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幼馴染みとゲーセン




 俺にしては珍しく休日の昼間から外出していた。いつもなら部屋に引きこもってゲームしてるか、漫画読んでるか、アニメ見てるか、ネットサーフィンしてるかのどれかだ。ふっ、インドアの権化のような男だぜ。

 久しぶりに足を運んだのは、駅前にある三階建てのゲームセンター。昔はよく凛子と一緒に遊びに来ていた場所だ。先日凛子のプレイを目の当たりにしたせいか、思い出したようにここに足が向いてしまった。

 この店の他にも、たまに地元のゲーセンに行ったりするが、俺の腕前は勝ったり負けたりと平凡なレベルだ。スコアランキングにのったりすることはまずない。

 店内には色とりどりのネオンサインが飾られていて、ゲーセン独特の騒々しい電子音が四方八方から飛んでくる。

 店内の客層は子供だけじゃない。若いあんちゃんや女の人もいる。年寄りも数名いて、交流の場に利用しているようだ。平日だと夕方からサラリーマンがやって来たりもする。ゲーセンを訪れる客は老若男女を問わない。

 ゲーセンの店舗は全盛期に比べたら全国的に激減している。閉店の理由はソーシャルゲームや家庭用ゲーム機の進化により、ゲーセンに通う人が少なくなったことや、建物の老朽化などさまざまだ。

 田舎のゲーセンとかだと、そもそも格ゲーの筐体が置いてなかったりするらしい。

 エスカレーターを使って二階にある格闘ゲームコーナーにやってくる。

 二階にはいくつもの対戦台が並び、フロアを埋めつくしていた。

 ラグエンXⅢの筐体を探して近づいていくと……。


「げっ……」


 ポロシャツにジーパンをはいた幼馴染みと出くわした。

 ……なんでいんだよ。いや、いてもおかしくないけどさ。

 ちなみに今の「げっ」は、凛子の発したものだ。人の顔を見るなり「げっ」ってめちゃくちゃ失礼だな。俺もちょっと「げっ」って言いそうになったよ。

 凛子は居心地が悪そうに視線を泳がせると……ため息をついて歩み寄ってきた。


「下野……なにしてるの?」

「家にいてもヒマだからな、ゲーセンをぶらついてた。そういうおまえこそ、なにしてんだよ」

「ちょっと、野試合でもしようかなって」


 野試合というのは、ゲーセンで戦うことを指す言葉だ。

 そういえば前に雑誌で読んだが、プロゲーマーにもいろいろなタイプがいるらしい。仕事場である自宅や事務所でしかゲームをしない人もいれば、ゲーセンに通う人もいる。また自宅ではまったくゲームをしないで、ひたすらゲーセンでしかゲームをしない稀な人もいるそうだ。


「もしかして下野、ラグエンしにきたの?」


 図星だった。図星だったが、認めたくはなかった。


「べつに、そういうわけじゃねぇけど」

「そうなんだ……」


 ちょっぴり残念そうに凛子は顔をうつむけた。

 いや、そこで納得されても困るんだけどね。本当はラグエンをやりにきたよ。でも凛子がいる前ではやりたくない。そんなちっぽけなプライドを俺は守りたかった。


「じゃあわたし、ラグエンやるね」


 やりたいならどうぞお好きに、勝手にやればいい。俺に断りを入れる必要はない。ないが何も言わずにやられたら、それはそれで腹が立つ。

 凛子はラグエンの対戦台に座ると、財布から百円玉を取り出して投入。それからラグエンXⅢのカードを握って、画面下のカードリーダーにかざした。

 アーケードゲームにはカードシステムが搭載されていて、全国ランキング制度がある。オンラインのプレイヤーと対戦することも可能だ。

 凛子の階級は最高位のラグナロク級、勝率はなんと九五%以上。もうバケモノだな。こいつやっぱ人間じゃねぇよ。

 アーケードモードを選択すると、持ちキャラのオーディンを使い、CPUをボコりはじめる。どうせ凛子が勝つとわかっているからか、一方的にボコられるCPUが痛ましく思えてならない。


「むかしは……ここのゲーセンに来てたりしたよね、二人で」


 対戦台の画面に目を向けたまま、こちらを見ようともせずに凛子は投げかけてきた。


「そうだったか?」

「うん、そうだよ」

「ふぅん……」


 いや、覚えてるけどね。はっきりとめちゃくちゃ覚えてるけどね。覚えてるけど、あえて知らないふりをしてみました。だってあの頃のことは語りたくない。ぐんぐん強くなっていく凛子をそばで見てて辛かった。そのことをわざわざ言葉にするのは苦痛だ。

 このままこの話を掘り下げるのは、精神衛生状よろしくない。別の話題を振ろう。


「おまえ、今でもゲーセンに通ったりしてんだな」

「は?」


 だからさ、やめようね、その「は?」。悪いクセだよ。言われた側はドキッとしちゃうよ。


「わたしは地元のゲーセンにも行くし、先輩のプロゲーマーと都心のゲーセンで練習したりもするから」


 先輩ねぇ。その先輩って……男だろうな、たぶん。ていうか絶対に男だ。プロゲーマーの大半が男だしな。

 二人でゲーセンに行って、仲睦まじくゲームの練習をしてんでしょうね。もちろんその後はゲーム以外のこともやってるのかな? まぁやってるんだろうよ。手取り足取りいろいろ教わってるんでしょうよ。あぁ~、いやらしい、いやらしい。これだから最近の若人は。

 そして優秀な奴というのは得てして優秀な奴同士で集まる。才能のない奴は仲間に入れてもらえない。ほんと胸糞悪い。

 いいんだ、いいんだ。俺には二次元の幼馴染みがいるから。リアル幼馴染みがどこの誰とゲーセンに行こうが知ったこっちゃない。

 俺だって『七人の幼馴染み』の隠しヒロイン、なんと八人目の幼馴染みであるまなかちゃんとゲーセンにデートに行ったもんね。ゲームのなかでもゲーセンに行くって、もう現実と二次元どちらがゲームだか区別がつかないな。いや、つくけどさ。

 とりあえずまなかちゃんの登場には恐れ入った。タイトルが『七人の幼馴染み』だから、てっきり幼馴染みは七人だとばかり思い込んでいた。先入観にとらわれて勝手に決めつけていた。それがだよ。なんと八人目の幼馴染みがいたんだよ。なんというサプライズ。幼馴染み好きの俺からすれば、たまらないね。やられたよ。シナリオライターの手腕にやられたよ。

