そりゃおまえがめきめきと腕をあげていた時期だからな」

「……でも当時のわたしは何も知らなかった。下野に対戦を断られて、傷ついたよ」


 どうして対戦してくれないのか、わからなくて戸惑ったに違いない。辛かったに違いない。俺は自尊心を守るために、凛子の心を傷つけていた。


「それから自分がどのくらい強いのか知りたくて、腕試しに大会に出場してみることにした。一緒に出ようって誘ったのに、下野は断ったよね」

「おまえに勝てないことに、もう気づいてたからな」


 負けるのが怖くて逃げた。凛子も大会で負ければいいとゲスなことを考えていた。なのにこいつは優勝した。俺は甘い幻想を打ち砕かれて、夢から覚めた。


「いろいろぎくしゃくしてたけど、当日になったら下野はちゃんと応援しに来てくれたから、がんばろうってわたし思ったんだよ。がんばって優勝したらほめてくれるって、また一緒にゲームで遊んでくれるって、……なのに、わたしが優勝しても下野はほめてくれなかった。帰り道でどんなにがんばったか話しても、ろくに聞いてくれなかった」


 うらめしそうなジト目で睨んでくる。よっぽど根に持っているらしい。

 あのとき俺は放心状態だったからな。どんなに凛子が言葉をつくして話しても、ぜんぶ右から左にすっぽぬけていった。


「優勝したあと、対戦しようって誘っても、下野はもう対戦してくれなかった。ゲーム以外のことでも遊んでくれなくなって……」


 言葉を途中で区切ると、凛子は息を飲んで顔をうつむける。


「……さびしかった。きらわれたんじゃないかって……こわかった」


 胸に手を当てて、当時の想いを吐露する。

 あの頃、苦しんでいたのは俺だけじゃなかったってことだ。


「でもさっき、きらいじゃないって言われて……ほんの少しだけ救われたかも」


 それは俺も同じだ。あのころ凛子がどういう気持ちだったのかを知ることができて、ほんの少しだけど、夢を見ることをあきらめてしまった俺も救われた。


「だけどわたし……やめられなかった。下野がはなれていくとわかってても、きらわれると思ってても、一番になりたかったから。ゲームで強くなること、やめられなかった。自分が強くなることが楽しくてしょうがなかった。そういうところ、残酷なんだと思う」


 いいんだよそれで。ゲームに夢中になって、高みにのぼっていって輝きを放つ。そんなおまえに、俺は憧れたんだ。そんなおまえが、俺のヒーローなんだ。

 だからそれでいい。才能のない俺なんかおいていってかまわない。おまえはその才能を磨いて、ひたすら邁進すればいい。俺みたいな奴が嫉妬しても気にしちゃいけない。

 凛子はなにも、まちがっちゃいない。


「中学のときにラグエンの世界大会で優勝して、そのあともたくさんの大会で優勝して、プロゲーマーになれた。もともとプロになりたかったわけじゃないけど、プロになればこれからもずっとゲームをしていいって許されたみたいで安心できた」


