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CODEシリーズ

ラストシーン

作者: ひすいゆめ

これは今までのシリーズというよりは、中学の時に初めて書いた推理物の話の続きというべき物語です。

日葦、涼、連牙は3人で探偵の真似事をしていたので、その後の涼の車の事故死でその話が終わったのですが、その真相解明の話と言えます。

                      1


 やけに暗い部屋であった。月代連牙(つきしろれんが)はその寂寥の中で机の上に取り残されていたノートの2冊の内、1冊のノートに目をやった。

 そのノートを開きぺらぺら捲り走り読みをする。どうやら、日記のようであったが、それがフィクションのように思えた。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ作品に代表されるような1(イ)人称(ッヒ)小説(ロマン)の可能性も否定できない。この部屋の主は現に小説を執筆していたからだ。しかし、後期はパソコンで作品を制作していたはずであるので下書きようなのかもしれなかった。

 ―――現実?空想?どっちにしても、これがあいつの行方の手掛かりになる。

 1ページ目にゆっくりと視線を走らせることにした。連牙は正直、読書は苦手であり、30歳になろうとする今まで碌に1冊をまともに読破した書籍は皆無であった。

 しかし、今は苦手だどうだと言っている場合ではない。7年前の親友の死を探るために姿を消した友人の手掛かりの欠片でも欲しいところであったからだ。彼がロンドンから帰ってきていることはすでに分かっている。それも親友の死の真相を求めてということさえも。

 すると、1階の方で物音がした。びくっとして彼は本を閉じてできるだけ音を立てないようにして神経を張り詰めて耳を澄ました。

 次に何かが割れる音がした。壁に掛かる人形が目立つ時計の針は現在3時40分を示している。この時間に親友の母親も父親も帰ってくるはずはない。何しろ、彼はその間の留守番を任されているのだから。

 合鍵を持った知り合い、と考えるよりも泥棒という言葉がすぐに脳裏に浮かんだ。連牙は息を飲み意を決したようにその部屋を後にした。彼は柔道、空手の有段者であり、腕にはかなりの自信を持っ

ていた。それに実戦も何度となく経験している。そう、ルールのない格闘でも負ける気はしなかった。

 しかし、彼は胸騒ぎを感じていた。ゆっくりと階段を下りて開いているリビングの扉から中を慎重に覗き込んだ。畏怖は感じていない。しかし、違和感、異質の空気を肌で感じていた。リビングから

キッチンに移る人影が一瞬見えた。否、そう見えたような気がしただけだ。

 刹那、連牙に戦慄が走った。ホールには誰もいなくリビングの中に侵入者がいると思っていた彼の背後から人の気配を感じた。

 ―――やられる。

 親友も今、彼の背後にいる人物に拉致されたのだろうか。咄嗟に身を翻して構えたが、すでに誰も存在しなかった。その時、彼の胸にオカルトめいたものを感じたが、すぐに頭を振って自ら否定した。

 彼は超自然的なものを全て信じていないタイプの人間であったのだ。

 玄関ホールにぽつんと立ち尽くしてじっと神経を研ぎ澄ませて、

 侵入者の次の行動を待った。それはやけに長い時間に感じられた。

 ハッとあることが頭に浮かんだ。

 ―――犯人の目的はあの日記か。

 すぐに忍び足のまま駆け出して階段を素早く転びそうになりながら上がった。気配は感じないが、親友の部屋に飛び込んだ。そこには誰もいなかった。しかし、あのノートは机の上から消えていた。

 よく考える。自分がリビングを覗いているあの短時間にここに来てノートを持って逃げ出すことは可能だろうか。しかも、玄関ホールは1階廊下、階段の全景を見ることができる。背後に気配を感じて

すぐにここに来たのだ。

 鼻をひくひくと動かして空気の臭いを嗅いだ。誰かが侵入したのだったら、その人物の臭いが空気に漂うはずであった。しかし、その異質な臭いは一切彼の嗅覚に捉えられることはなかった。犬のような極端な感覚はなくとも、女性の香水や中年男性特有の臭い等、人には独特の体臭、臭いがまとわりついているものだ。それは短時間で空気中からすぐに失せるということは考えにくかった。衣類すらも臭いがあるのだから。

 ふと、絨毯に視線を落とすとそこにはノートが落ちていた。確かに机の中央に置いて落ちるはずはないのだが。それに、ここから飛び出した時に1度振り返ったが確かにノートは机の上にあったはず。

 窓は閉まっているので風で落ちたとも考えられない。やはり、誰かがここに来てノートを盗ろうとしたのだろう。そして、素早く連牙が駆け付けてしまったので、絨毯の上に落としたまま脱出した

のだろう。

 それにしても、感覚以外、人のいる形跡がなさ過ぎる。先ほどのキッチンの人影と気配、物音。彼は親友の失踪により、神経が過敏になっているのだろうか。とにかく、ノートを掴んだまま1通り家中を探索したが不信なものは何1つ見つけることができなかった。

 幻聴、幻覚。疲れているのだろうか。ここ1週間、彼は親友の捜索に全力を費やしていたので、きちんと食事や睡眠を取っていなかった。もう、これ以上、親しい人を失うことだけは避けたかったのだ。疲労が溜まっているのだろうと、ベッドに寝そべりノートを開いた。

 懐かしい綺麗な文字は流れるように走っていた。


                      2


 かけがえのない存在の葉月涼はづきりょう)が自動車事故で死んで7年になるだ

ろうか。あの頃のショックは未だに癒えることはない。私は例年のように命日の日に彼の埼玉にある某墓地に墓参りに出掛けることにした。

 すると、そこには涼の親友だった夏目(なつめ)()(あし)が黙祷をしていた。日葦は大学時にロンドン留学に行き、その間に涼はこの世から去った。

 だから、彼の悲しみ、わだかまりは半端なものではなかった。

 鮮やかな花束を10本備えて目に涙を溜めているのを見て、近くに寄ることは出来なかった。この丘の上の爽快な風の通り過ぎる見晴らしのいい墓地は新設されたばかりのところである。今までの私の習慣

