第3話:仮説その2「ロールズ・ヴァッサーの売名行為」説
さて、この一連の騒動で、もっとも「一杯喰わされた」のは一体誰であろうか? 虚偽の論文を「科学史とSF史の双方に残る大偉業(Association of Science Fiction Writers, “The Magical Technology ,1971/3/27,p.48”)」と称賛した挙げ句、自身の作品に引用までしてしまったSF作家、ロールズ・ヴァッサーである。
では、「一杯喰わされた」結果、彼はどうなったのか? 「ジョージ・サイードマン事件」の後、実は彼の評判は、むしろ急激に上昇したのである。
米国経営対外経済協会 (Association of Management and Economic Diplomacies)の広報センターで事務局長を務める傍ら、“プロレベルの”セミプロ作家として活躍していたロールズ・ヴァッサーは、あれほど称賛していたジョージ・サイードマンの論文が贋作だと分かるやいなや、今度は徹底的な批判者に豹変し、「ジョージ・サイードマン事件」批判の急先鋒となったのである。
虚偽の論文に騙された彼に対する同情票や、折しもベトナム戦争の紆余曲折で米国全体が不安に晒されていた時において、彼の熱烈な「悪を許さない」姿勢は広く受容されたのかもしれない。ロールズ・ヴァッサーが1972年に書き上げた『黄金の拳』は、今までの彼の作品を遥かに上回るヒットを成し遂げ、以来SF作家内における不動の地位を確立したのである(残念ながら、彼の作品を日本語で読むことはできない。それは彼が来日した際に、日本の出版社の社員と旅行先で一悶着を起こし、日本の出版社に対して版権を認めないと宣言したからである)。
「ジョージ・サイードマン事件」以降の彼の躍進ぶりを見れば、彼はむしろ、この騒動で一番恩恵を受けた人物だということもできるかもしれない。
しかし、これがもし仕組まれたものだとしたら? それも、ほかならぬロールズ・ヴァッサー自身によって仕組まれたものだとしたら、「ジョージ・サイードマン事件」以後のヴァッサーの躍進については、どのように評価するべきであろうか。
このことを検証したのが、シアトル在住のアマチュアオカルト研究家、リチャード・メイナード・クルッグである。クルッグは、捏造されたジョージ・サイードマンの論文を検証し、加えてロールズ・ヴァッサーが1970年代初頭に書いた複数の短編・長編をも比較した。その結果、幾つかの特殊なフレーズ、特殊な単語が、論文にもヴァッサーの作品にもほぼ同じ頻度で上がっているということが分かったのである。
このことから、クルッグは探偵じみた嗅覚を駆使して、次のような予想を立てている。
1970年代の初頭まで、米国のSF作品は主に宇宙を舞台にしたものが主流で、ヴァッサーが得意とするような「地球の内部において話の解決する近/遠未来SF」は端に追いやられていた。ところがヴァッサーが「ジョージ・サイードマン事件」に巻き込まれて以降は、かえって彼の叙情に富んだ文学的表現や、宇宙に行くよりかは比較的「地に足の着いた」地球上で展開されるSFが脚光を浴びるようになってきた。
米国経営対外経済協会に職を得る前まで、ヴァッサーは詩人としての立身を試みていたこともあり(結局失敗したが)、ヴァッサーは自身の表現力にはかなりの自信を持っていたものと思われる。つまり、ヴァッサーにとっては自分の作品、もしくは自分自身が注目されれば、SFの歴史の中で表舞台に立てる、という確固たる自負があったわけである。そしてもしチャンスが得られないのなら――自らチャンスを作れば良かったのだ、と、クルッグは事件に至るまでのヴァッサーの経歴、及びSF界の潮流を鑑みて、以上のような推論を行ったのである。
クルッグの提示した説は、実に多くの状況証拠をたくみに提示している。宇宙人の陰謀説よりも、説得力にに富むものと言えるかもしれない。しかし、ヴァッサーがどのようにして「ジョージ・サイードマン」を名乗り、またどのようにして虚偽の論文をでっち上げ、ペール・プレス社に投稿したのかという、計画を実行に移すための手段に関する論点については、あいにく分析の視角から外れてしまっている。SF作品の傾向が変わったこととヴァッサーが注目を浴びたことも、「偶然の因果」として片付けられるわけで、やはりこの説も憶測の域は脱し切れていない。