第3章 中国編 -東方激闘録-
―ヨウ・カイヤンの軌跡―
「はあっ、はあっ・・・」
イタリア人剣士ソペルコ・バスッチオは予想外の苦戦に焦りを募らせるばかりだった。
「ふん、随分と強そうな剣を持っているみたいだが使い手が単なる能無しではその真価も発揮出来ぬという事か。」
「何だと!ならばこの剣で串刺しにしてくれるっ!!」
満身創痍のソペルコがやぶれかぶれで剣先を向けて突っ込んでくる。
バキンッ!
「そ、そんな・・・」
しかし、ソペルコ捨て身の突きも中国人拳法家ヨウ・カイヤンの前では全くの無力に過ぎなかった。
あろうことかカイヤンは自身の拳でソペルコの剣を折ってしまったのである。
「さて、ここらで終わりにしてやろう。鋼鉄拳!」
ドボオッ・・・
「がはっ!」
腹部への鋭い一撃をくらったソペルコは気を失ってそのまま崩れ落ちた。
「ウィナー!ヨウ・カイヤン!!」
結局、苦戦する事なく見事なKO勝ちでカイヤンは決勝戦へと駒を進めたのであった。
「諸君!3ヵ月後ケベックにて“ストレニーネカップ”を開催する!我こそはと思う者はどんどん名乗りを上げるがよい!なお、優勝者には賞金5万ドルと我が一人娘メアリーを妻として贈呈する!!どうて・・・もとい、独身ニートの諸君よ、この機会に強さをもって金と女をゲットだぜ!!」
カナダで五指に入るといわれる“ストレニーネ財閥”当主ゴードン・ストレニーネのそんな呼びかけから総勢128名の参加で幕を開けた“ストレニーネカップ”もついに決勝戦を残すだけとなっていた。
「小僧、貴様がここまで勝ち上がってきたチャイニーズか。大方くじ運にでも恵まれてここまで来たのだろうが決勝戦ではそうはいかん。金も女もこのフィランキー・ロジェッタフ様の物だ!!」
スチャッ!
ロシア人スナイパー、フィランキー・ロジェッタフはためらう事なく銃口をカイヤンへと向けた。
「ふん、キザ剣士の次はハゲ頭のガンマンか。いくら武器の持ち込みが可能とはいえ素手の人間を相手に屈してしまったら恥さらしこの上ないぞ。」
この大会のルールでは武器の使用が可能で、周囲に甚大な被害をもたらすようなミサイルやダイナマイトといった兵器でない限り特に制限は設けられていなかった。
「恨むなよ・・・ま、世界格闘連盟公式の大会である以上急所を避けて狙撃するから命までは取らんがな!」
バン!バンバンバン!!!
威勢良くフィランキーが銃弾を放つがカイヤンは巧みに回避する。
バンバンババババン!!ババババババン!!
「小僧、逃げてばかりではつまらんぞ!もっと俺様を楽しませてくれよ!!」
口ではそう言っているフィランキーだったが内心では逃げ回っているカイヤンの姿に快楽を感じていた。
「弾切れ狙いのつもりか!?残念だが俺様はまだ予備の銃を2丁ととっておきの散弾銃を持ってるんだよ!!果たして全部をよけられるかな!?」
カチッ、カチッ。
楽しんでいる間に最初の銃は本当に弾切れとなった。
「ふん、まぁいい。逃げ足の速さだけは褒めてやるとしよう。」
フィランキーがそれまで使っていた普通の拳銃を捨てて散弾銃を構える。
「うへへ。こいつが当たっちまえば一発で6個ぐらい穴が出来ちまうな。」
「・・・それは面白い。ならば四の五の言ってないで早くぶっ放してみるといい。」
しかし、カイヤンはそれに対して回避しようとする素振りを全く見せず両手を広げてその場に立っていた。
「さっきまでは俺の機動力を観客たちにアピールしたかったんで動き回っていたがもう飽きた。おっさん、そろそろ終わりにしようぜ。」
「あくまで俺様をコケにするか・・・ならばハチの巣にされて病院のベッドで一生後悔するがいい!!」
バァン!!
フィランキーはためらう事なく近距離からカイヤンへと発砲した。
「はっ!」
パシィッ!
しかし、カイヤンは放たれた6発の銃弾を全て素手でつかみ取ってしまったのである。
「通常の人間とはこのような弾で射貫かれて命を落とすというのか・・・脆弱なものだ。」
「そ、そんなアホな・・・」
目の前で信じられない光景に直面したフィランキーが狼狽する。
「今度は俺のとっておきを見せてやるぜ!」
「!」
ドゴオッ!
それは時間にして1秒にも満たない出来事だった。
カイヤンは目にも見えないスピードでフィランキーの懐へと潜り込んで腹部へと掌底突きをくらわせたのである。
「ぐぬっ・・・フィランキー様に向かって貴様・・・!!」
苦悶の表情を浮かべるフィランキーだったがカイヤンは攻撃の手を緩めない。
「苦しいか?だが安心しろ、次の一撃ですぐに眠らせてやる。」
「何だと・・・?」
「沈め!天昇流星落!!」
カイヤンは大空高く飛び上がると流星の速度で飛び蹴りを繰り出した。
ドガアッ!!!
「ぐわあぁーっ!」
カイヤンの蹴りが胸部に直撃したフィランキーはそのまま吹っ飛んで頭から場外に転落した。
既に意識はなく、フィランキーは即座にタンカで病院へと搬送されて行った。
「優勝!ヨウ・カイヤン!!!」
こうして、“ストレニーネカップ”を(全試合無傷&KO勝ちで)制覇したヨウ・カイヤンは多額の賞金とメアリー・ストレニーネというかけがえのない伴侶を手に入れたのである。
「ふん、この程度の相手ばかりなら勝てて当然だ。」
カイヤンの優勝スピーチには多少の問題があったものの、それでも観客たちは武器を使った相手を己の拳で次々となぎ倒して頂点に上り詰めたカイヤンに惜しみない拍手をいつまでも送り続けていた。
何はともあれ中国拳法よ、永遠に。
―WR2013③―
「「「トリック・オワ・トリート!」」」
「現れたなモンスターたちめ!お菓子の魔法で撃退してやる!」
カボチャやトマトの着ぐるみに身を包んだ小さな客人たちの前に包装紙に包まれた一口サイズのチョコレートがばら撒かれる。
「はっはっは、チョコの魔法とは愛い奴め!よかろう、今日のところはこれにて退散だ!!」
撒かれたチョコを一つ残らずかき集めると小さな客人たちは次の獲物を求めて速やかに撤退した。
「ほんと、にぎやかなものだ。」
自宅の庭を手入れしていたホワイト・ローズはハロウィンパーティーにはしゃぐ子供たちに微笑ましい気持ちになってくる。
いくつもの来訪に備えて菓子箱は用意していたがこれで10回目である。
「トリックオワトリート、菓子よこせ。よこさない、お前、イタズラする。」
「おや、君は同居人から施しを受けようとでも言うのかい?」
だが、いつの間にか背後に来ていたリンゴの着ぐるみに身を包んだ少し大きな客人に対してはローズは菓子箱を開けようとはしなかった。
「いいかいユマ?ハロウィンってのはね、基本的によその家に上がってお菓子をもらうものなんだよ。自分の家で親とか兄弟にねだるのとは違うからね。」
「・・・・・」
それを聞いたローズ家の居候ユマ・ハートソンはリンゴの着ぐるみをしたままの状態でうなだれる。
「分かった。私、方々回ってくる。でも、もらったお菓子、お前、あげない。」
「いいよいいよ。君が手に入れたのならそれは君の物だ。さあ、行っておいで。」
「ああ、行ってくる。お前たち、ポケット、中、大人しくしてる。」
「「「にゃ~。」」」
そして、大きなポケットに入れていたローズ家の愛猫たち(×3)に声をかけるとユマは家を出たのである。
「全く、色々と世話の焼ける子で退屈しなくて助かるよ。」
足元にすり寄っていた愛犬クロイツ(ドーベルマン・♂)の頭をなでながらローズが再び作業の続きに入る。
「動くな!!」
「!」
すると、今度は背後に死神の着ぐるみに身を包んだ大きな客人が銃口を向けて構えていた。
「ローズマングループCEOホワイト・ローズ。命が惜しければ私がいいと言うまでそのままにしていてもらおうか。」
後頭部に突き付けられた銃の感触が生々しくて気味が悪くなってくる。
「・・・分かった、動かない。その代わり僕の質問に答えてもらいたい。」
正体の分からない背後の敵にローズは気丈にも取引を持ちかける。
「いいだろう、早く言え。」
「君の目当ては何だ?」
「お前の命だ。」
「命・・・」
そこでローズは妙な引っ掛かりを覚える。殺害目的ならばこのような脅しなどせず即座に撃ち殺すはずなのに、と。
「こんな素敵な日に便乗してこのような行為を働くという事はよほどの恨みが僕にあるでもというのかい?」
「・・・いや、お前に恨みなどない。私にとっては相手は誰でも構わないのだからな。」
またしてもローズは妙な引っ掛かりを覚える。「相手が誰でも構わない」のならいくらハロウィンとはいえわざわざ他人の家に上がり込むような真似はせずに行き当たりばったりの通行人を狙うのでは?という考えが脳裏をよぎったのである。
「・・・・・」
それに、愛犬でありながらローズ家の優秀な番犬でもあるクロイツがこのような場面で何のリアクションも見せずに状況を見守っているだけというのも明らかにおかしい。するとこの客人は自分の知っている人間でこの家に出入りしているほどの間柄だという事か。
「君は僕の関係者で面識のある人間だろう。そして、僕を驚かせるためにわざとハロウィンを狙ってここに来たというワケだ。」
「・・・・・」
「大体さ、死神の衣装で銃を持って押し入るとか映画の世界の話じゃないか。それを現実に再現するなんてアメリカンジョークでもかなり毒の効いた部類に入ると思うんだけどね。」
「・・・・・」
「僕の愛犬を見てみな。家主が生命の危険に晒されているにも関わらず呑気に傍観と来たもんだ。つまり、君は彼が安心するほどに僕が心を許している相手だというワケだろう。」
「・・・・・こっちを向け。」
「・・・分かった。」
言われた通りローズは立ち上がって振り向き、大きな客人と対峙した。
「ご名答!!!」
バシャァァァン!!!!