はこの日で終わりを告げた。

 そして、諦めていた彼の死を今になってこれをきっかけとして探ろうと思った。

 駐車場はお寺から少し離れたところにあったので、その間初夏の自然を満喫していた。鮮やかな藤が馨しい香りを漂わせながら下がっている。それを見上げながらゆっくり歩く。雨の降りそうな臭いが鼻について空を見上げた。灰色のどんよりした雨雲が今にも冷たい水滴を落としそうになっていた。そこで少し足を速めることにした。

 駐車場には2台の車が止まっている。そのうちの1台、流線型のミニバンは私のものである。もう1台はスポーツカーである。あの、紳士的な日葦の趣味ではないように思えたので首を傾げたが、気にせ

ずにそのまま車に乗り込んだ。

 MDの音楽がスピーカーから流れる。それに合わせてハンドルに指でリズムを取りながら北に向かう。細い路地を縫っていくとやがて、大通りに出た。

 ―――彼の敵は必ず取る。それだけが今私の全ての行動の原動力であった。

 7年前の事故として処理された迷宮入りの事件の捜査なんて不可能だろう。でも、それでも私は諦めることはできなかった。警察も賢明な日葦も答えを見つけることのできなかったこの事件。

 その為に私としても事故――事件――が起きてからずっと調査をしていたのだ。そして、ある人物達に辿り着いたのであった。そして、私は彼らのいる屋敷に向かうことにした。そう、葉月涼が死ぬ前に向かおうとしていたあの屋敷へ。


 彼らは何故、涼を殺害してしまったのだろうか。その調査の内容を1度整理してみることにした。


1.彼は見晴らしのいい通りで脇の電柱に車で激突した。目撃者が1人もいない為に詳しい状況は分からない。

2.彼は数々の事件を夏目日葦、月代連牙と解決をしている。その犯人、もしくはその関係者による犯行かもしれない。(日葦の父は腕利きの探偵でその事務所に3人はよく集まって探偵の真似事をしていた)

3.警察の見解では車に何も細工されてはいなかった。

4.彼は急いでどこかに向かっていた。


 彼の行き先はどこで、何故そこまで急いでいたのだろうか。それは調査の結果を次に示すことにする。

 彼の部屋に入る。彼と友人であった私は彼の母親にすんなり彼の部屋に通された。

 彼は誰かに呼び出された形跡があった。従妹の(かなめ)が彼の携帯電話が鳴ってすぐに家を飛び出したことを証言している。勿論、その時に彼の携帯電話の着信履歴をすぐに調べた。警察はただの事故として処理している為に彼の持ち物は部屋の中に取り残されていた。

 …しかし、そこには連牙の名前が表示されていた。親友の連牙が涼をどうこうしようとする訳はない。きっと、用事、または世間話の為に電話を掛けたのだろう。推測すると、その時にはすでに彼は電話に出ることはできなかったのだろう。着信時間は事故、あるいは事件の時間前後であるのだから。

 その前の着信履歴を見る。時間は彼が事故を起こす30分前である。名前はでなかったが、電話番号が表示された。そこを追及するとある旅館に辿り着いた。私が最初にそこに訪れたのは、彼が死んで1週間のことであった。そのときは何も捜査の成果を得られず諦めたのだけど。

 ここで、葉月涼なる人物の分析を私なりに行うことにする。

1.極端なくらい内向的、かつネガティブ。哲学的なタイプ。

2.だが、自分を犠牲にしても人を助けるほどのお人よし…優しい性格である。

3.自信がなく落ち込みやすい。しかし、人に好かれるタイプ。

4.特に夏目日葦は彼を慕っていた。

5.死をも恐れず、暗闇、恐怖、その全てに臆することはなかった。それどころか羨望していたのかもしれない。


 彼は数多くの人物に好かれていた、否、崇拝されていた。何故殺されたのか分からない。怨恨の線も考えられない。とにかく、答えはその旅館にあるだろう。その旅館の名前は九頭(くず)竜館(りゅうかん)とい

った。埼玉から程遠いそこへどんな用事があったのだろうか。

要が彼が電話で話をしてから飛び出した時の話の中に『九頭竜館』という言葉が出てきたらしいのだ。いくら小学生中学年といえどもそんなに間違いはないだろう。

 その後、すぐにネットで調べた。なかなか『九頭竜館』という言葉は検索に引っ掛からなかったが、『九頭竜』という言葉は見つかった。

 

 『九頭竜権現』:富士五湖の1つ、芦ノ湖の湖神で湖中の小島の竜神祠に祭られている。かつて、九つの頭の竜が箱根周辺の人々を悩ませていたが、万巻(まんがん)上人がその竜を芦ノ湖のそこにある巨岩に呪縛した。これにより、民衆の安心を得た。この竜が九頭竜権現である。九頭竜の名から、福井県北部の九頭竜川を連想させるが、実際には無関係である。

 また、その姿から出雲神話の(高志(こしの))八俣遠呂智((やまたのおろち)に近い。これは八俣(八叉)というところからも九頭(ないしは八頭と尾)の蛇神とされて、肥の川と結び付けられている水神でもあり、湖神―――つまり、水神として九頭竜権現と共通点が多い。恐らく、多頭の竜蛇神は日本土着信仰の1つなのだろう。