 って、いかんいかん。ついにやけてしまった。凛子のプレイを後ろから見ながらにやにやしてるって、傍目からだとまるっきり変質者だ。表情筋を引きしめよう。


「ねぇ、下野」

「ん? なんだ」

「よかったら……対戦してみない?」


 またかよ。だからおまえとは対戦しないって。どうせ負けるんだし。


「……それどろこじゃないっぽいぞ」


 反対側の対戦台に二十歳くらいのお兄さんが座った。画面がアーケードモードから、対戦モードに切り替わる。お兄さんが乱入して凛子に試合を申し込んできた。


「そうだね……」


 凛子はほんのわずかに眉尻をさげるが、すぐに真剣な顔になって画面を睨みつける。

 試合結果は言わずもがな、凛子の圧勝だ。二本先取のストレート勝ちを決めた。しかも二本目はライフを一ドットも削られることなくパーフェクト勝ちだ。

 お兄さんは立ちあがると、渋い顔をして対戦台からどいた。すると今度はお兄さんの後ろに立っていた中学生くらいの少年が試合を申し込んでくる。

 ゲーセンでは負けたら立って、次の人に席をゆずらないといけない。それがマナーだ。

 少年がKOされると、また別の客が対戦を申し込んでくる。他のプレイヤーも強い奴がいると嗅ぎつけたのか、反対側の対戦台に五人の男達が並ぶ。並んだプレイヤー達は次々とKOされていき、対戦台から弾かれていった。そのたびに列に並ぶ人が増えていく。なんか、あっち側だけ人口密度が高くなってるぞ。


「おい、あれってリコリンじゃないか?」

「おっ、マジだ。眼鏡かけてないからわかんなかった」


 反対側の列に並ぶ一部のプレイヤーが色めき立つ。どうやら凛子がプロゲーマーだと知っていたらしい。

 ルックスがいい凛子は、ゲーム業界ではちょっとしたアイドルだ。はしゃぎたくなる気持ちはわかる。俺だって二次元の幼馴染みに声を当てている声優さんに会ったら、絶対テンションあがるもん。


「普段は、あんまりばれないんだけど」


 ぼそりと、凛子はつぶやいた。もしかして俺への弁解のつもりか。別に俺は気にしてない。これで凛子と対戦しなくて済んだから、かえって助かっている。

 こちら側の台でプレイしていた客達も反対側にまわりこんでいく。なんか大行列ができつつあった。みんな凛子と戦いたくてたまらないんだ。

 凛子の操るオーディンは、優勢になっても一気に畳み掛けない。逆に劣勢になっても弱腰にならず、安定したプレイを維持して連勝記録を重ねていく。

 並んだプレイヤー達は対戦台についてはKOされて弾かれる。その光景がひたすらリピートされた。

 あれだな……こういうことを考えたら、凛子や他のプレイヤー達に失礼だけど、一種のSMプレイに見えなくもない。凛子が女王様で、行列に並んだプレイヤー達が鞭でぶっ叩かれるのを今か今かと待ちわびる豚どもだ。うわっ、俺ってばゲスイ!

 周囲を見渡せば、行列に並ぶプレイヤーだけでなく観戦客も増えていた。格ゲーコーナーに人だかりができると、みんな対戦内容についてあれやこれやと語りあう。

 この状況は芳しくない。俺ってば人ごみは苦手なんだよね。ここはみんなの邪魔にならないように、そおっとこの場から退散しよう。


「……どこいくの?」


 びくっと竦みあがって足が止まる。

 黙って帰ってしまおうとする友達を引きとめるような、さびしそうな声音で凛子は訊いてきた。こっちを見てないのに、なぜ俺が逃げようとしているのがわかった? おまえはエスパーか?


「ちょっと喉がかわいたから、なんか飲んでくる」

「そう……」


 しゅんとしながらも、凛子はレバーとボタンを高速で操作する手はゆるめず、敵キャラクターに打撃を叩き込んでKOする。

 俺はなるべく足音を立てないように歩き、凛子からはなれていった。

 格ゲーコーナーを出て一階に降りると、だいぶ気が楽になる。電子音の騒々しさは相変わらずだが、格ゲーについて語る人々の声はしない。凛子の超絶プレイもここでなら目に入らない。

 自販機で冷えた紅茶を買って喉に流しこんだ。んあっ、とうなり声をあげる。なんか今の、酒を飲んだときのうちの親父に似ているな。

 フロアの片隅にあるベンチに腰掛けると、ぼんやりと何もない宙を凝視する。次第に店内に鳴り響く電子音が遠ざかり、気にならなくなっていった。

 そして、古い思い出が脳裏をよぎる。

 ガキの頃……世界で一番、ゲームで強くなりたいと思っていた。

 ラグエンシリーズの四作品目を親に買ってもらってハマり、ラスボスまで倒せたから、俺は強いんだと調子に乗っていた。

 一緒に対戦しようぜ、と家に遊びにきた凛子を誘ってみたけど、凛子は見てるだけでいいと言って首を縦には振らなかった。それだとつまらなかったので、無理やり2Pコントローラーを押しつけて対戦させた。

 テレビゲームを初めてプレイする凛子は、わっわっと慌てながらたどたどしくボタンを押していた。キャラ操作がままならず、ボコボコにするのは簡単だった。あのときは凛子が下手くそだと思っていたけど、初心者なんだから下手くそなのは当たり前だ。そんな初心者を負かしたくらいで、いい気になっていた俺のほうがどうかしている。

 凛子は当時から負けず嫌いな面があったので、もう一回と言って挑んできた。俺は負けることはなかったが、そのもう一回を日没まで聞くハメになって体力的にキツかった。

 それから凛子は毎日のように俺の家に通いつめて、ラグエンの対戦を申し込んできた。ことごとく返り討ちにしてやったが、一ラウンドを取られたり、ぎりぎり負けそうになったりと、危ない局面はいくつもあった。こうして振り返ってみれば、急激に差が縮まっていたのは自明なのに、ガキの頃の俺はそれでも凛子は弱いんだと思いこんでいた。おめでたいにもほどがある。

 ある日、凛子は駅前のゲームセンターに行こうと目を輝かせて誘ってきた。俺は知っていたことだが、凛子は対戦ゲームの筐体というものをその時期に初めて知ったらしい。ゲーセンに行けば俺以外の人ともラグエンで対戦できるからという理由で、凛子はゲーセンに行きたがった。

 俺も凛子以外の人と対戦したかったので、やぶさかではなかったな。

 凛子と二人でゲーセンを訪れたら、ラグエンを探してうろつきまわり、二階に並んだ対戦台を発見した。ラグエンの対戦台には既に中年のおじさんが座っていたので、俺達は反対側の台にまわりこんだ。

 どっちが先にやるかジャンケンで決めると、勝った俺は対戦台についた。ゲーセンの筐体はレバー操作で家庭用のゲームパッドと勝手は違うが、まぁ大丈夫だろうと根拠のない自信があった。ラグエンをプレイすることが単純に楽しくてしょうがなかったんだ。