次の瞬間、発砲された一発をまともに受けたローズは全身が水浸しとなっていた。
「はは、そういうオチね・・・」
「そういう事だ。つまり、お菓子はいらないからイタズラさせろ!って意味のユーモアさ。」
そう言って大きな客人が自分で衣装の頭部をめくりあげてみせる。
すると、ローズ旧知のジャーナリスト、エリザベス・ブラウンが姿を見せたのである。
「ローズよ。確かにアメリカンショートヘアーも定番で人気のある猫だとは思うが私としては短い足がシンボルのマンチカンの方が愛嬌があって好感も持てると思うのだがどうだろう?何だったらうちで飼ってるマンチカンの写真を見てみるか?今ちょうど携帯に・・・」
「ミス・ブラウン。あなたはそんな話をするためにここを訪ねたワケではないのでしょう。猫の話は後日するとして本題を先に話してほしい。」
自宅の客間にて、ローズは妙にくつろいでいるエリザベスをせかすように話を進めていた。
「そうか。なら早速本題に入るとしよう。」
エリザベスは、タバコを一服ふかすと淡々とした口調で口を開き始めた。
「先週の話だが・・・特ダネを求めて私は取材班と一緒に中国を訪問していたのだよ。その時に、農場で大麻を栽培している光景に出くわしてな。しっかり撮影して証拠を取り押さえて帰国をしたというワケだ。」
「で、それをどうして僕に教えに来る必要があるんだい?」
「・・・勘の鈍い男だな。その農場は上海の郊外に広大な敷地を持つ大農場なんだよ。」
「だから、中国の大農場で大麻を栽培している話をどうして僕のところに持ってくる必要があるのかって聞いているじゃないか。」
「・・・フッ!」
エリザベスがローズめがけてタバコの煙を乱暴に吹きつける。
「うっ、げほっげほっ。ミス・ブラウン。人の家に来ているんだから少しはマナーというものを・・・」
「その大農場の運営先は偉大なるアメリカ合衆国の偉大なるローズマングループという会社なんだよ!!」
「何だって!!」
バン!
エリザベスがポケットから取り出した写真の束を机上に叩きつける。
「論より証拠だ。その写真たちに目を通せば私がここに来た理由がイヤでも分かるだろう。」
「これは・・・」
明らかに違法と分かる植物がぎっしり並ぶ畑。大麻を吸引しながら焦点の定まっていない目をして談笑している従業員たち。出荷前の薬物に名前をつけながら仕分け作業をしている男性とカメラ目線でピースをしている若い女性。
そして、「ようこそローズマングループが運営する上海農場へ」という横断幕を掲げてマリファナの育てられた植木鉢を持った従業員たちの集合写真。
「おそらく彼らはこれが違法だとは思ってもいないのだろう。我々が撮影を願い出ても追い払う事なく喜んで応じてくれたぐらいだからな。」
「こんな事が起こっていたなんて・・・」
ローズの表情が少しずつ曇ってくる。
「ローズ。その写真は全部あなたに差し上げるとしよう。データは全部私のパソコンに残してあるから焼き増しはいくらでも可能だからな。」
「ミス・ブラウン・・・」
「その写真を手にしたあなたが今後どういう行動を取るかは知らないがその結果次第では全米を揺るがす特ダネになりかねないという事を肝に銘じておいてほしい。それと・・・この案件、もし無視や放置をしようものなら我々は容赦なくあなたを断罪するので覚悟しておいてくれ。」
そこまで言うと、エリザベスはローズの肩に手を置いてこう告げたのである。
「私は信じているぞ、ホワイト・ローズ。」
「・・・・・」
その夜、ローズは居間のソファで物思いにふけっていた。
「むにゃむにゃ・・・私、もう食べられない・・・ローズ。お前、食べる・・・」
その脇では遊び疲れたユマが猫たち(×3)と眠りについている。きっとたくさんのお菓子をもらって猫たちと一緒に思う存分食べつくしたのだろう、机の上には食べきれなかった残りが両手いっぱい分程度に積み上げられている。
~やすやすと他国の人間に委ねてはいけないという事なのか・・・~
かつて、上海農場の設立当初は自社に勤務するアメリカ人男性を出向させ、責任者に置いて運営を委ねていた。
しかし、この男性の定年退職に伴い後任を当時現場主任をしていた中国人男性に委託してしまった。以降、生産量が落ちたという話は耳にしていたが、まさか麻薬栽培に手を染めていようとはローズにも想像がつかなかったのである。
~だが、ここであれこれ考えていても何も始まらない。現地に行って確かめなければ・・・!~
ローズは、事の真意を確かめるべく中国へ出向く決心をした。
「菓子よこせ・・・よこさない、お前、イタズラ・・・」
その脇では、ユマがずっと寝言をつぶやき続けていた。
「やれやれ。夢の中でもハロウィンが続いてるとは恐れ入る限りだね。」
そんなユマを抱きかかえると、ローズは彼女を部屋のベッドまで運んで行ったのである。(もちろん、その後で猫たちもそれぞれ専用のベッドへと運ばれて行ったのである)
一方その頃、コスタリカはサンホセのコンビニエンスストアでは店長のプライン・マンチェスティーがメアリー・ストレニーネ失踪の知らせを受けて不安を募らせていた。
「メアリー・・・あんな男と結婚したりするから・・・」
メアリーは、かつてロンドンのコンビニエンスストアでアルバイトをしていた頃に一緒に仕事をしていた同僚の一人だった。一時は交際にまで発展し、深い関係を持っていた相手だったが彼女の退社によってそれは自然消滅という形で終わりを迎えてしまったのである。そして、長らく音信不通となっていたメアリーをマンチェスティーが見たのはテレビの中での姿だった。
「私、ずっと一人身だったけどこんなに強くて素敵な人と一緒になれて今は心の底から幸せです!!」
「メアリー。俺の伴侶になるからには常に俺の心を満たす存在であり続けてくれ。俺が君に望むのはそれだけだ。」
それは、生中継までして見せつけるかのような披露宴での姿だった。聞けば、年頃を過ぎてもいい男を見つけられないメアリーを心配した父親が変な格闘選手権を開催してその優勝者に妻としてメアリーを差し出したのだという。
「ふざけるんじゃねーよ。そんなおもちゃの景品みたいな形で結婚させられて幸せとかありえねーだろ・・・」
その時わずか2分で気分を害してチャンネルを変えてしまったマンチェスティーだったがその光景は今なお悪い意味で脳裏に焼き付いていた。
「なぁどーすんだよマンチェスティー。同じカナダ人でしかも元カノなんだろ?いくら今は無関係っていっても放っておけねー問題ってもんがあるだろ?」
同僚のアルバイト店員・ダークタイガーが隣でもどかしそうにしながら伝票を整理している。
「何でもあの子が消えたのは亭主の自宅がある上海って話じゃねーか。だったら上海市民に片っ端から聞き込みしてりゃ今は手がかりがなくてもそのうち糸口がつかめてくるはずだぜ。」
「ダーク・・・」
「このままにしておいていいのかよ?メアリーにもしもの事があったら後で悔やむのはお前だろ?仮にどっかの正義の味方に運良く救出されたとしてそれでお前は満足なのか?」
「それは・・・」
ダークの言っている事は正論に他ならなった。メアリーに万が一の事があったら間違いなく自分は一生後悔するだろう。そして、誰かの手で救出されたとしても「助けられなかった自分」に対して一生後悔するだろう。だが、いつ解決するかも分からない私用で店長である自分が店を空けるなど責任感の強いマンチェスティーには想像もつかなかった。
「どうなんだよ。ハッキリ言ってみな。」
「・・・・・」
バタン!