 凛子が最も活躍できるのは、やはりゲームの世界だ。そのゲームで食べていけることは、凛子にとって素晴らしいことだ。

 そんな凛子に中学生の俺はふつふつと憎悪の炎を燃やしていた。わりと今も燃やしているけど。


「でも、プロになったらいいことばかりじゃなかった。期待と注目を寄せられてプレッシャーがかかるし、オタクだって揶揄されたりもするし、それに……」


 指先をのばして膝に乗せたアケコンのレバーに触れる。凛子は見飽きてしまった映画をまた観賞しなきゃいけなくなったような、辟易とした表情になる。


「わたしが強くなろうってがんばると、遠巻きに妬んでくる人達が現れる。そういう人達は、わたしが負けたら悪意を向けくるのに、勝っても祝福はしてくれない」


 俺もそういう連中の一人だ。凛子に対する嫉妬心は押さえようがない。自分ではコントロールできない。

 凛子に悪意が向けられると不愉快になるときもあるけど、気分次第では喜んでしまうときもある。それは俺が才能のない凡人だからだ。才能に恵まれた凛子が羨ましいからだ。

 そして凛子の口にした葛藤は、才能に恵まれた者ならではの葛藤で、俺からすればぜいたくな悩みだ。そんな葛藤を、俺ら凡人は抱くことさえできない。


「話が長くなっちゃったね。やろっか、対戦」

「あぁ……」


 どちらからともなく、アケコンを操作して対戦を再開する。

 それから会話という会話はなく、ひたすら無言で対戦した。というか俺のヴリュンヒルデがフルボッコにされまくった。勝ち星は今日も取れない。


「そろそろ帰るね」


 窓の外の景色が暗くなると、凛子は座布団から立ちあがる。


「明日も勝負するぞ」


 まだ終わりじゃないと、座ったまま凛子を見上げて言う。

 凛子は無表情のままこっちを一瞥すると、何も言わずに部屋から出ていった。

 ……無視ですか。そうですか。別にいいけどね。他人から無視されることには慣れている。慣れているといっても平気なわけじゃない。傷ついたりするよ。だって俺、人間だもの。

 二次元の幼馴染みだったら絶対に無視なんてしない。テキスト画面で話しかれば必ず反応してくれる。あ~ぁ、なんだか無性に『七人の幼馴染み』のヒロイン達に会いたくなってきた。

 しかしたえろ。今夜もラグエンをプレイして精進せねばならない。なぜ二次元の幼馴染みよりも三次元の幼馴染みなんかに心を砕かねばならんのか、不可解ではあるが、ここまできたらやめるわけにはいかない。とことんやりきってやる。




 さて、今日も家の前で凛子を待ちぶせしよう。ここだけ聞くと完全に犯罪者だな。

 学校から帰宅すると、部屋で制服の上着を脱いで一階に降りる。

 靴をはいて玄関の扉を開けたら、


「あっ……」


 扉のすぐ向こうに身をのけぞらせる凛子が立っていた。今日は自分から出向いてきたようだ。脇にはイナズマデザインのロゴが刻まれた専用のアケコンをかかえている。

 そして顔には、伊達眼鏡をかけていた。


「俺相手に眼鏡はかけないんじゃなかったのか?」


 素朴な疑問を投げかけたつもりだったが、それを挑発と受けとったのか凛子はムッとする。あら、こわい。


「これ以上、下野にまとわりつかれるのはうざいから。最後に本気出して徹底的に叩き潰すことにした」


 そうですかい。

 本気の凛子とやりあえるなんて願ったり叶ったりだ。これはドM的な意味ではなく、ついに凛子の本気を引き出してやったぜという意味だ。今までの苦労は無駄じゃなかった。

 二階の自室に場所を移すと、対戦準備をする。

 眼鏡をかけているせいか、隣に座る凛子は昨日よりも存在感がある。近くにいると皮膚がしびれて背筋がぞわっとした。

 1Pを操作する俺は、もちろんヴリュンヒルデを選ぶ。

 2Pに自分のアケコンをつないだ凛子は、持ちキャラのオーディンを選んだ。

 胸の鼓動は……穏やかだ。どうしてだろう、昔はあんなに凛子と対戦するのが怖かったのに、今は楽しい。そりゃあたくさん負けたのは屈辱だったけど、それでも楽しいと感じる。こんな気持ちになるのは子供のとき以来だ。

