1
私ブランチェスカ・アルバーレは気付いた時には自分を偽っていました。
何故偽るのか。それは自分以外の人間を恐ろしく感じているからです。
何を考えているのか分からなくて、不興を買えばどんな事をされるのだろうと想像するだけで恐ろしく、震えました。
そんな私は"いい子"を演じました。
ここで言う"いい子"とはイエスマンの事です。
常に人の顔を窺って、その人の望んでいる事に応えるのです。
それは物心ついた時から始まった事ですから、十五になった私にとってもう慣れた事でした。
完璧に本心を隠して失望されない事にばかり気をやっているのです。
人の気持ちを察する事には人よりは長けていると思います。
疲れますが、それよりも人から向けられる感情が恐いのです。
私は貴族ですから恵まれていると思われがちですが、全くそうとは思いません。
毎食家族と使用人達に囲まれながらする食事は一度も美味しいと思った事はなく、早く地獄のような時間が終わる事を祈って胃に詰め込んでいるのです。
家族との何気ない会話も失敗しないように気を張っているのです。
また、家族からの愛が重く、縛りつけられているような感覚に陥ります。
普通は幸せ者だとなるのでしょうが私の場合、そう感じる事で人間として不適合者の烙印を押されているようで死にたくなるのです。
人と関わらなければいいと思うかもしれませんが、貴族ですし、なにより人と離れるという事が考えられなかったのです。そこはやはり私も人の子だったのでしょう。
私が異常なのは自覚していますし、他人と食い違っている不安で発狂してしまいたい事もありました。
でも"いい子"であれば見捨てられる事は無いですし、評価もまずまずなので止める日は来ないと思います。
両親にさえ本心を隠すのは骨が折れますが、それでも今の所成功しています。
使用人にも気を使い、本当に休めるのは自室で一人の時間だけでした。
普段は刺繍やレース編みといった令嬢がするお決まりの趣味をしています。それを周囲が望んでいましたし、無心で出来るので暗い思考になった時に重宝します。
しかし最近は別の事をしています。それは恋愛小説です。
人払いしてある自室で巷で人気の恋愛小説を読む。
これは両親に何か欲しい物は無いかと訊かれ返答に困っていると、お母様が提案したのに乗っかって頂いた物です。
この小説のように私に春が訪れる事は一生無い事でしょう。
私に熱心に愛を囁かれても心は真冬のように冷たく、動く事は無いと断言できます。
私に魅力があるとは思えませんし、人から与えられる不確かな物を信じる事が出来ません。
しかし心とは別に空虚な愛を返す事は出来ると思います。
私にとって愛する者と結ばれるより、政略結婚でお互い愛の無い生活をする方が楽なように思えます。
ないとは思いますが、もし私に好きな人が出来たとしたら地獄の日々が続くでしょう。
恋愛小説によるといつでも好きな人の事を想うらしいです。髪型を変えてみたりして気付いてくれるか期待するというのです。
良く思われたい。嫌われたくない。そんなのはもう充分です。毎日そう考えている私はもうそれに割く余裕はないのです。
この小説の胸焼けするような甘い台詞にはほとほと嫌気がしました。
この現実味の無い物語だからこそ人々に受けているのでしょうか。全く理解出来そうに無いです。
今日はもうここまでにしとかないと頭痛がしてきそうでした。
それに明日は私の舞踏会デビューなのです。
王家主催の舞踏会ですから参加しない訳にはいきません。
元々私には何処の舞踏会でも拒否するという選択肢はありません。ただ唯々諾々と従うのみです。
この鬱屈とした気持ちを鎮める為にもおまじないがしてある香り袋をゆっくり吸います。
おまじないとは呪い士と呼ばれる方が道具に効果を付与する事を言います。
この香り袋にはラベンダーの匂いと気持ちを落ち着かせるおまじないが掛かっています。
リフレッシュした私は明日、完璧な子爵令嬢にする為に姿見の前で微笑みの練習です。
鏡にはミルクティー色と言われた真っ直ぐな髪に、蜂蜜色の目。表情の無いのっぺりとした顔が映っていました。
それに微笑みの仮面で臆病で不適合者の私を覆い被せば、私の完成です。