そんな中、入り口のドアを乱暴に叩き上げて金髪碧眼の女性が入ってきた。
「げっ!」
迷惑そうに顔を歪めるダークには目もくれず、女性はレジカウンターの中へと上がりこむ。
「よく覚えておけ、今から私が店長代行だ。」
「姉さん!」
それは、まぎれもなく実の姉ビューゼル・マンチェスティーだった。
「今からダークタイガーおよびプライン・マンチェスティーに無期限の上海出向を命ずる!!」
「「ええっ!?」」
突然の出向命令にダークとマンチェスティーが目を丸くする。
「代行とはいえしばらくの間は私が店長だ。業務命令は速やかに実行するように!!」
「姉さん・・・」
だがすぐに姉の真意を理解したマンチェスティーの表情が和らいでいく。
「早く荷物をまとめて出発の準備をせんか!」
マンチェスティーの背中を押すかのようにビューゼルが急かしてくる。
「そーゆー事らしいぜ。さ、まずは家に帰って荷造りだ!」
ダークがマンチェスティーの肩をポンと叩いて一足先に店を後にした。
「私の人脈で補充要員などいくらでも用意する。だからお前は店の事など気にせずに今、お前がやるべき事をやれ!」
「姉さん、恩に着るよ!!」
こうして、ダークとマンチェスティーは行方不明となったメアリーを救出すべく上海へと飛び立ったのであった。
人。人、人、人。人だかりをかき分けて進むとまた人だかり。
「全く、これだけ人口が密集している都市というのも考え物だな・・・」
上海に着いて驚いたのはその人群れの多さに他ならなかった。生粋のニューヨーカーで大都市の歩き方を心得ているつもりだったローズも眼前に広がる混沌とした光景には戸惑いを隠せなかったのである。
「それにしても・・・」
散乱したゴミ。舗装されてない道路。前も見ないで携帯電話をいじくりながら運転するドライバー。
そして、一目で分かるよどんだ空気。
「・・・・・」
ローズは、進めば進むほどこの場所が同じ地球上にあるものとは思えなくなってきていた。
~きっと僕は慣れない場所に来て疲れているんだ。そうだ、そうに違いない。~
色々な意味で疲れた頭を少し休ませようとローズはすぐ近くの喫茶店へと立ち寄った。
「いらっしゃいませー!」
店に入ると小柄で礼儀正しそうな感じの女性店員に迎えられてローズはカウンター席へと案内される。
「ご注文がお決まりになりましたら奥にいるのでお呼び下さい。」
女性店員はそう言って深々と頭を下げると厨房へと引っ込んだ。
「さて、何を頼んだものか・・・」
ローズがメニュー表を広げて中を閲覧していると背後から聞き覚えのある声が響いてきた。
「かーっ!やっぱりうめェ!!素の中華麺にルーをかけて食べる“カレーラーメン”は極上の料理だぜ!!」
「何て言うか、いかにもダークが好きそうなビジュアルだよね、それ。」
「それにしてもお前はホットケーキだけで足りるのかよ?」
「ああ、メアリーの件もあるし今はあまり食が弾まないんだよ。これにメープルシロップをかけたら俺の昼食は完成さ。」
そういえば以前ニューヨークで誰かの拳を砕いたような記憶があったようななかったような。
「その声は・・・ダークタイガーかい?」
振り返ったローズは、“カレーラーメン”とやらに舌鼓を打っている男がかつてニューヨークで戦った相手・ダークタイガーである事を確認した。
「げっ!?」
どうやらダークの方もローズを覚えていたらしく、顔を見ただけで気まずそうな表情を浮かべて目を背けてしまっていた。
「えっと、あなたは確かローズマングループのCEOの方でしたよね?」
一方で、ダークの連れにしてローズとは初対面であるプライン・マンチェスティーは席を立って軽く会釈をした。
「はじめまして!俺はコスタリカ共和国でコンビニを経営しているプライン・マンチェスティーといいます。雑誌やテレビであなたの事は前々から知っていたのですがこうして直にお目にかかれるとは思いませんでした・・・ほら、ダークもそっぽ向いてないで何か言う事があるんじゃないの?」
「・・・けっ、大企業のCEOってのは随分とお暇を持て余してるんだな。こんな平日に上海観光とは恐れ入るぜ。」
目を合わせようともせずにダークが悪態をつく。
「これが観光ならば僕も本望なんだけどね。残念ながら今僕が上海に来ているのは業務上の都合に他ならないんだ。」
大げさに肩をすくめてローズが続ける。
「だけど、君たちこそ何の用があって上海に来ているワケだい?見たところそっちも観光といった雰囲気ではなさそうだけど。」
「それが・・・」
マンチェスティーは、事情をローズに包み隠さず説明した。(ダークの横槍を交えながら)
ローズもまた、自分がここに来ている理由をダークとマンチェスティーに偽りなく打ち明けた。
「なるほど。かつての恋人が亭主と一緒に謎の蒸発か・・・それは見過ごせないな。」
「ローズさんこそ自分の農場でそんな事がまかり通っていただなんて内心穏やかではないのでしょう?」
「しかしこれは色々とマズいんじゃねーのか?」
テーブルに置かれた“証拠写真”に目を通しながらダークが首をひねる。
「ここは中国だぜ。この大麻栽培や売買が公になって捕まったらこいつら極刑になっちまう可能性が高いだろ。流石に違法だなんて知りませんでしたじゃ通らないと思うんだがよ。」
「裁判の面に関しては僕に考えがあるから心配ない。ただ、彼らにこれを悪い事だと分からせておかないと全体の責任者である僕の立場上面白くないというワケだよ。」
すっかりぬるくなったコーヒーを飲み干してローズがため息を吐く。
「だけど、目的地と目的がハッキリしている僕よりも君たちの方が大変なんじゃないかな?」
その言葉には色々な意味で正当性が含まれていた。
「そのかつての恋人とやらが上海に住んでいたとはいえ失踪した今となってはどこに行ったかなんて見当もつかないだろう。それに、仮に見つけ出せたとして君たちは彼女をどうしたいワケなんだい?」
「うっ・・・」
「それは・・・」
その先を全く考えていなかったダークとマンチェスティーは言葉に詰まってしまう。
「彼女には亭主がいて、その亭主も行方不明とあらば同じ場所に潜伏していると考えるのが妥当だろう。うっかり亭主の目の前で彼女を強奪しようものなら今度は君たちが追われる立場になる。そういった可能性も視野に入れておかないと後々大きな失敗を招く結果に繋がってしまうという事を覚えておいてほしい。」
「ローズさん・・・」
「ま、“その先”は君たちが考える事であって僕が口を挟む必要などないんだけどね・・・」
小休止を済ませて店を後にしたローズは自身が運営する農場を目指して歩みを進めた。
途中、バスを使おうとも考えたが芋を洗うような大混雑を嫌がって乗車を見合わせた。タクシーを拾おうとも考えたが手荒い運転手による無謀運転を警戒して敢えて見合わせたのであった。
~こういう時こそ自分の足で道を切り開かないとね・・・~
空気も薄汚く、険しい道のりでろくに道路も整備されていない獣道が続いたがそれでもローズは前へ進む事をやめたりはしなかった。
そして、山あいにたたずむ自身の農場にたどり着いたのである。
その頃、ダークとマンチェスティーは上海の市街地を中心にメアリーの行方を知るべく片っ端から聞き込み調査をしていた。
「メアリー?ああ、ヨウ・カイヤンと結婚したとかいうカナダの女か。カイヤンともども最近は見かけないな。」
「3年ぐらい前にでっかい家を建てたみたいだけどもうその家には誰も住んでないって話だぜ。」
「カイヤンの野郎、妻を手に入れてからというもの毎月養父に100万ドルを送金させて豪遊していたらしいぞ。」
聞けば聞くほど面白くない事実ばかりが浮き彫りになってきて二人の気持ちは沈む一方だったがそれでも懸命な調査を続けた末にようやく「離婚話がこじれた末にカイヤンは半ば誘拐のような形でメアリーを連れて故郷・重慶に消えたのではないか」という説にたどり着いたのである。
「重慶か・・・こっからだと随分距離があるな。」
「距離があろうと何があろうと俺は行くよ。ダーク、まさかここまで来て帰るとか言わないよね?」
「愚問だな。ここまで来たなら白黒つけなきゃ男じゃねーだろ!」
こうして、二人は上海を離れて内陸部の都市重慶へと向かったのであった。
「君たち・・・」
言いようのない虚無感がローズの心に渦巻いていた。
かつて「たくさんの甘くて新鮮なフルーツ育成枠」というキャッチコピーとともに誕生した自分の農場のいたるところで大麻が栽培されていたのである。
それも、見渡す限り果物の「く」の字もないほどに。
「あれ?あなたもしかして、ホワイト・ローズCEOではないですか?」
「大麻育成の」畑仕事をしていた作業者の男性の一人が作業を中断してローズの元へと駆け寄ってくる。
「ああ、確かに僕がホワイト・ローズだけど・・・」
「ははぁ、前に写真で見た事あったけどやっぱりローズCEOでしたか・・・おーい!!ローズCEOが直々に来られているぞー!!」
男性が大声で周囲に呼びかけると他の作業者たちも次々とローズの周りに群がってくる。
「こりゃまたありがたい。CEOが直接視察なさるとはこの農場もさぞ期待されているのでしょうな。」
「見て下さいこの大麻の楽園を!果物なんか作ってるよりよっぽど利益も実用性もあるというものです!!」
「我々もちょくちょく使用するのですがすればするほど栽培意欲がわいてきて仕事もはかどるので生産量が年々・・・」
「みんな聞いてくれ!!」
ローズは騒ぐ周囲を力強い一声で黙らせた。
「おそらくみんなは知らないのだろうけどこの薬物は売買も使用も禁じられていて所持する事すられっきとした違法行為になるんだ。ここまでやってしまったら処罰は避けられないだろうけどとりあえず今はここにある全ての大麻を撤去してほしい。」
「・・・・・」
重苦しい静寂に辺りが包まれていたその時だった。
「あ~ら。それは出来ない相談よ。」
「誰だ!」
突如として背後に生じた気配にローズが振り返る。
するとそこには細身で長身の「男」が幻惑するような瞳でたたずんでいた。
「ふふ、あたしを即座に察知するとは流石はホワイト・ローズCEOってとこかしらね。」
「君は何者だい?少なくともここの作業員ではないのだろう?」
「あたしの名前はピエール・ド・ジャンマルク。アートの国フランスが生んだ稀代の幻術師よ。以後よろしく☆」
長身の男・ジャンマルクがローズへとウィンクを仕掛けてくる。
「・・・なるほど、君が妙な手を使ってここのみんなをおかしくさせてしまったというワケか。」
「あら、察しのいい男じゃない。そうよ、ご名答。あたしの素敵な催眠術でこの薄汚い小作人連中を操ってここの農場の果物畑を全部大麻畑にチェンジさせちゃったってオ・チ・よ☆」
何一つ悪びれる事なくジャンマルクが人差し指でジェスチャーする。
「それでこんな下らない事をして君は何が目的なんだ?」
「あら、CEOったら知らないのかしら?大麻の密輸っていいお金になるのよ。あたしみたいな高貴な人間が毎日ブルジョアライフを満喫したっておつりが出るぐらい太い金額が転がり込んで来るんだから。ま、もちろんこの小作人連中にも収益の5%くらいはくれてやってるんだけどさ。」
「・・・・・」
「それにしてもあたしの催眠術に全員が引っ掛かるなんて滑稽の極みよね。こいつらが底抜けにバカなのか、あたしの術が秀でているのか・・・」
「ふざけるなっ!!!」
それまで押し殺していたローズの怒りがついに爆発した。
「みんな自分が守るもののために汗を流して一生懸命働いていたんだぞ・・・それを自分の懐を肥やすためだけに心を操って手を汚させるなんて自分がどれだけ卑劣な行為を犯したのか分かっているのか・・・」
「何よ、あたしがあんたの企業を利用して大金取ったのがそんなに気に食わないって事かしら?」
「お金の問題じゃない・・・これは人道上の問題だ!」
「人道?ふん、大企業のCEOともあろうお方がこんな末端の下働き連中に肩入れするとは随分と器の小さい本性を隠し持ってらっしゃるみたいね。」
「・・・聞け、ジャンマルク!君は大きな勘違いをしている!!」
対話の最中に大きく深呼吸をしてローズが気持ちを静める。
「ローズマングループには数多くの関連企業が存在し、その中にはたくさんの業種や勤務形態が混在する。だけど、どこで働いていようとも末端も下働きも関係ない・・・全員が僕のパートナーなんだ!!」
それこそが、ローズの掲げる企業理念に他ならなかった。
「だが君はそんな僕のパートナーたちの心を操り悪事に手を染めさせてしまった。それはいかなる理由があろうとも重罪に値する!」
「あら、このあたしを叩きのめしてブタ箱に送ろうってクチかしら?」
ファイティングポーズを構えたローズを前にしてもジャンマルクは余裕の姿勢を崩さなかった。
「そんなにケンカがしたいなら、あんたのパートナーたちと好きなだけ戦わせてあげるわ・・・よっ!」
パチン!!