 百円玉を投入すると対戦モードが開始された。キャラを選び、先にプレイしていたおじさんに勝負を挑んだ。

 そして俺は……手も足も出ずに叩きのめされた。

 信じられなかった。自分が負けるなんて想像もしてなかったから。ラスボスまで倒した俺は強いんだと信じていたのに、その鼻っ柱をたやすくへし折られた。

 それでようやく、俺は思いあがっていただけなんだと知った。俺よりも強いプレイヤーはたくさんいる。自分は強くもなければ才能があるわけでもない。ゲーセンに行ったら、普通に負けるレベルのプレイヤーなんだ。

 しばらく呆然としていたら、凛子に「早く変わって」とせっつかれた。改めて自分が敗北したんだと理解すると、やっぱり家のコントローラーとは違うとか、今日はなんか調子悪いとか、みっともない言い訳をまくし立てた。負けたのが格好悪くて、素直に認めたくなかった。思い返せば返すほど、俺ってクソガキだったんだな。

 そして交替した凛子もあっさりと負けた。負けたけど、凛子はすぐにまた百円玉を投入して再戦を申し込んだ。負けても負けても負ても、諦めずに顔をしかめて挑み続けた。

 俺はそんな幼馴染みに目を奪われた。負けまくっているのに、どうして立ち向かえるのか? どうして心が折れないのか? 果敢な凛子の闘志に困惑を禁じえなかった。

 あのとき後ろに別の客が並んでなかったのは幸いだ。並んでいたら、さっさと変われとどやされていた。いや、もしかしたらそのほうが幸せだったのかもしれない。

 これで何戦目になるのか数えるのをやめて、どうせ凛子は勝てないだろうと思い始めた頃に……なんと凛子は勝ってしまった。明らかに実力が上の相手を打ち負かした。ひょっとしたらまぐれだったのかもしれない。しつこい子供に嫌気が差して、おじさんが手を抜いてくれたのかもしれない。

 それでも凛子は勝った。俺が勝てなかった相手に勝った。根気強く粘って勝利をつかみとった。

 バンザイして大はしゃぎする凛子に、「やったな」とか「すげぇじゃん」とか、そういうねぎらいの言葉はかけられなかった。歯がゆさを感じていた。俺はおじさんに負けたことよりも、凛子がおじさんに勝利したという事実が悔しくてたまらなかった。


「わたし世界で一番、ゲームで強くなる」


 ゲーセンからの帰り道、凛子は笑いながら俺が胸に抱いていたのと同じ夢を口にした。

 ふてくされていた俺は、「なれるわけねぇじゃん」と凛子の夢と、自分の夢を否定した。

 けど凛子は……。


「なるもん、絶対」


 意地を張るように言い放ってきた。本当にただ意地を張っていただけなんだろう。世間の厳しさを何も知らない子供が口にする強がりと一緒だ。でもあのときの凛子は、本気でなるつもりだった。

 その翌週のことだ。凛子が親にラグエンのソフトとハード機を買ってもらったのは。

 よかったな、なんて言えない。言えるはずがない。だって俺はぞっとした。子供ながらに悪い予感がしていた。

 予感していたとおり、次に対戦したとき俺は凛子に負けた。一度負けてしまえば、後は坂道を転がり落ちていくだけだ。

 俺は徐々に凛子に勝てなくなっていき、一ラウンドも取れることなく負けたり、パーフェクトで負けたりするようになった。自分が段々弱くなっているんじゃないか、そう錯覚するほど徹底的に打ちのめされた。俺が敗北の味をなめればなめるほど、凛子はめきめきと腕をあげていき、日に日に実力差がひらいていった。

 一時期は凛子とゲーセンに通っていたが、そのうち一緒に行かなくなった。凛子が対戦しようと誘ってきても、なにかと理由をつけて断るようにした。凛子と戦っても勝てないと、そのときにはわかっていたから。

 だから自然と凛子と遊ぶ時間は減っていった。

 しばらくすると地元のゲーセンで小さな大会が開かれるから一緒に出ないかと、凛子に誘われた。もちろん俺は出ないと答えた。大会に出場したら、凛子と当たるかもしれない。それだけは避けたかった。

 結局、凛子は一人でゲーム大会に出場した。

 小さな大会とはいえ、それなりに腕に自信のあるプレイヤーがそろっているはずだ。そいつらに凛子は負ければいい。そしたら凛子も気づく。俺と同じように、ただ調子に乗っていただけなんだと。自分よりも強いプレイヤーはたくさんいるんだと。現実を知ることができる。

 負けて落ち込んだら、なぐさめてやらないこともない。それで仲直りだ。俺達は元どおりになって、また一緒にゲームをして遊ぼう。

 ……そう思っていた。

 凛子の敗北をこの目で見るために、「応援しにいく」とか言って俺は大会の会場であるゲーセンまで足を運んだ。俺が来たことに凛子は大喜びしてくれた。無邪気な笑顔を向けられて、下腹のあたりがちくちくしたのを覚えている。

 大会が始まると、凛子は俺の予想を裏切り、次々と大人たちを負かしていった。意外な展開に観客も驚いていたが、一番驚いていたのは俺だ。こんな、凛子が勝つ姿を見るためにここに来たんじゃないのに、なんでこんなものを見せられなきゃいけないんだ。

 見たくない。こんなの見たくない。こんなありえないこと、見ていたくない。

 凛子は怒涛の勢いで決勝戦まで勝ち進むと、意図もたやすく優勝の栄光をつかみとった。

 初出場で初優勝。凛子のゲームセンスがずば抜けているのは疑いようもない。授賞式で凛子は満面の笑みを浮かべると、俺にむかってブイサインをしてきた。

 頬がひきつり、胸にぽっかりと穴があいた。言い知れないむなしさが去来する。……あのとき俺は、夢から覚めたんだ。凛子の才能によって、甘い幻想を打ち砕かれた。

 大会を終えた帰り道、凛子は胸をはずませて試合内容について朗々と語ってきたが、俺は適当に相槌を打つばかりで、ろくに話を聞いちゃいなかった。嬉しそうに話す凛子の言葉は耳に入ってこず、もぬけの殻になっていた。

 あの日を境に、俺は凛子と遊ばなくなり、ゲームの話題も口にしなくなった。一緒に学校に行くのも避けるようになって、一緒に家に帰るのもやめた。

 そうして疎遠になっていった。

 中学生になると、さらに凛子との距離はひらいた。思春期まっさかりの少年少女達にはクラス内でのスクールカーストが構築される。誰とも話さない根暗なぼっちと、可憐な美少女。こんな二人が幼馴染みの関係を保てるはずがない。俺と凛子は完全に言葉を交わすこともなくなり、ただの他人になった。

 中学生になっても凛子はゲームの腕前を磨き、いろんな大会に出場していた。中二のときには、海外で開催されたラグエンの世界大会で優勝までした。

 世界で一番、ゲームで強くなる……とうとうあの言葉が現実のものになった。凛子は本当に夢を叶えてしまった。俺の叶えられなかった夢を、あいつは叶えてしまった。

 その後も国内外を問わず、いくつもの大会で優勝した凛子はついにスポンサー契約を結んでプロゲーマーになった。同じ中学に通っていた生徒の間でも話題になったので、凛子はたくさんの生徒に声をかけられていた。