 涼が最後に話をしていたのは、芦ノ湖の湖畔近くにある旅館であった。ふと、ある奇妙な感覚が私の背中を駆け抜けた。彼の携帯電話の録音機能の再生ボタンを押した。

 誰か男女が話をしていた。男性は低いバリトンの声で、中年のそれであった。女性の方は若いのか歳を取っているのかは分からない。声で歳を判断するのはそれだけ難しいということだ。特に女性は分

からない。それが口論となり女性が悲鳴を上げて静寂が訪れた。

 そこで音声が途切れた。

 これが彼が死んだ原因だったのではないか、そう思えてならなかった。ここでは彼らの会話の内容は割愛することにする。普通、出掛ける時には持っていく携帯電話を置いていったのはこの

重要な証拠を残すためであったのだ。


 その以上の様々な彼の情報の中で事件に関係しているであろう調査結果を元に、私は九頭竜館に向かう為に首都高に乗り西へと向かった。


                      3


 そこには古い書籍が無造作に落ちていた。それが私はまるで何かを意味しているかのように思えた。私の後ろから乗り出して、葉月涼の従妹の(かなめ)が埃だらけのそれを手にしてゆっくり汚れを拭った。

 すると、真っ白な表紙に題名が浮かび上がる。

 『妖魔の森の家』

 著者名はカーター・ディクスンで訳者は江戸川乱歩である。

 「これって、有名なの?」

 私はその愚問に目を丸くしてしまった。まぁ、普通の人にはその知識がなくて当然なのかもしれない。本当にミステリーフリークが減ったのだと実感せざるを得なかった。今では、エラリー・クイーンやアガサ・クリスティ、それどころかモーリス・ブラウン、コナン・ドイルや推理小説のパイオニア、かのエドガー・アラン・ポー、多彩なアイザック・アシモフさえ知らない者もいるという話である。

 ウルフもブラウン神父も知らない人が増えるのだろう。それを思うと私は寂寥感を感じずにはいられなかった。

 「これはかの有名なジョン・ディクスン・カーの別名ですよ。彼は名探偵ギデオン・フェル博士が主人公の時はカーの名で、ヘンリー・メリヴェール卿、通称HMが主人公の場合はディクスンの名を名義にしていたんだ」

 「カー、っていうのも有名なんだぁ。私はそっちも知らないけど」

 それを聞いて私は複雑な気分にならざるを得なかった。知る人は知る。という言葉を改めて痛感した。読書をしない人が増えたという言葉をよく聴くが、その余波の影響なのかもしれない。常識が常識でなくなっていく崩れ行く感覚を感じた。あえて、もうこの悲しき現実に触れることは止めた。

 私は何故、今になって親友の涼の死に疑問を持ち、こうやって彼の部屋を探っているのか。それには理由があった。最近になってある手紙が私のところに送られてきたのだ。

 『親愛なる日葦へ

   君の父君の探偵事務所の本棚の書籍の間にある手紙が挟まっていました。それは何と自分の死を予言した涼さんの僕達への手紙でした。とにかく、日本に戻って来て下さい』

 その封筒の中には涼の手紙もそのコピーも入ってなかった。機密を守るために業とであろう。いてもたってもいられず、グレートブリテンのロンドンの保険調査員の仕事を1年休職することにして日本に戻

ることにした。

 1年くらい何とかなるくらいの蓄えは十分備えていると自負しているし、彼の死の真相、その彼の最後の言葉をどうしても知りたかったのだ。


 すると、彼の部屋の戸口にある人物が気配も音も立てずに腕を組んで立っていた。彼らの知り合いの探偵、香住(かすみ)龍人(りゅうと)であった。不適な笑顔でその捜索の様子を楽しそうに眺めていたが、ふと、ポケットから右手の人差し指と中指で挟んだ白い封筒を見せるとやっと口を開いた。

 「やっと、日葦ちゃんも日本に帰ってきたか」

 「手紙をくれたのは香住さんですね。早く、涼の手紙を見せてくださいよ」

 「どうしよっかなぁ」

 指を器用に動かして封筒をくるくる回していたが、それを要が飛び出してキャッチした。龍人は頬を膨らまして業と子供っぽく拗ねた視線を要に見せる。彼女はそんな彼にしてやったりといった悪戯っ子のような

笑顔をにっと見せた。

 彼女もすでに大学生になっていた。そこで合気道サークルに入っているので、その動きは並大抵のものではなかった。

 「全く、変わってないなぁ。能天気で子供のところは」

 「そう言うな、俺がそいつを見つけなければ何も始まらなかったし、涼の死の秘密を知ることも敵を討つこともできなかったんだぜ」

 そんな2人のやりとりを余所に日葦はその封筒を要の指から何気なく抜き取り、中身の手紙を開いた。


 『この手紙を読んできるということは、すでに僕はこの世にいないということだね。でも、日葦達の言うように自ら命を断つという行為だけは結局避けられたことだけは救いだね。それに、これで生きるというこ

との辛苦からも開放されて、やっと安らんでいることかな。

 ところで、本題だけど僕は携帯電話にある伝言を残した。まず、僕の携帯電話を探してくれ。要なら知っているはず。そこから、君達ならある事件の現場と事件の推理、犯人の解明を達成できるだろう。僕はかつ

てある事件を目撃してしまった。正確に言うと夜の暗闇で、建物の光の逆光で犯人の顔までは判別できなかったのだが。  それを犯人に見られてしまったのだ。犯人からは建物から漏れる光で僕を確認できただろう。しかも、僕が何回も事件を解決して、警察が悩む大事件でさえ解決したことさえ知ることになるだろう。それを危惧に思う犯人はいつか僕を殺しに来るだろう。