ジャンマルクが指を鳴らすと、それまでローズに羨望の眼差しを向けていた作業員たちが豹変した。
「ホワイト・ローズ・・・俺たちの犠牲の上にあぐらをかいてぜいたくな暮らしを送っている奴・・・」
「不当な賃金で労働者を酷使するブラック企業の黒幕・・・」
「不正献金許さない・・・」
次々と身に覚えのない言葉を浴びせられ続けてローズは苦笑する。
「・・・やれやれ、根も葉もないデマでなじられると心が痛んじゃうね。」
少し後ずさるも操られている作業員たちはどんどん詰め寄ってくる。
「お前たち!その身勝手で傲慢な男を全員で袋叩きにしておあげなさい!!」
いつの間にか輪の中から離れていたジャンマルクが遠くから作業員たちを煽り立てる。
「さ~てどうするのかしらホワイト・ローズちゃん?大切なパートナーを一人残らず返り討ちにして病院送りにしてあげるのかしら?それともパートナーのやむなき事情に甘んじて気が済むまで殴られてさしあげるのかしらん?」
「残念だけどどちらの選択肢も僕の中には存在しない・・・ディープスリーパー!」
ローズが両手を広げるとそこから心地よいそよ風が発生した。
「ローズ・・・始末・・・する・・・」
すると、そのそよ風を受けた作業員たちはその場に倒れて次々と深い眠りに落ちて行った。
「な、何なのよこの展開はっ!詐欺よ詐欺!!酷いインチキだわ!!」
思惑の外れたジャンマルクが歯を剥き出しにして憤慨する。
「さあジャンマルク、これで一対一だ。正々堂々僕と戦うか、降伏して出頭するか・・・」
「悪いけど、あたしのシナリオにはどちらの展開も用意されていないわ・・・よっ!」
ボンッ!
隠し持っていた煙玉を爆発させると、そこにもうジャンマルクの姿はなかった。
「げほっげほっ・・・ジャンマルク、どこへ消えた!?逃げ得は許さないぞ!!」
しかし、直後に声だけがローズの脳裏に響いてきたのである。
~このあたしを手こずらせてくれてありがとう、ホワイト・ローズ。あくまでこのあたしを断罪すると言うのなら特別に潜伏先を教えてあげる。あたしは少しの間だけ中国内陸部の町・重慶の山奥にそびえ立つ“ユンファンの砦”で待機しているわ。死にたくなったら遠慮なくいらっしゃい。最高の墓場が待っているから・・・~
声が途切れて静寂が戻ってきた。
「重慶・・・か。それにしても・・・」
眠る作業員たちと一面に広がる大麻が育てられている畑たち。ローズの心をまたしても言いようのない虚無感が包み込む。
~だからといってこの状況を放置出来るはずがないだろう・・・~
ローズは、深くため息をつくと韓国の駐留米軍に事情を「正直に」説明して応援を要請した。すると、正義感の強い彼らは即座に駆け付けて事後処理を手伝ってくれた。はじめに、眠っている作業員たちは飛行機に乗せられてホノルルの病院へと移送され、目を覚まし次第警察で事情聴取を受ける手はずとなった。次に、栽培されていた大麻と密輸用に保管してあった大麻は一つ残らず証拠物件として押収され、後日ローズと幹部数名の謝罪会見で事実を包み隠さず公表するという形で手を打った。続いて、裁判は「ローズマングループの運営する農場内だから米領に属する」という理由で中国政府を納得させて(交渉は難航に難航を重ねたワケだが)アメリカの裁判所で審判される措置が取られたのであった。
そして、自身の農場で起こった不始末を片付けたローズは元凶であるジャンマルクを討つべく重慶へと向かったのである。
「ふん、それで下働き連中を全員眠らされておめおめと逃げ帰ったというワケか。」
ヨウ・カイヤンは不愉快そうな顔つきで玉座の前に報告に上がったジャンマルクにそう吐き捨てた。
「仕方がなかったのよ。まさかあのホワイト・ローズとかいう男にそんな能力があるなんて完全な想定外だったんだから。」
「ふん、まぁいい。あの農場の連中が使えなくなったとなればまた別の農場で働いてる奴らを操って大麻を作らせるまでだ。」
玉座の上で足を組み替えながらカイヤンが不敵な笑みを浮かべる。
「それに・・・当面はストレニーネの親父からの送金で生活費には事欠かないからな。」
「・・・・・」
カイヤンの脇で、メアリー・ストレニーネがやるせない顔をしてうつむいていた。
「メアリー。お前が警察に通報していたのを見た時は正直その場で殺してやろうと思ったよ。だがそれをやったらカナダからの送金も途絶えてしまう上に俺の生活にも色々と不備が生じてしまう。だからこうして生かしたままこの砦に連れてきてやったのだという事をよく覚えておけ。」
「カイヤン、私は・・・」
「一度は裏切ろうとしたお前を妻として侍女として娼婦として金づるとして使ってやっている俺にせいぜい感謝をするんだな。」
「・・・・・」
一度は何かを言いかけたメアリーだったがまた黙りこくってしまった。
「上海の家が警察の連中に押さえられたとはいえ俺にはこの“ユンファンの砦”が残っている!この要塞と忠実なる手下どもがいる限り俺の人生に落日の文字は存在しないのだっ!!」
ユンファンの砦の最上部“竜神の間”にて、カイヤンの笑い声がどこまでも響き渡っていた。
それから2日後。重慶で靴が磨り減るほどに歩き回って聞き込みに聞き込みを重ねた末にカイヤンが潜伏する“ユンファンの砦”の場所を割り出したダークとマンチェスティーは、険しい山道を登りながら先を急いでいた。
「ジャンピングタイガードロップ!」
ドゴオッ!
「サンダ―ブレイク!!」
ドガシャァン!!
途中、何度となく何十人となくカイヤンの手先たちが襲い掛かってきたがその全てを退けながら二人は前へ前へと進み続けた。
そして、ついに砦の前までたどり着いたのである。
「ここが・・・」
「けっ、何をしたかはよく知らねーがほとぼりが冷めるまでここに隠れてりゃどうにかなるとか考えてるんだろうがそうはいかねぇ。俺たちの手で白日の下に引きずり出してやるぜ!!」
「・・・果たしてうまくいくのかしら?」
「わわっ!」
意気込んでいたダークの耳元に気味の悪い声が聞こえてくる。
「だ、誰だお前!いつの間に・・・」
「あたしの名前はピエール・ド・ジャンマルク。アートの国フランスが生んだ稀代の幻術師よ。以後よろしく☆」
ローズの時と同じような自己紹介を経てジャンマルクがウィンクを仕掛けてくる。
「ふん。何だか知らんがどうやら俺が一番嫌いなタイプの男だな。マンチェスティー、こんな気持ちの悪い奴はほっといて砦の中に入っちまおうぜ。」
「あら、つれないじゃないの。せっかくカイヤンの腹心であるこのあたしがわざわざここまで来てあげたというのにそんな言い方するなんて恩を仇で返すにも程があるわ。」
「誰も来てくれなんて頼んでねーっての・・・」
マンチェスティーもあきれ笑いを浮かべながらダークの後に続こうとした。
「おっと、どこへ行くつもりかしら?誰も通っていいとは言っていないわよ。」
しかし、先へ進もうとするマンチェスティーの前にジャンマルクが立ち塞がる。
「いい加減にしてくれねーかな。俺たちは急いでるんだよ。あんまりナメたまねしてると痛い目を見るぞ。」
マンチェスティーが面倒くさそうにそう言い放ったものの、そんな脅し文句ではジャンマルクの攻撃を止めることなど不可能だった。
「人の心配をする前に自分の身を案じる事ね・・・ヒプノティック!」
「ぐあっ!」
ジャンマルクの目が怪しい光を放つ。
「さあ、あたしの目をとくとご覧なさい・・・そうすればあなたはもっと強くなれるわよ・・・そして、あの憎きカイヤンを殺してしまえば愛するメアリーは即座にあなたの手に落ちてしまうんだから・・・・・・」
「メアリーが俺の手に・・・」
先ほどの閃光で精神を蝕まれたマンチェスティーは疑う事なくジャンマルクの両目に見入ってしまう。
「そう、あの子はあなたを求めてて、あなたはあの子を求めてる・・・邪魔なあの中国人さえ消してしまえば二人は一つになれるのよ・・・でもその前に、あなたの先を歩いているあのガサツな男を始末しておかないと、ドサクサに紛れてあの子がさらわれちゃうかもしれないわ。」
「ダークが・・・俺とカイヤンが戦っている隙にメアリーを奪ってしまうというのか・・・!!」
その時、マンチェスティーの中で何かが弾け飛んでしまった。
「おいマンチェスティー!いつまでそんな野郎相手にしてるんだ!早く砦の中に・・・」
「フレイムスプラッシュ!」
「うわっ!」
ダークは直前で回避をしたものの、その一発に迷いはなかった。
ジャンマルクに洗脳されたマンチェスティーは、先を急かすダークめがけて一陣の炎を放ったのである。
「てめェ、何考えてやがる!!俺に攻撃魔法を使ってくるなんて・・・」
「ム・ダ・よ。今の彼にはあなたの言葉なんて一つも届きはしないわ。」
「!!」
いつの間にかダークの耳元まで近づいていたジャンマルクが息を吹きかけるようにささやいてくる。
「今の彼はあたしに心を奪われた、素敵な操り人形よ。本来なら二人仲良く操って同士討ちをさせてあげたかったんだけどそんなのありきたりでつまんないじゃない。だ・か・ら・・・彼の心だけを操ってそんな彼にあなたがどんな対応を示すのか、その一部始終を見届けてみたくなっちゃたのよね~。」
「この・・・ゲス野郎がっ!」
ビュッ!