 凛子はどうだろう? 俺との対戦を楽しいと感じてくれているのか? それを本人に尋ねる度胸はない。だから信じよう。凛子も俺と同じ気持ちだと。

 画面が灼熱の国ムスペルヘイムの対戦ステージに切り替わる。


「……今日は勝つからな」


 勝利を宣告しておく。確信なんてない、ただのハッタリだ。

 凛子はフッと微笑を浮かべた。


「無理だよ。だって勝つのはわたしだもん」


 その絶対の自信を崩してやる。それくらいの気概で挑む。負けるつもりはない。全力で勝ちにいく。長い格ゲー人生でつちかってきたすべてをぶつける。


 ROUND1 FIGHT


 レバーを操作して、リズミカルにボタンを押した。加減なんてしない。自分のなかにあるものを一滴残らずしぼりつくす。この一瞬に全身全霊をかける。

 でも……勝てなかった。負けた。二本先取のストレート負け。オーディンのライフは少しも減らせなかった。完敗だ。

 現実は厳しい。アニメや漫画みたいにはいかない。奇跡は起きない。凡人では天才には敵わない。下野平太では逆立ちしても天宮凛子には勝てない。

 けど、心をゆさぶることはできたかもしれない。ゲームがおもしろいって、そう凛子に思い出させてやれたかもしれない。

 だって試合を終えたあとの凛子は、ひさびさに日の光をあびたヒマワリのような穏やかな表情をしていたから。


「はぁ~あ」


 凛子は座ったまま背中を後ろにそらしてのびをすると、長い長い吐息をついた。


「とうとう本気で、下野に勝っちゃったね」


 自分のなかで区切りつけるように凛子は言う。


「そうだな。おまえの勝ちだ」


 敗北を認める。たぶん何度やっても結果は変わらない。俺がどんなにがんばっても、凛子には一生勝てない。だって凛子は俺よりもがんばるし、俺よりも才能がある。その認めたくない事実を、嫌悪感を抱くことなく認めることができた。

 やっと、認めることができた。その現実を受け入れられた。

 俺と凛子の戦いは、これで終わったんだ。


「今日はもう帰るね。爆神祭の予選も近いし、練習しないといけないから」

「そうか……」


 うん、とうなづいて凛子は立ちあがる。

 二人で一階におりて、玄関まで凛子を見送った。


「下野……その……」


 自分のアケコンを胸に抱きながら凛子はもじもじと腰をくねらせる。胸に抱いてるのがアケコンじゃなくてクマのぬいぐるみとかだったらかわいかったかもしれない。いや、アケコンでもかわいい……かもしれない。


「……ありがとう」


 顔をうつむけてお礼を口ずさむと、凛子は玄関から出ていった。

 唇の形は小さく笑っていた……ように見えなくもなかった。よくわからない。

 そして自分の心境もよくわからない。大敗を喫したというのに、俺はまったくムカついてない。憂鬱でもない。

 不思議だ。こんなふうに胸がすっとするような敗北もあるんだな。

 自嘲気味に口元をゆがめる。これで俺の役目は終わった。もう何も凛子にしてやれることはない。それに凛子のことだ。俺が何もしなくても、あとは勝手に自分でやってしまうだろう。

 この三日間のように、もう一緒に肩を並べてゲームをすることはない。一抹のさびしさを感じないと言えばウソになるけど、これでいい。

 そう自分に言い聞かせて、俺は凛子が出ていった玄関の鍵を閉めた。



     ◇



 翌日から凛子は爆神祭の予選に向けて猛練習を開始する。学校から帰ると部屋にこもってコンボ練習やプレイスタイルの研究なんかに精を出す。俺にかまってる時間はない。

 そう思っていたが……。


「おまえ、なんで俺の部屋にいんの?」

「は?」


 いや、「は?」じゃないよね? ここ俺の部屋だよね。

 俺との対戦は昨日で終わったので、今日から凛子は自分の家で猛練習にはげむとばかり思っていたのに、学校から帰ってきたらふつうにうちにやってきて、我が物顔でラグエンをやり始めましたよ、この幼馴染み。

 返して、俺の一抹のさびしさを! これで俺の役目は終わったとかニヒルを気取った恥ずかしさを! 今日から好きなだけ『七人の幼馴染み』をプレイできるぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっていう喜びを返して!


「もしかして……迷惑だった」


 おずおずと凛子は生まれたての赤ちゃんウサギのような、かよわい目つきで問いかけてくる。


「いや、まぁ……べつにいいけど」


 凛子はふぅと胸を撫で下ろすと、ラグエンの練習を再開する。

 ……ずるくね? あんな目されたら断れるわけねぇじゃん。あんな目で見られても断れるのは鬼畜系主人公だけだ。

 ていうかなんだろう。凛子と目があったら、胸のあたりが妙にもやもやして変な気持ちになった。変な気持ちというのは悶々したという意味ではないので誤解しないように。じゃあなんなのかと訊かれても、うまく言葉では表現できない。