 プロゲーマーになった凛子を遠目に眺めていた俺は、その頃にはもう夢を見るのをやめていた。俺は違うんだ。才能がない。凡人なんだと悟っていた。悟っていたけど、やっぱり凛子のことは羨ましくて……許せなかった。

 二次元の幼馴染みにハマりだしたのは、ちょうどあの時期だ。はじめて幼馴染み系のギャルゲーに手をのばして、衝撃を受けたのを鮮明に覚えている。凛子に対する黒い感情がふつふつとわいてくるたびに、二次元の幼馴染みになぐさめてもらった。

 俺の人生は、二次元の幼馴染みに救われたといっていい。彼女らがいなかったら、俺の精神は死んでいただろう。

 やっぱあれだな。三次元の幼馴染みなんかよりも、二次元の幼馴染みのほうが断然いいな。二次元の幼馴染みさえいれば、三次元の幼馴染みはいらない。

 ヘッと唇をまげて、ベンチから立ちあがる。飲み終えた紅茶のミニペットボトルをゴミ箱に捨てた。

 思い出したくもない苦い過去を回想したせいで気分が重くなる。そのまま帰っちまおうかなぁと考えたりもしたが、そんなことをしたら後が恐い。凛子に冷たくすると親友の玲奈さんが召喚されるリスクがある。

 ここは我慢して、三次元の幼馴染みのところに戻るとしよう。

 エスカレーターで二階にいき、格ゲーコーナーに来るとまだギャラリーは対戦台を囲んでいた。

 対戦台に腰掛けた凛子のそばに歩み寄る。

 依然として勝ち続けている凛子は、ちらりとこちらを見もしない。対戦に集中している。

 プロゲーマーだって全戦全勝は不可能だ。時にはアマチュアに後れを取ることだってある。だっていうのに凛子はぜんぜん負ける気配がない。昔と変わらず、今も俺はこいつの才能を見せつけられている。

 ていうか、もしかしてこれって凛子が負けるまで俺も帰っちゃいけないパターンなの? 俺、こいつとなんの関係もないんですけど。ただ近所に住んでいるだけの同級生なんですけど。まぁ帰らないけどさ。戻ってきた手前、もう帰っちゃいけない雰囲気になってるけどさ。せめていつまで続くのかだけは教えてほしいよね。

 飽きもせずに凛子のプレイを観戦するギャラリーは、あのコンボはテンポがむずい、間合いの取り方が絶妙だ、さっきチラッと指の動き見てきたけど超速かった、などと歓談している。

 こういう光景を見ると、誰かと誰かをつなぐゲームは素晴らしいものだと感心させられる。語り合っているなかには子供も大人も老人もまじっている。オタクやヤンキーっぽい人もいる。年代やジャンルの垣根を超えて、会話の種になるなんて大したもんだ。まぁ俺はその会話に加われないけどね。

 やがて行列に並んだ挑戦者の数も残りわずかになってきた。

 凛子の座った対戦台の画面左上に表示された勝利回数を確認してみると、99WINになっていた。……カンストしちょる。おそるべし、プロゲーマー。

 最後の挑戦者を蹴散らすと、再びアーケードモードに戻り、ラスボスであるユミルを撃破してクリアする。ギャラリーから「すげぇ全員倒した」と賞賛の声があがる。小さな拍手を送る人もいた。

 ふぅ、と吐息をつくと凛子は椅子から立ちあがった。


「わたし、そろそろ帰るけど」


 数秒遅れて、俺に言ったんだと気づいた。


「……そうか」


 と返事だけはしておく。

 わざわざゲーセンに出向いたのに、俺は一度もゲームに触れてない。もっとも、凛子の超絶プレイを見たせいで、もうなんのゲームもする気は起きないけど。

 まだ興奮さめやらぬギャラリーは対戦台につく者もいれば、熱く語り合いながら格ゲーコーナーから立ち去る者もいた。

 凛子もすたすたと歩き出す。俺は慌ててその背中を追いかけていった。いや、なんで追いかけてんだ? 追いかける必要ないよね。別に一緒に行動しなきゃいけないなんて制約はない。ついつい体が勝手に動いてしまった。マジで凛子の召使いみたいだ。

 ちっ、こうなったらゲーセンの外まではついて行こう。一緒に行くのはそこまでだ。外に出たらもう別行動だ。そうしよう。

 背後霊みたいに凛子の後ろについたまま、エスカレーターで一階におりる。よし、このまま出口に向かってレッツゴー。そしたら自由だ。俺はついに自由になれる。

 そう思った矢先。


「ウルフスピアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッ!」


 ラグエンの登場キャラの必殺技を叫びながら、こっちに向かって猛ダッシュしてくる変な女が現れた。

 突然タックルをかまそうとしてきた少女を、凛子は横に一歩ずれてひょいっとかわす。よって凛子の真後ろに立っていた俺は、突っ込んできたバカ女のタックルをもろにくらった。


「ぐほっ!」


 身体が跳ね飛ばされて、したたかに尻餅をつく。腹部とケツにジンジンと鈍痛が響く。

 バカ女は俺を一瞥すると謝りもせずに、鋭利な目つきをさらにつりあげて凛子を睨んだ。


「なによけてんだよ! わたしがせっかくウルフスピアを使ったんだから、ちゃんとくらえよ! それが礼儀ってもんだろうが!」

「意味わかんない。いきなりウルフスピアとか恥ずかしいだけで、礼儀でもなんでもないから」

「はぁ~? なんで意味わかんねぇんだよ。わかれよ、そこは感じとれよ。バカだね~。リコリンはヴァカでちゅね~。そんなんだからいつまで経ってもリコリンのままなんだよ。ちったぁわたしを見習え。な?」


 凛子は半眼になる。イラッとしてるな。学校では絶対に見せない表情だ。

 とりあえずそこのバカ女、俺に謝れ。


「下野、へいき?」


 凛子はバカ女の脇をくぐりぬけて、俺のもとに近づいてくると中腰になって右手を差し出そうとしてきたが……ハッとなって右手をひっこめた。

 え? なに? 俺なんかに触れたくないってこと? べつにバイ菌とかうつったりしないよ。あとおまえがよけたから、俺がこうしてダメージをくらうことになったからね。そのへんのことはちゃんと心にとどめておいてほしいな。


「特に怪我とかはしてねぇよ」


 床に手をついて起きあがると、尻をはたいて埃を落とした。

 ホッと凛子は胸に手を当てて安堵する。


「ったく。あの程度の攻撃でダウンするなんて軟弱だな。もっと足腰を鍛えろ。もしくは回避スキルを磨け。ダウンしたら追加攻撃をもらうぞ」


 バカ女はなぜか偉そうに胸を張っている。えっへんと、まったく起伏のない平坦な胸を張っている。ほんと、なにもない胸だ。

 長い髪は二房に分けたツインテールにしてある。顔立ちはかわいらしいが、気の強そうなツリ目のせいで、生意気な野良ネコのように見える。百五十センチあるかないかの小柄な身体には白のパーカーを羽織り、下には黒のミニスカをはいていた。