ダークが拳を繰り出すもあっさりとかわされて遠くに逃げられてしまう。
「さあ、生意気なチビは袋叩きにして分からせてやるのかしら?それとも、大切な仲間に手は出せないから全ての攻撃を甘んじて受け止めあげちゃうのかしら?早く決断しないとメアリー大好きっ子のおチビちゃんは待っててくれないわよ~。」
ヒラヒラと手を振りながらジャンマルクが楽しそうな顔をしている。
「ダーク・・・散々俺を煽っておいてメアリーを掠め取ろうと目論む卑怯な男・・・許さない!」
「ちっ!もうやるしかねーだろっ!!」
ダークはマンチェスティーの前に交戦の構えを示した。
「マンチェスティー!こうなった以上は容赦はしねぇ!お前の意識がなくなるまで徹底的に叩きのめしてやる!!だが、帰る時は俺とお前、そしてメアリーの3人一緒だからな!約束だからな!!」
しかし、そんな決意の叫びが簡単に打ち砕かれてしまう事などこの時のダークには知る由もなかったのである。
ダークとマンチェスティーがユンファンの砦に向かったその翌日。「ジャンマルクを討つべく」重慶での入念な下調べを行った末にようやくユンファンの砦の場所を割り出したローズは、そこにいたるまでの山道で多くの格闘家たちと遭遇した。しかし、そのほとんどは道端や草村にのびている者たちばかりで、ローズは労せずしてユンファンの砦へとたどり着いたのである。
「ライジングローズ!」
ドボォッ・・・!
変則的な足技を使う空手家を鋭い蹴りで仕留めたところで名もなき格闘家たちの襲撃は一応の終わりを迎えた。
「ここが・・・」
万里の長城が如くそびえ立つその砦のたたずまいに思わず見上げて息を飲む。
~いや、立ち止まっている暇などない!~
先へ進もうとするローズだったがその入り口は強大な力で遮られていて進む事は出来なかった。
「結界・・・だと!?」
~いらっしゃい、ホワイト・ローズ。待ちくたびれたわよ。~
「その声はジャンマルク・・・!君は今、どこにいるんだ?」
脳裏に響いてくるジャンマルクの声にローズが反応する。
~この間の約束通りこの砦の中で待っているわよ・・・最も、この結界を破らない限りあたしに会う事なんて出来やしないけどね・・・~
クックックッ、と笑い声を交えながらジャンマルクが続ける。
~でもあたしは優しいから特別にこの結界を解除する方法を教えてあげる・・・~
「解除する方法・・・?」
~今あなたが来た道とは別に4本の分かれ道が見えるでしょう?その先にあるそれぞれのお堂の中に水晶玉が設置されているわ。それを全部破壊すればこの結界は解けてこの中にも自由に出入りが出来るというワケ。~
「お堂・・・水晶・・・?」
なるほど確かに自分が来た道以外で砦の周囲には4つの分かれ道がある。
~待っているわよ、素敵な白薔薇さん・・・~
そこでジャンマルクの声が途切れて辺りの静寂が戻ってきた。
「・・・ここまで来たら前進あるのみ!」
ローズは、深呼吸をして気持ちを静めると分かれ道の一つへと歩みを進めて行ったのであった。
黒堂・玄武の間は妙な威圧感に支配されていた。
「あー畜生!この、このっ、このヤロっ!!」
部屋の真ん中では大柄な男が携帯電話のゲームをしながら一人で騒いでいた。
「・・・誰かは知らないけどここの水晶玉は壊させてもらうよ。」
ローズが声をかけるも男の耳には全く届いていない。やがて。
ドコーン。
「あーあ!お前が声かけてくるけー死んだじゃろーが!!」
男は立ち上がると自分の不注意でミスをしておきながらその責任をローズへと押し付け始めた。
「そう怒り狂うのはやめてもらえないか。焦ってミスした君が悪いんだから。」
「・・・君が悪いじゃなかろうがや。」
「えっ・・・?」
男の理不尽な言い回しにローズの表情が思わず曇ってしまう。
「えっ、じゃなかろうが。俺はお前のせいでゲームをミスっちょるんで。じゃったら俺に言わんにゃいけん事があるんじゃないんかいや。」
「・・・・・」
「こういう時は“チク・モウゲン様、迷惑をかけて申し訳ございませんでした”言うて手をついて謝るんじゃないんかいや、ああん?」
男の名前をチク・モウゲンといった。
しかし、名を覚えるに値しない男だとローズは即座に理解した。
「・・・何かその目は?俺に言いたい事があるんじゃったら遠慮なく言ってみりゃあえかろうがや。のう、はよ言うてみいや。」
どうやらモウゲンは何も言わずに黙っていても不満があるらしい。
「ならば遠慮なく言わせてもらうとしよう。君は理不尽と身勝手が過ぎて実に不愉快な男だ!」
「お前俺に口答えするんか!!じゃったらここでカタつけちゃるけー覚悟せいや!!」
モウゲンは醜い顔をさらに歪めて戦闘体勢に入った。
「悪いけど、すぐに終わらせてもらうよ!」
ローズも構えて戦闘が開始した。
「潰れろ!メガ・ハンマードロップ!!」
モウゲンが鍛え上げた両手を組んだまま高く掲げてローズへと振り下ろす。
「遅いっ!」
ローズによけられたモウゲンの攻撃は壁を直撃し、穴を開けてしまった。
「わりゃぁ逃げんなや!メガ・ハンマードロップ!!」
再び攻撃を繰り出すもローズにはかすりもしない。
そして、モウゲンが無駄な動きを繰り返しているうちにローズはすかさず懐へと潜り込む。
「そんな力任せで僕に勝てると思うのか!くらえ、ピンポイントアッパー!!」
ボゴオッ!!
「ぐがはっ・・・!」
あごを狙ったその一撃は確実に骨を砕き、吹っ飛ばされたモウゲンは頭から床に落ちて意識を失った。
「それでは・・・」
ガシャン!
玄武の間の水晶玉を叩き割ると、ローズは次の間へと向かった。
「君がここの番人というワケか。予想通りの悪党面で安心したよ。」
「お前そんな減らず口叩いて大丈夫なん?俺が本気出したらお前どうなっても知らんで。」
赤堂・朱雀の間にはどこか血生臭さのようなものが漂っていた。
「俺の名前はガ・カオション。せいぜい後で冥土の鬼にでも聞かせんさいや。」
底意地の悪そうな顔つきをした男、ガ・カオションが気味の悪い薄ら笑いを浮かべながらローズに近付いてくる。
「それよりもお前、金持っちょらん?携帯で課金制のゲームやりよるけー今月やばいんよ。ま、くれんのんなら殺した後で有り金全部もらうけー別にえーんじゃけど・・・ね!」
「!!」
ビュッ!
とっさに襲い掛かってきた膝蹴りをローズは直撃する寸前で回避した。
「なるほど、不意打ちか。いかにもそんな事をやりそうな顔をしてるよ。」
「死にさらせや!ハイエナ・ニーボンバー!!」
カオションが右膝を立てた状態でローズに飛び掛ってくる。
「甘い!」
ローズはカオションの攻撃をかわすとすかさず背後に回りこむ。
「よけてばっかりで面白ぅないのいや!不意打ちぐらい黙ってくらっちょりゃーえかろうが!!」
「なるほど、確かに君の言う通りかもな・・・ローズミスト!」
「何っ!」
ローズが左手を振り払うと、辺りは霧に包まれた。
「お、おい!どうなっちょるんかいや!!何でお堂の中に霧が発生するんかいや!!」
深い霧の中でカオションは視界を完全に奪われていた。
「ローズスクリューパンチ!!」
ドボオッ・・・!
「ぐおっ!」
そんな中でもローズの拳は確実にカオションの腹部をとらえていた。
「わりゃ・・・この・・・」
「何か不服があるのかい?不意打ちぐらい黙ってくらえばいいと言っていたのは君だろう。まさか、自分が同じ目にあうのだけは勘弁被りたいなどと身勝手な事は言わないよね?」
両膝をついてうめき声を立てているカオションに向けたローズの言葉は完璧過ぎるほどの正論に他ならなかった。
「フィニィッシュはこれだ!ローズヒールクラッシュ!!」
グシャァッ!!
「あぎゃあ!!」
首筋めがけて振り下ろされたかかと落としをまともにくらったカオションは意識を失ってその場にのびてしまった。
「僕の名前はホワイト・ローズ。今度君が悪行を働こうとする時にはこの名前を思い出して踏みとどまってほしい。」
ガシャン!
朱雀の間の水晶玉を叩き割ると、ローズは次の間へと向かった。
「これは骨のありそうな男が来たものだ。せいぜいわしを楽しませてくれよ。」
青堂・青龍の間を覆う寒々しさは目の前の中年男性と無関係ではなさそうだった。
「その言葉、本心で言ってくれているのなら嬉しいけど戦う相手には誰彼なく言っている社交辞令というのなら僕は歓迎しない。」
「わしの言葉が本心かどうかはこれから分かる事であろう・・・龍氷撃!」
中年男性は両手から無数の氷粒を発生させてローズへと放った。
「ローズカーテン!」
だがローズは即座に魔法防御壁を作ってそれをガードする。
「ほう、防御魔法を会得しているとは面白い。このロン・タウシェン57年生きてきた中でこのような逸材を目の当たりにしたのは初めてだ。」
中年男性―ロン・タウシェン―は感心したと言わんばかりに首を縦に振る。
「だが、それだけでわしに勝てると思ったら大間違いだ!くらえ、龍炎拳!!」
炎をまとった拳がローズに襲い掛かる。
「リーチは僕の方が上だ!ローズクロスカウンター!!」
ボコオッ!!