 何を言い残していいのか、今は何も思いつかない。…今までありがとう。健闘を祈る』

 日葦は手紙を握り締めると要に向かって携帯電話の在りかを尋ねた。

 それを見て龍人はいよいよ全てが始まったのだと、まるで、推理ゲームを楽しむかのように2人を見ていた。

 出口の近くの棚の2番目の中に携帯電話がもう使用されることのない持ち主を待って充電を続けていた。それを取って着信履歴を見ると日葦はメモにさっと控えるとポケットに手を差し入れた龍人が近付いてきて、あっさりと言った。

 「その電話番号は芦ノ湖の近くの九頭龍館っていう旅館のものだよ。しかも、僕と日葦ちゃんの分を予約もしているしね」

 結局、半ば無理やり用意周到の龍人に連れて行かれるように本栖湖に向かって彼の似合わぬミニクーパーは出発した。

 まるで全てが定められし、歪められたメビウスの帯のような形の運命の歯車が回り始めたようであった。そのある何かのトリガーが引かれたのだ。


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 日記を含めて机上のノートの山をDパックに詰めて連牙はリビングに下りた。先ほどの人の気配は今はしない。そこでさっとポケットからダーツを取り出してキッチンの壁に投げた。

 対面キッチンから顔を出したのは、見覚えのある端麗な顔立ちの青年であった。その姿は奇妙で、三白眼の白い逆立った髪に革ジャンに皮のパンツであった。

 「お前は翔」

 彼の名は翡翠(ひすい)(しょう)。彼の高校時代の同級生であった。しかも、ある特殊な能力を持っていた。ヴィジョン、知り得ぬ情報を映像として、網膜、脳裏、頭の中に写すことができる。ただし、ランダムでそれを操作することはできないのだが。そして、勘が鋭く感覚が凄まじく敏感であった。勿論、連牙に負けぬくらいの格闘の腕前は持っていた。感情をけして表に表さず、人と接するのを極端に避けた。

 「お前、それを見たんだろう?」

 「ああ」

 ソファにふんぞり返った連牙は足を組んで深く頷いた。それを一瞥して翔は首を横に振った。

 「九頭龍館には行くな。すでに解決して、そこにいた者達の日記が今、お前のカバンに入っている」

 「一体何があったんだ?」

 翔は彼の向かいのソファに重い腰を下ろすとタバコに火をつけて天井に向けて大きく煙を吐いた。

 「まぁ、いい。教えてやろう」

 彼はテーブルの灰皿にタバコを押し付けて黄色いサングラスを掛けると窓の外を眺めた。そして、右手の人差し指を連牙のカバンに指差した。

 「まず、緑のノート、そうさっきお前が読んでいた奴を出せ」

 彼は言われた通りに翔が言ったと思われるノートを取り出す。

 「その9ページを見ろ」

 言われるがままに彼はノートを開くと細かい丁寧な文字が川のように流れていた。それに視線を走らせるとみるみる表情を変化させていった。


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 本栖湖は鉛色の水面を淀ませている横を通り、車はやがて森の中のロッジ風の旅館の駐車場に辿り着いた。本来より1時間は余計に時間が掛かっただろう。方向音痴ということもあるが、相当迷ってしまったのだ。

 私はスーツケースをトランクから下ろして大きく息を吸った。とても冷たく爽快な空気を肺に満たすと玄関への方に視線を向けた。

 ゆっくり玄関のドアを開けるとまずロビーに目をやる。その壁に掛かる日捲りカレンダーがなんとあの涼の死んだ日で止まっているのに驚き金縛りに掛かったような気がした。すると、奥から旅館のオーナーが現れて私の視線の先に興味を示した。

 「ああ、それを捲るのは家内の役目だったからね」

 私は我に返り視線を彼に向けた。

 「亡くなったのですか?」

 「ああ。さぁ、お客さん。お荷物をお持ちしましょう」

 彼はにこりと笑うと2階の階段のすぐ隣の部屋に案内した。

 さて、ここからが問題である。ここに彼が来たということはここにあの携帯電話に録音されていた声の主、おそらく女性を殺害した男性がいたはずである。7年後の今になって何ができるのだろうか。勢いで来ただけに途方に暮れてしまった。窓辺に頬杖をしながら森の木々の向こうにかろうじて見える湖を眺めなが

ら思案に暮れた。

 涼はあの携帯電話を証拠だからといって置いていくことをしたのだから、彼は決着を付けに来たはず。すると、犯人は彼がここに来ようとしていることを知っていた可能性もあるでしょう。

 すると、宿泊客がもう1組来たのか、駐車場の方からエンジン音が近付き止った。この独特の音はミニクーパーだろう、それにしては少し沈んだ音である。かなり、荷物と人が乗っているのだろう。

 気にしないで荷物の紐を解くと日記代わりのノートをテーブルに広げた。過去の出来事を見ながら思いに耽った。

 ここのオーナーは私をどう思っただろう。この時期に1人で旅行だなんて。しかも…。

 すると、エントランスから騒がしい声が聞こえ始める。きっと、今の時期にこんな所に来るのだから何かいわく付の宿泊客なのだろう。私と一緒で葉月涼の調査をしに来たか、あの中に犯人がいるか。

 でも、それもありえないかもしれない。何しろ、全ては7年前の出来事なんだから。


                      6


 やっと、狭い車から開放されると重い荷物を手分けして運び用意された部屋に辿り着くことができた。そこで、愚かしいほどの荷物を解くこともしないでこの旅館を調べることにした。部屋に龍人を残して。私達2人の他にも宿泊客がいるらしく駐車場には車が止まっていた。これは何を意味しているのだろうか。この時期にこんな所に…。