 凛子は面倒くさそうにこめかみのあたりをかいて、バカ女に向き直る。


「で、クズミはここで何してるの?」


 クズミって……ひどい呼び方だな。そりゃあいきなりタックルかましてくるこの女は頭がどうかしているが、クズミはあんまりだ。


「誰がクズミだあっ! そこはクズミ様だろうが! ライバルには敬意をはらえ、敬意を!」


 クズミでいいのかよ。本人がいいというならいいんだろう。


「こいつって……おまえのライバルなの?」


 ううん、と凛子は口を閉じたままかぶりを振るう。……かわいい。二次元の幼馴染みがやったら、きっともっとかわいい仕草になる。


「なんですかぁ、凛子さん? もしかしてびびっていらっしゃるんですかぁ? わたしのライバルになるのが怖いんですかぁ? ぷっすぅ~!」


 クズミが口元に手を当ててせせら笑うと、ムッと凛子は眉間をひそめた。


「クズミになんかに、びびるわけないじゃん」

「だったらライバルと認めろ! 認めたな! よぉ~し、今からおまえはわたしの宿命のライバルだ! 認めてしまったからにはわたしの勝ちだ! わかったか、我が宿命のライバル!」

「なんか……頭痛い」


 凛子は額に手を当てて、げんなりする。

 俺もちょっと頭が痛くなってきた。まだ出会って間もないが……マジでなんだこの女。めちゃくちゃうざい。


「クズミは隣の県に住んでいるんでしょ? どうしてここのゲーセンにいるの?」

「おいおい、わたしが一つの県内におさまる器の小さい女だと思ってるのか? 他県のゲーセンにまで繰り出すに決まってんだろうが。わたしはそんだけビッグなんだよ。同じプロゲーマーなら、そんくらいわかれよ」


 プロゲーマー……。プロゲーマーって……マジか。この女もプロゲーマーなのか? こんなうざいのに。いや、うざさは関係ないけど。


「しかしあれだな。こうしておまえと会うのも久しぶりだな。一体いつ以来だ?」

「だいぶ前に、同じチームを組むことになった海外遠征の大会以来だけど」


 チーム組んだのか、このうざい女と。すごいな。まぁ本人の意思とは無関係に仕事の都合で組んだのかもしれない。スポンサーが違うプロゲーマー同士でも、たびたびチームを組むみたいだし。


「あぁ~、あれな。あの三対三の勝ち抜き戦で、先鋒のわたしが大活躍しすぎておまえにまったく出番が回ってこなかったやつな。マジであのときのわたしは神がかっていたぜ。ていうかもう神だったな。あのときのわたしは人間を超越していた。優勝したあとにインタビューの行列が殺到したし。ぷぷっ、そういえば特に目立った活躍ができなかった凛子さん、あのときはインタビューを受けることなく、さっさと一人で帰っちゃいましたよねぇ~。どんな気持ちだった? ねぇねぇ、あのときどんな気持ちだったの?」


 にやにやといやらしい笑みを浮かべて下から顔を覗きこんでくる。ほんとクズだな、この女。

 凛子は片目をすがめると、何も言い返さずにきびすを返して出口に行こうとする。


「こらぁ! どこ行こうってんだ! わたしを無視してどこに行こうってんだ!」

「もう家に帰るから」

「はあああああああああっ! 家に帰るだあぁ? わたしとの対戦はどうすんだよ!」

「は?」


 ごく自然な形で例の「は?」がとび出た。今の「は?」は正しい。いきなり対戦がどうのとか、そんなの一言も聞いてない。

 凛子の「は?」に気圧されたのか、クズミはビクッとするとへっぴり腰になって、両手をチョップの形にしたへんてこなポーズをとる。


「な、なんだぁ! や、やんのかよ! こ、このぉ~!」


 いや、おまえがやるって言い出したんだろ。


「やんない」

「なんでやんないんだよ! やれよ、そこは! わたしとゲームで対戦しろ! おや? おやおやおや? まさかあれですか? 怖いんですか? わたしにゲームで負けるのが怖いんですか? 怖いんですねぇ。まぁしょうがないか。ザコだしね、リコリンは」

「リコリン言うな」

「リコリン! リコリン! リコリンリンリィィィィィィィィィィィィィィィィィン!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、凛子はクズミに近づくと、両手をのばしてほっぺをつかみ、むぎゅぅ~とひきのばす。


「んぎぎぎぎぎぎぎぎっ!」


 ほっぺをつねられてもクズミは八重歯を剥き出しにして何かを叫びつづける。何かっていうか、たぶん悪態だ。


「応援してくれる人達が言う分には見逃してるけど、わたし、そのリコリンって愛称は好きじゃないから」


 あっ、そうだったんだ。ぜんぜん知らなかった。ごめんね、リコリン。俺も口にしないように気をつけるよ。

 凛子が手をはなすと、クズミは涙目になって赤くなった頬をさする。


「痛てぇな! ほっぺがちぎれてわたしが喋れなくなったらどうすんだよ!」

「クズミが喋れなくなるのは、全人類にとっていいことだと思う」


 ……確かに。


「バカかおまえ! わたしのセクシーボイスが轟かなくなったら、全人類ががっかりするに決まってんだろうが!」


 決まってない。あとぜんぜんセクシーボイスでもない。どちらかというとロリボイスだ。


「てかクズミ、わたしよりも一つ年下だよね? なんでタメ口なの? 年上にはちゃんと敬語を使わないと」

「はぁ~? なんでわたしより弱い奴に敬語を使わなきゃなんねぇんだよ! わたしのほうが一兆倍は強いんだから、むしろおまえが敬語を使えよ! もっと敬えよ、天才プレイヤーであるこのわたしを!」

「わたし、自分がクズミよりも弱いだなんて思ってないけど?」

「いいや、弱い! 弱い弱い弱い弱い! もうおまえなんてカスだね! ウンコだ、ウンコ! そんなにタメ口をきかれるのがイヤなら、腕ずくでこのわたしを黙らせてみやがれぇ!」

「わかった」


 すると凛子はまたクズミのほっぺたをつねった。んぎぎぎぎぎぎぎぎっ、とクズミはうなる。黙らせるのは超簡単だった。


「ぐっ……おのれ、これで勝ったと思うなよ!」


 凛子が手をはなすと、クズミは赤くなったほっぺをさすりながら勇者に敗れた魔王みたいなセリフを口にする。魔王っていうより、もうザコキャラにしか見えない。

 で、結局のところこのクズミという少女はなんなのか? 凛子と同じ女性プロゲーマーなのはわかったが、素状や名前は一切わからない。そこんところを詳しく尋ねるために、凛子にアイコンタクトを送ってみる。