 これはたぶん、あれだな。二次元の幼馴染みたちに対する罪の意識だな。プレイできなくて申し訳なく思っているんだ。きっとそうに違いない。断じて凛子に対しての感情ではない。ごめんよ、二次元の幼馴染みたち。あとでたっぷり相手してあげるから許してくれ。

 テレビ画面に視線をやると、凛子は難易度エキスパートのCPUが操るロキを壁際に追い込み、オーディンの打撃を叩き込んでいろいろ試していた。

 ロキがダウンから立ちあがり攻撃を仕掛けてくるが、コンマ数秒だけ早く攻撃していたオーディンの立ち中がカウンターヒットする。

 のけぞったロキにオーディンは追撃のコンボを叩き込んでKOした。


「……そっか。カウンターヒットなら二撃目からものけぞり時間が長引く。もしかしたら壁際でなら……」


 ぶつぶつと独り言を口ずさむと、凛子はまたCPUとの対戦を再開する。敵キャラを壁際に追い込み、積極的にカウンターヒットを狙う。壁際でカウンターヒットを決めてからのコンボ練習をしている。

 誰も見たことない新しい景色を生み出すのがプロの仕事。以前、凛子はそう言っていた。それを実現しようとしている。

 三十分ほどコンボ練習に費やすと、凛子はアケコンから手をはなした。スカートのポケットからスマホをとりだして、なにやら動画を見始める。

 だから俺がすげぇヒマになる。さっきまでもヒマだったけど、一応は凛子が練習しているところを見ていたので退屈はしなかった。だけど凛子が練習をやめたら、何もすることがない。

 なので所在なさげに尋ねてみる。


「おまえ、なに見てんの?」

「クズミの対戦動画」


 なるほど。次は勝つ気まんまんというわけか。


「やっぱそういうの見て、人読みとか対策の参考にしたりするのか?」

「ううん、ただ見てるだけ。相手のプレイスタイルを研究したところで、相手が成長していたら意味ないし。第一、人読みや対策は汎用性に欠ける。それよりもいろんなプレイヤーに対応できる地力を育てたほうがいい」


 格ゲーを極限までやりこんだ強者ならではの持論だな。俺は対戦相手を研究して勝ちにいくやり方も、それはそれでありだと思うが。

 凛子はスマホをしまうと、女の子座りしたまま首だけでこっちを向いてくる。


「ねぇ下野。ヒマだよね?」


 なにその言い方? イラッときた。ヒマだけどさ。なんかニートの息子にお使いを頼むお母さんみたいな決めてかかる口調でイラッときた。


「もしよかったら、付き合ってほしいんだけど?」

「付き合うって……」


 恋人同士になっていちゃいちゃしょうってか? うん、違うね。そんなん三次元の幼馴染みとは想像できんわ。二次元の幼馴染みとなら、もう百人以上と付き合ってるけどね。


「スパーリングしたいから、いろんなキャラを使ってわたしと戦ってみて」

「サンドバッグになれってか?」

「サンドバッグじゃなくて、スパーリング」


 ムッと唇をとがらせてスパーリングだと主張するリコリン。なにその妙なこだわり? 俺にいろんなキャラを使っておまえにボコられろってことだよね? サンドバッグじゃん。もろサンドバッグじゃん。

 まぁいろんなキャラへの対応力を鍛えようとしているんだってことは察しがつくけどさ。


「そういうのは俺よりも強い人に頼めばいいだろ。プロゲーマーの知り合いとかに」

「近いうちに、先輩のプロゲーマーとも練習するつもりだけど……」


 先輩のプロゲーマー。その単語が凛子の口から出た途端に、胸のあたりがキュッとした。

 先輩のプロゲーマーって、凛子と一緒に都心のゲーセンに通っている男だ。プロというくらいだから、俺なんかよりも遥かにゲームの腕が立つだろう。そんな相手がいるのなら、俺じゃなくてそいつとスパーリングでもなんでもすればいい。あぁすればいいさ! ラブラブちゅちゅすればいいさ! ついでにゲーム以外のスパーリングもしてくるんだろ! ゲームが強い者同士、さぞお似合いのカップルでしょうね! あ~いやらしいいやらしい。これだから三次元の幼馴染みは好きになれない。もともと好きじゃないけどね。