 旅館の主人に話をしようとロビーまで下りることにした。すると、あるものが眼についた。重要な手掛かりである。

 壁に掛かったカレンダーが何と涼が死んだ日で止まっている。ただし、年は涼の命日より1年前の年である。それがやけに気になった。すると、背後に旅館の主人がやってきて笑いながら声を掛けてき

た。

 「それを捲るのは家内の仕事だったんです」

 「すると、この日に…」

 「ええ、それから捲る気にも取り外す気にもなれなくてねぇ。これを残していたら家内が今にも帰ってくるんじゃないか、っていう気がして。馬鹿ですよね」

 少々、彼は俯いて暗い顔をした。冷静に私は質問をすることにした。

 「失礼ですが、奥さんはどうして」

 すると、怪訝そうに私を見ながら彼は口を開いた。

 「…殺されたんです。あの時期はここも賑わってましてね。近くにも沢山の旅館が並んでました。それに目を付けた悪党がこの近辺の旅館を次々と泥棒に入っていったんです。…実際、運が悪かったんで

す。泥棒がここに侵入してきたときにたまたま家内が夜中に外に出て行こうとしていたんです。お客様に頼まれたものを買いにね。で、鉢合わせして…」

 彼はそれ以上話を止めてしまい眼に涙を溜めた。私は質問できる状況でないと判断すると、礼をしてその場を離れることにした。

 次に外に出ると風に当たりながら頭の中を整理した。

 旅館の主人は嘘をついている。泥棒が侵入するくらいの真夜中に宿泊客の買い物に出るだろうか。まぁ、それも100歩譲って考えられるとして、泥棒がここに侵入しようとしてここで奥さんに見つかったとして殺人を犯すだろうか。その時期は賑わっていたということから人がいること、もしかしたら見つかる可能性も考慮しているはずなのだから、覆面をしていただろうし殺害に意味はない。

 むしろ、マイナス面しかないだろう。それほど愚かな窃盗犯がここら辺の旅館を立て続けに窃盗を犯し、結局捕まらなかったということも矛盾している気がする。

 では、何故主人は嘘をつかなければならなかったのか。それは何か知られたら自分に不利なことがあるからである。

 部屋に帰ると龍人の持ってきたノートパソコンを取り出して立ち上げるとネット用PCカードをスロットに差し込んでネット回線に繋いだ。

 過去の新聞を調べる。確かにこの辺は賑わっていて泥棒が多発していたらしい。しかも、結局犯人は捕まっていないとのことだ。やはり、予想通りだ。

 …しかし、殺人についての記述は載っていない。警察はこの窃盗犯の事件とここで起きた殺人を結びつけていないのだろう。主人がそう思い込んでいると見せかけて、窃盗犯が殺人犯と勘違いさせるように話をしたのだろう。

 「何か分かったかい?」

 ベッドで雑誌を眺めている龍人が気のなさげにそう言った。

 「まぁね。大体情報は揃った。後は2つ確かめたいことがあるんで失礼しますよ。貴方は他の宿泊客がいるはずです。おそらく1人。怪しいと思いませんか?ちょっと調べてもらえませんか?」

 「確かに僕は探偵だ。しかし、依頼の契約なしの仕事はしない主義でね」

 「おまけに好きな仕事しか受けない」

 「1人で何もできないようなら、涼の敵討ちは無理だな」

 「分かりましたよ、いいです。全て自分でやります」

 私はまず、主人にある程度その賑わった昔の話を聞き、殺害された被害者の死体を捜すためにこの屋敷の周りを這いつくばることにした。


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 私は部屋を出ると早速捜査を始めることにした。ロビーに行くとエントランスを掃除している旅館の主人に話し掛けた。

 「え、7年前のことなんて覚えていないですよ。それにあの時期は賑わっていてお客様は10組近くいらっしゃっていましたし、家内の殺された日でもあるんです。あまり、記憶が鮮明でもないですし、正直思い出したくもないですね」

 しかし、残酷でもあるけど私はそこで引き下がらなかった。

 「…仕方ありませんね。どんなお客様がご宿泊されていたと言いたいのですか?」

 少々不機嫌に主人は吐き捨てるように尋ねた。

 「そうですね、バリトンの効いた声のおそらく中年の男性はいましたか?それも1人で宿泊していたと思われるのですが」

 半ば気が引けるところもあったが、心を鬼にして質問をいくつかぶつけることにした。

 「そんな人はいませんでした。基本的にここにはお1人でお泊りになられる方はいらっしゃいません。ただ、1人例外はありましたけど。10年前くらいになるでしょうか。ある有名な小説家の先生が缶詰になられたことがありまして」

 「それでは、奥様が亡くなられたときの状況を教えて下さい」

 彼は俯きながら呟くように言葉を噛み締めた。

 「私はお客様のお相手をしていたので、代わりに家内が夜遅くお客様のために買い物のために外出したんです。そのとき、庭で…」

 「すると、犯人が窃盗犯というのは貴方の推測でしかないのですね?」

 「他に誰が考えられますか!家内ほどよく出来た人間はいません。誰かに恨まれることもなければ、気分を害させることさえないほどよく気の利く奴だったんですよ」

 私はそこで主人が何故か本心を語っていない気がしたので、そこで質問を止めてその庭に出てみた。

 …見たことのある気がする、初めて来たはずなのに。()(ジャ・)(ヴュ)なのか、それとも正夢でも見たのか。

 その庭は日本庭園というよりはちょっと豪華なガーデニングといった感じだった。

 『誰なの?何の用ですか?』

 あの彼の携帯電話に録音されていた声がリバースする。あれはここの奥さんの声だったのだろうか?やけに鮮やかに思い出される。

 『話があるんだ。真面目な話なんだから、ちゃんと聞いてくれ』

 すると、あのバリトンは窃盗犯?違う。もし、あの女性の声が奥さんのものだったら、あんな会話をするはずもないし口喧嘩になることもないだろう。

 どう聞いても知り合いで男性が言い寄っている感じであった。嫌、何かを頼んでいたのかもしれない。あの話の内容だけでは、意味合いまでは判断できないけど、それでも仲の悪い間柄でもなければ偶然殺してしまったといった感じだった。口論もそれほど憎しみ合う感じではなく、知り合いの意見の食い違いによる言い合いと言った方が相応しい。その前の話がそうであったように。