「へぶうっ!?」
タウシェンのパンチが届く前にローズの一撃が炸裂する。
「おご、おごご・・・」
口元を殴られて狼狽するタウシェンだったがローズは手を緩めない。
「これで決める、ローズスクリューキック!!」
ズドボッ・・・!!
「ぷがは!!」
腹部への鋭い一撃を受けてふっ飛んだタウシェンは壁に背中を打ちつけるとそのまま意識を失った。
「これで僕が少しは骨のある男だとこのおじさんも骨身に染みて理解出来ただろう・・・」
ガシャン!
青龍の間の水晶玉を叩き割ると、ローズは次の間へと向かった。
「・・・どうなんかね?私の同士連中をみんな半殺しにしてまで君は結界を破ってあの中に入りたいって事なんかね?」
白堂・白虎の間を守る男性は怪訝な顔をしてローズにそう問いかけてきた。
「僕としても戦いたくはなかったんですよ。黙って砕くべき水晶を彼らが何も言わずに差し出してくれたなら間違いなく彼らは無傷でいられたんです。」
「困るんよね。こっちも水晶の見張りが仕事なのに君の都合で壊してくれとか言われて素直に壊せるハズがないでしょう?」
「・・・・・」
ローズと男性の間にしばし沈黙が流れる。
「じゃあ聞くけど君はどうしたいの?正直な気持ちを聞かせて。中途半端なごまかしは言わなくていいから。」
「・・・僕にはあの砦に入ってやるべき事があります。そのためには張られた結界を解除しないといけないんです。だから・・・あなたが守っているその水晶玉を僕に差し出してもらえませんか。」
それは、ローズの偽らざる本心だった。
「・・・分かった。君があの砦に行ってもどうせ何も出来ないとは思うけどここは君の意思を尊重するとしよう。」
「・・・お気遣い感謝します。」
男性の配慮にローズは頭を下げる。
「私は雇われの身だからとりあえずこの結果を資料にまとめて南京の本社に報告に行くとするよ。向こうも電話連絡で済ませるよりかは直に口頭で伝えた方がいい顔をするからね。」
ローズに道を譲りはしたものの男性は釈然としないといった感じでため息をつく。
「それと、私の名前はコク・ミンヨ。今後君の人生に関わる事はないと思うけど一応覚えといて。」
そして、名前を名乗るとそのままお堂から去ってしまったのである。
「これでラストだ!」
ガシャン!
白虎の間の水晶玉を叩き割ると、砦の方から何かが消滅するような音が聞こえた。
「結界が解けたのか・・・」
ローズは、安堵のため息をつくと白虎の間を後にした。
白堂の無機質さも去ってしまう今となればどこかいとおしく思えていた。
結界が解けた砦の中に入ると、そこには八体の金剛力士像が左右に半分ずつ並べられていた。
「なるほど、これが東洋技術の賜物というヤツか・・・」
~ようこそホワイト・ローズ。まずは結界を解いてここに入れたご褒美をあげるわ。~
「!」
ジャンマルクの声が再び脳裏に響いてくると危険を察知したローズは思わず足を止めた。
次の瞬間、八体の金剛力士像が一斉にローズへと襲い掛かってきた。
「うわっ!」
振り下ろされる剣や拳を次々と回避しながらローズがうまく距離を取る。
~いつも人間ばかりと戦ってきて飽き飽きしていた頃でしょう?だから今回はあたしがとっておきの対戦相手を用意してさしあげたのよ。~
「なるほど、余計な気配りをありがとう。色々な意味で泣けてきそうだよ。」
~あら、心配はいらないわ。首をちょん切られるなり頭を踏み潰されるなりすればもう泣かなくていいんだから。~
「それは素敵なご忠告だ。だけど・・・見くびってもらっては困る!!」
ジャンマルクの皮肉を受けてもローズは気丈な姿勢を崩そうとはしなかった。
ズシャッ!ズシャッ!
金剛力士像たちは表情を変えずただローズへと向かって前進する。
「悪く思わないでくれよ・・・スパイラルブリザードスペシャル!!」
ローズは両手から螺旋状の氷を無数に発生させた。そしてそれらは金剛力士像たちの両手と下半身を凍らせて、完全に動きを封じ込めてしまったのである。
「・・・・・」
当然ながらその形相からは怒り以外の感情は何も読み取れそうにはなかった。
ローズは、気を取り直すと1階・金剛の間を後にして先へと進んだ。
2階・財宝の間は通路の両脇に純金の金庫や足の踏み場のないほどの装飾品やブランド服といった類の物が乱雑に置かれていた。
それらをここの主たちがどういった経緯で入手したかなど考えたくもなかったのでローズは足早に3階へと進んだ。
「いらっしゃい、ホワイト・ローズ。上海での一件からここに来るまでのあなたの戦いぶりまで色々と楽しませてもらったわよ。」
そう言って、ジャンマルクは薄暗い部屋の中、何一つ悪びれることなく笑顔でローズを出迎えた。
「それよりも、2階のアレを見たんでしょ?少しぐらいはポケットに詰めたのかしら?」
「ふざけないでくれないか。もうタチの悪い洗脳劇は終わりだ。」
沸き立つ怒りを抑制しながらローズが厳しい目付きを向ける。
「ジャンマルク、もはや逃げられはしないぞ!大人しく罪を認めて出頭を要請する!」
「・・・・・」
「然るべき罪に服せば今ならば君を許すと約束する。さあ、この辺が年貢の納め時だ!」
だが、ローズの温情もジャンマルクには届かなったのである。
「ふん、罪だ出頭だと重ね重ね残念な男で反吐が出るわ・・・あんたみたいな正義ぶった奴を見てるとあたしはとにかく虫酸が走るのよ!」
「ジャンマルク・・・」
「だけど、正直なところここまで来れたあんたの実力は評価しているわ。そこのボロ雑巾よりはね!!」
パチン!
ジャンマルクが指を鳴らすと部屋に明かりが灯されて、全体があらわとなった。
「ダーク・・・!」
ローズは、部屋の片隅に傷だらけで横たわっているダークを見つけた。
「言っとくけどあたしは何もしていないわよ。あの雑魚をあんなにしちゃったのは・・・」
ジャンマルクの背後からうつろな目をしたマンチェスティーが姿を見せる。
「マンチェスティー!!」
「この子ったらすごいのよ。あたしが洗脳した途端に強くなっちゃったみたいで本気で戦ってたあの雑魚をいともたやすく始末しちゃったんだから。」
「メアリー・・・メアリー・・・」
うわ言のようにマンチェスティーがメアリーの名前を口にする。
「心配しなくていいのよ。あの中国人さえ始末すればメアリーは一生あなたの女になるんだから・・・でも、その前に自由と正義で世界を正すあの目障りなアメリカ人を始末してもらおうかしら・・・」
ジャンマルクが指先をローズへと向ける。
「彼、実家に妻子を抱えておきながらメアリーと不倫がしたくてここまで来たのよ。不潔で汚らわしいあの男も、あの雑魚と同じように骨の髄まで痛めつけてしまいなさい・・・」
「ホワイト・ローズ・・・俺とメアリーの絆を壊そうとする邪魔者・・・」
マンチェスティーが突き刺すような目でローズを睨みつけてきた。
「ジャンマルク・・・またこんな事を繰り返すのか・・・!」
「ま、洗脳劇の新章突入といったところかしらね。せいぜい観客として楽しませてもらうわよ!」
「悪いけどそうはいかない・・・ディープスリーパー!」
上海のときと同じようにローズがそよ風を起こしてマンチェスティーを眠りに誘う。
しかし、マンチェスティーは眠らなかった。
「言ったでしょ。この子は強くなっているってね。こんな子供だましで簡単に眠ってしまうあんたの会社の単細胞連中とは一緒にしない事ねっ!」
「くっ、仕方がないっ・・・!」
ローズはやむなく戦闘モードに気持ちを切り替えた。
「フレイムスプラッシュ!」
「はっ!」
マンチェスティーが放った炎をかわしてローズが接近する。
「ローズストレート!」
ビュッ!
しかし、繰り出した拳はあっさりとよけられてしまう。
「ローズ、覚悟・・・サンダーブレイク!」
「たあっ!」
続いて放たれた雷をジャンプして回避するとローズはそのまま飛び蹴りを繰り出した。
シュッ!
しかし、またしても素早くかわされる。
「なるほど、動きも強化されているというワケか・・・」
「ね~ぇローズ?どうしてご自慢の魔法を使わないワケ?おチビちゃんも魔法をガンガン使ってるんだから応戦してやればいいじゃないの。いくらこの子が少し強くなってるからといってもあんたが本気を出せば倒せない相手ではないでしょう?」
相手にダメージを与えられない退屈な攻撃の応酬にジャンマルクが口を挟んでくる。
「勘違いしてもらっては困るな。僕は彼を倒すために戦っているんじゃない。助けるために戦っているんだ!」
「ふん、そのきれいごとをいつまで言ってられるかが見ものだわね!」
ジャンマルクの横槍にも動じないローズだったが攻撃が決まりそうな兆しは一向に見えてこなかった。
~いい動きをしている・・・魔法を放った直後を狙っても簡単に回避されたんじゃあ全くもって意味がない。・・・ならば!!~
ローズはマンチェスティーへと右の人差し指を向けた。
「これは予告だ。次の一撃は必ず君に直撃させてみせる。」
「随分と大見得を切ってくれるものだね・・・あなたの動きで俺がとらえられるとでも思うのか!」
「君の動きは見切った。もはや僕と張り合える相手ですらない!」
「何だと?偉そうに・・・!」
ローズの挑発が徐々にマンチェスティーを刺激する。
「ならば俺の魔法で灰にしてくれる!フレイムスプラッシュ!!」
「今だ!!」
ローズは、放たれた炎に向かってまっすぐに突き進んで行った。
「なにっ!?」
全身を炎に包まれたローズがマンチェスティーへと突進する。
「マンチェスティーよ、目を覚ませ!ハイパーローズストレート!!」
ドボオォォッ・・・・・・!!