「は?」


 あれ? おかしいな? なにジーッとこっち見てんだキモイなおまえ、みたいな顔をされたぞ。二次元の幼馴染みとなら目と目で通じ合ったのに。以心伝心できたのに。やっぱり三次元の幼馴染みはだめだな。


「んで、さっきからそこに突っ立っている影が薄くて根暗そうな死んだ目をした男は誰なんだ?」


 クズミは俺を指差してきた。人の顔を指差すんじゃありません。あと一息に悪口言いすぎじゃね。


「この人は下野平太っていって、わたしの……」


 凛子は言いよどむと、一度だけ俺の顔をチラ見した。


「わたしの……クラスメイト」


 クラスメイト……ねぇ。いや、あってるけどね、それで正解だけどね。別に不満とか何もないよ。でもそんな含みのある感じで言われたらさ、なんかこう引っかかるものがあるよね。いや、いいんだけどね。べつに。ぜんぜん気にしてないから。俺はただのクラスメイトですから。

 凛子は俺の紹介を終えると、間をあけることなくすぐにクズミの紹介をした。


「こっちは葛沢久美くずさわくみ。わたしと同じプロゲーマーで、プレイヤーネームはクミって名乗っている」

「爆裂の死神! その二つ名で呼ばれるクミ様とは、このわたしのことでぇい!」


 と、クズミは腰を沈めて両手を拳銃の形にした妙なポーズを決めてくる。


「そんなの誰も言ってない」


 どうやら自称の二つ名だったらしい。恥ずかしい上にイタイな。

 いや、待てよ。プレイヤーネームがクミってことは……。


「まさかクズミって、あのクズミなのか?」

「だからわたしは爆裂の死神だっつてんだろうが!」

「もしかして下野、知ってたの?」

「いや、いま気づいた。実況解説の件は、ネットニュースで見たことがあるからな」

「おぉぉぉい! 無視すんなゴラッ!」


 クズミ、うるせぇ。

 この久美という少女は前にとある事件を引き起こしたせいで、ゲーマーの間で話題になった。というのもどんな手違いがあったのかは不明だが、ゲーム大会の実況解説役になぜかよりにもよってこの久美が抜擢されてしまったのだ。

 そのとき試合を行っていた二人のプレイヤーを、久美はヘタクソだの、ウンコプレイだの、わたしだったら楽勝に勝てるだのと口汚く罵り、強制的に途中退場させられた。

 無論ネットでは久美への苦情が殺到して大バッシングを受けた。それで反省したかと思いきや、インタビューで事件のことを言及されると「わたしは正直なことを言っただけ」と答えた。それ以来、こいつには解説の仕事はまわってこなくなり、クズミ、クズミン、クズクズとゲーマー達からは揶揄されるようになった。まぁ、クズだな。

 クズなのだが……。


「どうしてこんな女が、未だに人気があるのかわたしには理解できない」


 凛子は苦々しい表情でぼやいた。

 そう、久美は人気がある。クズなのに。

 痛快なプレイスタイルや、イベントを盛りあげるトーク力などで特定のファンがついている。そのぶんアンチも多いみたいだ。


「まぁなんつうの? わたしの内側からにじみでる才能に下民どもは心酔せずにはいられないわけよ。わかるか、ヒラオ?」

「へいただ」


 今さっき名前を聞いたばかりだろ。なんで覚えてねぇんだよ。


「あん? ヒラオでいいじゃねぇか。わたしがヒラオって言ったんだから、おまえはヒラオなんだよ。今からヒラオに改名しろ、な? わたしを敬えば、特別に子分にしてやるから」

「いや、遠慮する」

「遠慮すんな! わたしを敬え! そんで子分になれ!」


 なんだろう……男が女に暴力を振るうのは最低な行為だが、この女になら許されるのではないか。こうして言葉を交わしているだけでもイラつくが、こいつが凛子と同じ側の人間だと思うと、さらに怒りがこみあげてくる。まぁ才能の有無を度外視しても、こいつはムカつくが。


「ケッ、まぁヒラオのことは横に置くとしてだ」


 横に置かれてしまった。できればもう二度と触れないでほしい。


「やい、凛子! こんど都心のゲーセンで大会が開かれるから、おまえもそれに出場しろよ、いいな!」

「は? なんで?」

「おまえがわたしの宿命のライバルだからだろうが! そこで決着をつけんだよおおおおおおおおお!」


 一人で盛りあがる久美。こいつがさっきから大声を出すせいで、周りの客から好奇の眼差しを向けられまくっている。もっと小声で喋れんのか。

 凛子は思案顔のまま、うんともすんとも言わないで口をつぐんでいる。


「来月には爆神祭の予選も開始されるからな、その肩慣らしにはちょうどいい。それともおまえ、マジでわたしと戦うのが怖いのか? びびってんのか? ん~、リコリンよぉぉぉぉ~」

「リコリン言うな。あと、びびってもいない」

「んじゃあ逃げんなよ。正々堂々と戦って、ちゃんとわたしに負けろよ! いいな!」

「なんで負けが決定しているのかわからないんだけど? てか負けないし」

「いいえ~、負けまぁ~す。リコリンは負けまぁ~す。絶対に負けまぁ~す。なぜならわたしが勝つからでぇ~す。ぷぷぅ~!」


 両目を細めた凛子はまたほっぺをつねろうと近づくが、久美はバックステップで距離をとった。


「はん! もうそんな見え見えのつかみ技なんてくらわないぜ! 悔しかったら、大会でわたしを打ち負かしてみせろ!」


 いかにも小悪党のような笑みを浮かべると、久美は軽快な足取りでエスカレーターを駆けのぼっていき、二階の格ゲーコーナーに逃げていった。ラグエンでもプレイするんだろうか。だとしたらまたギャラリーができそうだ。

 凛子は憮然としたままエスカレーターを睨むが、久美を追いかけようとはしなかった。久美の相手をして疲れたのだろう。俺も疲れた。しばらくあいつの顔は見たくない。しばらくというか、できれば永久に見たくない。

 出口に向かって歩いていく。もう邪魔するものはいなかった。久美みたいなのが二人も三人もいたら気が狂ってしまう。あいつは一人で十分だ。ひょっとしたら一人もいらないかもしれない。

 店の自動ドアをくぐり、青空の下に出る。騒々しい電子音が消えて、聴覚への負担がなくなった。まばらに歩道を行きかう人々と、さまざまな自動車が道路を横切っていく日常風景に戻ってくる。ゲーセンに入っていたときに感じていた興奮が、ゆっくりと腰を降ろすようにひっこんでいった。