 すると、私の1つの推論はどうであろうか。

 親しい者同士の不幸による殺害。事故だったのかもしれない。犯人は主人か愛人か宿泊客か、その他の人間か。主人はアリバイがあったらしいけど。

 …そのとき、この庭の夜の光景がフラッシュバックした。妖艶な三日月の綺麗な小さな建物の陰で男性と一緒の自分。

 何故、そんな経験のないことが記憶にあるのだろう。私はどうかしてしまったのだろうか。事件の捜査に没頭するあまり妄想に捕らわれてしまったのかもしれない。きっと、疲れているのだ。

 自分にそう言い聞かせて今日は部屋で休むことにした。たまたまその日は他の宿泊客に会うことはなかった。

 

                      8


 翔は連牙がある程度日記を読み終わるのを待ってから沈黙を破った。

 「どうだ?そこまでで何か分かったか?」

 すると、首を捻って連牙は自信なさげに口を開く。

 「まず、このノート2冊は別々の、たぶん涼の知り合いの女の子と日葦の2人の日記だってことだ。次に犯人は旅館の主人で被害者は奥さん。それを旅行に来ていた涼がたまたま見つけて咄嗟に証拠を残すために携帯電話に録音した。それを主人は気付いて後で涼を殺した。…どうだ?」

 すると、意味ありげに翔は鼻で笑い首を横に振った。

 「それが本当なら、涼を1年も泳がせる意味がない。事件が公になる前に、名探偵で難事件を解決している涼を早く消す必要がある。仮に普通の人間であっても、犯行を見られて殺したのならすぐに口封じしたはずだろう。旅館の帳簿で涼の居所はすぐ分かったはずだしな」

 そう言うと溜息をついてさらに続けた。

 「それに見逃している重要な手掛かりがある。まず、主人はお客を相手してアリバイがある。その女性は既視観を何度か経験している。それに、2人の日記に書かれたことは全てが真実じゃない。主観性が大半を占めている。つまり、勘違いしていることも真実のように書かれているんだ。推測もそうだ。それじゃあ、ヒント編としてさらに読んでみてくれ」

 連牙は馬鹿にされているように感じて少々怪訝そうに彼を睨み、その先に視線を走らせた。


                    9


 そう、やっと私は見つけたのだった。あの携帯電話には周りの音も入っていた。それには水の音が微かに入っていた。そう、中庭の池の近くに死体は遺棄されて今も発見されないまま密かに残っているはずである。池の中は透き通っていて玉砂利が敷き詰められている。そこに破棄をしようとは思わないだろう。  

…すると、その近くに埋めたのか?

 会話から計画性のない殺人であるので、埋める道具を用意しているはずはない。建物の基礎部分にはやはり隠蔽は不可能。ましては…。

 そんなに遠くに運ぶ訳もないはずだ。すると、必然的に死体遺棄場所は絞られてくる。私は池の向こうの小さな倉庫の扉を開けようとした。しかし、鍵が掛かっている。しかし、倉庫しか考えられない。あの犯行の中心は倉庫である。屈んで倉庫の基礎部分を見る。水切りに1箇所凹んでいる場所を見つけた。そこには変色も見られる。銅板の酸化によるものとは違う、そう、何か黒い液体がこびり付いたような感じの

ものである。

 思わず突き飛ばして頭をそこにぶつけて息を引き取ったのだろう。ますますこの倉庫を死体隠蔽に利用しようと考えるのは必然である。今は施錠してあるが、当時は多忙で賑わっていたので倉庫の扉は開

放されたままの可能性も高い。

 ロビーに引き返すと主人に倉庫の確認の許可と鍵を借りた。そして、当時、やはり頻繁に倉庫を開け放たれたままだったことを確認した。中庭に出ようとしたその時、1階の自分の部屋に入ろうとするもう1人の宿泊客の女性が見えた。あちらは私に気付くことはなかったようだ。そこで、私は何か気に掛かる、心に引っ掛かる違和感を感じた。

 この時期に何故こんなところに。考えられるのは涼の殺害、ここで起きた殺人の捜査である。しかし、今頃になって…。

 私はこっそり宿泊名簿を覗いた。

 『()(わたり)瑞穂(みずほ)31歳』

 樋渡…瑞穂。どこかで聞いた気がした。そう、大学時代の涼の1つ上の部活の先輩で涼を気に入っていた女性もそんな名前だった気がする。私はロンドンに留学していたが、手紙は良く涼から来てい

たから彼の身辺の情報は記憶に収まっている。

 そこで、あることに気付いた。犯行のあった日に涼はここに来ていた。そして、あの殺害を目撃してしまった。でも、涼は何故ここに来たのだろう。主人の話では1人の宿泊客はいなかったはず。

 倉庫の奥の建物が体育館であること、涼の部活は運動部で年に2回合宿を行っていたことから、涼は部活の合宿のためにここに宿泊していたのだろう。

 つまり…。

 中庭の倉庫の中を開いて改めて頷いた。ここに死体があるのだと。否、白骨死体が。様々な道具、箱、その他の荷物を掻き分けて奥に進むと妙に鼻に付く異臭に思わず鼻を摘んだ。巨大な信楽焼きの狸の背後の穴から中を覗きポケットのペンライトを照らすと白骨が転がっていた。