ローズの鋭い一撃がマンチェスティーの腹部へとめり込んだ。
「がはっ・・・ろ、ローズさん、俺は・・・」
その一撃はマンチェスティーの洗脳を解くには十分な破壊力を持っていた。
「心配はいらない、市街地での下調べで大体の事は分かっている。それにこれは僕の戦いでもあるんだ。マンチェスティー・・・しばらくゆっくり休んでてくれ。」
「じゃあ、後は・・・お願いしま、す・・・」
そこまで言うとマンチェスティーは意識を失った。
「アクアヒーリング!」
マンチェスティーを部屋の隅に寝かせると、ローズは水の魔法で自分の体に残っていた火の粉を全部消火した。
「ブラボーブラボー。一部始終をしっかり楽しませてもらったわよ。」
背後ではジャンマルクが拍手をしながらローズを称えていた。
「まさか相手の攻撃をくらってまで接近して一撃を叩き込むとは恐れ入ったわホワイト・ローズ。肉を切らせて骨を断つとはまさにこの事よ。」
「ジャンマルク。どうやらもう、あなたを許す必要などなさそうだ・・・」
言葉の中に鋭利な怒気を含めながらローズが振り返る。
「これ以上君の愚行を見過ごすワケにはいかない、今ここで決着をつけさせてもらう!」
「残念だけど今はその時じゃないわ。」
ボンッ!
上海のときと同じように煙玉を取り出して爆発させると、ジャンマルクは姿を消してしまっていた。
~あんたの強さに免じて今回はこの辺りで退場してあげるわ。~
「ジャンマルク!逃がしはしないぞ!」
~あら?あたしにご執心なのは嬉しいけど諸々の事情を把握しているのならもっと先にやるべき事があるんじゃないのかしら?~
「それは・・・」
~またどこかでお会いしましょ、ホワイト・ローズ。次はあたしたちの決着をつけるに相応しい最高級のステージで、ね・・・~
そこでジャンマルクの声は途切れ、辺りの静寂が戻ってきた。
「ジャンマルク・・・いつか、必ず君を・・・!」
ローズは、強い決意を胸に3階・幻惑の間を後にして4階へと進んだ。
「ほぅ・・・あれほどの手だれたちを退けてここまでやって来るとは見上げた根性だ。まずは褒めてやろう。」
4階・竜神の間の主にしてユンファンの砦における最大の黒幕ヨウ・カイヤンは玉座に腰掛けたままローズの到来を出迎えた。
「残念ながら今の君には人を褒める前に自身の身を案じる必要があると思うんだけどね。」
戦いの末にここまでたどり着いたローズだったがその瞳はどこまでも哀れみに満ちていた。
「お前に心配される筋合いはない。確かに手下の大半は失ったのだろうが私には資金がある。適当に金をばら撒いてやれば子分などいくらでも群がってくるというものよ。」
「それはもはや不可能だ。何故ならば、君の野望は僕によって今ここで潰えるのだから!」
ローズが戦闘の構えを取る。
「上海および中国各地での手下を使った洗脳による大麻栽培とその利権の搾取、通報した妻メアリー・ストレニーネに対する拉致行為、暗殺ビジネスグループとの癒着・・・全ては調査済み、身に覚えがないとは言わせないぞ!!」
「面白い!ならばそれらが真実か否かをその体に問うてくれるわっ!!」
玉座から立ち上がるとカイヤンも戦闘の構えに入った。
「ううっ!ううううっ!!」
ふと、玉座の後ろから猿ぐつわをかまされて縄で縛られた女性が転がりながら姿を見せる。
「・・・一応聞いておく。あれはどういう事だ?」
「ふん、あれが俺のワイフだよ。最近うるさかったからお仕置きをしてやっているまでだ。」
「なるほど、君の人間性とやらをしっかりと学ばせてもらったよ。」
「言いたい事はそれだけか・・・いくぞっ!!」
ローズとカイヤンの戦闘が開始した。
「鋼鉄拳!」
「ハイパーローズストレート!」
ビシィッ・・・!!
両者の拳が真正面から衝突し、互いの威力を打ち消した。
「なかなかやるな、ホワイト・ローズ。」
「そちらこそ。」
バックステップをして互いが距離を取る。
「だが、温室育ちのお前にどん底から力一つで富を勝ち得たこの俺は倒せまい!豪龍砲!!」
先手を打ったのは巨大な衝撃波を放ったカイヤンの方だった。
「は、速い・・・ならば、ローズカーテン!!」
そのスピードに回避は出来ないと悟ったローズは即座に魔法防御壁を張った。
ドカァッ!!!
「ぐあっ!」
しかし、その衝撃波は魔法防御壁をも粉砕してローズを直撃した。
「僕のシールドでも・・・防げないというのか・・・!」
弾き飛ばされて転倒したローズがゆっくりと立ち上がろうとする。
だが、カイヤンは待ってはくれなかった。
「動きがぬるいぞ!くらえ、天昇流星落!!」
「!!」
ドガアァァァッ・・・!!!
天井高くまで飛び上がって落ちてきたカイヤンの飛び蹴りはローズを仕留めるべく確実に頭部を狙っていた。
ローズはかろうじて両腕でガードをして致命傷を免れたものの、その代償として右腕を大きく負傷した。
「往生際の悪い奴め。大人しく頭を差し出していれば楽になれたものを。」
弾き飛ばされて壁に背中を打ちつけていたローズにカイヤンが皮肉を飛ばす。
「あいにく僕にはやるべき事が残されていてね。こんなところで終わるワケにはいかないんだよ。」
「ほざけ!お前のような金持ちのエリートが道楽で格闘術をかじった程度でちやほやもてはやされているのが俺はたまらなく腹立たしいんだよ!何もないところから始まって、強くなる事でしか生き延びる術を見出せなかったこの俺の積年の憎悪の前に屍と化すがいい!」
「・・・・・」
「これで終わりだ・・・・・・豪龍砲!!」
ローズは再度放たれた衝撃波の前にまたしても両の手をかざした。
「バカめ!お前のローズカーテンとやらはさっき破られたばかりだろうがっ!!」
「・・・ホーリーエクスプロージョン!!」
だが、その両手から現れたのは魔法防御壁ではなく巨大な閃光だった。
「攻撃こそ最大の防御なり・・・君の衝撃波を僕の攻撃魔法で打ち消してやる!!」
「なるほど、攻撃に攻撃で応戦とは考えたものだな。だが、そんな小細工に屈するほど俺は甘くないぞ・・・はあっ!!」
カイヤンが押し返されそうになった衝撃波に両手を添えてさらなる“気”を送り込む。
最初のうちは互角の力で押し合っていたが次第にローズの魔法がカイヤンの衝撃波を圧倒してバランスは崩れつつあった。
「こんな事があってたまるか・・・俺は最強の格闘家だぞ!剣や銃を持った連中ですら素手でいともたやすく始末するほどの格闘家だぞ!!その俺がこんな奴に力負けをするというのか・・・!!」
カイヤンが焦れば焦るほど衝撃波は押し返され、バランスが崩れていった。
「その身をもって知るがいい・・・これが魔法の力だっ!!」
ドカアァァァァン!!!!!
その瞬間、パワーバランスは完全に崩壊した。
そして、その爆発は魔法と押し返された衝撃波による二重のダメージをカイヤンに与えたのであった。
「カイヤン・・・覚えておくといい。君は確かに僕に力負けを喫した。だけど、それは物理的な力ではなく“精神力”の差にあったんだ。」
ボロボロになりながらも立ったまま、呆然とした表情で息だけをしているカイヤンの横に立ってローズが語りだす。
「見ての通り僕は魔法の力によって君の攻撃を退けた。魔力とは崇高なる精神を宿す者にのみ与えられる強さの証。君がどのような生き方をしてどのような相手と戦ってきたのかは知らないがただ欲望の赴くままに生きているだけの君では僕との間に差が生じるのは必然だったというワケさ。」
「・・・だ、だ・・・」
「さて、君の身勝手によってたくさんの場所でたくさんの損害が発生した。これから君は生涯をかけて・・・」
「まだだぁぁっ!!まだ終わってなんかいねーぞっ!!!」
突如、カイヤンが目を剥いて逆上した。
「勝手に勝ったつもりになってんじゃねぇ!!俺はまだまだ動けるぞ!!貴様を殺す程度の余力なら十分残っているぞ!!」
「カイヤン・・・」
「豪龍砲が通じねーんならこいつで貴様の頭蓋を粉砕してくれる・・・天昇流星落!!」
カイヤンが先ほどと同じように高く飛び上がり、右足を向けて流れ星のように落ちてくる。
「ハーッハッハ!今度こそ考える間もなくあの世に送り届けてやる!!」
「・・・・・!」
ガシッ・・・!
「なにィ!?」
ローズは、右足が頭部に直撃する寸前で小さく動いてそのままその右足を左の脇に挟み込んでしまった。
「な、何のマネだ、離せ!!」
カイヤンが必死になって振りほどこうとするがローズは左脇を締め上げてカイヤンの動きを完全に封じ込めていた。
「これで終わりだ。命ではなく戦いのな!・・・ピンポイントスクリューアッパー!!」
「!!」
ガゴオッ・・・!