 さて、さっさと凛子に別れを告げてこの場を立ち去ろう。家は近所だが、一緒には帰らない。それがいつもの俺達だ。

 なのに凛子は……何か言いたそうな、じれったい面持ちでちらちらと俺を見ている。なんというか、あれだな。おしっこを我慢しているように見えなくもない。いや、してないだろうけどさ。


「あっ……」


 かと思いきや、凛子は俺から目をはなして、間抜けな声をもらす。

 その視線を追いかけてみると、ガードレールにそって一台の黒いセダンが停車していた。運転席のドアが開くと、ショートカットの黒髪にパンツスーツを着た美人のお姉さんが出てくる。

 すらりとしたスタイルのいいお姉さんはヒールの音を鳴らしながら、こっちに近づいてきた。鼻梁のとおった顔立ちは、凛子をちょっと大人にした感じだ。


「お姉ちゃん、どうしてここに? 今日はスポンサーの本社に用があったんじゃないの」


 そう、お姉ちゃん。この女性、天宮音葉おとはは凛子の姉だ。そしてマネージャーでもある。

 二年前までは母親がマネージャーを務めていたらしいが、現在は音葉さんがそれを引き継いでやっている。

 歳が離れているので、俺はこの人とあまり話したことがない。たしか年齢は二十代半ばくらいだったと思う。


「本社での打ち合わせが早めに終わったからね。たぶん凛子はここにいるだろうと思って、拾いにきたのよ」


 音葉さんは腰に手を当ててニッと笑う。歯磨き粉のCMに出てくる女性タレントのような爽やかな空気をまとった人だ。顔立ちは凛子と似ているが、雰囲気はぜんぜん違う。


「にしても意外な組み合わせね」


 どきりとする。音葉さんが俺を見てきた。

 人に見られたり、目を合わせて話すのは苦手だ。特に相手が美人だと、たじろいでしまう。


「久しぶりね。えっと……ひ、ひ、ひ……ヒラオくん?」


名前を間違われました。しかも久美と同じ間違いをするというミラクルが起きた。なにこのミラクル? ちっとも嬉しくない。どうしよう……もうヒラオに改名しようかな。


「お姉ちゃん……ヒラオじゃないよ……」

「あれ? うそ? 間違えちゃった?」

「へいたです」


 一応、自分の口から訂正しておく。


「あ~、平太ね、平太。ごめんごめん、いま思い出したわ」


 悪びれた様子もなく、笑いながら謝ってくる。なんかこのお姉さん、とても社交性が高そうだな。


「そうだ、お姉ちゃん。近いうちに都心のゲーセンで行われる大会ってわかる?」

「そりゃ調べればすぐにわかるけど……なに? 出たいの?」


 凛子は柳眉を逆立ててこくりとうなづいた。久美に挑発されたことを根に持っているらしい。相変わらず負けず嫌いだな。


「了解。押さえておくわ」


 静かに闘志の炎を燃やす凛子を目にすると、音葉さんは満足そうに微笑んだ。


「そういえば凛子。あんたにゲームイベントの話がきてるんだけど」


 イベントという単語を耳にすると、凛子は不味いものでも食べたように、うへぇという顔になる。すごく嫌そうだ。

 口達者なほうではないからな、イベントとか実況解説なんかの仕事は不得手なんだろう。

 前にネット動画で視聴したことあるが、伊達眼鏡を装着してイベントに出ていた凛子は愛想笑いを浮かべるだけで、ほぼ何も喋らなかった。というか喋れなかった。だがそこにいるだけで場が華やかになるので、再生回数はかなり稼いでいた。


「やらないとだめ?」

「だめよ。これも仕事。しっかりとスポンサーの商品をPRしてきなさい」


 ぶぅっと凛子は唇をとがらせる。

 えっ? だれこの甘えんぼう? お姉ちゃん相手だとこんな一面も見せたりするの? 俺といるときとは大違いなんですけど。

 隣に立つ俺の存在を思い出したのか、凛子はすぐに唇をひっこめてすまし顔になるが……白い頬は微妙に赤らんでいた。

 凛子はごまかすように咳払いをすると、両手の指をあわせて三角形をつくり、のばしたり縮めたりと三角の形を変えながら、ぼそぼそと話しかけてきた。


「あのさ……下野」

「なんだよ?」

「ゲームの大会だけど……その……」


 両手でつくった三角形をびよ~んとのばした状態で何か言ってくるが、いかんせん声のボリュームが小さすぎて聞きとれない。


「そうだ、平太くんってまだラグエンとかやってたりするの?」


 音葉さんはよく通る声で会話に割り込んできた。


「えぇ、まぁ……やらなくはないですけど」


 というかバリバリやりまくってる。けど凛子がいるので、はっきりとは肯定しづらい。


「そっか。じゃあ平太くんも都心であるゲーム大会に出てみない? ゲーム好きなんでしょ?」


 冷水でもぶっかけられたように、頭のなかが真っ白になる。この人いきなり何を言い出すんだ?

 ゲームが好きだからって、そんな気軽に大会に出ていいもんじゃない。いや、普通はそれでいいんだけど、俺はいやだ。都心といえば、強いプレイヤーがわんさかといる。俺が出たところで、一回戦を突破できるかどうかも怪しい。


「なんならわたしのほうで、エントリーとかは済ませておくけど」


 どう、と音葉さんは目で問いかけてくる。

 考えるまでもなく、答えは決まっていた。


「……やめておきます、俺は」


 どうせ優勝なんてできっこない。それに凛子が出場するのなら、なおさら出たくなかった。運悪く当たったりしたら、後悔するに決まっている。

 そう、と音葉さんは肩をすくめる。

 凛子はしゅんとなってうなだれていた。

 そんな幼馴染みを見て、ようやく得心する。音葉さんは凛子が言いたかったことを代弁したんだ。凛子は……俺に大会に出てほしかったんだ。店を出たときに何かを言いたそうにしていたのは、このことについてだろう。

 なんでそんなことを望んだのかは……わからない。


「じゃあわたし達は帰るけど、よかったら平太くんも乗ってく? あの黒いセダンかっこいいでしょ? 凛子が稼いだ賞金で購入したのよ」


 妹の金で買った車を自慢する姉って、どうなんだろうか? だろうかというかあれだな、姉としてのプライドとかないのかな。


「お姉ちゃん。わたしの稼いだ賞金って、お父さんとお母さんに預けてあるけど、絶対パクられてるよね? わたしお小遣い制でちょっとしかお金使えないのに、みんなのほうが使う額が大きいっておかしくない?」