「下野? 急に黙りこんでどうしたの?」

「いや……」


 ぼりぼりと頬をかいて目をそらす。なんか。凛子と顔を合わせていられない。


「その先輩の男がいるのなら、わざわざ俺がやらなくてもいいだろ?」

「は?」


 でたよ、「は?」。むしろこっちが「は?」って言いたい。言わないけどね。言ったらよくない空気になりそうだし。なるべく波風は立てたくない。


「……わたし、男のプロゲーマーの人と練習とかしないよ」

「は?」


 あっ、「は?」って言っちゃった。これあれね、思わず出ちゃうのね。でもそれは凛子が矛盾したことを言うからだ。


「おまえ、先輩のプロゲーマーと都心のゲーセンに行ったりするんだろ?」

「うん、行くけど」


 ほぉら! ほぉらああああああああ! やっぱり行ってんじゃん! 行っていろいろやってんじゃん! なに堂々とウソついてんだよ!


「でもその人、女だよ」

「………………へぇ、そう」


 ふ~ん。ほぉ~ん。はぁ~ん。

 女……女ね。

 女って、凛子と同じ性別の人ね。

 ……そっか。だったらはじめからそう言えばいいのに。そしたら……ねぇ? 勘違いとかしなかったのにね。

 というか俺はどうしてこんなにホッとしているんでしょうか? べつに凛子が知らない男とどこかに出かけようが関係ないし、ちっとも気にならない。……いや、まぁ一応はガキの頃からの知り合いで幼馴染みなわけだから、ちっとは気になるよ。ちっとはね。


「わたし、プライベートでは男の人と会ったりしないよ。会うのは……下野だけだから」


 頬に朱色をにじませて、凛子はそっぽを向く。

 そういう思わせぶりな態度はやめてほしい。俺にほれてんのかよって勘違いして好きになっちゃうじゃん。ならんけどね。どうせ告白してもふられるし。このまえイケメンに告白されてもゲームに集中したいって理由で断ってたし。

 凛子は異性と交際するよりも、格ゲーのほうが好きなんだ。だから誰に言い寄られても断っている。なので俺も勘違いはしない。いたずらに好意を寄せたりしたら、もともと気まずかった関係がさらにこじれる。そんなバッドエンドはごめんだ。

 こいつはただの幼馴染み。幼馴染みのなかでも、かなり微妙な幼馴染みだ。それ以上でもそれ以下でもない。だから軽率に凛子の心に踏み込んだりはしない。


「えっと……それでスパーリングだけど、だめかな? 近いうちに先輩のプロゲーマーとも練習するつもりだけど、いまは下野に付き合ってほしいから」


 祈るように胸のところで両手を組み、凛子は照れくさそうにこっちを見てくる。ツンデレヒロインに見えなくもない。たぶんこれはデレじゃないけど。


「前もって言っておくが、俺は上手なサンドバッグにはなれないぞ。かなり打たれ弱いからな」

「だからサンドバッグじゃなくてスパーリング」


 ぷくっと凛子は頬をふくらませる。俺が億劫そうにアケコンを手にすると、ふくれっ面をゆるめて微笑んでくれた。

 ついその笑顔に、見惚れそうになる。

 ……あぶない、あぶない。本気で勘違いしちまいそうだ。




 学校から帰ってくるとパソコンを起動する。昨日の休日は爆神祭の予選が行われた。凛子もこのへんのエリア予選に参加していたはずだ。観戦に行こうかどうか迷ったが、応援に来てほしいと頼まれたわけじゃないので行かなかった。結果がどうなかったのかは知らない。

 そろそろサイトに全国決勝に駒を進めた選手の名前がアップされているはずだ。そこにリンというプレイヤーネームが載っているかどうか、やきもきしながらチェックする。

 ちなみに学校で凛子に聞くという手段もあったが、それはできなかった。だってほら、学校で話しかけるとかね、できないじゃん。あいつ美少女だし、モテるし。俺みたいな根暗男が話しかけちゃいけない暗黙のルールが定められている。周りの目だってあるしね。ついでにあっちから話しかけてくることもなかった。要するに俺に話すつもりはないということだ。というわけで、ネットでこっそり確認する所存です。