「がはぁっ!!」
その一撃でカイヤンは血を吹き上げて意識を失った。
「ヨウ・カイヤン・・・物欲に溺れた哀れな男・・・今後はしっかり罪と向かい合って生涯を送るがいいさ・・・」
ガッチリとつかんでいたカイヤンの右足を離すとローズはすぐさま猿ぐつわと縄をほどいてメアリーを解放した。
「はぁ、はぁ・・・あ、ありがとうございましたっ!私、一時はどうなることかと・・・」
「怖かったね。でも、もう大丈夫だよ。すぐに救援隊を呼ぶから。」
ローズが携帯電話を取り出して事後処理を行おうとする。
「あの!そのっ・・・カイヤンの事なんですけど・・・」
「心配はいらないよ。彼に対しても最低限の配慮はするつもりだから。裁判は免れないだろうけど君は何一つ動じる事などない。」
ローズは、ノープロブレムだと言わんばかりにメアリーの肩をとんとんと叩きながら彼女を安心させてあげた。
「・・・心より感謝します!!」
そして、そんなローズの気配りに安堵したメアリーは穏やかな笑顔とともに深々と頭を下げたのであった。
「カイヤン、ねーカイヤンってば!」
「何だメアリー、いつになくニコニコと気持ちの悪い。」
「せっかく中国で暮らしているんですもの。私、あなたの妻としてあなたのご両親にお会いして挨拶しておきたいな。」
「俺の・・・両親・・・」
「そう。あなたの生まれ故郷である重慶でまだご健在なのでしょう?」
「・・・いない。奴らは生後間もない俺を孤児院に預けて蒸発してしまったんだ。それ以来奴らとは会ってもないしどこにいるかも分からない。」
「カイヤン・・・」
「興味はあるだろうけど奴らの話をするのはこの一回で終わりだ。二度とその話題には触れないでくれ。」
「ごめんなさい。私、そんな事情があったなんて知らなくて・・・」
「お前のせいじゃないさ。悪いのは育てる気もないくせに俺を産みやがったあの馬鹿親どもだ。」
「カイヤン・・・」
「さ、下らない話はこれぐらいにして夕飯の支度だ!メアリー、今日も一緒にご馳走作るぞ!!」
「・・・うんっ!!」
どうして今になって結婚当初の記憶がよみがえってくるのだろう。
そう、俺は物心つく前からずっと孤児院で育てられてきた。院内は一癖も二癖もあるような連中の集まりだったから喧嘩は日常茶飯事のようなものだった。その中で生き抜くためには強くなる以外に方法なんてありはしなかった。だから俺はこの拳に全てを賭けてきた。そして、力で周囲を納得させて大人になってきた。
そんな俺にとってメアリー・ストレニーネとの結婚は人生で最大の転機となった。財閥社長である彼女の父親が俺と同じで縁に恵まれない娘のために格闘大会を開き、優勝者には賞金と娘をよこすなどと言い出したのである。もちろん俺だって金と女は欲しかった。だから即座に応募して、大会では納得の強さを見せつけて栄冠を手に入れた。
だが、そこからの俺は巨万の富に溺れて毎日を豪遊して堕落の道に染まった。食事に車に装飾品、ブランド服に高級酒・・・そして、ついにはクスリに手を出した。このクスリというのが曲者で、密輸をしたなら多額の金が手に入る。ちょうど彼女の父親から与えられた財産が底をつきかけていたから俺は迷わず手下を利用して大麻の栽培をさせ、その利権をしゃぶりつくしてやった。
でも、今にして思えばメアリーに通報されるその前に踏みとどまっていればよかったんだ。正しいのは彼女の方だったのに、俺は勝手に逆上して彼女を連れ去りかつて緊急時の避難所として建設したユンファンの砦に逃げ込んだんだ。手下たちまで配備して、王様気取りになっていて・・・だけどもう全てが終わった。あのホワイト・ローズという男は本当に強かった。俺のところまでたどり着いただけでも驚きだったがまさか俺まで倒すとは。正直あのような強い男と戦って敗れたのなら本望だ。さっさと銃殺刑にでもなってこの世から消えてしまおう・・・・・・
「ここは・・・」
目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
「よかった、気がついたのね!!」
ベッドの横ではメアリーが泣きはらした目をしてこっちを見ていた。
「ここはカナダの病院。カイヤンはユンファンの砦でローズさんにやられてから1週間、ずっと眠り続けていたのよ。」
全く、この期におよんでどうして俺に付き添っているのだか。
「メアリー、今の今まで苦労ばかりかけてきて本当に済まなかったな。俺は裁判にかけられたらどう考えても有罪で即座に銃殺刑だ。そうすればお前は本当の意味で俺から解放される。そしたら新しい恋でも見つけて・・・」
「何を言ってるのカイヤン。あなたは銃殺刑になんてならないわ。」
「えっ?」
あれほどの事をしておいて銃殺刑にならない。わが祖国・中国の刑罰がそんな緩いだなんてありえない。
「あなたの裁判は妻である私の祖国・カナダで行なう事になったの。だから、終身刑になる事はあっても死刑にはならないわ。」
死刑廃止国・カナダでの裁判。いくら妻の祖国とはいえカナダ国籍を持っていない俺にどうしてそのような措置が取られたのか。
「一体どういう経緯でそんな・・・」
「全部ローズさんのおかげよ。」
「ローズ!?」
あの男が俺に温情をかけたというのか。あのホワイト・ローズが俺に。
「ローズさんはね、重慶で聞き込み調査をしているうちにあなたの境遇とかも色々と知ってしまったらしいの。それで、悪事を働いたとはいえ人を手にかけたワケでもないのに厳罰に処されるのはしのびないと思ったんでしょうね、中国政府と交渉してあなたの身柄をカナダに預ける事にしたのよ。」
それは俺への配慮だったのかメアリーへの配慮だったのか。
「そうだったのか・・・どっちにせよ、裁判が始まったら俺は被告人だ。お前は早く俺を見限って・・・」
「何を言ってるの!!」
メアリーは大声を上げると俺を抱きしめてくれた。
「カイヤン・・・たとえあなたがどこに行ってしまおうと私はあなたの妻であり続けるわ。」
「でも、それはあくまで俺が格闘大会で優勝したから・・・」
「それは違うわ。私、最初からあなたが優勝すると信じていたもの。戦いの中でいつも孤独な目をしていたあなたと一緒になりたいと願っていたもの。あなたが優勝した時、私、本当に嬉しかったんだから・・・」
「メアリー・・・」
メアリーの偽りなき愛情とホワイト・ローズの気遣いが次々と心に突き刺さる。
そう、人はいつだって取り返しがつかなくなってから自分の過ちに気付くんだ。
「メアリー・・・俺、全てを裁判で白状するよ。そして、どれだけの刑を言い渡されても俺が犯した罪の証として受け入れる。」
「カイヤン・・・」
「だから、たまには面会に来て俺を励ましてくれよな!」
「もちろんだよっ!!」
俺たちは抱き合っていつまでも夫婦である事を誓い合った。
もう、強さも富も名誉も必要ない。愛する人がいてくれれば俺は明日からも生きていけるのだから。
「今回の失態は我々の管理体制が甘かった故に起こった不祥事です。関係者各位の皆様、お騒がせして本当に申し訳ございませんでしたっ!」
帰国早々ローズは上海の農場での大麻栽培の件に関して重役たちを集めて謝罪会見を開いた。その潔い対応と作業員たちが洗脳誘導されていた事実が公になっていたのもあってバッシングが最小限に食い止められたのは不幸中の幸いといえた。そして、作業員たちもその事情を鑑みてアメリカの裁判所は懲役2年・執行猶予3年という形で決着をつけたのである。
一方、深手を負ったダークとマンチェスティーは応急処置の後でサンホセの病院へと搬送されて一命を取りとめた。だが、カイヤンのところまでたどり着けなかった上にメアリーが本心からカイヤンを愛していたという事実を知ったマンチェスティーはひどく落胆し、最終的にローズが事態を解決させて自分が勢いよく送り出したダークとマンチェスティーは大した役にも立てなかったという事実を知ったマンチェスティーの姉・ビューゼルはこの上なく憤慨したという。
「ま、落としどころとしては悪くなかったという事か・・・」
エリザベス・ブラウンはタバコをふかしながら手元の資料に目を通す。
「だが、ついこの間まで大麻を栽培していた農場を閉鎖もせずに運営を継続させるというのはいかがなものだろうな?」
「洗脳という形で操られていた以上彼らに罪はない。そして、このまま農場を閉鎖させてしまえばそんな罪なき彼らの生活を奪い取る事になってしまう。多少の非難はあるかもしれないけど敢えて僕は彼らの生活を守る方を優先したんだ。」
テーブルの向かいでローズがコーヒーを飲みながら力説する。
「それに、執行猶予がついた事で当分の間は監視員の見張りが入るから今度こそ間違いは起きないと信じているよ。」
「彼らの生活を守る・・・か。全く、あなたの人柄がよく分かるお言葉だ。」
「ん?何か言ったかい?」
「いや、何も。それよりも休憩時間が終わりそうだから私はこの辺で失礼させてもらうよ。」
エリザベスが伝票を手に立ち上がる。
「おや?支払いなら僕が・・・」
「いや、私がもつ。あなたを今日ここに呼んだのは私なのだからな。」
そして、ローズに背を向けて歩き出す。
「色々とご苦労だったな。せいぜい今日はゆっくりしてるといい。」
会計を済ませると、エリザベスはそのまま店を後にした。
「・・・・・」
一人残されたローズは今回の戦いを頭の中で振り返っていた。
「悪くなかった・・・か。」
エリザベスの言葉を復唱するもやはり釈然としない。
確かに農場は浄化させたしカイヤンも倒した。だが、それ以上に今回の騒動の元凶でもあるジャンマルクを逃がしてしまった事実がローズの中で黒く渦巻いていた。このまま放置していれば間違いなく彼は何かを起こす。そんな不安がローズの心にずっと引っ掛かっているのだ。
~どうやら、戦いはまだ終わらないという事なのかな・・・~
ローズは、さらなる戦いの続きを覚悟すると、席を立ち上がりそのまま店を後にした。
~ジャンマルク・・・いつか必ずこの手で君を倒してみせる!~
それは、ブルックリンの街角の喫茶店のある午後の日の事だった。