「ははは、そんなことないわよ。凛子の賞金は、ちゃんと将来のために貯金してあるから。それにあれよ、あのセダンだって凛子が免許とったら運転させてあげるから」


 凛子にゆずるとは言わないんだな。凛子の金で購入した車なのに。


「で、平太くん。どうする?」

「俺は……本屋に寄りたいんで、歩いて帰ります」


 これはウソではない。本当だ。たったいま本屋に寄りたくなった。同車したくないから、本屋に寄りたくなった。だからこれはウソではない。とんちだ、とんち。

 そもそも車内で居づらい気分を味わうとか、どんな拷問だよ。


「そう、じゃあ帰り道は気をつけてね。凛子、帰るわよ」


 音葉さんが車に歩いていくと、凛子も黙ってついていく。

 凛子は助手席のドアを開けると、何か言いたそうな目でこっちを見てから車内に乗り込んだ。

 エンジンがかかると、黒のセダンはウインカーを点滅させて颯爽と走り去っていく。

 遠のいていくテールランプを、俺は黙々と見送った。




 本屋でゲーム雑誌を立ち読みしていたら、プロゲーマーの特集が組まれていた。有名プレイヤーが名を連ねて紹介されているなかに、よく知る顔を発見する。

 ……凛子だ。

 こうして紙面越しに見ると、どうしても隔たりを感じてしまう。こいつが俺の幼馴染みだなんて信じられない。ついさっきまで一緒にいたのは幻だったんじゃないかとさえ思う。

 ゲーム雑誌を閉じると、漫画コーナーで立ち読みをする。それでしばらくヒマを潰すと、行きつけのゲームショップに寄った。こうして俺が無駄な時間を過ごしている間に凛子はゲームの練習をして、もっと腕を磨いている。そう考えると……むしゃくしゃする。目指すべき場所に向かって突き進んでいる凛子への嫉妬が止まらない。俺はこんなところで何をやっているんだという自己嫌悪におちいってしまう。

 これからさき何年、何十年もこの感情を持て余して生きていかなきゃいけないんだと思うと……憂鬱になる。

 どうしてよりにもよって、あんな天才が俺の幼馴染みなんだ? もっと普通の子がよかった。凡人の俺には普通の幼馴染みがあっている。まぁ普通の幼馴染みがいたとしても、二次元の幼馴染みには敵わないけどね。そこはゆるぎないぜ。

 そうして帰宅したのは夕方になってからだ。

 家の前まで来ると、今日一日を振り返ってため息をこぼす。ろくな休日じゃなかったな。これならいつもどおり部屋に引きこもってだらだら過ごせばよかった。

 後悔しながら家のなかに入ろうと、玄関の扉に手をかける。


「下野……」


 かぼそい声で、背後から名前を呼ばれた。

 後ろを振り返ってみると、ちょっとだけ息を切らした凛子が立っていた。


「おまえ、なんで疲れてんの?」


 筋トレでもしていたのだろうか。


「うちの二階の窓から、下野が歩いてくるのが見えて、それでその……」


 視線を凛子の膝から下に向けてみると、両足にサンダルをはいていた。もしかして俺に声をかけるために、わざわざ家から飛び出してきたのか?

 そこまでして話すような用件なんてあるだろうか? あるんだろうな、凛子には。思い当たらなくもない。


「下野、わたし……」


 凛子は顎を引き、ぐっと息をのむ。心音を静めるように右手を胸に当てて深呼吸すると、顔をあげて見つめてきた。

 その眼力の強さに、俺は身動きがとれなくなる。黙って耳をかたむけるしかない。

 そして凛子は、さきほど自分の口では言えなかった想いを、言葉にして打ち明けてきた。


「わたしは……下野と、ゲームで対戦したい。大会で戦えたら……うれしい」


 最後まで言いきると凛子は体中の空気が抜けたように、深い吐息をついた。まっすぐぶつけていた眼差しを、ゆっくりとそらす。


「えっと……それだけ。じゃあ」


 凛子は顔をそむけたまま、小さく右手を振って、筋向いにある自分の家に帰っていく。

 ……え? 帰っちゃうの? 俺まだ返事とかしてないけど帰っちゃうの? 俺の意思は無視ですか? そうですか。自分だけ伝えたいことを伝えて帰っちゃうんですね。

 家のなかに入っていく凛子を追いかけて、インターホンを鳴らす勇気はない。だって今日は休日だ。凛子の両親とかもいる。そんな家に突撃なんて仕掛けられんわ。

 スマホで連絡しようにも、俺は凛子の番号を知らない。そもそも俺のスマホに入っているのは親父とおふくろと自宅の番号だけだ。親父とおふくろには日頃まったく連絡しないし、自宅になんてまずかける機会がない。びっくりするほど文明の利器を活用できてないな。すごい宝の持ち腐れだ。スマホって持ち主の交友関係の広さを示す指標だからな。俺がどれだけ孤高の戦士なのか、形を成して突きつけてくる。あ~、やべ。泣きたくなってきた。

 そのままのこのこ家に帰ると晩飯と風呂を済ませて、ジャージに着替える。

 自室に入ると気合いを注入する。さぁてと、『七人の幼馴染み』をプレイするぞ。二次元の幼馴染みたちに会って、すさんだ心を癒してもらおう。

 ……そのつもりだったが、どうしても視界の端にラグエンXⅢがちらついてしまう。さっき凛子が言ってきた言葉が頭からはなれない。

 べつに気にはなってない。そう思いたい。思いたいが、やはり気になってしまう。無視することはできない。

 ごめんよ、二次元の幼馴染みたち。今夜は会えそうにない。

 みんなに謝ると、ラグエンを手にとる。

 1Pにつないだアケコンを操作して、オンライン対戦モードを選択。使うキャラは決まっている。俺はガキの頃から、ずっと炎の戦乙女ヴリュンヒルデを持ちキャラにしている。

 オンラインで顔の見えないプレイヤーとひたすら対戦を繰り返す。戦績は勝ったり負けたり。負けたり勝ったり。しばらく負けが続いたかと思えば勝ったり。勝ち続けていたら唐突に負けたりと、いつもどおり良くも悪くもない。

 かちゃかちゃとレバーを動かし、ボタンを押す。左手が疲れてきても、プレイを続行する。

 ガキの頃に比べて、今の俺はどれくらい強くなっただろう? 夢見ていた頃の俺と、夢は叶わないと知った俺は、どっちが強いのだろう?

 そして夢を叶えてしまった凛子との差は……どれくらいひらいただろう?

 凛子と戦って勝てるだなんて思っちゃいない。そこまで楽天的じゃない。

 でも、その差を確かめるくらいは……してもいいんじゃないか? あいつがどれくらいの高みにいるのか、身を持って知ってみるのもいいんじゃないか?

 なぜこんなことを考えるのかはわからない。そもそも俺は凛子と対戦なんかしたくない。負けてみじめな思いをするなんてごめんだ。その気持ちは変わらない。

 けど、それでも……俺と対戦したいと、そう言ってくれた凛子の言葉が胸に突き刺さる。だからなのか、いつも以上にラグエンのプレイに身が入る。

 時計の針が零時をすぎても、ラグエンをやめなかった。できるだけ多くのプレイヤーと対戦して、ヴリュンヒルデの完成度を高める。

 大会が開催されるその日まで、この生活が続きそうだ。



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