 全ての点が線に繋がった。当時はここまで死体を運ぶことはできただろうか。

 ロビーに戻ると、主人に倉庫について訊いた。その頃は倉庫を作ったばかりでいらない骨董品しか仕舞っていなかったらしいので、荷物はほとんどなかったそうだ。今は取り壊された古い倉庫に全て

収まっていたらしい。

 すると、例え女性であっても男性の死体をあの狸まで運び中に隠すことも100%不可能とは言い切れないだろう。ましてはあの時は火事場の馬鹿力を発揮したに違いない。

 私は部屋に戻ると推測を龍人に話した。しかし、彼は挑発するように横目で私を見て言った。

 「でも、動機は?それに…」

 その2つの質問には答えられずにその日は思案に暮れて終わった。


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 「何か、あいつ、これをまるで俺に読まれるのを予知していたかのように俺に挑戦的に書いてないか?」

 「かもな。あいつは何しろ涼の推理の師匠だし、涼以上の賢明な頭脳を持っているからな」

 「お前の方が凄いけどな。例の能力」

 彼は連牙を睨むように上目遣いに一瞥した。そう、翔は特殊な能力を持っている推理よりも真実に近付くのに容易な能力。

 前述の『ヴィジョン』の能力である。ランダムでコントロールはできないが、脳裏や網膜に自分の知り得ない情報を映像として見る力である。これなら証拠を集めなくても運が良ければ犯人の犯行のシーンを見ることで全てを知ることができる。しかし、コントロールできないために自分の見たいものを見ることは非常に困難であるのだが。

 「で、分かったのか?日葦はかなりのヒントをくれてるぜ」

 連牙はそれでも困った顔をして首を捻っている。それを見て呆れ顔を見せた翔は言葉を零した。

 「お前は先入観を捨てるということができないんだな。その日記の主観性にまんまと騙されてしまっているんだ。1人称小説はその利点を最大限に利用されるためによく使われる。サー・アーサー・コナン・ドイルは別にしてな。人の眼で見て考えてそれが言葉になっているので、嘘、勘違い、つまり真実と違うことも書くことが許される。通常のミステリーの暗黙の了解の文章は正しいことしか書いてはいけないという定石を壊すのに、一番手っ取り早くメジャーな手法だが、それとそれらの日記は同じ効力を持っている」

 「勘違い…。思い違いしていること…か。で、その後どうなったのか教えてくれ。日記はその後の解答が書いてないんだ」

 テーブルの上に指を突き付けて意味ありげに笑みを見せて翔は重い口を開いた。

 「まず、1つ。最後の日葦の言葉」

 「あれは比喩だろう。女が男の死体も運べるくらい余裕だって言う…違うのか?」

 しかし、その質問に答えず次に、

 「もう1つ。結構、『ましては…』、『それに…』が多いがそれは何故か」

 「うーん。あいつの性格から俺が誤解していることから真実を隠すため。そうか、最初の『ましては…』は、ましては女性なのだから遠くに死体を運ぶことはできない、か」

 翔は背を伸ばすと腕を組んで煙草をくわえた。

 「お前にしては上出来。そう、今まで電話の録音の音声と旅館の主人の妻が殺害されたことから男性が女性を殺したと勘違いしてしまったんだ。あの女性もお前も。日葦はちゃんと見抜いていたらしいな」

 連牙はノートを見返しながら呟いた。

 「そうか、主人の奥さんの事件と涼の事件は別物だったんだ。やられたなぁ」

 「それに悲鳴だって、襲われて悲鳴とともに突き飛ばし逆に男性がよろけて倒れて頭を強打して死んだ、ということも考えられる。そう、犯人は中庭に一人でいるところを男性に襲われた。そして、さっき言った通りになった。これで動機は解明できた」

 「で、『それに…』は、犯人が樋渡瑞穂で、何故、同じ時期に自分の犯行の捜査をしているか、だろう」

 「予想以上だ」


 「…お前、俺を馬鹿にし過ぎだって」

 「でも、何故かは分からないだろう。そう、彼女は犯行のショックの大きさからその日のその出来事を忘却の彼方に追いやってしまったのさ。そう、短期の記憶喪失だ。だから、涼を思っていた彼女はその敵討ちのために行動を起こしても不思議じゃないんだ。結局、彼女は諦めて帰ったんだけどな。後で日葦が彼女の宿泊していた部屋を覗いた時にその日記のノートがデスクの引き出しに忘れられていたという訳だ」

 「でも、涼を殺害したのは瑞穂って女じゃない可能性が出てきたな」

 「そう、正解。彼の事故はまさしく本当の彼の運転ミスによる事故だったんだ。彼の残した手紙が事故と携帯電話に残された録音音声から事故を事件と勘違いさせたんだ。これが全てだ。元々、涼があんな手紙を残すのが日葦の誤解するきっかけになったんだ」

 そう言って立ち上がると翔は振り返って1言を言い残して去っていった。

 「その捜査の後、真相が分かった日葦はここに日記を残してロンドンに帰ったぞ。お前、本当にあいつの親友だったのか?」

 その言葉が胸に刺さり連牙は唖然としたまま、何も言うことができずに全身の力が抜けてソファに倒れこんだ。

 ―――そうじゃない。あいつは俺を信頼しているから、あえて会わずに帰ったんだ。

 そう連牙は自分に言い聞かせた。

 それにしても、翔は連牙にその説明するためにここに来たのだろうか。彼は腕組みをして不思議に思ったが特に深い意味はないと言い聞かせて考えることを捨てた。そして、もう1度日記を読み返すことにして感慨に耽った。