 マウスをつかみカーソルを操作しようとしたら、ピンポーンとインターホンが鳴る。居留守を習慣化させている俺には何も聞こえないので無視します。

 しばしの間があくと、またピンポーンと鳴る。無視だ、無視無視。

 そして……ピポピポピポピポピポピポピポピポピポとインターホンが凄まじい騒音となって聴覚に襲いかかってきた。

 誰だぁ! 人ん家のインターホンを超速で連打しているバカは! というかこんなことをするバカは一人しかいない。

 どたどたと階段をおりていき、玄関まで走って扉を開ける。


「……なんで出ないの?」


 凛子が憮然とした面持ちでそこに立っていた。


「……便所にこもってたんだよ」


 前回と同じ言い訳をすると、うっと凛子は渋面になる。

 だからそれやめてね。傷つくから。俺が汚いものみたいじゃん。ちゃんと手とか洗ってるよ。


「で、なんの用だよ?」


 わざわざ訊かなくても察しはついているが、あえて促した。このタイミングで訪ねてきたら、用件は一つしかない。


「うん、昨日は爆神祭の予選があったから」

「そうか……。で、どうだったんだ?」


 なんかドキドキしてきた。娘の受験の合格発表を見守るお母さんって、こんな気持ちなのかしら?

 凛子はこくりとうなづき、屈託のない笑みを浮かべる。


「ちゃんと戦えたよ。予選を突破して、全国決勝に出場することが決まった」


 たちまち体中に走っていた緊張が抜けていく。これで予選を突破できてなかったら、シャレになってなかった。なぐさめの言葉とかすぐには思いつかないので、あたふたと取り乱していたに違いない。


「まぁ……なんだ、おめでとさん」


 凛子の目を見ないようにしながら、声量を低めて祝いの言葉を送る。

 ありがと、と凛子も俺の目を見ないで返事をした。

 こんな何気ないやりとりでも、変な空気が流れてしまう。二次元の幼馴染みとならもっとスムーズに会話できるのに、三次元ではそうはいかない。つくづく現実ってのは難しい。

 で、用件は済んだはずなのに、まだ凛子は玄関前に突っ立っている。一向に帰ろうとしない。唇をもごもごさせて、何か言いたそうにしていた。


「あのさ……全国決勝だけど……よかったら、下野もくる?」


 かすかに声を震わせて、応援しに来てほしいと言ってきた。

 ぐっと息を飲む。

 凛子が活躍するところなんて見たくない。見てしまったら、心が乱れる。ていうか気分を害する。

 じゃあ行かないのかと問われたら……そんなの肯定できるわけがなかった。

 そもそも凛子が不調におちいったのは俺が原因だ。最後まで見守る責任……みたいなものがある。


「べつに、行ってもいいけど」


 我ながらなんてぶっきらぼうなんだ。もっと普通に行くと言えばいいのに。

 そっか、と凛子は口の端を弛緩させて柔和な笑みをつくる。


「えっと、それじゃあ……」


 凛子はこっちを見たまま後ろ足で一歩下がると、右手を肩の位置まであげて小さく手を振ってきた。


「……おう」


 相槌を打つだけにとどめておく。つい手を振り返しそうになったが、それは照れくさいのでやめておいた。手なんか振り返したら、まるで仲の良い幼馴染みだ。いや、幼馴染みなんだけどね。仲は良くないけど。

 凛子は背中を向けると、跳ねるような軽い足取りで家に帰っていった。

 俺は玄関の扉を閉めると、ふぅ~と唇をすぼめて息を吹いた。

 凛子の応援か……。

 はじめて凛子が地元の大会に出場したときも応援しにいった。あの頃は下心があって、凛子が負ければいいと思っていた。

 果たして今回は、純粋な気持ちで凛子を応援することができるだろうか?

 無理だろうな……たぶん。

 大会がはじまる前から、そう確信していた。



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