                     11


 連牙が真相を知る少し前のことである。成田空港にいる日葦は龍人と話をしていた。

 「いいのか?連牙に会って話をしなくても」

 「いいんですよ。ある人物がすでに彼に説明をしてくれているだろうし、ヒントを涼の部屋に残してきたからね」

 そう言って笑顔で龍人から離れていった。その後、彼は重い荷物に思い出と悲哀を詰めてそっと独り言を呟いた。

 「全ては翔が終わらせてくれるだろう。例え、それがどんな結果(ラストシーン)になったとしてもね」

 龍人は彼が見えなくなるとふっと笑ってきびすを返して歩き出した。しかし、すぐに足を止めて脳裏に過ぎったことを考え込んだ。

 …すると、九頭龍館の主人の奥さんの事件はどうなんだろう?暇だし、調べてみるか。

 彼のその事件の捜査はここでは割愛することにする。


 瑞穂が犯人だということを突き止めた人物がもう1人いた。殺された男性と婚前旅行に来ていたフィアンセだった女性である。彼女は彼氏が亡くなってから、真相を探るためにこの旅館で働いていたのだ。そして、日葦と龍人の捜査の後の推理話を立ち聞きしていたのだ。

 彼女は捜査を諦めて旅館から出ていく瑞穂の後をつけて旅館の裏のガレージに止めていたマーチを運転していた。そして、高速に乗りインターに止まったときに敵討ちを実行しようと心に決めた。

 予想通り、インターに入った瑞穂が車を止めて店に入っていくのを確認すると彼女の車のブレーキを細工しようと車に近付いた。

 しかし、背後に気配を感じ慌てて振り返るとそこには見知らぬ男性が立っていた。ヴィジョンの能力で瑞穂の交通事故死を知った翔である。それを未然に防ぐために瑞穂を監視していたのだ。

「止めておけ。そんなことしても彼は喜ばないぞ。それに悪いのは彼の方だ。彼女は正当防衛と言える」

 「あんたは誰よ。何故、関係のない人間をそこまでして護る?」

 「誰であろうと不幸になろうとする人を助けようとするのは自然だろう」

 「何故、人間を殺すことがいけない?そいつは最悪の女なんだよ」

 「俺は例え、親、恋人を殺した人間でも最悪の存在でも命を取ろうとはしない。個人的にはそれは感情的に最悪の心だと思うがな」

 「邪魔しないで。私の気持ちも知らないで。この7年の間、どういう風に生きてきたか分かると言うの?」

 「俺はどん底の気持ちを知っている。だから、どんな心の傷も闇も分かるつもりだ。その俺が止めろと言っているんだ。今更敵討ちもないだろう」

 「7年分も恨みが私の心に詰まっているのよ。今更も何もないわ」

 仕方なく瑞穂の車と彼女の間に割って入って鋭い視線を放つ。流石に畏怖を感じて彼女は翔から少し後ずさりした。

 「全ては終わったんだ。諦めろ」

 彼女は泣き崩れて膝を地に付いた。それを見て翔は悲哀の瞳を向けてそのまま自分の車に向かっていった。

 後は彼女が車に細工しようが、翔の言葉に感化されて諦めて帰ろうが彼は関心がなかった。なぜなら、彼は瑞穂が無事なヴィジョンを見ることができたからだ。そして、ハンドルを握り連牙のいる涼の家に向かうことにした。涼の家に着いたら少しからかってやろうと思って少し笑った。

 すると、後方から瑞穂の車が猛スピードで彼のGTRを追い越して前方でトラックに激突して爆発した。彼は自分の目を疑った。あのヴィジョンの元気な瑞穂はなんだったのか。あの女性は翔の言葉に何も感じなかったのか。何より、ヴィジョンの能力は狂ってしまったのだろうか。ヴィジョンの力で見た未来の光景は自分がそれを見た後に結果を変えようと手を下さない限り、ヴィジョンの結果を覆すことは万に1つも考えられない。

 心の中の戸惑いを隠しきれずにそのまま止まった前方の車の間を巧みなドライブテクニックで交わしながら進んでいく。止まっている車の中の表情達は凄まじい驚愕の表情で凍り付いていた。目の前の炎を前に翔だけはさらにスピードを上げる。

 その惨事の間をスタントマンさながら擦り抜けるときに横目で確認した。瑞穂の車の運転席はドアが開いて女性が倒れていた。その女性の顔は紛れもなく瑞穂ではなく先ほど彼女を殺害しようとしていた女性であった。

 翔は複雑な心境になったが、これも運命と黙祷してアクセルを踏んだ。自分の言葉が彼女にあの行動を起こさせたのかもしれないと思ったが、それも運命と自らを納得させてそのまま炎の中を突っ切っていった。

 ―――彼女は彼に地獄で会えただろうか。このまま復讐という生き甲斐をなくし、絶望と悲しみの中で生き延びていたのと、ここで仇の大事な車とともに命を費えたのとどちらが彼女にとって幸せだったのだろうか。

 瑞穂はインターで困っているだろう。そして、この惨事より警察に事情聴取されることになるだろう。あの事件の犯人であることが警察に分かってしまうだろうか。

 そんなことを思いながら視線をスピードメーターにやると180キロを示していた。そのまま彼はやり切れない気持ちを吹っ切るようにアクセルを踏み続けた。

 全ては周りの景色とともに、歪んだ運命のままに流れていくのであった。


                     完

懐かしい物語である、涼の死の真相を今までのシリーズの中に入れて書いたものです。

テイストが違うのは推理物の続きという位置付けだからです。

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